南無煩悩大菩薩

今日是好日也

弾よけになる存在

2018-12-29 | 古今北東西南の切抜
(photo/original unknown)

民の力は本当に強いと実感しました。震災1カ月後の4月、町内のあらゆるセクターの約60人が集まって、女川復興連絡協議会が立ち上がりました。

商工会会長や観光協会会長、市場の組合の理事長などが集まった場で、商工会長がこんな話をされたんです。

「今日、復興連絡協議会を発足して、自分は会長を務めるが、自分を含めた還暦以上は全員顧問になって口を出さない。20年後に生きているか分からん我々が復興してもたかがしれているし責任も持てない。だから、20年後も生きている若い人たちがやりなさい。君たちが企画やイベントで資金が必要なら、我々は金策もする。世の中から何か言われれば、我々がちゃんと弾よけにもなってやる。だからお前らがやれ」

と。

(切抜/『「還暦以上は全員弾よけになる」宣言が生んだ力』より)
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Forgiveness

2018-12-24 | 意匠芸術美術音楽
(quote/source)

Elephant Revival - Forgiveness
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ちょっと想像してみて欲しい

2018-12-23 | 世界の写窓から
(写真/第一次特攻攻撃敷島隊)

僕にも一枚の大事な写真があるんです。

敷島隊という最初の特攻隊員が出撃直前に写したものです。

僕は京都で役者を志してから、ぜんぜん喰えない時代がずっと続きました。

がんばってもがんばっても誰も認めてくれない、ちっとも思うようにならず目の前が真っ暗で、なんども役者の道を断念しようと思いました。暗澹たる青春時代だったんです。

そんな時、撮影所の近くにあった食堂のおやじが、この写真をくれたんです。

これは体当たり特攻一番機の写真で、ここに写っている若者には100%明日はなかったけど、おまえには無限の未来があるのと違うか?

食堂のおやじさん汗だくになってお客の鰯を焼きながら、そう言ってくれたんです。

-川谷拓三「北緯15度のデュオ」より

[OFFICIAL VIDEO] Imagine - Pentatonix


Imagine.. 自分が同じ立場だったらと。
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空気の存在に気付くと驚く

2018-12-22 | 世界の写窓から
(gif/soutce)

敬意は空気のようなものだ。存在していれば、誰もそれについて考えないが、なくなると、そのことばかり考えてしまう。

-「ダイアローグスマート」より

自分にはあり得ない、と思っていながらにして、それがあることに気付くときに、人は極めて貴重な学習をしたことになる。

本当に大事な人や大切にしなければいけないことに気付く、それはえてして灯が燃えるということは空気があるせいだ、というふうに気付くのである。
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ずっとのこと。

2018-12-21 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source)

Orson Welles - I Know What It is To Be Young - 1984
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嘘への対峙

2018-12-20 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

・・たとえば、典型的なのが2016年に神奈川県相模原市で起きた障害者施設での事件です。障害があって働けず、人の世話になるだけの人に意味があるのかと犯人は言った。彼に一番欠けていたのは、人間としての謙虚さです。

山や川に行けば石がゴロゴロしていますが、そこにどういう意味があるのか考えたことがありますか。それは意味がないのではなく、自分には意味が解らないだけです。そのことがわかっていることを謙虚と言います。そうでないと傲慢の極致になる。

意味がないもの、つまり意識の中にないものをすべて排除してしまおうという考え方は非常に恐ろしい結果をもたらします。

僕がこうした考えを持つようになったきっかけは、小学校二年生の時に教科書に墨を塗らされたことでした。これはすごいことですよ。当時はお国が定めた国定教科書だから先生より教科書のほうが偉かった。それがある日突然、教科書に墨を塗って読めなくするんです。

これはもうフェイクがどうこうという話ではない。情報は情報なんです。嘘か真実かという判断を下しているのは受け手の意識です。そもそも、情報自体が実態を表しているかどうかも、よくわからないですからね。そこに気がつき、ともかく一呼吸置かなければいけないんです。


・・嘘であろうが真実であろうが、そんなことにこだわる必要はありません。

そもそも科学なんてフェイクの連続です。科学の歴史は嘘の歴史だという本を書いた人もいます。そこを隠して「科学的に証明された」などと言っている。

このようなことは科学に限りません。ウォール街での成功はたくさんあります。それを様々な例を挙げて、こう考えて、こうやったから儲かったなどと、ノウハウのように語ったりする。でも数学者に言わせると、そんなものは全部まぐれです。宝くじと同じで、ゲームだから誰かが当たる。そんなものです。

トランプ(合衆国大統領)のようにフェイクが大好きで、フェイクをどんどん利用しようとする人がいたとしても、受け取るほうが騙されなければいいんです。政治家からすると、そうした頭が冷えている人たちが一番扱いにくい。

フェイクを発信する人の意欲を削ごうなどと、そちらに目線を向けると同じ土俵に乗せられてしまいます。周りがそれを情報として受け入れなければ、広がることはありません。関係ないよと、そっぽを向いておくのが一番いいんです。

問題はあなたにあるでしょう、ということです。

-切抜/養老猛司「Don't Think About It. Sense It.意識は嘘を見抜けない」D.H.B.R Jan.2019より
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確率論的リテラシーのすすめ

2018-12-19 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

冷静に考えると、宝くじを1枚買って1億円当たる確率よりも、宝くじを買った後で当選発表までに死ぬ確率の方が高いそうです。

ちょっとした知識があれば、トンデモ情報の類いはウソだと分かります。

理屈が分かっていれば見抜けるようになるわけです。その理屈が分かるくらいのリテラシーは、やっぱり必要になります

僕はいつも思うんです。人間は、どうしても知識のないことに対しては、完全に受け入れるか、完全に拒絶するか、どちらかになってしまいがちだ、と。

知識があれば、そのレベルに応じて理解しようとしたり、疑問を持ったりすることができる。けれど、知識がないと、たとえそれが自分の病気の治療方法であっても「さっき先生がおっしゃったのでお任せします」となってしまうんじゃないでしょうか。

「がんです」と言われたら誰だって慌てますよね。みんな、変に楽観的になったり、変に悲観的になったり。だからこそ、その前に知識を持っておかなあかんのと違うかな、とお話しするようにしています。

今、「がんです」と宣告されたら、みなさんまずはネットで調べますよね。けれどネットの情報はどうしても玉石混交です。中にはほとんど治らないがんでも、たまには治る人がいたりする。

実際には誤診だったというケースもありますよね。

例えば、膵がんと自己免疫性膵炎はCT検査で見るとすごく似ています。もやもやした塊が映って。ただ、それが自己免疫性膵炎という診断が確立されるまでは、おそらくすべての人が膵がんだと診断されていたと思うんです。そういうケースでも「がんが治った」と言っていたりする。そういった情報にすがるのはとても危険です。

(切抜/「あなたが怪しげな医療情報に惑わされないために」より)
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18歳と81歳の違い

2018-12-16 | 閑話休題
(picture/source)

恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳。

道路を暴走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳。

心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。

まだ何も知らない18歳、もう何も覚えていない81歳。

自分探しをしている18歳、みんなが自分を探している81歳。

-詠み人知らず
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詩のいくばく

2018-12-10 | 古今北東西南の切抜
(picture/souece)

その手足が疲れを超えて萎えて弱り、その頭脳が生きる苦しみを稲妻のように閃かし、その眼は美しくもない世の恥辱の姿を涙で見つめ、その耳は払いのけたい偽りの怒りを鋭く聞く。

けれど胸は波立ちながらもほっかりとぬくもりを持つ春風のように柔らかく、傷んだ傷口の上をそっと撫でてやりたい気持ち。

その岐点に立ち、そのあたりをさまようものの吐息が詩というものかと、詩を知らない私は考える。

・・・

はるかな、はるかなかつての日に、何を求め、何を希い、何を夢み、何に血を沸らせてこの地を踏んだか、その遠い過去は記憶のぼけた雲煙の彼方に跡形なくきれいに消えてしまった。

・・・

しずかであることをねがうのは、細胞の遅鈍さとはいえない老年の心の一つの成長といえはしないか。

折角ゆらめき出した心の中の小さい灯だけは消さないように、これからもゆっくりと注意しながら、歩きつづけた昨日までの道を別に前方なんぞ気にせずに、おかしな姿でもいい。よろけた足どりでもかまわない。

まるで自由な野分の風のように、胸だけは悠々としておびえずに歩けるところまで歩いてゆきたい。

(切抜/吉野せい「洟をたらした神」より)

AMA - a short film by Julie Gautier
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安易な真似は危険

2018-12-08 | 世界の写窓から
(photo/source)

危険の一つは、妥協して、現れてくる新しいものごとのうち、自分たちの戦略に合わないものを選んで道をはずれてしまうことです。

そこでひとつ考えてみる必要があるのは、

「正しくおこなっているか」だけでなく、「正しいことをおこなっているか」ということへの自問です。
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結晶的知能

2018-12-05 | 古今北東西南の切抜
(画像/「東京物語」より)

人間の認知機能や知能は加齢とともにどのように変化していくのだろうか。これは脳・神経科学、そして加齢と心身の変化を研究している老年学や心理学の最大の研究テーマである。

知能が変化すれば意思決定の質も変化し、消費、貯蓄、労働、企業経営、相続といった経済行動にも影響を与える。そして、仮に「加齢とともに知能が『一方的に』低下していく」のならば、少子化で若年者が減少し、長寿化で高齢者が増える社会は「日本全体の知能」が減少していくことを意味するので、社会・経済の見通しは暗いものになる。

ただ、「加齢とともに知能は必ずしも低下していくわけではない 」としたら話は変わってくる。

発達心理学、老年学では、人間の知能は大きく「流動性知能」と「結晶性知能」の二つから構成されている。

そして脳・神経科学はこうした知能の構造を分析、研究している。

流動性知能は、論理的、抽象的な理解力であるIQに相当し、合理的思考の基盤になる。

結晶性知能は、他人の感情を読み取り、他人を説得し、組織をコントロールするといった「対人コミュニケーション」など、経験知に支えられた能力であり、一般的にEQ(Emotional Intelligence Quotient)に近い。

多くの研究によると、流動性知能は若いときが最も高く、年齢とともに低下する。逆に結晶性知能は年齢とともに上昇するとされる。

二つの知能は40歳代を境に逆転し、両者を組み合わせた総合的な認知機能すなわち知能は50歳代半ばでピークになり、その後、個人差はあるものの60歳代後半まで維持できるとされている。


厚生労働省によると、認知症患者数は2015年時点で約525 万人に達し、2040 年ごろには800 万~950 万人と推計され、その大半が75歳以上によって占められるという。
現時点で75歳以上の30%程度が認知症を患っており、将来、75歳以上のなかでもより高齢の人が増えることから、35~40%程度が認知症になる。このことは金融市場経由で日本経済に影響を与える。現在、個人金融資産は1,900兆円近い。その20%を75歳以上が保有しているが、2040年ごろに30%になる。そして、75歳以上の35%が認知症になれば、実に個人金融資産の約10(30%×35%)、つまり190兆円近くが認知症の方によって保有される。
株式投資など有効な投資活動ができなくなることで、株価は低迷し、日本経済の足を引っ張ることになる。この問題を研究する分野は「金融老年学」と呼ばれ、近年注目されている 。


さて、いよいよ身体や認知機能の低下が始まったら生活はどうすればよいのか。生涯発達心理学の研究者ポール・バルテスは、高齢のピアニストが曲目を絞り込んで練習することで高いパフォーマンスを維持しているように、「選択」「最適化」「補償」からなる「補償をともなう選択的最適化理論」を提唱している。

若いときとは異なり、日々の生活のなかであれやこれやあまり欲張らず、必要な活動目標を選択して、絞り込む。

自分の残った機能をそこに効率的に割り当て、最適化する。

そして、どうしても機能が低下した部分については、機械や道具、他人に頼って不足分を補う。つまり補償するのである。

切抜/駒村 康平「長寿と認知機能の変化」より
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選択の自由

2018-12-04 | 世界の写窓から
(gif/source)

“速く歩きたければ、一人で歩け。遠くまで歩きたければ、だれかと一緒に歩け”
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かならずしもそうではない

2018-12-03 | 世界の写窓から
(photo/Mount Fujiyama and an old Japanese woman, ca. 1947-1952)

本物との違いがわからなくてたとえ偽物に感動してたとしても、その感動まで偽物とは言えません。


Melvis Estevez no me dejes


到着した場所が出発したとき予想していた場所ではないからといって、その旅が失敗だったとも言えません。


Omar Hernandez - Seductora Beni (7 Days In Havana Soundtrack)
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お見逃しのないように。

2018-12-03 | 古今北東西南の切抜
(poster/source)

ホメロスの「イリアス」で、カサンドラは、トロイ王プリアモスの娘たちの中でもっとも美しく、予言能力がある人物として描かれている。
アポロ神がカサンドラをみそめるが、カサンドラはそれを一蹴する。罰として、アポロは今後一切カサンドラの予言を信じるものはいなくなると裁きを下す。だから、カサンドラがトロイ市民にギリシャ人が木馬に隠れていると言っても、その警告は無視された。
 皮肉なのは、その可能性を確認することはいとも簡単だったろうということだ。トロイ市民は現実検証を怠ったわけだ。カサンドラの逆説は、明白な可能性の多くは、ほかならぬその明白さのために無視されるということだ。

私たちに影響を与える大きなトレンドは、ぼんやりして、あいまいで、不明瞭だとはかぎらない。
 ときどき、おそらく多くの場合は、トレンドは巨大で、よく目に見えるものだ。それでも、私たちは見ようとしなければならない。詳細に調べ、耳を澄まし、五感を駆使して、希望と歴史が韻を踏む時を見逃さないようにしなければならない。
 そのあとは、知力を総動員して、その韻が何を意味しているのかを解釈する必要もある。全部できたら、しかもうまくできたら、大きな変化を望むだけでなく、そのような変化を起こすこともできるのだ。 -切抜/ Getting to Maybe 「誰が世界を変えるのか」より

私たちの眼は見ようとしないものを見ることはできない。

なにが起こっている?
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Universe Inside

2018-12-02 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source-Mr.ice-breaker)

“わしらがありがたがっとるのはこの氷のようなもんじゃねぇのかい。”

Vini Vici - Universe Inside. Tribu Zaouli. Costa de Marfil


“Civilization is like a thin layer of ice upon a deep ocean of chaos and darkness.”
— Werner Herzog
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