南無煩悩大菩薩

今日是好日也

見返りの図。

2007-05-31 | なんとなく落書。

葛飾北斎の美人画に、鏡面美人図というのがございます。

後姿の風情と、鏡に映る表情が美しい。


「待人の たよりや 夏の 夜みせ前」 -得器-

との、賛が入っています。



菱川師宣の見返り美人図も浮世絵として著名ですが、後姿の風情と、かいま見得た見返りとの間の空気、それは一幅の絵になる心情。ということではないかと思います。


風情に心情を映すところに、その個性や美しさが出てくるものだろうと思うのであります。




月やあらぬ はるやむかしの春ならぬ

わかみひとつは もとのみにして。

-藤原定家-



如かず。

2007-05-30 | なんとなく落書。

逃げまするか。

に。逃げよう。


善は急げ。ほれほれ。

あ。おまちになって。あっしも。


なんてことをいってるわけじゃなくとも。


背に腹は変えられぬ。

生きておってこその物種。

ここは三十六計。逃げるに如かず。


ほいさっさ。



烏図。

2007-05-29 | なんとなく落書。

枯木に烏。


群れを成しごみをあさる烏はあさましいけれども。

孤独に枯木にて休む烏は、背中で人生を語る。

んなわけはないが、みるものを反映してそこにいる。

奥ゆかしさを湛えれば、あさましきものなりとも黒光りするようだ。

若木よりも枯木がやはり似合う。

烏のせいだけでもないだろう。


白虎竜。

2007-05-28 | なんとなく落書。

メラニン色素の変異する染色体の特異変質。

生きた化石とも言われる悠久の系統相続。

幾度となく再生可能な細胞再現性。

獰猛な瞬発力と変温の緩慢。

雲を呑み土を食らう。


夢か現か分からぬ不実不詳。

その名。


ホワイトタイガードラゴン。



落書きは楽描き恥掻き。


五輪。

2007-05-26 | なんとなく落書。

空 風 火 水 地


生きとし生けるもののみならず、在りとし在るもので五輪ならざるものはないという。


密教の世界観であります。

かの宮本武蔵は、剣の奥義をこの五つに分けて書き残しました。五輪の書。

オリンピックの五輪とどういう関係なのか、存じ上げません。



ありとあらゆるものの成り立ちを五つの要素で考える。

3,5,7と言う数字は、要素の違いを分類する際によく使われます。
3択では大まかすぎ、七つでは焦点がぼやけてしまうこともままありまする。


五大。五輪。生活智としてもさることながら、人間智としても何かを秘めておるようでございます。


大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、薬師如来、の五大五輪。


万葉の調。

2007-05-24 | なんとなく落書。

血が騒ぐ。とでもいうのだろうか。

この調べには、大和(やまと)の国のなにものかを呼びかけるなにかがあるのである。





籠(こ)もよ み籠持ち堀串(ふくし)もよ 

み堀串(ぶくし)持ち

この丘に 菜摘ます児(こ) 家聞かな

告(の)らさぬ そらみつ 大和の国は

おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ

われこそは 告(の)うめ

家をも名をも よい籠(かご)に 堀串を持って この丘に

菜をつむ乙女よ

おまえの名は。家は。

空見つ大和の国は このわたしが治め 住むところ。

さぁ お言い おまえの名は、家は・・・。


-雄略天皇「万葉集」-


艶次郎。

2007-05-23 | なんとなく落書。

固有名詞ではない。

自惚れの強い人間を山東京伝さんは、こう伝えている。


世俗。とは面白い。

人の噂も、なにかようか、ここのかとおか。

人の口に戸は閉てられぬ。


心得違いに恋の横車。


艶次郎とはまた得て妙な響きである。

自惚れに艶次郎。


柳かな。

2007-05-22 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

気に入らぬ 風もあろうに 柳かな。
-詠み人知らず-


柳の如くさらりといきたいとは願うもののついかかづらわってしまう。

弱いところをつかれたり、執するものや好みのものを奪われると辛い。

普段温厚な私でも、酒を取り上げられると腹が立つ。

まるで子供だ。

たださらりとしているだけではない。気に入らぬときにさらりとできるところが、柳はすごい。悟っているのである。

さらりとした梅酒もいいが、柳のほうが役者は上手なのである。



秀吉候は、聚楽第の竣工の際、
「おごれるもの久しからず」という落書きをされた。
見つけると、すぐさまさらさらと、返書を書いたという。

「おごらずとても久しからず」


さすが天下人の柳ぶりである。


萬願。

2007-05-21 | なんとなく落書。

一芸に秀でるものは諸芸に通ず。


人にはよい所があればわるい所もある。

どちらか一方だけということは人間ありえないのであります。

向学の為の努力が苦にならないこと、集中と継続に飽きないことは、自分本来の面目に関わることであり、それがよい所であり、みづからの強みの発露につながることであります。

唯一無二の存在である、「自分」というものの声に接したとき、人からはどう見られようが、「自分本来の面目を保った」という唯楽喜悦の境涯への、一本道になるのであります。


みづからの面目にかける。


萬願如来は、その心意気に降臨するのであります。


偉大なるかの葛飾北斎は、90年ほどの生涯の終わりに、「あと1年生かしてくれたら、わしは本当の絵というものがわかる」といったと聞きます。
晩年の画号は、画狂人卍。壮絶なる面目であります。



すくなくとも、ましなところとどうしようもないところを間違えないで、本来の面目を問いつつ、萬願に向かいたいものであります。





「願わくは 花の下にて春死なん。そのきさらぎの 望月の頃。」
-西行-




掲諦。

2007-05-20 | なんとなく落書。


證道よ。証道よ。彼岸への證道よ。


汚されることも無く、清浄となるのでも無い。

損耗するものでは無く、増大するものでも無い。

感覚は無く、思弁も無く、行為も無く、認識もない。

明(さとり)は無く、不明(まよい)も無い。

知なく、対象なく、所執無きが故に。

真実なり。不虚なるが故に。

掲諦。掲諦。波羅掲諦。

彼岸の完全な證道よ。証道よ。さとりの知恵よ。霊験あれ。


一切 智ある者に 帰依し奉る。


-般若心経意訳抜粋-



両足伸ばす。

2007-05-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

生涯身を立つるにものうく

騰々天心に任す

嚢(のう)中三升の米

炉辺一束の薪

誰か問わん迷悟の跡

なんぞ知らん名利の塵

夜雨草庵の裡

双脚等間に伸ばす。

-良寛和尚-





喜怒哀楽うっちゃって、寛いでストレッチ。

お風呂の中で、嗚呼極楽極楽と手足をさするのもまた可々。

自分の手足となって働いてくれる手足にようがんばってるな。と声をかける。

あと一日食えるだけの米とそれを炊くだけの薪しかもたないけれど。

寂しく静かな寝るだけの空間の中で。

これでも充分じゃないか。と思う。

両足は思いっきり伸ばせられるのだから。

-無山人異訳-




出世大明神。

2007-05-17 | なんとなく落書。

他を抜く。

この生き物をあがめると、出世すると言う。



虫、菜っ葉、肉に大豆にヨーグルトに、木の実・・・。な~んでも手当たり次第の、口に入るものならなんでもの旺盛な雑食性。

それでもって、もし消化不良なら、こっそりと吐き出して、しらんぷり。


かっこええとは、おせじにもいえまへんけど、愛嬌のある容姿ですから、天敵はあんまりおりまへん。


いけずにすぎるような、化かし方はしまへんで。チャーミングをこころがけてますんや。


なんや知らんけど、出世大明神。て言われます。



ビリーホリデイ。

2007-05-16 | なんとなく落書。

コーヒー豆を齧りながらオンザロックを呑む。

レコードプレイヤーにかかるのは、ビリーホリデイ。

昭和50年代の僕は、そんな呑み方が気に入っていた。

安物のレッドを、チリチリと喉に通しながら、苦酸っぱいサントスの豆を齧る。

「奇妙な果実」と言う曲を聞くたびに、甘いのか苦いのか分からない感傷が顔を出す。

その頃は、彼女の曲の背景にあるものを本当は理解していなかった。


音源の雑音か、レコード針のノイズか。
がさがさとした、あの頃が懐かしい。




と。たまに想うのであります。

こころのがさがさを、臆目も恥じも外聞も無く出せる中年になり、わいわいどやどやと酒をあおり飲むばかりが能のこの奇妙な生き物になってしまった私。


人種間の偏見と嗜虐の背景の中から生み出された彼女の声と旋律に耳を傾けると、僕は救われたような気持ちになる。


アルコールに似合うミュージシャンでありながら、アルコールに逃げることを許さない何かを感じるのであります。


柄にも無く。 

珠玉の歌姫。ビリーホリデイ。