まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

インドの聖者が富士の裾野に集まっているらしい

2016年10月22日 | Weblog

昨日、伊勢の御仁との電話のやりとりで。

そんな情報を手に入れ、サイトをちょっとばかり、覗いてみたら。

どうやら、長渕剛の、10万人コンサートの会場のようで。

ふもとっぱら、の文字が出てきていた。

そこを全部貸切にして、明日、23日の、なんていうんだろう、祈り、なのか。

エネルギーの調整、とでもいうのか。

そんなイベントが、昨日から始まっているらしい。

インド聖者、っていうと、いかにも、って感じもするけどね。

明日の朝、7時から8時までのメディテーション、ま、瞑想だね、があるようで。

ちょっと走れば、の距離なんで、行ってみようか、なんて、電話での会話ではあったけれど。

よくよく考えてみれば、明日は、東海道を歩くイベントなのでした。

なので、その時間帯は、リモートビューイングならぬ、リモートメディテーション、と決め込むか、と。

朝一番の電車に乗って、彼の地、つまり、蒲原ですが、そこへたどり着き、どこか。

オームと勘違いされないような場所を見つけて、そこで、1時間、やってみるか、という算段ですが。

昨日の母親の手術は、無事終了し、妹も東京から来てくれて、おばたちもね。

母親自体は、なんでわたしが縛り付けられなきゃならないの、という気分もある中、その外側では。

なかなかに、華やいでもいた時間だったのでしたが。

ちょっと、疎遠にもなっていた、おじの子供、つまり、わがいとことも、彼の病室で話もでき。

昨日もアップした、おじの三男坊も、めでたく帰還なって、それなりの、小さな幸せを手にし。

なんてことを眺めながら、おばたちと、怪我の功名、なんて言葉で、語り合ったものでした。

いわゆる認知症、手術、入院、看護婦さんの処置、というキーワードをつなげてみて。

母親の対応、反応、感情の揺れ動き、それに対する外側の我々、を俯瞰してみると、人間、という存在の仕方の。

奥深さ、とでもいいましょうか、素晴らしさ、とでもいいましょうか、そんなことも感じつつ。

の時間が流れてもいて。

入院なんていうのは、ある意味、ネガティブな捉え方にもなるけれど、それにまつわるさまざまな関係が。

新規に始まる、という言い方もでき。

入院、つまり、病院に入る、ということだけど、学校へ入る、とか、会社へ入る、とか、入滅、なんてのは。

それこそ、黄泉の国へ入る、わけで。

新しいことではあるね。

そういった出来事は、こちら側を新しくもしてくれて。

そこにまた、新たな出会いが生まれる、わけだ。

ところで、鳥取で、地震があったね。

ちょうど、その時、7階の待合室、病院のね、妻とおばたちと、手術から帰ってきた母親の処置の終わるのを。

待っていた時で。

僕は居眠りをしていて、その揺れで起こされた。

その後、ニュース番組を見ていて、気の毒に思ったのは、東大やら東工大の地震学の教授方のコメント。

一応、学、とついていて、それなりに切磋琢磨もされているんだろうけど、なにせ、相手は大自然。

大宇宙、大大地、ってわけで、わからないことの方が多い中、これからどうなりますか風の質問を投げかけられてね。

困ってはいないだろうけど、口をついて出てくる言葉は、煎じ詰めれば、気をつけましょう、ってことしかなく。

関東大震災で、大地が揺れに揺れ、家屋も潰れそうになる中、自分の予想が当たった、という学者さんが。

ガッツポーズした、というようなシーンが、吉村昭の小説に出ていたけど、それが全てを語っている。

とも言える、地震予知、ってやつで。

なので、気をつけましょうね、って、学者さんと同じコメントになっちゃうね。

今宵は、山の師匠の、シャーク団というバンドのイベントがあり、妻と妹と、榛原の御仁で出かけるのだけど。

それが、9時からなんだよね。

僕の寝る時間だけど、そこはそれ、時間ってのは、あってないようなもので、だから、明日の東海道ウォークのためにも。

飲みすぎないようにします。

というわけで、今日という日が始まります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする