あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ゲッツとマリガンの共演

2014-03-08 | JAZZ
2人のサックス奏者、スタン・ゲッツとジェリー・マリガンの共演盤を取り上げてみました。
この2人、偶然にも同じ1927年生まれで、ゲッツが2月2日、マリガンが4月6日です。
そして、レコーディング上で過去に3度共演していますが、他のホーン奏者を加えずにソロイストとしての録音記録となると、4度目の今回が初めてとなります。

「GETZ MEETS MULLIGAN IN HI - FI」 VERVE MG V - 8249
   
1. LET’S FALL IN LOVE
2. ANYTHING GOES
3. TOO CLOSE FOR COMEFORT
4. THAT OLD FEELING
5. THIS CAN’T BE LOVE
6. A BALLAD
STAN GETZ(ts/bs) GERRY MULLIGAN(bs/ts) LOU LEVEY(p) 
RAY BROWN(b) STAN LEVEY(ds)  録音 1957年10月12日

テナー・サックスとバリトン・サックス、共に中低音を受け持つ楽器であることから相性も良く、加えて大物同士となれば、そこでの演奏は悪かろうはずはありません。
2人は共にアドリブの名手であり、互いのソロを聴きながら触発しつつ、異なったアプローチでスムースなフレーズを次々と繰り広げて行きます。
前半の3曲では、互いに楽器を交換して演奏していると言われ、それも聴きどころとなっています。
レコードの場合、A・B面で聴き比べてみることもできるので、最初は自分の持ち分の楽器で演奏しているB面を聴き、次に持ち替えた A面の順で聴くのが良いかもしれません。
仮にステレオ録音で、2人が左右に別れていれば聴き分けは比較的簡単だと思いますが、これは57年録音のモノラル盤で、2つの楽器が絡み合っています。
従って「どっちがどっち?」と言われると、ちょっと難しく、その辺を聴き分けてみるのも、このレコードの楽しいところです。

なお、下記は再発盤で、これまではこちらで聴いていましたが、最近上記の初期盤を入手しました。
タイトルがゲッツ → マリガンから、マリガン → ゲッツに変わっていますが、曲目と配列は同じです。
聴き比べてみたところ、再発盤は音が少し細くなっていましたが、楽器の輪郭は初期盤よりクリアとなっていて、これはこれで納得できるものでした。
但し、ジャケット・デザインは初期盤の方が、雰囲気があって良いですよね。

「MULLIGAN MEETS STAN GETZ」 VERVE V6 - 8535
   

コメント (2)
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年に一度の食事会

2014-03-07 | グルメ
今日は職場の皆さんと、文京区にあるホテルのレストラン「みゆき」で年に一度の食事会となり、「鉄板焼き」の美味しいお料理を頂きました。
ホテルの庭には早咲きの寒桜と三日月がほど良いアングルで、また部屋の中には暖かい絵もあり、寒空の中で昼間パラついた雪を忘れさせてくれました。
   

席に着いた後、本日のお品書きを拝見し、それらの食材を並べて頂きました。
左から・・・
*あわび茸、紅芯大根、京人参、筍、金針采、インカノメザメ(ユリ科の蕾)
*伊勢海老、ズッキーニ、長芋
*ズワイ蟹、ナス、椎茸、海草
*サーロインステーキ
 

最初はビールで喉を潤した後、前菜 ~ ふかひれスープ ~ 蟹の甲羅に蟹味噌も入った焼き野菜のコンビネーションと続き・・・
    

お次は伊勢海老の袱紗(ふくさ)焼きに、松の実ソースを添えて ~ サーロイン・ステーキへ・・・
このステーキは、ホウ葉で香付けした後、その葉を下敷きにし、更に岩塩の上に乗せて、タレは辛味大根、玉葱のみじん切り、味噌ダレなどで、赤ワインと共に・・・
    

そして鯛ご飯、お味噌汁、それにお新香と焼梅干しが添えられ、仕上げのデザートは、お酒の入ったゼリー、メロン、苺、それに苺のアイスと、盛りだくさんのお料理となり、
 

およそ3時間のコースをたっぷり味わいました。
ご馳走さまでした。

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あれから1年

2014-03-05 | 日記
昨年3月31日で閉店してしまった「ムトウ楽器店」、昨年2月21日の日記に書きました。
あれからおよそ1年、次はどうなるのかな?と、これまで注視していましたが、昨年中は何の変化もありませんでした。
ところが2月20になって、突然シートが掛けられ、何ができるだろうかと興味深々でみていたところ、3月3日にお店のPRと共に、シャッターが少し開いて中が見えました。
それは、、、
3月5日に開店するアパレルのお店でした。
    

そして開店当日の3月5日、
生憎の雨となってしまいましたが、中に入ってみたところ、前のお店の形そのままに、床と壁が変わっただけでした。
  

それを見て、長い間お世話になったムトウさんを思い出していました。

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私の愛聴盤 (第35回)

2014-03-04 | 私の愛聴盤
第35回は、ジャッキー・マクリーンの「ライト・ナウ」です。

ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean) 本名 John Lenwood McLean 
1931年5月17日-2006年3月31日)ニューヨーク生まれ

マクリーンの音楽との関わりは、15歳の誕生日に母親からアルトサックスを買って貰ったことからで、その後はモダン・アルト界におけるメイン・ストリーマーとして活躍しました。
当時のアルト奏者は誰もがそうであったように、彼もチャーリー・パーカーの影響を受け、若くしてパーカー派の逸材として注目され、ソニー・ロリンズ、アート・ブレイキー、マイルス・デイビス等との共演を果たしています。
1955年10月にはアドリブ・レコードで初リーダー・アルバムを制作、その後プレスティッジに移籍し、一聴したらすぐマクリーンであると解る独特のフレーズで、数多くのレコーディングを行っています。
また、56年にはチャールズ・ミンガスのワーク・ショップに参加し、58年にはソニー・クラークの有名アルバム「クール・ストラッティン」で名演を残しています。
59年、バンド・リーダーとしてブルーノートと契約し、これまでのハード・バッパーから徐々にニュー・シング、およびアヴァンギャルドにも傾注していきます。
67年3月にはオーネット・コールマンとの共演を果たし、異色のアルバム「ニュー・アンド・オールド・ゴスペル」を吹き込みますが、68年にはコネチカット州で教職に就き、一時期音楽活動を休止しています。
70年代に入り、デンマークのスティープル・チェイスと契約し、72年5月の「ライブ・アット・モンマルトル」でレコーディングを再開しています。
86年8月には山中湖で開催された「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル」にも登場し、96年までに合計3回出演しました。

今回のアルバムは、ブルーノート時代の後期の作品ですが、実はこれ、71年に「FM東京 ジャズを楽しく」という番組のブラインド・ホールド・クイズに応募し、スポンサーのレコード店から頂いたものです。

「RIGHT NOW」 BLUE NOTE BST - 84215
    
1. ECO
2. POOR ERIC
3. CHRISTEL’S TIME
4. RIGHT NOW
JACKIE McLEAN(as) LARRY WILLIS(p) BOB CRANSHAW(b) CLIFFORD JAVIS(ds)
録音 1965年1月29日

このアルバムはカルテット演奏で、メンバーはあまり馴染みのない顔ぶれです。
特にピアニストのラリー・ウィリスは、ここで初めて知りましたが、ブルーノート時代のハービー・ハンコックとマッコイ・タイナーを足して2で割ったような新しい感覚を持った人でした。
1曲目の「エコ」は唯一マクリーンの自作曲ですが、最初から早いテンポで快調に飛ばしています。
2曲目の「プアー・エリック」は一転してバラードで、エリック・ドルフィーに捧げた曲ですが、マクリーンの演奏が「レフト・アローン」のフレーズとダブって聴こえてしまいます。
残りは比較的アップ・テンポで、リズミックな曲ですが、最後のタイトル曲において、バックが6/4と2拍子を刻むところでも、マクリーンはスムースなフレーズで快調に飛ばしています。
ワン・ホーンで、しかも新しい感覚を持ったリズム・セクションに鼓舞されて、マクリーンが思う存分吹きまくっていることから、聴きごたえ十分な内容となっています。

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久しぶりにペーター・ブロッツマンを聴く

2014-03-03 | JAZZ
3月の最初の週末は天候も悪く、一日中家に閉じこもっていたので、本棚の片付けを始めたところ、一人のミュージシャンのディスコ・グラフィーが出てきました。
その人の名は、ペーター・ブロッツマン(Peter Brotzmann)
  

ペーター・ブロッツマンは、1941年ドイツのレムシャイトの生まれで、当初はアートを志向していましたが、その後はサックス奏者として活動しています。
その奏法たるや、全くの無調の世界の表現で、フリー・ジャズを越えたものとなっています。
このディスコ・グラフィーによると、最初の録音はグローブ・ユニティ(フリー・ミュージック・オーケストラ)が最初にリリースした、その名も「グローブ・ユニティ」(1966年12月録音)のようです。
また、1967年6月には最初のアルバム「フォー・アドルフ・サックス」を、翌68年5月にはBROレーベル(セルフ・プロデュース)から「マシン・ガン」をリリースしています。
(この2枚、後にFMPから再発売されています)
そして69年には、アレクサンダー・フォン・シュリッヘンバッハ( Alexander von Schlippenbach)等と共に、ベルリンにおいて音楽レーベルFMP(Free Music Production)を設立しています。

前置きはさておき、ディスコ・グラフィーをパラパラとめくりながら・・・
寒い休日で、窓はしっかり締っていて、部屋には私以外に誰も居ないので、これを機会に本当に久しぶりにブロッツマンを聴いてみることにしました。
この手の音楽の中で、彼の演奏は過去に良く聴いたほうで、まだ多くの音源は手元に残っていますが、今回はレコードをジャケットの上から取り出す2枚を選択し・・・
それぞれの曲目、奏者、録音データ等は、上記のディスコ・グラフィーに記載されています。

「NIPPLES」 CALIG 30 604 (録音 1969.4.24)
   
6人の超重量級メンバーによる音楽ではなくサウンド、
メンバーの写真と、独語のコメントがジャケット正面に折りたたんでクリップで止めてありました。
購入した当時は、そのクリップも錆びていて、ジャケットには跡が残っています。

「ATSUGI CONCERT」 GuaBunge GBLP 3388.01
 
ジャケットは3枚に折りたたみ式となっていて、内側に16ページのブックレットが入っています。
レコードは、神奈川県厚木市で収録したもので、ドイツ出身のペーター・ブロッツマンと、オランダ出身のハン・ベニンクの2人の丁々発止の演奏です。
ジャケットの表・裏にはそれぞれが写っています。
2人共に、サックスを始め多くの楽器や音の出るものを担当しています。

この2枚、上下階の住人を気にしながらも、それなりの音量で聴いて見ましたが、床はドスン・ドスン、窓ガラスはビリ・ビリ、カラダはブル・ブル、アタマはクラ・クラ、このフリーキーな音の洪水、、、、、 
気力・体力を保っていないと正面から向き合えません。

そして、聴き終わった後の気分は・・・ 
***???※※※εЙЙЙ¶¶¶жжж???・・・ 
言葉にできません。

と、いうことで、耳から受け入れる音楽でなく、カラダ全体で受け止める「音」を実感しました。

なお、このディスコ・グラフィーには1966年4月までの97枚が掲載されていますが、今日までの録音をピック・アップしたならば、恐らく倍以上になっていることと思われます。

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2つのグッド・バイ・マイ・ラブ

2014-03-01 | 演歌・ポップス
これまでず~と愛唱曲として聴いてきた「グッド・バイ・マイ・ラブ」
それは、アン・ルイスが18歳の時にレコーディングしたものでした。

先日、作曲家である平尾昌晃さんが、この曲について誕生した経緯を語っていました。
それによると、なかにし礼さんが17歳になったアン・ルイスに「ちょっとしっとりした大人の歌を歌わせたい」ということで、詩を書いて平尾さんのところに持ち込んだので、チョッピリ背伸びした大人の歌として作曲したのだそうです。
番組では演歌歌手の森山愛子が、平尾さんの前でしっかりと歌っていました。(彼女、上手いです)
  

こうなれば、アン・ルイスのオリジナルも聴いてみたいということで・・・
1974年、彼女18歳、6枚目のシングルです。
作詞 なかにし礼 作曲 平尾昌晃 ビクターレコード SV - 2408
 


ところが、この曲より2年前に、もう一つの「グッド・バイ・マイ・ラブ」が誕生していました。
それは岡崎広志さんの自作・自演によるものです。
この岡崎さん、1935年広島県生まれで、1960年に東芝よりレコーディング・デビューし、歌えて吹ける(サックス奏者)新人として注目され、多くのジャズ・アルバムにも参加しています。
スタジオ・ミューシャンとしても活躍され、「11PM」のテーマソングにおけるスキャット・ボーカルはよく知られていて、コマーシャル・ソングの収録についても400曲以上あるということです。

この曲は1972年、岡崎さん37歳の作品で、You Tubeでは本人の歌を聴くことができますが、レコードは見つからなかったので、ここでは男女2人のアルバムを掲載しました。

最初は朝丘雪路姉さん
作詞 柴野未知 作曲 岡崎広志 CBS ソニー 06SH 386
  

続いて敏いとうとハッピー&ブルー
作詞 柴野未知 作曲 岡崎広志 TRIO 3B - 139
  
2人は一ケ所だけ歌詞を替えて歌っていて、アン・ルイスと比べると、ぐっと大人の歌になっています。

この2つの「同名異曲」、英語で書くとスペルは同じなのですが、日本語ではそれぞれ区切るところが異なっています。
それは兎も角として、いずれも名曲で、しかも素敵な歌です。


そして、この曲を作った岡崎さん、
サーカス、ハイ・ファイセットなどの歌唱指導やレコーディング指導も行っていて、82年にはステージネームを「岡田愛詩」と改名しています。
また1971年10月、渋谷の日本楽器が開店5周年を記念して作った「街を歩こう」というEP盤では、バックに早々たるメンバーを従えて歌っていました。
   

*このコーナーで森本英世さんのソロを敏いとう、及び柴野未知さんを岡崎さんのペンネームと記していましたが、読者の方から間違いを指摘されました。
 ここにお詫び申し上げ、誤り部分を削除いたしました。

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