南無煩悩大菩薩

今日是好日也

爽素快。

2008-04-30 | つれづれの風景。

ソースカイ。

so sky.

そうすかい?


・・・。


この季節は実に気持ちよろしい。

キーウェストか、キラーゴか、サーファーズパラダイスか。

人間という太陽の子供等よ。

太陽に喜び、太陽に人工のお供え物をしたくなる。

映えるものは、よいものである。


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尺取虫。

2008-04-28 | つれづれの風景。


どないでっしゃろ。な。おっさん。わしここ渡れますやろか?


・・・むりでっしゃろなぁ。もうちょい前に出んと、寸足らずちゃいますか?



尺取虫ですけど寸足らずですか。


悩みに「すんしゃく」無しとは、このことでんなぁ。



・・・。



悩んでいるのかと思えば、そうではないらしい。いわゆる擬態というやつで、カメラが近寄ることで、動かなくなっているのである。

しかしこの擬態。上手といえるのかどうかは疑問ですが。

とろとろと逃げるより、天敵が見逃す方に運を託すのであります。

そのほうが、確率的な「ましゃく」にあうのでありましょう。



私にとっては、よいポーズになったのでありました。

ちょっとした「しゃくけい」でございます。



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天喜の甍。

2008-04-26 | つれづれの風景。

1000年のときはへだてて、天喜の香りゆかしい甍が映える。

鳳凰の対峙するを頂点に甍の波が、当時の権勢を今に伝える。

押し付けの無い、優しげなたたずまいは、いやみのない荘厳さを醸し出す。

天喜元年。雅文化の秀逸無二の建造物が世に姿を見せたのだ。

阿弥陀堂。天喜の甍。



見ようによれば、ほかの甍に比べて、頭一つ、抜きん出ているのである。


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猪武者。

2008-04-25 | つれづれの風景。

猪突猛進グングン伸びよ。

いのむしゃにもにた、孟宗の子等よ。

土を割り、天も裂けよと、ばかりに伸びよ。

可愛い黄色のたんぽぽが、君の伴侶だ。



こういうものをみると元気が出る。

やるときはやる。

がむしゃらくしゃら。

猪武者も、よいではないか。


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牡丹か桜。

2008-04-24 | つれづれの風景。

牡丹は百花の王ともいわれる。

その牡丹を名に冠する桜。

何故人は、花見をするか。

菊と刀で、権力のなにものかを彷彿とするように、花を見ることで、なにものかを彷彿としたいからなのかもしれない。

牡丹か桜か。

貴様と俺か。

白い八重桜も、牡丹桜と名のつくことで、趣を異にする有様が、わけても花見をしてしまう由縁の一つ。

白いところにあやがある。

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八重桜。

2008-04-23 | つれづれの風景。

いくえにもかさなるやえ。

みつえにむつえにやえにとしまいのようになかよく咲いている。


姉妹そろうて番茶も出花。嬉かなしの八重桜。

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躑躅燃ゆ。

2008-04-22 | つれづれの風景。

この季節はいたるつじつじにつつじさく。

水辺の猿が人間の出自だともいわれるが、水辺のあかいつつじが今を盛りと燃えている。

繁殖期の猿のおしりはまっかっか。と何の関係もありゃせぬものの。


花燃ゆ人萌ゆ水辺の春。

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藤の高嶺。1.

2008-04-21 | つれづれの風景。

メデューサの髪の毛は蛇で出来ているという。

そんなことを彷彿とさせるような根である。

のたうちからみ一筋縄で済むしろものではない。

冬の根である。


それが一転、春時来たりとなるや、高嶺の花と咲き揺れるのである。

このようなものがどのようなものになるやと心配は無用である。

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藤の高嶺。2.

2008-04-21 | つれづれの風景。

このような花になる。

仰ぎ見るべきもののような、手に取る人を選ぶような花となる。

モネかヘネシーかルイビトンか。



高嶺の花には、そんな一体がある。



急がずも高嶺を極めよ藤の花。


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網を張る。

2008-04-18 | つれづれの風景。

捕獲のためではなく、防御の為に網を、春に張る。

このようなサイズの網目であれば、防ぐは、鳥の類であろう。

昆虫であればすり抜けてしまう。



そういえば、話はつい変わってしまうが、この頃の若い女性は、これぐらいの網目のナイロンタイツも履いている。

虫はつかないのであろうか?


捕獲用なのか、防御用なのかは、私には全くわからないのである。




人の世の中では、そんな網の張り方をしていることも案外多い。


益虫は通しても害虫は通さないような、そんな網の張り方は、やっぱり難しいのである。


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アブストラクト。

2008-04-16 | つれづれの風景。

思わず引きこまれてしまうことは、多々ある。

摂氏99.974度を沸点とする水が、徐々に泡立ち、沸き立ち、三体の一つに昇華し続ける「そこ」もその一つである。

それは、一つのアブストラクトアートと化す。

至極抽象的でありながらも、液体気体固体を繰り返す輪廻の水の、ひとつの実体である。

思惑も無く引き込まれるものには、本物の持つ純度と存在感がある。



などとのたまいながら、鍋に沸き立つ水を写真に押さめている私の背中を、家族はどうみているのだろうか。

反応は、アブストラクトなのである。

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猫柳なのだ。

2008-04-14 | つれづれの風景。

柳の枝に蜂がいる。

だから?

それでも、猫柳。


それでいいのだ。



足の付け根に大きな花粉がしがみついている。

一匹の蜂に命運を託す。

それが?

これが本当の、「一か八か」。


それでいいのだ。



猫の毛並みに似ている柳なのである。

柳に猫の毛並みが似ていたわけではない。

だから柳猫とは謂わない。

それで?


それでいいのだ。


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あるひとつの偶然。

2008-04-12 | つれづれの風景。

一本の細く見えない糸が、二つの枯葉を結びつける。

彷徨うように揺れる二枚の葉は、同心円を描きながらも決してその軌道を外れようとはしない。

浮揚力と拘束力と重力の均衡の上で、私の目に映る枯葉は地に落ちることを拒み続けている。


ある意図が、この糸にあったはずはなく、いくつかの偶然が産みだした束の間の景色でしかない。

蜘蛛はどこにいった。

糸は何故残った。

葉はいつ枯れた。




風化。という営みの中で、偶然にもそのランデブーを余儀なくされた時のいたずらである。


早める必要も遅らせる必要も無い。やがてはなくなるその途中。

たまたまここでめぐり見ただけの風化の途中。あるひとつの偶然。



あとは野となれ山となれ。


通り過ぎるおいて、これほどふさわしい言葉はないのだと私は言い聞かせた。


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散らしてまく。

2008-04-09 | つれづれの風景。

間歇散水機の秀でているところは、

間を 置きながら 最大最低量を 適度に 散らして 撒く 処にある。

種まきにおいてでも、種の発芽の可能性に応じ、競合無駄の出ない間隔で、散らして 蒔く 処が肝要である。

土壌を肥やす際には、水はけと栄養過多に充分気をつけなくては、植え物の根腐れを起こしてしまう。


水と土。という、育みの母なる原点において見られるこの按配の妙理。

最適かつ一番効果的な方法は 散らすということである。

あまねく浸透させるための処方箋。


愛情や嗜好においてだって、適度な散らし方がなければ、ゲップが出てしまうものである。

思いや考えだって、そういうところがある。


実りあるものには、時間を費やしながらも散りじりになりながらも、徐々にしかできあがらないものがあります。


散らしてまく。

撒き散らしてはいけん。


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あせびの花なり。

2008-04-08 | つれづれの風景。

いくつもくつもの連なり鈴なりが全体として行儀よく咲いている。

ぼろぼろぱらぱらとは咲かない。

一枝一連一総花が同時に揺れるは、一つの形式美である。


そのありよう、華奢なりとも。

我らこそは、あせびの花なり。



下に向かいながらも、花盛をますものたちには、そのような美しさと強さがある。


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