なんてことを、最近、つらつらと思うのであります。
それほどに、熟読玩味しているわけでもないけれど。
昨日のエントリーの、おおなむちのかみさまってのは、火山の噴火口だ。
という話ね。
そんなこともひとつなんだけど。
稗田の阿礼という記憶力抜群の方が、話した、ということになっているようで。
それって、文字をもたないころ、口伝えでね。
ひそひそなのか、重々しくなのかは、わかりませんが。
とにかく、何万年という日本列島人の営為に、その頃の舶来の。
つまり、中国大陸や朝鮮半島から伝わったことなどなどを、太安万侶が付け加えたりしたのかな。
今では、コミュニケーションなんていう、これまた、舶来言葉で、片付けちゃうけれど。
これは、多くは言葉が、道具でね。
古事記にすべてが書かれている、という時のすべて、ってのは。
言葉にすらできない事ごと、ということではあるんだけどね。
何年か前、それこそ、自分のことを、神社おたくなんて、呼びならしていた頃。
富士山のまわりには、300の浅間神社がある、ということに、驚いたわけだ。
数字も正確かどうか、わかりませんが。
外との交易ということでは、あんまり、条件のいいところではないし、富士山の噴火もあったりしたんだろうし。
今で言えば、コンビニだよね。
あるいは、長野の善光寺と東京の浅草寺、それから、京都の西本願寺をお詣りしたときね。
グワーンと、本殿からやってくる、空気というのか、なんというのか。
これじゃ、多くのひとが、お詣りに来るのもわかるな、という実感だったんだけど。
300の浅間神社といい、浅草寺などといい、目に見えない、何か、とともに。
日本列島人は生きているんだね、ということはね、予感できたんだけど。
歴史ブーム、なんて言われてもいて、歴史とは文字に書かれたものだけを基準にします。
ってのが、岡田英弘さんだけど。
としたら、「歴史」とはちがう言い方で、日本列島人のこころとからだの営み、くらいに言い換えて。
みるとね、数えきれない人々が、生きて死んでいったわけだ。
そこのところにね、どうにも、関心の向きが行ってしまうんだね。
ある時代の風潮は、時と処でいれこになって。
古いものが消えたようにみえて、新しいものにおおいかぶさり。
常識だったり、決めごとだったり、当たり前のこと、と呼ばれたり、ということはあって。
映画の「柘榴坂の仇討ち」みたいに、すでに明治維新になっているのに、井伊直弼の仇討ちを。
というんで、ざんぎりあたまとちょんまげが、ならんで歩く、という風情がね。
今でも、そこかしこにあり、っていうか、もともと、そいういうものなんだろうけれどね。
実は、今日のブログは、俳句をひとつ、というくらいにしようと思ったんだけど。
名句が浮かばず、だらだらと長文になってしまいました。
そこへいくと、俳句の名手は、いいね。
どうにも、立ち去りがたくなっちゃっているんだけど、潔く、このあたりで。
立ち去ることにします。