まわりで起こっていること

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神輿おたくは復活していた

2014年10月29日 | Weblog

高校の同級生でもある、神輿屋とでも呼びたくなるくらいの。

祭りの終わった日から、今度は、来年の神輿をどうしようか。

というくらいの彼だけど。

そうだ、もう、二年になるのか、クモ膜下出血というやつで、緊急入院。

一時は、意識も混濁し、という状態から。

奇跡の生還をした男で。

ひさびさに、お店を訪ね、2時間ばかり、話をした。

ケーキ屋けんちゃんに言わせると、生存率2%くらいだそうで。

人生観、変わった、と言っていた。

これからは、好きなことをして、ということだけど、そりゃ、今までと大差ないな。

とも言えるけどね。

死というものに向き合うと、そうなるのでしょう。

とはいえ、なかなか、リアルな死、つまり、肉体的な死滅、というのか。

それに立ち会えるのは、難しく。

幻想としての死、ってことではあるけどね、この世的な意識、ってことであれば。

ただ、子供の頃からずっとある、この、なんていうのか、自分とでもいうのか。

あるいは、自分をみている、もう一つの自分というのは、ずっと、死なずに残っていて。

というのは、最近、普通にいわれてもいて。

なにせ、東大の医学部の部長が、「人は死なない」なんて本、出版して、かなり、売れている。

ということなんで。

こうした、お墨付きがある肩書の方の言説は、アカデミック的には、否定しがたいんだろうからね。

前にも書いたけど、「古事記」ってのには、そうとうのことが、実は、書かれているんじゃないのか。

という、予感がしていて。

ちょっと、熟読してみようかな、とも思っているんだけどね。

なんたって、現在の定説、通説ってのが、せいぜい、この500年くらいの西欧的の。

キリスト教を下敷きにしたやつなんで、そろそろ、まゆに唾して眺めてもね。

バチは当たらないだろう、という感じです。

わが日本列島の、平安京では、魑魅魍魎が跋扈し、なんていう絵やら文章やらが残されているし。

明治期には、廃仏毀釈で、街の祠やらなにやら、開発の名のもとに、ずいぶんとえぐい扱いを受け。

夜になると、恨み骨髄に達した、祀られていた神々が、さまざまな事象を巻き起こし。

それが、新聞だねになってもいた、なんて話もありね。

見えないものは存在しません、迷信です、という決然たる近代化への歩みが。

その実、見えないものとの、同行二人たる人間の精神を、ずいぶんと傷めつけもし。

というわけです。

そうだ、アメリカに占領され、駆逐されたハワイの先住民の。

「ホ・オポノポノ」というのね。

古くから伝わるものらしいけど、すべての責任は自分にある、という立場で。

起こる物事に、ごめんなさい、ゆるしてください、ありがとう、あとひとつ、なんだっけ。

ゆるしてください、だった。

そんな言葉を唱える、というものなんだけど。

すると、すべてのことが、解決していく、というね。

宇宙におこる、すべての事象は、自分が作り出している、ということで。

なんてことを書いて、だれかが読んだ時、それってなによ、理解できない、となったとしたら。

近代病に侵されている症状かもしれなくてね。

静岡美術館にコピーのある、ロダンの「考える人」に象徴される、近代の病は、実に深くまで。

浸透している次第で。

アカルサハ ホロビノシルシダ、と太宰治は書いたそうだけど。

なにもかにも、白日の下にさらけだし、そうだ、正義の話をしよう、というなんとか教授みたいな。

って、こちらもわけわからない方向へ行きそうなので、こんへんで。

 

 

 

コメント
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