まわりで起こっていること

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オオナムチは大穴持(おおあなもち)がなまったものだ

2014年10月01日 | Weblog

というのは、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんという。

福島の美春に住む小説家さんにして僧侶、という方なんだね。

また、御嶽山の噴火がらみだけど。

古来、日本列島人は、自然の、及びがたい力に対して、畏れかしこみ。

神として崇め祀り、というわけだ。

くだんのオオナムチさんは、出雲の大国主命さんの別名とも言われ。

ているんだけど。

玄侑宗久さんは、日本の古い神さまに、出雲の神様が習合した、とね。

おおあなをもっている、つまり、噴火口のことだ、そうで。

そりゃ、その昔、テレビもヘリコプターもない頃、突然に、火を噴く山は。

恐ろしかっただろうからね。

何もない時には、美しい紅葉をわれわれに見せてくれても、いざ、事がなったときには。

ということだけど。

京都の寺々で観られる、見事な紅葉も、ある意味、自然の和魂(にぎみたま)の部分を。

人間のために、封じ込めた、というか、ある種の引きこもり状態を作ったのかもしれないね。

この日本列島に、古来、といっても、縄文なんかの遺跡からすると、何万年というスケールで。

その方々が、自然とどんな具合におつきあいしてきたか、ってのは、興味深く。

現代の、せいぜい、500年にも満たない科学の知恵、とでもいうのか、そんなことに毒されすぎた。

われわれが、なにを失ってしまったのか、ってのが。

ね、気になるところです。

今朝は、出が遅かったので、ラジオ体操おじさんたちは、さて、これから、という時間帯だった。

窓の外では、小鳥が、鳴いている。

ふとね、そうだ、おじおば達を、95歳まで、生きさせちゃおうかな。

いや、95歳という設定自体、限界づけだから、亀のように万年でいいか。

なんて考えが浮かび、ちょっと、変な、傲慢な考えでもあるけれど。

それは、指示命令じゃなく、身内から涌き起こる、言ってみれば。

まんざら、人生も、あるいは、歳を取るのも悪くないね、というようなね。

そんな感慨になったら、面白いかな、というわけです。

もちろん、フェードアウトしていくように、かの地に旅立つのも悪くはないけど。

それはそれとしても、なんか、そんな気になったのでした。

たぶん、これ、可能だね、リミッターさえ、外れれば、だけど。

長寿がいいかどうか、という議論も成り立つけれど、そりゃ、ひとりの人が。

楽しく、気持ちよく生きている姿、ってのが、可能なら、ご長寿大賛成、だからね。

このところ、言葉ってのは、大事だな、なんて今更、だけど、思ってもいて。

だからといって、前向き、ポジティブ、というんでもないけれどね。

なにせ、この舶来の、ポジティブシンキング病には、多くの人が、知らぬ間に毒されていて。

そのために、悩みを作り出し、みたいな風情だからね。

かといって、京都の紅葉庭園みたいな、引きこもり的な、なんといったって、自分が一番好きなんです、まる。

みたいなネガティブ病もあるにはあるけど。

どちらも、どうぞ、ご自由に、ということではあり。

ただし、そのことで、僕には、火の粉をかけないでね、という気分で。

たのむから、そっとしておいて、というのか、いや、これは正確にあらわしていないかな。

ま、どちらでもいいか。

エデンの園で、イブが、何の実だっけ、食べちゃったんだよね、そこから始まった。

というんだから、歴史は古いわけだけど。

あれ、なんの話だったっけ、そうだ、オオナムチさんだ。

かまどにもトイレにも、神様がいた、という八百万の神々さま、という発想はね。

実のところ、とんでもなく、素晴らしいものなのかもしれず。

あだやおろそかにできません、という日本列島人の、大事な宝物です。

と、断言しちゃって、本日のブログ、終了です。

コメント
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