というのは、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんという。
福島の美春に住む小説家さんにして僧侶、という方なんだね。
また、御嶽山の噴火がらみだけど。
古来、日本列島人は、自然の、及びがたい力に対して、畏れかしこみ。
神として崇め祀り、というわけだ。
くだんのオオナムチさんは、出雲の大国主命さんの別名とも言われ。
ているんだけど。
玄侑宗久さんは、日本の古い神さまに、出雲の神様が習合した、とね。
おおあなをもっている、つまり、噴火口のことだ、そうで。
そりゃ、その昔、テレビもヘリコプターもない頃、突然に、火を噴く山は。
恐ろしかっただろうからね。
何もない時には、美しい紅葉をわれわれに見せてくれても、いざ、事がなったときには。
ということだけど。
京都の寺々で観られる、見事な紅葉も、ある意味、自然の和魂(にぎみたま)の部分を。
人間のために、封じ込めた、というか、ある種の引きこもり状態を作ったのかもしれないね。
この日本列島に、古来、といっても、縄文なんかの遺跡からすると、何万年というスケールで。
その方々が、自然とどんな具合におつきあいしてきたか、ってのは、興味深く。
現代の、せいぜい、500年にも満たない科学の知恵、とでもいうのか、そんなことに毒されすぎた。
われわれが、なにを失ってしまったのか、ってのが。
ね、気になるところです。
今朝は、出が遅かったので、ラジオ体操おじさんたちは、さて、これから、という時間帯だった。
窓の外では、小鳥が、鳴いている。
ふとね、そうだ、おじおば達を、95歳まで、生きさせちゃおうかな。
いや、95歳という設定自体、限界づけだから、亀のように万年でいいか。
なんて考えが浮かび、ちょっと、変な、傲慢な考えでもあるけれど。
それは、指示命令じゃなく、身内から涌き起こる、言ってみれば。
まんざら、人生も、あるいは、歳を取るのも悪くないね、というようなね。
そんな感慨になったら、面白いかな、というわけです。
もちろん、フェードアウトしていくように、かの地に旅立つのも悪くはないけど。
それはそれとしても、なんか、そんな気になったのでした。
たぶん、これ、可能だね、リミッターさえ、外れれば、だけど。
長寿がいいかどうか、という議論も成り立つけれど、そりゃ、ひとりの人が。
楽しく、気持ちよく生きている姿、ってのが、可能なら、ご長寿大賛成、だからね。
このところ、言葉ってのは、大事だな、なんて今更、だけど、思ってもいて。
だからといって、前向き、ポジティブ、というんでもないけれどね。
なにせ、この舶来の、ポジティブシンキング病には、多くの人が、知らぬ間に毒されていて。
そのために、悩みを作り出し、みたいな風情だからね。
かといって、京都の紅葉庭園みたいな、引きこもり的な、なんといったって、自分が一番好きなんです、まる。
みたいなネガティブ病もあるにはあるけど。
どちらも、どうぞ、ご自由に、ということではあり。
ただし、そのことで、僕には、火の粉をかけないでね、という気分で。
たのむから、そっとしておいて、というのか、いや、これは正確にあらわしていないかな。
ま、どちらでもいいか。
エデンの園で、イブが、何の実だっけ、食べちゃったんだよね、そこから始まった。
というんだから、歴史は古いわけだけど。
あれ、なんの話だったっけ、そうだ、オオナムチさんだ。
かまどにもトイレにも、神様がいた、という八百万の神々さま、という発想はね。
実のところ、とんでもなく、素晴らしいものなのかもしれず。
あだやおろそかにできません、という日本列島人の、大事な宝物です。
と、断言しちゃって、本日のブログ、終了です。