南無煩悩大菩薩

今日是好日也

旬の噺。

2013-12-30 | 意匠芸術美術音楽
(写真/八代目林家正蔵)

かくばかり いつわり多き 世の中に 子を思うばかりは 誠なりけり 

落語「藪入り」の頭に出てくる常套句で、はじまりは何代目かは存じませんが林家正蔵師匠だという話もあるようです。

三代目三遊亭金馬師匠のこの噺も名演です。

(藪入り/三代目三遊亭金馬)

現代の藪入り、「お帰り」「ただいま」をゆっくり味会うのこの時期、

「誠なりけり」がいたるところ、あるのでしょうなぁ。

當てはずれ、とはいうものの。

2013-12-29 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

有りそうで無いのが有り金、無さそうで有るのが借入金。

上がりそうで上がらないのが、月給と十六夜の月。

喰えそうで喰えないのが、腹黒い人とメニューのサンプル。

くれそうでくれないのが、年末賞与と春の陽。

やみそうでやまないのが、中年の道楽と昼下がりの雨。

見えそうで見えないのが、良人のあらと昼の花火。

読めそうで読めないのが、毎日の新聞と人の心。

消えそうで消えないのが、人の噂と神棚の燈明。

・・・

有りとみて無きこそ元の姿なれ とは謂うもののぬれる袖かな -詠み人知らず-

与えることで活きる。

2013-12-26 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

チームワークが力を発揮できるかどうかは、働きの構成が「理」に適っているかどうかだ。

たとえば、物理的にも大きいものが小さいものを背負わなければチームワークは成り立たない。いくら自分でその成果をつかみたくても、小さいものの上に大きいものが乗るということは道理に反し、成果もない。

大人(たいじん)は小人(しょうじん)を助け手柄を譲る。その働きが大人としての評価を高め自身も共に成果を得る。

人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築くとは、そういうことだ。

宴会の倫理。

2013-12-25 | 酔唄抄。
(photo/Alfred Eisenstaedt)

「一座の建立」を志す客人ぶりとして避けるべき雑談は、「我が仏、隣の宝、聟舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」である。

と、室町時代の連歌師、牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)さんは書き残しておる。

つまり、宴の会においても、誰がどんな背景や心持で呑んでいるかわからないので、「宗教、お金、家庭内事、政治、陰口」などの話は慎みなさい。といっておる。

人の気持ちを汲まず、ただ自分は心地よく酔えばいい、なんていう考え方は、宴会の倫理に劣る。

しかるに、誰にでも差し障りのない艶話や下ネタは、不倫ではないのである。

答に応える。

2013-12-24 | 意匠芸術美術音楽
(source)

ジャクソン・ポロック風の壁を背景に、アルバート・アインシュタイン博士が持つプラカードは、「LOVE IS THE ANSWER」

博士は、自分の理論が完璧とは云えず現実的に完全に確かめる術がない以上完成することは不可能であろうと予測できるほど聡明であったと思える、と謂うような考えを寺田虎彦博士はエッセイに書いている。

アインシュタイン博士の残した言葉の中にはこんなものもある。

「重力は、人が恋に落ちることには責任を持てない」

贈り物は・・・。

2013-12-23 | 世界の写窓から
(source)

いつだったかの、

寒中、大きく優しい暖かな存在に手を引かれるような感覚は、心に安心と信頼を与えその後の困難を歩むのに欠かせない素養となる。

今日はイブイブだ。

こんな話もある。

「うちは仏教徒だからサンタは来ない」との父親の言葉に、さみしくうつむく子どもを見てとっさにその父親は言う、「だけど、空海は来る」

元にはもどれない。

2013-12-19 | 世界の写窓から
(original unknown)

元には二度と戻らないものがある。タンパク質の変性などもそうだ。

水は熱して蒸気になっても冷ませば元の水に戻り、氷も同じことだが、卵はいったん焼いたり茹でると元には戻らない。

人体も体温が41~42℃を超えるとタンパク質が固まり始め、生命の危険が始まり、体力のない人などは半日位で死んでしまう。
44~45℃は生存限界の境界線で、気合と根性で頑張っても数時間しか耐えられない。45℃を超えると細胞のタンパク質が変性し、回復はおろか生存の見込みはないといわれる。ちなみに低体温のほうは、33℃位から死にかかり、25℃あたりでほぼポテチンだそうだ。つまり人間は5度位の範囲でしか常態では生きられない。

要するに固まって動かなくなる。

「老化」も代謝などに関するまた別の物理的な変性に由来するのだろうが、
今はやりの「アンチ・エイジング」を「年甲斐のない」と訳した人がいて、なるほどうまいことを云うと思ったものだ。

ひとに任せてはいけない。

2013-12-18 | 世界の写窓から
(original unknown)

着眼、発想、連想、発見、比較、分析、構想、還元、自由・・・これらは思考の始動にまつわる要素。

威圧、恐怖、享楽、怠惰、諦念、偏狭、共謀、与奪、束縛・・・これらは思考の停止にまつわる要素。

ヒューマニティという意味でも、私が最も恐れなければいけないのは思考停止状態に安住してしまうことだ。

国民のほとんどが思考停止状態に陥っているかのようなかの国を見よ。

「考える」ということは、一番難しい仕事でもある、だからそれをやりたがる人は少ない。

故に、私は思考を抑圧するものを見分け逃げ続ける必要がある。

幸福と儲けのビジョン。

2013-12-17 | 古今北東西南の切抜
(gif/source)

「なんで、あんただけ、うまいことせえへんのや、・・・うまいことして割り当てて、割戻しを取りなはれ、その方が割り当てて貰うた業者かて、儲けさして貰うて喜びまっせェ」

執拗に誘われたが、孝平は、

「今ごろからあわてて儲けてもあきまへん。闇時代の勝負は、出足がおそうて、わての負けだす。人の儲けたあとの、儲けカスはいただきまへん」

うまく割り当てて儲けられる立場にいながら、あえて公正な割り当てしかしなかった。その代り、統制が解けて自由経済になった時こそ、改めて見事な勝負をしてやるぞと彼は心に決めてかかっていた。-山崎豊子「暖簾」より-

戦後すぐの闇市で第三国人入り乱れ大儲けをするものが続出した統制経済期、物資配給の割り当てをする組合などでも役所と結託して皆が袖の下(賄賂)をため込む中で、その進めに戦地からの帰還が遅れた主人公が応える場面である。

やがて自由経済になると、このヴィジョンと公正さが大きな財産となり彼を軌道に乗せていく。

私は、レオナルド・ダ・ビンチのこの言葉を想い出した、
「幸福が来たら、躊躇(まよ)わず前髪をつかめ、後ろは禿げているからね」

つまり要諦は、幸福のカスでもなく、儲けのカスでもなく、自分のビジョンに沿ったものをつかめというようなことではないだろうか、と思うのである。

こんなはずでは・・・

2013-12-16 | 世界の写窓から
(photo/source)

・・・なかった。

ということはたびたびおこる。

日常生活の中に突然現れるこれらのタスクをきちんと終わらせるための、

余力、若しくは余裕というもののあるなしがその際の踏ん張りの効く効かないに関係してくる。

「こ、こ、こんなはずでは・・・」の様々な試練が、思考を研ぎ澄まし、人生をより切実に理解できるようにするのである。