だったかな、芥川龍之介の自死、ね。
今朝、早めに目が覚めたので、半藤一利さんの「B面の昭和史」を読んでいたら出てきた。
ちょうど、年号が改まった翌年の2年。
わが父や母が生まれた頃だ。
第一次大戦が終わっての不況の中、民草は生きていくのに難儀していた時期。
でも、あることころにはお金も富もあったらしく、なんて話もあったな。
改造社が企画した円本、ま、安い文学作品集みたいなもの、それが大売れに売れ。
貧乏文士が一挙に裕福になった頃でもあるらしい。
なんか、おもしろくてね。
現在時のいろんなデクラスみたいなことに、SNSで付き合っているのと、近いものがあるな、なんてね。
ではあるけれど、半藤一利のフィールターがかけられた文体から受け取るものは、えらい違いだな。
落ち着く。
Twitterの140文字だっけ、Facebookにしてもだけど、玉石混交、過剰な表現、なんてことからの。
ほんのひとときの解放、ってやつだな。
これ、いいわ。
ある時代の時事が書き連ねてあるだけ、ではあるんだけども。
人間の辿ってきた、少し前の、歴史とでも呼べるか。
今朝の珈琲は、エチオピア、イルガチェフのモカ。
エチオピアも古い国だよね。
天皇家とほぼ同じくらいの皇帝がつい最近まで存在し、というね。
しかし、地政学的なリスクがあるかないか、の大きな違いでもあるんだろうな。
有象無象がそこここから押し寄せ、というところと我が邦の違い。
なんてことか。
と、遠い思いも呼び覚まされ、の朝。
さて、静かな日に出かけるとするか。