このところ、胃が痛くて。
って、ここに言葉にすると、いかにも、という具合に定着してしまうんだけどね。
夜中に目が覚めて、幼い頃のおばあちゃんを思い出しながら、胃のあたりをさすっていた。
手当、とか言って、手のひらから発する、なんだろうね、あれ。
それで、痛みに応じてもいて、なので、珈琲改めレモングラス、ってわけだ。
今日のおじおば会は、おじ、が抜けていての、正確に書けば、母親とおばと妹会、ってことになる。
毎度のごとく、どっち方面へ行く?という会話から始まる。
西か東か山か、ってね。
それにしても、今朝の車外温度、12度だった。
ついこの間まで、夏日が、とか、熱中症が、なんて口々に言っていたのが、嘘みたい。
瞬間、八ヶ岳、寒いだろうな、と。
冬場になれば、零下であっても、そりゃ、寒いけど、当たり前化しちゃうんだけど、なんてこと。
考えると、人間ってのは、環境の産物、だ、とつくづく、思うね。
長い間には、肌の色だって、黒くなったり、黄色くなったり、体毛だって濃くなったり、それもありだろうな、と。
わが骨ストレッチのルーティンにしても、短パンTシャツを自然に止めているからね。
この間までは、汗だくになって、というのが、開けた窓から冷気が、なんて季節だ。
季節は巡る、ってことで。
そう、時代も変わる、ということでは、ノーベル賞、文学賞にボブディランだったね。
彼の詩、難解だからね。
ハルキストの皆さんが、電話の前で、当たりが出たらワイン、みたいな絵柄が、映っていたけど。
残念だったね、彼らにとっては。
村上春樹にとっては、淡々と、って感じではあるんだろうけど。
彼の本は、一冊しか読んでないけど、世界的な文学者、ということなんだね。
いつだったか、イスラエルでの講演で、なかなか言えないストレートな発言、なんてこともあったような。
その彼じゃなく、喫茶店で聴いていたボッブ、ディラン、(by ガロ)だったわけだ。
わが若かりし砌、ちょっと、聴いていたこともあった彼だけど、英語の詩が南海ホークス、でさ。
「見張り塔からずっと」なんての、あったような気もするんだけど、寓意、というのか。
ベタにまんま、の表現じゃなく、暗喩、というのか、そんなところが魅力的ではあるけれど、わからん。
って感覚が残っている。
おーいで皆さん聞いとくれ、ボークは悲しい受験生、なんて歌った、高石ともやとか岡林信康とか、言っちゃえば。
まんま、コピーでもあって。
戦後、ギブミーチョコレートから発した、アンビバレンツな、アメリカへの憧れ、の時が流れ、今度は。
そのアメリカ由来の、反体制的な、アンチな、そんな感情の中心にいた、と周辺では思っていると。
本人は、静かにその立ち位置をずらし、と。
さらに深い、体制云々よりも、社会の中での人間そのもの、という視点だったのかな、なんてね。
もっとも、彼を語るほどには知っていない当方なんで、このくらいにしときますか。
日経の一面だったかに、times they are a-changin' の歌詞が掲載されちゃうんだから、恐るべし、ノーベル賞。
とも言えるね。
さて、そろそろ、bone stretchに向かうとしますか。