まわりで起こっていること

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「悪魔のトリル」を聞きながら街を歩いた

2016年10月05日 | Weblog

夕べは、久々の、まぶだちクミちゃんとの飲み、で。

そこへ辿り着くまで、例の。

イヤホンおじさんをやりながら、歩いたわけだ。

で、表題のごとく、なんだけど。

このところ、なにかと言えば、口の端にのぼる、パガニーニ。

18世紀から19世紀にかけてのヴァイオリニストなんだけど、彼、死んだ後、ローマ教会なのか。

街の教会なのか、忘れたけど、キリスト教のお墓には入れてくれなかったらしい。

んだけど。

当時の社会は、いかにも、ってくらい、宗教色満載、とでもいうか。

表題の曲は、ほぼ同じ頃なのか、タルティーニという、こちらもヴァイオリニストかな。

彼の作曲らしく、ある夜、夢に悪魔が出てきて、魂を売り渡し、ヴァイオリンを渡したのかな。

すると、世にも稀な美しい曲を弾き始め、と。

起きるや否や、それをコピーして、出来上がったという逸話の残る曲だそうで。

悪魔といえば、何日か前に、ぶっちゃけ寺とかいう番組で、釈迦が、ゴータマシッダルタがね。

家を捨てる時、奥さんは身重だったらしく、この子の名前はどうするの?

と泣きながらだったのか、捨台詞だったのか、知らないけど、投げかけ。

釈迦は、なんとかと名付けておけ、と。

ま、悪魔というようなインド語だったようで。

早い話が、悪魔くんと名付けて立ち去った、ってわけだ。

ひどい親父だよね。

今となれば、それすら、美談となって、人々に言い伝えられているわけで。

その番組での解釈が、衆生を救うためにこれから修行の旅に出る、しかし、わが子はかわいい。

後ろ髪引かれる、自分の中にある、それが悪魔のようなものだ、ということなんだ。

ってね。

ま、物は言いよう、だね。

今朝は、悪魔の三題噺みたいだけど。

悪魔という言葉で、この世ならぬ、一世を風靡している、ある価値観を。

切り裂き、くらいのことを表現しようとしている、のかも。

それはともかく、イヤホンで聴いていると、気分がいいんだよね。

そうそう、上記、まぶだちクミちゃんね、彼女から紹介していただいた、タムタムさんが。

この間、倒産、なんて記事があったので、実際、どうだったの?ってことからの、飲み、だったんだけど。

そういうことで、経営されていた方は、一文無しになって、だけど、鷹匠のお店はやってます。

わが法月さんは健在、ということで、一安心、でね。

世のため人のための施術、とは言いながら、世は、冷徹な資本の論理、経済の法則で回っていて。

ということだね。

良き意志であれば、すべてが丸く収まる、というわけでもなく、というかね。

良き意志、ってのが、そもそも、言葉としては、おぼつかないものでもあって。

なんて書き始めると、いかにも、めんどくさいおじさん、って風情になっちゃうけど。

まぶだちクミちゃんは、その施術、というのか、それで、救われた、とおっしゃってもいてね。

であれば、もって冥すべし、だよね。

一人を救うことが、どんな大事業より、どんな名声よりも、煌めいていることで。

救う、というかね、厳密に言おうとすると、まったく、違う言葉で表さなきゃ、だけど。

それを書くと、釈迦やイエスになっちゃいそうなんで、to be continued、としておきますか。

さて、今日も、そんなきらめきとの出会いの一日となるのでしょう。

 

コメント
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