昨日、伊勢の御仁との電話のやりとりで。
そんな情報を手に入れ、サイトをちょっとばかり、覗いてみたら。
どうやら、長渕剛の、10万人コンサートの会場のようで。
ふもとっぱら、の文字が出てきていた。
そこを全部貸切にして、明日、23日の、なんていうんだろう、祈り、なのか。
エネルギーの調整、とでもいうのか。
そんなイベントが、昨日から始まっているらしい。
インド聖者、っていうと、いかにも、って感じもするけどね。
明日の朝、7時から8時までのメディテーション、ま、瞑想だね、があるようで。
ちょっと走れば、の距離なんで、行ってみようか、なんて、電話での会話ではあったけれど。
よくよく考えてみれば、明日は、東海道を歩くイベントなのでした。
なので、その時間帯は、リモートビューイングならぬ、リモートメディテーション、と決め込むか、と。
朝一番の電車に乗って、彼の地、つまり、蒲原ですが、そこへたどり着き、どこか。
オームと勘違いされないような場所を見つけて、そこで、1時間、やってみるか、という算段ですが。
昨日の母親の手術は、無事終了し、妹も東京から来てくれて、おばたちもね。
母親自体は、なんでわたしが縛り付けられなきゃならないの、という気分もある中、その外側では。
なかなかに、華やいでもいた時間だったのでしたが。
ちょっと、疎遠にもなっていた、おじの子供、つまり、わがいとことも、彼の病室で話もでき。
昨日もアップした、おじの三男坊も、めでたく帰還なって、それなりの、小さな幸せを手にし。
なんてことを眺めながら、おばたちと、怪我の功名、なんて言葉で、語り合ったものでした。
いわゆる認知症、手術、入院、看護婦さんの処置、というキーワードをつなげてみて。
母親の対応、反応、感情の揺れ動き、それに対する外側の我々、を俯瞰してみると、人間、という存在の仕方の。
奥深さ、とでもいいましょうか、素晴らしさ、とでもいいましょうか、そんなことも感じつつ。
の時間が流れてもいて。
入院なんていうのは、ある意味、ネガティブな捉え方にもなるけれど、それにまつわるさまざまな関係が。
新規に始まる、という言い方もでき。
入院、つまり、病院に入る、ということだけど、学校へ入る、とか、会社へ入る、とか、入滅、なんてのは。
それこそ、黄泉の国へ入る、わけで。
新しいことではあるね。
そういった出来事は、こちら側を新しくもしてくれて。
そこにまた、新たな出会いが生まれる、わけだ。
ところで、鳥取で、地震があったね。
ちょうど、その時、7階の待合室、病院のね、妻とおばたちと、手術から帰ってきた母親の処置の終わるのを。
待っていた時で。
僕は居眠りをしていて、その揺れで起こされた。
その後、ニュース番組を見ていて、気の毒に思ったのは、東大やら東工大の地震学の教授方のコメント。
一応、学、とついていて、それなりに切磋琢磨もされているんだろうけど、なにせ、相手は大自然。
大宇宙、大大地、ってわけで、わからないことの方が多い中、これからどうなりますか風の質問を投げかけられてね。
困ってはいないだろうけど、口をついて出てくる言葉は、煎じ詰めれば、気をつけましょう、ってことしかなく。
関東大震災で、大地が揺れに揺れ、家屋も潰れそうになる中、自分の予想が当たった、という学者さんが。
ガッツポーズした、というようなシーンが、吉村昭の小説に出ていたけど、それが全てを語っている。
とも言える、地震予知、ってやつで。
なので、気をつけましょうね、って、学者さんと同じコメントになっちゃうね。
今宵は、山の師匠の、シャーク団というバンドのイベントがあり、妻と妹と、榛原の御仁で出かけるのだけど。
それが、9時からなんだよね。
僕の寝る時間だけど、そこはそれ、時間ってのは、あってないようなもので、だから、明日の東海道ウォークのためにも。
飲みすぎないようにします。
というわけで、今日という日が始まります。