多くの人にお集まりいただきありがとうございます。
なんてフレーズもあるよね。
このブログにやってきていただく方々も、小学校のふたクラスかさんクラスくらいか。
気にならないふりをしながらも気になりもし。
片や、村上龍だったかな、俺の小説を100万人の人が読むなんて理解できない。
とかね。
ミュージシャンなんかでも、聴衆の期待に応えられる曲ができずに自ら死を選ぶ。
なんてのもあったりするね。
名画家として祭り上げられているゴッホなんかも、生前は絵が売れず、貧乏暮らしだった、とか。
株なんかの世界も、美人投票という言い方、あるしね。
みんなが美人という人を選ぶ、自分が美人だということではなく、と。
マスクやらワクチンやら距離を取るやら消毒するやらも、似ていなくもないな。
社会の常識です的な。
常識ってのは、美人投票みたいなものでもあり、おおかたの人たちが良い良い、と言っている、ってね。
だから、社会がうまく回る、ってわけだ。
商売もそうで、お前が良いってのは、俺には良くない、とかさ。
だから、売れない、売上が立たない、あたしならこんなマーケッティング、しまっせ、みたいな。
人士も商売になるわけだ。
今朝は大きめのみかんをヒヨドリとメジロのために進ぜた。
なんて書くと、神様に、みたいだけど、ある意味、彼らは神でもあり。
それぞれがそれぞれの神を崇め、奉り、人生という時間を過ごしていく。
このところ、年齢の近い人が身近で亡くなったせいか、そうか、俺も死ぬんだな、って当たり前のことが。
思い浮かんでくることがあり。
死そのものは、不浄でもなくおそれでもなく、でもあるんだけど。
もっとも、当方、120歳を設定しているから、とお茶を濁してもいて。
もっとも、死そのものは美人投票ではないから、ど現実、って事になるな。
死についてもそのうち、書きたい気分でもあるな。