朝早くの事務所で、榊に水を、鳥に餌を、なんてルーティンが終わって。
机に座り、珈琲を挽くか、とふと窓の外に目が向いた。
自然に、その光につられ、表題だ。
満月から少しかけ始めた月。
人間の不幸は月の策略だ、という考え方もある中、その策略に乗ろうがどうしようが、見上げたら月、ってことだな。
そうだ、この週末は、仕事で世話になった方の葬儀。
突然死、ってやつだ。
心筋梗塞。
すわ一大事、ってなもんで、昔お世話になった方々への電話。
もちろん彼らは知っていたのだけど、お通夜が、とか、葬儀が、とかのやりとり。
俺も気をつけなきゃ、というから、大丈夫、悪党は長生きするから、と嘯き。
なんて時間もいいものだ。
年月がいろんなことを洗い流しもし、凝縮させもし、ってわけだ。
いずれにしても、そんな悪タレも含め吐き出し合う時間を共有したこと、創造したことは紛れもない事実。
ということになるな。
昨日、札幌の女史へのリクエストで、こちらの現状を俯瞰していただいた。
じっくりの確認作業は、春分明けくらいがいいそうで、僕のガイドさん曰くは。
なんだけど、それでも何かありますか?
の彼女の質問に、誰知らずとも己のことは己が知っている、と。
ちなみに、そのガイドさん、江戸時代のお侍さん、官僚さんらしく。
僕の直感だと、父方のご先祖さまだろうな、なんてね。
ということなどなど思い浮かべているうちに、外は明るくなってきた。