南無煩悩大菩薩

今日是好日也

唐辛子。

2007-09-28 | つれづれの風景。

しわくちゃのくちゃくちゃの赤。

むちゃくちゃにからいのが上出来。

これ一本で日本酒一升瓶一本は空けられるだろう。

もうチョイ熟させて、もっとひからびて水気がなくなると、からからひりひりだ。

しおれればしおれるほどに、できあがる。

とんがらし。

この赤。目にもしみるが、萎えた希望にピリリと沁みる。

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茄子の花。

2007-09-27 | つれづれの風景。

親の意見と茄子の花は、千にひとつも無駄は無い。


花がつけば必ず実を為すという。

子をおもうがゆえに苦言をも為す精一杯の親。

そういえば、そう思える。

紫は、日本では高貴な色。

虫にたかられながらも。

薄紫の下向きの精一杯の茄子に、為すの真髄を想う。

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巡る。

2007-09-26 | つれづれの風景。

行く川の水の流れは同じゅうして ただもとの水にあらず。

鴨さんだったか。


今年も巡る。秋の宣言彼岸花。

同じ花にあらず。おなじ人にあらず。

めくりめくめぐる季節は同じゅうして。


どうにもいけない。秋はこうにもゆかしさを覚える。

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寛ぐ。

2007-09-25 | つれづれの風景。

寛いでいる顔は観るものを安心させる。

険しい顔も、朗らかな顔も、もちろんよろしいのですけれども。

寛ぎベースの空気は、つい本音を吐かせる。

世の中で本当の敵となるような出来事はそうそうはないだろう。

と思える。

くつろぐことを飼いならしたならば。


寛(ひろ)げなければなるまい。

狭小な魂胆を。

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戯ける。

2007-09-22 | つれづれの風景。

虚が戈をもってたわけている。

現実的とはいえないものにせっせといそしむ。

呆けるのでも惚けるのでもない。戯けるのである。

はっひふっへほー。とやってみる。


誰にも理解されようが無いことは、戯けとも取れる。

織田信長候は、その昔「たわけ」殿とも言われた。

毛利敬親候は、何を上奏してもそれで「よかろう」藩主と言われた。


結構じゃないか。

よかろうじゃないか。

ほとんど戯けにみえようが。

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笑み。

2007-09-21 | つれづれの風景。

むすっとしてるばかりが能じゃない。

人に優愛の情を貰っているにもかかわらずでは、なおさらだ。

むすっと たけだけしい。とはこのことだ。


盗んでほくそ笑むのは、健康なことではないなのだ。


身を乗り出して積極的にニコニコしてみることも大事なことなのだ。

なにかいいものをもらえたりする。


僕は、ネアカトンボやヒョウキンマンボウが、笑っているのを見たことがある。


笑えない話ではあるものの。

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怒り。

2007-09-20 | つれづれの風景。

へらへらしてばかりもおられまい。

怒りは、至極人間らしい行為だ。

怒りを覚えるときは、怒るが佳きにそうろう。


人の怒りを理解できなければ、自分の怒りも見失う。

へらへらしては、いけないのである。

ひとであるからには、怒りはもっともなことなのだ。

決意と怒りは、非常に近い感情なのかもしれない。

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遂道の先に。

2007-09-19 | つれづれの風景。

その先を君は知っているか。


光に目が眩むかもしれない。

落胆するかもしれない。

なんたるちあ、サンタルチアかもしれない。


君は、覚えているだろうか。

仲間がいることを。

手を取り合って進んでいることを。

折り重なる灯に、知らず知らずに照らされていたことを。


速度は変わり、温度は代わり、景色も替わる。

その先も、又先も、その又先も、その先へ進むのだ。

その屹っ先へ。
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隠れも無い。

2007-09-15 | つれづれの風景。


似たような形容でも、「けち」と「しみったれ」は決定的に違う。

また、「贈答」と「ギフト」にもそのような感覚がある。

贈答は「送られたら答える」、ギフトは「送り与える」。



同じツルテンあたまであっても。

「ばかばかしくも奔放坊主」であるか、「おろかでこしゃくな中年禿」と取られるかによって私の人生も決まる。

どうも、隠れきれないようだ。



芋の葉の、その世の中に、隠れきっしまうのは、やはりまだちょいさみしい。

隠れも無い、堂々の人間にはなれそうもないが。


目ぐらいは、開けといてやる。

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紅緑。②.

2007-09-14 | つれづれの風景。


進出色と後退色という。

出てくる出てくるでかい顔しての進出色。

引っ込む引っ込むけなげにつつましくの後退色。

膨張色と収縮色という。

天高く馬肥ゆる秋かな膨張の。

地低く底冷ゆる冬かな収縮の。

紅緑には、そんな効力もありそうだ。


そう、見逃してはならないのはコンテュアライン。

縁取りをしっかり取ればより際立つのです。

内と外。こちらがわとあちらがわ。

黄色の縁取りが紅い花びらをなにげなくも際立たせる。

何かの必要性があるのだろう。

この三千世界に必要の無いものなど何も無い。

とおもえば花丸よ。

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紅緑。

2007-09-13 | つれづれの風景。

佐藤さんではない。


紅と緑は、「色相環上」では対面になろう。「四季想感情」でもそうだろうか。

芋の葉の緑に、食えないトマトの様なものの紅を合わせてみる。

ちぎった紅い実が、弾き飛ばした雨だれを新鮮にする。

対面上の問題は、鮮度が命ということか。

なんとはなしに、じねんに兼ね備えたものに首をかしげる私であった。

色とはかくも、面白い。


色に対する気が違ってはいけないのである。


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茶堂。

2007-09-12 | つれづれの風景。

旅人とは、ある願いを弥勒に先途修行の修験者ともいえる。

そんな旅人を、温かな接待で敬い、修験の導きを自らも確かめる。

在るものと、通り過ぎるものと、その巡り合せに感謝する。

お茶堂とは、その仕掛けを司る遺産である。

無料の奉仕は、無量となる。


旅人には、村人が菩薩に見えたに違いない。

村人には、旅人が如来に見えたに違いない。


行き過ぎ、通り過ぎ、すれ違うだけの人生には、警句となろう。


じっくり座って、過ぎ行く時を噛締めるのもまた悪くは無いではないか。


まぁまぁ。お茶でも一杯。


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受容に候。

2007-09-11 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

たおれれば たおるるままの 庭の草。

-良寛さん-



立ち上がるんだジョー。

悲壮であってはなるまい。

かといって無気力でもない。

へたれるときはへたれるが佳きにそうろう。
こけたるときはこけたるが佳きにそうろう。

なのであります。

雑草は、たおれたままに休んでいる。

観ててみなさい。そのうち抜群の復元力をもって立ち上がります。

たおれるべくは、受容れて、ままの庭の草なんであります。

芯坤が折れていない限り。


話は変わりますが、小生、多少複雑に鎖骨が折れても、ほっとけば自然に治癒するもんだということも、最近証明したのでございます。

関係各位の皆様には、申し訳なくも御礼申し上げます。

草々。

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枇杷早々。

2007-09-10 | つれづれの風景。

春先の枇杷の花に、蟻が戯れている。

いや戯れているのではない。苦役をこなしている。

真白い花が、夏にはもう黄色い実に変わったのだろう。

今は昔の風景。


枇杷の白い花も、苦役の蟻も、黄金の結実を誘う。

さそう風景は、春には感じない。

さそわれた夏に結実するのだ。

そういえば、もう秋の風。冬の裾払い。


影も形もありゃしない。

びわそうそう。
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前後不覚。

2007-09-08 | つれづれの風景。

しどろもどろの千鳥足。

お。なかなかの面構えの翁面じゃわい。

所詮この世は不覚の前後。

どれ。ともに明かそう旨の内。

前後不覚の大笑い。

馬か鹿かで丸坊主。

酒はのめのめ呑むならば、日の本一の果報者。

・・・。



つくづく想うのは。

不覚にも、どうしようもない。

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