夕べは、久々の、まぶだちクミちゃんとの飲み、で。
そこへ辿り着くまで、例の。
イヤホンおじさんをやりながら、歩いたわけだ。
で、表題のごとく、なんだけど。
このところ、なにかと言えば、口の端にのぼる、パガニーニ。
18世紀から19世紀にかけてのヴァイオリニストなんだけど、彼、死んだ後、ローマ教会なのか。
街の教会なのか、忘れたけど、キリスト教のお墓には入れてくれなかったらしい。
んだけど。
当時の社会は、いかにも、ってくらい、宗教色満載、とでもいうか。
表題の曲は、ほぼ同じ頃なのか、タルティーニという、こちらもヴァイオリニストかな。
彼の作曲らしく、ある夜、夢に悪魔が出てきて、魂を売り渡し、ヴァイオリンを渡したのかな。
すると、世にも稀な美しい曲を弾き始め、と。
起きるや否や、それをコピーして、出来上がったという逸話の残る曲だそうで。
悪魔といえば、何日か前に、ぶっちゃけ寺とかいう番組で、釈迦が、ゴータマシッダルタがね。
家を捨てる時、奥さんは身重だったらしく、この子の名前はどうするの?
と泣きながらだったのか、捨台詞だったのか、知らないけど、投げかけ。
釈迦は、なんとかと名付けておけ、と。
ま、悪魔というようなインド語だったようで。
早い話が、悪魔くんと名付けて立ち去った、ってわけだ。
ひどい親父だよね。
今となれば、それすら、美談となって、人々に言い伝えられているわけで。
その番組での解釈が、衆生を救うためにこれから修行の旅に出る、しかし、わが子はかわいい。
後ろ髪引かれる、自分の中にある、それが悪魔のようなものだ、ということなんだ。
ってね。
ま、物は言いよう、だね。
今朝は、悪魔の三題噺みたいだけど。
悪魔という言葉で、この世ならぬ、一世を風靡している、ある価値観を。
切り裂き、くらいのことを表現しようとしている、のかも。
それはともかく、イヤホンで聴いていると、気分がいいんだよね。
そうそう、上記、まぶだちクミちゃんね、彼女から紹介していただいた、タムタムさんが。
この間、倒産、なんて記事があったので、実際、どうだったの?ってことからの、飲み、だったんだけど。
そういうことで、経営されていた方は、一文無しになって、だけど、鷹匠のお店はやってます。
わが法月さんは健在、ということで、一安心、でね。
世のため人のための施術、とは言いながら、世は、冷徹な資本の論理、経済の法則で回っていて。
ということだね。
良き意志であれば、すべてが丸く収まる、というわけでもなく、というかね。
良き意志、ってのが、そもそも、言葉としては、おぼつかないものでもあって。
なんて書き始めると、いかにも、めんどくさいおじさん、って風情になっちゃうけど。
まぶだちクミちゃんは、その施術、というのか、それで、救われた、とおっしゃってもいてね。
であれば、もって冥すべし、だよね。
一人を救うことが、どんな大事業より、どんな名声よりも、煌めいていることで。
救う、というかね、厳密に言おうとすると、まったく、違う言葉で表さなきゃ、だけど。
それを書くと、釈迦やイエスになっちゃいそうなんで、to be continued、としておきますか。
さて、今日も、そんなきらめきとの出会いの一日となるのでしょう。