ということで、母親の見舞い、というのか、看護、というのか。
なかなか、自分の居場所が腑に落ちないようで、帰る、帰る、と。
その意図が、実は、違うんだ、ということを、あれやこれやの手口で。
教えさとし、その合間に、とにかく、顎を動かし食事を。
と、口に運んでね。
そういえば、母親の口にご飯を運んだ、ってのは、初めてのことか。
そんな感慨もなく、僕が車で迎えに来た、という彼女のストーリーの。
間隙を縫って、という作業だった。
食欲も、どうかすると、頭に負けちゃうんだよね。
ここは私の居場所じゃないから、帰らなきゃ、という、これ、感情なのか、なんなのか。
そちらが勝って、お腹が空いているのは、どこかへ行っちゃう。
という仕組みは、お腹いっぱいなのに、食べなきゃ、食べたい、という過食と似ていなくもない。
そんなことの後、院内にあるドトールコーヒーにて、イタリアンセットだったか。
ジンジャーチキン、とかいうの、食べて。
昼食、だったんだけど、地下にもあるんだね、食堂っぽいのが。
今度は、そこで、昼食だ。
そんなわけで、今のところ、母親同様、こちらも、新しい環境、状況に戸惑っている、というか。
不慣れでいる、というのか。
なんだけど、幼い子なら、毎日がこんな具合なんだろうけどね。
不慣れ、とか、戸惑い、とかの語彙は、浮かびもしないくらいに純粋に、目の前のことごとを。
受け止め受け入れ嚙み砕き消化し、というね。
こちらも、彼彼女たちに習って、目の前のことに脇目も振らず、と。
ところで、これにも関連するんだけど、最近、未知と不知、ってのが、テーマにあって。
どちらがいいのかな、というね。
日々が未知の連続、という言い方と、不知の連続、というのと、どちらかな、というたわいもない。
to be or not to be,that is the question、くらいのハムレットの悩み、若きウェルテルの悩み。
といったところでね。
未だ知らず、というのと、知らず、というのと、日々起こりくる出来事をね。
どちらで表そうか、というんだけど、どうも、不知、の方がいいな。
未知だと、力んでる感、あるでしょ。
単に知らず、のほうがよさげなんだ。
って書いてみて、たわいないことかもね。
どっちだっていいか。
それこそ孫娘に聞いてみたいくらいだけどね、たぶん、乙な返答がもらえるかも。
さて今日は、個人ミーティングの続編だ。
気持ちのいい空の青だ。
さて、カレンダーには上棟吉日、と書いてある一日を始めるとしますか。