まるで音楽のように、だ。
おじおば会、復活宣言により、ということで。
おばに話したら、あるいは、妹に話したら、表題のごとく。
同心円に拡がっていく。
それの応用編が、人生そのものでもあるんだよね。
仕事もそうだ。
time is money ではない、喜びの連鎖だ。
そこんとこ、テストに出してくれるといいんだけど、しかも、減点主義じゃなく、成績も廊下に張り出さず、だな。
スポーツなどの、例えばオリンピックのような競技、ってのが、デフォになったのはいつの頃からなのか。
2000年くらいかね。
その前の地球では、競う、ということがあったのかどうなのか。
知らぬ間に洗脳されてしまっているという可能性もありそうだ。
そんな朝は、エチオピアからのモカ、イルガチェフ。
これ、気に入っているんだよね、と言っても、飲み比べなんかで出されてもわからないだろうけど。
たぶんに、頭で飲んでる気配もあるんだよな。
頭といえば、母音。
日本語人という話ね。
この列島に住む日本人、というより、日本語で育った人=日本語人、ということだそうで。
白人でも黒人でも、と。
母音を左脳、つまり、言語で受け取り、理解する、というわけだ。
日本語人以外は、母音は右脳、抽象的な、ぼやけた世界に投げ込むそうで。
なので、虫の音、川のせせらぎなど、雑音として、あるいは、ないものとして受け取る、とか。
ちょっと、まだ、初心者なのでうまく説明できないな。
いずれにしても、左脳で、情緒的な母音の響きを受容する、ってのは、ディベートには向かず。
一方、そんな音は右脳でこなし、左脳には、論理的な、怜悧な言葉のみ、とすると、世界は。
論理で組み立てられることになるわけだ。
この辺り、わかりやすいよな、世界はロジック、だと。
ネオコンみたいな話だな。