まわりで起こっていること

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音を楽しむ、と書いて音楽か

2016年10月01日 | Weblog

英語では、music、これ、muse、くらいから来てるのかね。

ミューズ、って、なにかの女神なんだったか。

音楽、という言葉は、中国由来なのか、列島の改造語なのか知らないけれど、なかなか、いいじゃんね。

って、最近、音を楽しんでいるので、こういう解釈になってもいるんだけど。

頭の中の、思考軍団を追い出す勢いで、音は流れ来て。

たぶん、五感も蘇る、と、結果する、という具合だろうと、踏んでいるんだけどね。

いきなりだけど。

《瞑想は考える時に使う前頭ゼンヤを休め、海馬を活性化させ、シータ波をだす》

この間、NHKの「ためしてガッテン」という番組で、瞑想の効果効能が取り上げられていて。

僕は、途中で眠ってしまったんだけど、上記の引用を送ってくださった方がいらっしゃってね。

まさに、音を楽しむ、ってのも、それに近いし。

思考過多の、現代文明的な暮らし、の中で、バランスとるのにはね、うってつけ。

中国の達磨さんから伝わって、この列島で極上の開花をした禅、というのも、暮らしの中で、シータ波を。

作り出すコツを伝えているんだけど。

今では、家事労働、なんて言い方の、身も蓋もないものに、成り下がっている。

例えば、炊事洗濯というようなものも、禅の世界では、とてつもない、所業、と位置付けられている。

はず、なんだけどね。

とてつもない、というのは、ちょっと、現代的な言い方に偏しちゃったかも、だけど。

なりきる、そのものである、というね。

禅、というと、修行、と連想が及び、さらには、坊さん、抹香臭い、となりがちだけど。

むしろ、欧米諸国での方が、彼ら一流の、科学的な、ちょっとした、根拠をもちながら、実をとる。

とでも言えるか、真正な、禅の真髄に触れているような、気がするな。

禅を開花させた列島だけど、そこはそれ、エピゴーネンと言ったら失礼かもだけど。

組織を作ると、官僚的なメンタリティーが蔓延、ってのは、人間というもののデフォな姿とも言えて。

しかも、及び難い、いい尽くしがたい感懐を、なんらかの形で表現したい、ということも手伝い。

荘厳な、気倒すような建造物を、ってのも、ありで。

むしろ、そうしたことが邪魔をしているのかもしれないね。

って、なんだっけ、瞑想?シータ波?

ま、音を楽しんでいるのです、ということだな。

遊びをせんとや生まれけむ、とおっしゃったのは、一休さんだったか、どなただったか。

白川静さんによれば、遊、という文字は、旗竿を立てて進む、ということらしく。

旗には、神霊が宿り、もともと、神のみが遊ぶことができる、という認識だったようで。

それを、人間がお相伴にあずかり、と。

せっかくだから、神になりかわり、極上の遊びを楽しませていただくことにしますか。

なんたって、わが東洋、大アジアにおいては、大文字のGODではなく、人皆が神である。

というような思想が、時に大声、時に密かに語られてもいるんだからね。

 

コメント
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