だったのです。
一週間くらい超過してしまった本を返しに行ったわけだ。
メソアメリカと呼ばれる、インカやなにやら、「インディオは人間なのか」とかいう。
書名の本で。
つまり、スペインの新大陸進出、レ・コンキスタだったか。
早い話が、金銀財宝を奪い取りにいった、南米というか中米というか。
そこの住人は、果たして人間だったのか、みたいなやつですが。
結局、書名だけ眺めてよし、という感じだったな。
ま、人間ってのは、なかなか、えぐいことをやってきた、というね。
そんな類いのことを、白人が書いている本でしたが。
それにしても、日曜日、ってのは、あんまり行ったことがないので。
大勢の人が、いろいろと調べ物をしている姿がね。
あったのでした。
妻も同行して、彼女は、なにやら、絵画の本を借りたな。
それにしても、毎月、どのくらいの本が、この図書館にやってくるのか。
膨大な数なんだろうね。
モノの本によれば、全国の図書館で採用される本、というものがあるらしく。
それだけで、ペイできる、なんて本もあるんだろうな。
なんとか学だったり、なんとか論だったり、なんて考えると。
アカデミズムの世界ってのに、それなりの位階というのか、順序というのか。
どこの先生の弟子で、なんていうのね、ありなんだろうね。
人気とは無縁な、しかし、基礎的な学問、というようなウタイでは。
そういう救援システムがないと、メシを食えませんしね。
かといって、自分の研究費は自分で稼げ、じゃ、それこそ、巨大な資本へ傾斜しちゃうしね。
なかなか、悩ましいものではあります。
今朝の事務所は、20度を切っている、車は14度だったけどね。
秋深まる、という感じだね。
来月の始めは、わが社の旅行だけど、さぞかし、紅葉がきれいだろう、と。
勝手に踏んでいるんだけど。
若い時分は、サクラだの紅葉だのは、なかなか、気がいかなかったのだけど。
うまくできているというか、だんだん、季節の移り変わりを楽しめるようになり。
歳を重ねる、というのも、捨てたものじゃありません。
この間、諏訪への旅で、彼の地の、古い神様の具合に触れてきてね。
諏訪大社のご神体、ともいわれる守屋山、その麓に生きてきた、神長(じんちょう)という。
神官の守矢さんと大和政権の真っ只中にいて、結局、失脚した物部守屋さんとの関係がね。
どうなっているんだろう、という関心が、続いていて、昨日の図書館行きもその一つではあったんだけど。
なんだろうね、この関心の向きってのは。
諏訪神の来歴がわかれば、日本がわかる。
なんてことを、諏訪を研究している方はおっしゃるらしい。
たしかに、なかなか、複雑な様相なので。
それもありかも、です。
だいたい1000m前後、あるいは、それよりもかなり高い標高だと、津波やらは。
大丈夫だっただろうし、火山の噴火もなく、ということで。
古いものが、地名やらなにやらに、残されているのかもしれず。
富士山のまわりにある、という300の浅間神社も、冨士講の隆盛もありはしても。
その土地に根付いていた、官許でない、土着の信仰のなせる技、とも言えて。
今は、ほんとに世の中、変わるのが早いよね、というような感想ね。
おじおば会では、いつも、おばたちの口から出る科白だけど。
時間の長さ、切り分け方はあるにしても、いつの時代も、変わっていたんだろうな。
というような、そんな気分にしてくれるのが、ふるきをたずね、というやつでね。
なので、あたらしきをしる、に続くんだね。
と、勝手に思っているんで、古代への旅は、未来を切り拓く仕事なのです、と。
そういうわけで、秋深まる今日を、お楽しみくださいませ。