桜島といえば、何年か前、長渕剛がライブコンサートをやったよね。
その跡、が、神武天皇駐屯の伝承みたいな感じで、残されていた。
んだけど。
前回は、曇っていて、よくみえなかったけれど、今回は、晴天で。
おかげさまで、桜島がよく見えた。
フェリーに乗り、現地展望台から、噴煙をiPhoneの動画で撮ったりした。
富士山と同じように、独立峰なので、くっきり姿が美しいわけだ。
御嶽山の噴火が、悲惨な結果になって、未だに捜索が続いていて。
火山にたいしては、全国的にナイーブになっているんだけど。
ご当地、桜島では、アプリオリ、というか、デフォというか。
あって当たり前、鹿児島の道々には、火山灰がざらざらしているんで。
火山と折り合いをつけて、危険は危険、しかし、その中で、うまく生きていく。
という、古来、列島人が身につけてきた生き方が感じられ。
溶岩饅頭なんてのが、あったかどうか、定かではないけれど、そんな感じでね。
ところどころには、核シェルターならぬ、溶岩避難壕が作られていて。
日常なんだね、噴火ってのが。
15000年前の噴火で、縄文人が一挙に、その火山灰の下になってしまった。
という上野山遺跡、その近くに、わが薩摩隼人、社員さんのご実家があり。
そこから、ほんの数分のところに、おおなむち神社があるんだけど。
土地の人々は、おなんじさあ、と呼びならわし。
大穴持ち、だから、おおなむち、ってのは、噴火口が神様になっている。
という説もある、お宮さんなんだけど。
そこへもお詣りし。
さらに、鹿児島神宮、霧島神宮。
それから、宮浦宮という、ここには、薩南戦争で海からの艦砲射撃の弾の跡。
の残る大銀杏があり、小さなお宮さんだけど、延喜式内社でね。
神武天皇が、ここを駐屯地にした、という伝承の碑があった。
ここは、わが薩摩隼人のおかあさんの生まれた地で。
彼から見たら、おばあさんが、難儀して暮らしていたんだそうで。
幼い頃、何度もここへ来て遊んだ、というわけだ。
水道もなく、洗い物は川へおりて、畑へは肥担桶(こえたご)を担いで坂道をのぼり、と。
その昔、桜島を仰ぎ見ながら、そんな営為が続けられていたんだろうね。
太古は、桜島が位置する錦江湾そのものが、噴火口だった、という説もあり。
素晴らしい温泉も数多くある、この地は、火山の国なんだね。
今週は、18号に続き、さらに大きいという19号の台風も迫っていて。
日本列島には、ここのところ、雨や風や噴火などなどが、なんども襲いかかっているけれど。
鹿児島での、桜島とのつきあい方を目の当たりにして、なんだか、そうだよね。
という気になった。
天変地異というのは、今に始まったことではなく、史上始まって以来の、なんとかかんとか。
という惹句というか、言い回しが、メディアでは、流行だけど。
ちょっと、時代を巻き戻し、もう少し、大きな尺度で眺め渡せば。
わがご先祖様方は、いろんな経験をへて、この日本列島の文化、習俗をつくってきた。
というね、当たり前のことにも、思いがいたるわけで。
さて、週末の台風19号に備えることにしましょうか。