高校の同級生でもある、神輿屋とでも呼びたくなるくらいの。
祭りの終わった日から、今度は、来年の神輿をどうしようか。
というくらいの彼だけど。
そうだ、もう、二年になるのか、クモ膜下出血というやつで、緊急入院。
一時は、意識も混濁し、という状態から。
奇跡の生還をした男で。
ひさびさに、お店を訪ね、2時間ばかり、話をした。
ケーキ屋けんちゃんに言わせると、生存率2%くらいだそうで。
人生観、変わった、と言っていた。
これからは、好きなことをして、ということだけど、そりゃ、今までと大差ないな。
とも言えるけどね。
死というものに向き合うと、そうなるのでしょう。
とはいえ、なかなか、リアルな死、つまり、肉体的な死滅、というのか。
それに立ち会えるのは、難しく。
幻想としての死、ってことではあるけどね、この世的な意識、ってことであれば。
ただ、子供の頃からずっとある、この、なんていうのか、自分とでもいうのか。
あるいは、自分をみている、もう一つの自分というのは、ずっと、死なずに残っていて。
というのは、最近、普通にいわれてもいて。
なにせ、東大の医学部の部長が、「人は死なない」なんて本、出版して、かなり、売れている。
ということなんで。
こうした、お墨付きがある肩書の方の言説は、アカデミック的には、否定しがたいんだろうからね。
前にも書いたけど、「古事記」ってのには、そうとうのことが、実は、書かれているんじゃないのか。
という、予感がしていて。
ちょっと、熟読してみようかな、とも思っているんだけどね。
なんたって、現在の定説、通説ってのが、せいぜい、この500年くらいの西欧的の。
キリスト教を下敷きにしたやつなんで、そろそろ、まゆに唾して眺めてもね。
バチは当たらないだろう、という感じです。
わが日本列島の、平安京では、魑魅魍魎が跋扈し、なんていう絵やら文章やらが残されているし。
明治期には、廃仏毀釈で、街の祠やらなにやら、開発の名のもとに、ずいぶんとえぐい扱いを受け。
夜になると、恨み骨髄に達した、祀られていた神々が、さまざまな事象を巻き起こし。
それが、新聞だねになってもいた、なんて話もありね。
見えないものは存在しません、迷信です、という決然たる近代化への歩みが。
その実、見えないものとの、同行二人たる人間の精神を、ずいぶんと傷めつけもし。
というわけです。
そうだ、アメリカに占領され、駆逐されたハワイの先住民の。
「ホ・オポノポノ」というのね。
古くから伝わるものらしいけど、すべての責任は自分にある、という立場で。
起こる物事に、ごめんなさい、ゆるしてください、ありがとう、あとひとつ、なんだっけ。
ゆるしてください、だった。
そんな言葉を唱える、というものなんだけど。
すると、すべてのことが、解決していく、というね。
宇宙におこる、すべての事象は、自分が作り出している、ということで。
なんてことを書いて、だれかが読んだ時、それってなによ、理解できない、となったとしたら。
近代病に侵されている症状かもしれなくてね。
静岡美術館にコピーのある、ロダンの「考える人」に象徴される、近代の病は、実に深くまで。
浸透している次第で。
アカルサハ ホロビノシルシダ、と太宰治は書いたそうだけど。
なにもかにも、白日の下にさらけだし、そうだ、正義の話をしよう、というなんとか教授みたいな。
って、こちらもわけわからない方向へ行きそうなので、こんへんで。