まわりで起こっていること

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古事記にはひょっとしたらすべてが書かれている

2014年10月02日 | Weblog

なんてことを、最近、つらつらと思うのであります。

それほどに、熟読玩味しているわけでもないけれど。

昨日のエントリーの、おおなむちのかみさまってのは、火山の噴火口だ。

という話ね。

そんなこともひとつなんだけど。

稗田の阿礼という記憶力抜群の方が、話した、ということになっているようで。

それって、文字をもたないころ、口伝えでね。

ひそひそなのか、重々しくなのかは、わかりませんが。

とにかく、何万年という日本列島人の営為に、その頃の舶来の。

つまり、中国大陸や朝鮮半島から伝わったことなどなどを、太安万侶が付け加えたりしたのかな。

今では、コミュニケーションなんていう、これまた、舶来言葉で、片付けちゃうけれど。

これは、多くは言葉が、道具でね。

古事記にすべてが書かれている、という時のすべて、ってのは。

言葉にすらできない事ごと、ということではあるんだけどね。

何年か前、それこそ、自分のことを、神社おたくなんて、呼びならしていた頃。

富士山のまわりには、300の浅間神社がある、ということに、驚いたわけだ。

数字も正確かどうか、わかりませんが。

外との交易ということでは、あんまり、条件のいいところではないし、富士山の噴火もあったりしたんだろうし。

今で言えば、コンビニだよね。

あるいは、長野の善光寺と東京の浅草寺、それから、京都の西本願寺をお詣りしたときね。

グワーンと、本殿からやってくる、空気というのか、なんというのか。

これじゃ、多くのひとが、お詣りに来るのもわかるな、という実感だったんだけど。

300の浅間神社といい、浅草寺などといい、目に見えない、何か、とともに。

日本列島人は生きているんだね、ということはね、予感できたんだけど。

歴史ブーム、なんて言われてもいて、歴史とは文字に書かれたものだけを基準にします。

ってのが、岡田英弘さんだけど。

としたら、「歴史」とはちがう言い方で、日本列島人のこころとからだの営み、くらいに言い換えて。

みるとね、数えきれない人々が、生きて死んでいったわけだ。

そこのところにね、どうにも、関心の向きが行ってしまうんだね。

ある時代の風潮は、時と処でいれこになって。

古いものが消えたようにみえて、新しいものにおおいかぶさり。

常識だったり、決めごとだったり、当たり前のこと、と呼ばれたり、ということはあって。

映画の「柘榴坂の仇討ち」みたいに、すでに明治維新になっているのに、井伊直弼の仇討ちを。

というんで、ざんぎりあたまとちょんまげが、ならんで歩く、という風情がね。

今でも、そこかしこにあり、っていうか、もともと、そいういうものなんだろうけれどね。

実は、今日のブログは、俳句をひとつ、というくらいにしようと思ったんだけど。

名句が浮かばず、だらだらと長文になってしまいました。

そこへいくと、俳句の名手は、いいね。

どうにも、立ち去りがたくなっちゃっているんだけど、潔く、このあたりで。

立ち去ることにします。

 

 

コメント
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