来月、そうそう、4日に、不二見小学校にて、キャリア体験学習。
ということで、12社の方々が、ブースを出し。
生徒さんたちに、わが仕事の楽しさ、面白さをプレゼンし、体験していただき、インパクトを残す。
というイベントをするので、その準備会。
大勢さんが集まってのミーティングは、いろんな意見も飛び出し、村の寄り合いの。
昔なら、日の暮れる頃から宵の更けるまで、車座になって、お酒も飲みながら。
くらいの話だったんだろうけど。
落としたての珈琲で。
お昼には、発芽会。
参加人数は、少なかったけど、なかなか、コアな話になり。
たった一人の人の琴線に、みんなで、と言っても、総勢4名だったけれど、そこに触れ。
なんとも言えない時間が過ぎたわけだ。
人は立体としてある、んだけど、時間に追われ、ぶら下げている袋のようなこだわり、思い込み、学習の結果。
を持ち歩きつつあると、平面としての、一筋道の自分に陥り。
ってことは、よく見かける光景でもあるけれど、そこへ、人様からの言葉、感懐、思いが飛び込むと、火花がね、スパークし。
次なるステップへ連れて行ってくれる、という。
その前は、某会社さんの研修会で、昨日は、飛ぶように過ぎていったな。
結果、母親のところへは行けずじまいで、代わりに、長男坊が、夜、行ってくれて。
孫娘と嫁さんは、就学前のお子さんはご遠慮ください、のメッセージに従い、車中で待っていたようだけどね。
入れ替わり立ち替わり、母親の元へ、という状況作り、この週末には、妹も帰ってきて。
やっと、病院にいることに落ち着いた、というのか、納得した、というのか。
まわりで起こっていることを、認知するのに不具合、不都合があるにはあるんだけど、どうだろう。
日常でも、人ってのは、相手の言葉、その状況を、完璧に理解し、というのは、嘘で。
ほとんどが、見たいことを、聞きたいことを聞く、ということなんで。
わが母親の認知症的な反応にしても、彼女なりの、それ、ってわけだ。
それにしても、入院にあたって、あるいは、手術にあたっての、各種の書類へのサインがね、たくさんたくさん。
で、それを眺めながら、この方々もご苦労されているんだろうな、という感懐ですね。
いろんな訴訟なんかも、抱えているんだろうな。
そもそも、医者が病気を治す、という幻想が、いつの頃からデフォになったのか。
治さない医者は、訴えてやる、ってことにつながり。
方や、医学不要論、なんて考え方が披瀝され。
医学村のね、資本と結婚した、ありさま、とかね。
いずれにしても、自然治癒力、とか、自己治癒力、とかの言葉が、こと改めて語られもし。
ところで、表題の、10名の方々、ってのは、早い話が、10個の世界、とも言い換えることもでき。
その世界が、音も立てず、静かな衝突、というのか、ぶつかり合い、上品に言えば、出会い。
そりゃ、面白いことになる、ってのは、今週の日曜日、蒲原の宿から由比の宿まで歩く、というイベントもそうで。
そこから、どんな、数々の世界が生まれ出るか、というのも楽しみなんですが。
静岡の街に、ボランティアのガイドさんが、80名だったか、800名じゃないよね、大勢いらっしゃるそうで。
昨日の発芽会の、その御仁は、わが家を民泊に使えないか、というアイデアを披瀝し。
いくら稼ぎたいの?の質問に、3かける30で100万かな、とね。
はいはい、ってなもんだけど、わからなくもない。
昨夜のNHKニュース番組で、バブル再来か、の中国の都市が映し出されていたけど、インタビューのことごとくが。
投資、投資、と老いも若きも、って次第だったので、わが列島でも、もともと所有している物を投資に。
という気持ちもね。
投資、というと、かっこいいけど、カラダを働かせないで、モノを働かせる、ってわけだ。
それはそれで、どうぞ、ご自由に、の世界だけど、道行く光景が、ことごとく、100キンの駐車場ってのは。
ま、美しくはないけどね。
大相撲で名高い両国の街も、ちょっと、裏通りに入ると、100キンだらけ、ってのに、興ざめしたものだった。
なんてことは、どうでもいいけど、さて、今日という一日を、始めるとしますか。