南無煩悩大菩薩

今日是好日也

看板を上げる。

2014-01-31 | 世界の写窓から
(photo/source)

現実は絶え間なく流動的でいつだって看板倒れだ。

現実の世界に混乱することはあっても、そこに秩序を見出し楽しむことは並大抵ではない。

おそらく「混乱」自体は相関名辞の「秩序」と同様に、物質的なものの属性ではなく、それを知覚する心との関係性でしかない。

読み書きのできない人は、書かれている文字に混乱することがないように、中途半端な「読み」や「憶測」は混乱を招く。

看板を上げるなら、「わしにはわからん」ときっぱりお手上げをすることが現実的なのだ。

なんやおもろいやん。

2014-01-29 | 世界の写窓から
(original unknown)

「こんなことしてみたかったんだ」

とおもえるようなことはしてみて初めて分かったりする。

ふだんからしたいしたいとおもっていることがじっさいにするとたいしたことあらへんやん、てなこともある。

したいことはできず、できることはしたくないということのほうが多いものだ。

「ま。そういわんとやってみなはれ」

破壊的理論。

2014-01-27 | 世界の写窓から
(photo/source1937)

「人生の根源的な問題を手軽に解決する方法など存在しない。だが私に与えられるものがある。人生の状況に応じて賢明な選択をする手助けとなるツールだ。これを理論と呼ぶ」

破壊的イノベーションで有名な、クレイトン M.クリステンセン教授は理論をこう例えた。

人生の根源的な問題・・・・、人格を否認され同じ人間に所有物として扱われる人間がいるという問題、つまり奴隷と呼ばれる人たちの存在を許している社会倫理にある時、その当事者達にとって人生の根源的な問題の在りかは深く暗い。

岩盤のような既得権益者にとっては破壊的であり、問題解決者にとっては創造的な主張・論理の激しい戦いが繰り広げられる。

理にかなわないことでも生き残ってしまう。そういう人間の根源的な問題と、一人一人の人生の根源的な問題を同一視することに無理があることは百も承知だが、社会も個人もイノベーションの本質である「破壊的」な理論を受け入れながら洗練されていくことに変わりはないように思える。

粋な色気。

2014-01-26 | 意匠芸術美術音楽
(/喜多川歌麿「歌満くら」より)

人倫の交わり恋の心より出でざる時は、仁忠慈孝柔和愛嬌、その信委く人情なし。

年若くして色なければ無骨にしてしとやかならず、老いて色なければ慳貪にして邪見なり。

世に色気といふは専ら愛嬌の艶を兼ね言いて、あながち淫欲のみにあらず。

士として色なければ人なずまず、農にして色なければ物育たず、工として色なければ巧みなく、商として色なければ人とはず、天地の間、何物か色なくしては一日も世に立ち難かるべし。

孟子に所謂大王色を好むの弁思ふべし。-柳里恭「独寝」より-


「蛤にはしをしっかとはさまれて 鴫たちかぬる秋の夕くれ」
ちなみに、画中の扇子の狂歌である。

おまけ

(original/unknown)

僕のお父さん。

2014-01-23 | 世界の写窓から
(photo/source)

トム・ウェイツはこんなことを言っている。

ある日息子達が私に疑問を持ち始め、「どうしてお父さんは他のお父さんたちのようなまっすぐな人生を送らないの?」と聞いてきた。

答える代わりに、私は息子達に次の話をした。

森の中にまっすぐな木とまがった木が生えてきた。「私を見てみろ、まっすぐに伸びて美しく立派になって行く。それに加え君は終始まがりくねったままで、誰も君を褒めようとしないじゃないか」まがった木はまっすぐな木に毎日こういわれながらも、お互い順調に大人の木に成長した。ある日、その森に木こりがやってきた。木こりはまっすぐな木とまがった木を見比べてこういった。「まがったやつはほっといてこのまっすぐなやつだけを伐るべぇ、まがったやつは製材が大変だべ」木こりたちはまっすぐな木を伐採すると、次の森へと向かった。まっすぐな木は製材され建材や紙になっていき、残されたまがった木は日々強く大きく強く大きく成長を続けた」。

(おまけ)

(photo/Tom Wait)

草食系男子。

2014-01-22 | 閑話休題
(photo/unknown)

「あんた草食系やねぇ」、ある女性にそないなこと言われましてな。

そこでわい、こないに言うたったんですわ。

「草食系や言うて安心しとったらあきまへん、例えて言うなら女性ちゅうもんは花でっしゃろ、草食系は食いまっせ、花」

考えることで強くなる。

2014-01-20 | 古今北東西南の切抜
(photo/unknown)

20世紀の女性哲学者、ハンナ・アーレントは著書「イェルサレムのアイヒマン」の中で、考えることを停止した凡庸な人間がユダヤ人の大量虐殺という人類最悪の罪を犯しうることを論証した。
・・「ハンナアーレント、世界への愛」を書いた哲学者の中山元氏は、「根源的な悪は、自分で考えないという誰でも陥りがちな習慣の内から生まれてくる可能性がある」と自分で考えることの重要性を強調する。
・・アーレントは、「私が望むのは、考えることで人間が強くなること。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬよう」と大学でのスピーチをこう結んだ。-日経新聞「遠みち/近みち」より抜粋-

私の経験からゆうと、成長期は身体よりも大きいものを買っておいた方が安上がりだ。その時は具合が悪くてもやがてしっくりとくるようになる。
実態は乗り物の大きさまで拡張しようとするものである。考えあぐねた経験の積み重ねがより大きな問題に出会ったときに役に立つ。
つまり、今は至らなくても継続と成熟を重ねた歴史の先に、より大きな「考え」というものをぴったりと着こなせるようになっていくものだということを私は信じている。
身体と違って、「考える」ということについては、死ぬまで成長期なのだ。

どっしり構える。

2014-01-18 | 世界の写窓から
(original/unknown)

愛嬌者のパンダもその奥には凄みを持っている。

チャップリンは作中で自ら演じる道化にさりげなくこういわせている。
「人生に必要なのは、勇気と想像力とほんの少しの金さ」

もうこれだけしかない、と考えずまだこれだけある、との思いが余裕と可能性を産む。

心を広く持ち、一生というものを思い、自らの環境への意志と能力を育み、自分自身を他人の立場に置いてみる。それがどっしり構えるための秘訣だ。

勘と予感と執念。

2014-01-16 | 世界の写窓から
(photo/source)

飛んでくるフリスビーを上手に捕まえるのに大事なことは何でしょう。

いくら、飛んでくるときの速度や角度や風向きやゆらぎや捕まえるタイミングなどを前もって分析しても捕らえられません。

捕まえようとする意志、繰り返し体で覚えこもうとする動機、それを執念が裏打ちしている。これは勘を育む行動で、その勘がフリスビーを上手に捕らえさせます。

それと、目的を達成したときの高揚感や優越感、いわゆるエクスタシーの予感がないと、すぐに執念は薄れ上達もなかったのです。

これは、

2014-01-15 | 世界の写窓から
(source/)

これは犬ではありません。これはトムです。

これ、って。

人は自分が思っているほど自分に注意をはらってはくれません。

だから主張というものは大事なのです。より知ってもらうために。

例えば、

これは禿ではありません。これは坊主です、とか、
これはいやらしいではありません。これは助平です、とか、
これは貧困ではありません、これは貧乏です。とか。

ただで得られるものはない。

2014-01-14 | 世界の写窓から
(photo/source)

組織のメンバーは日々「提供する人」(givers)として行動するか、「利用する人」(takers)として行動するかの判断を下している。「提供する人」として行動するときは、見返りを求めずに他者に貢献する手助けをしたり、知識を授けたり、有益な人物を紹介したりする。「利用する人」として行動するときは、自身の目的のために他者に貢献させようとする一方で、自分の専門知識はしっかりガードする。-Adam Grant-

友人と知人の違いについて誰かがこんなことを言っていた。
「相手の為や相手の助けになるように、ことを頼んだり、頼まれたりしようとするのが友人であり、できれば相手とバーターを行い相手の機能を利用しようとするのが知人である、だから知人を友人とたのむのは間違いだ。」

提供も利用もせず、収奪だけを考える人は友人でも知人でもなく悪人と呼んでおこう。

上質のギブアンドテイクはなかなか難しいものだし、ウィンウィンとなるとなおさら難しい、しかし最も難しいのは、友人といえる人を増やすことだ。

希望。

2014-01-12 | 世界の写窓から
(photo/source)

無一物、無一文、この身一つ、誰でも最初はそうであるし、最後もそういうことなのに、その途中で持ったり無くしたりする。

天性的にあるにも関わらず、勝手に無くしてしまうのは勿体ない限り。

希望という名に顔をつけるとするなら、こんな顔ではなかろうかと思える。