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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

金メダルかもしれない、国母選手(その三)

2010-02-15 13:08:40 | Weblog
 最初にお断りをいたします。本日は、身を守るために、珍しく、13時間で更新しています。で、夜自宅でごらんをいただく方は、下も空けていただきたく。そこには、国母選手の金メダル取得を予想している預言(?)が書いてあります。単なる笑い話ではなくて、政治が絡んでいるので、彼が金メダルを取る可能性が出てきたのです。
では、以下に半日で、更新した本文を、 
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 私はよく預言者といわれたりします。そういう風にいってくださる方も一種の預言者であり、お互いに他者を知るということとなりますが、預言者なら、ここで、国母選手の最終的な成績も予測をしなければなりません。

 彼は金メダルを取るかもしれません。馬鹿にしていてはいけないかもしれないのです。その論拠は二つあります。ひとつはヒントをNHKこどもニュースから得ました。
 この手の競技は、やっている人の数が非常に少なくて日本では各種目、50人以下だそうです。となると、類推して、ほかの国でも競技人口が少ない可能性はあります。その中で「ち、うるせーな」とうそぶいた国母選手には「勝たなければいけない」という高い動機が生まれました。「勝てば官軍だ」というのは、彼だって分かっているでしょう。

 名ばかり管理職で、遅く帰ってきて誰もいない部屋で、コンビニ弁当を広げる今時の若い人から見れば、21歳ですでに結婚をしているとは、嫉妬の対象(?)に成るはずです。『変だぞ。勝負に勝つためにセックスが必要だと主張するから、親がお金(=生活費)を援助するのかな?』とか想像をされていると思います。

そのファッションにおいて批判を受ける前はともかくとして、ここにいたって、それが、分からないほどのおばかさんでもあるまい。となると、火事場の馬鹿力が出るはずです。

 その上、もうひとつ、金メダルを生む、可能性が出てきました。それは、応援の多さです。他人の思念がある人物を動かす例はあるのです。では、誰の思念(応援)かというと軍産共同体のトップ陣の思念です。

 実は私は国母選手を、だしにして、政治的なメッセージを送りました。それは、「アメリカにおける、または、日本における、貧乏人をもっと大切に思い、かつ支援しよう。今のままではまずいよ」というメッセージです。それを、マイケル・ムーア監督の作品を通して、間接的に、または直接的に、語ってきました。その監督を言上げして、紹介するのは思想が同じとみなされることでしょう。

 いや、そんなことは言いたくなかったのです。マイケル・ムーア監督については、長年の間、心して触れないように努めてきました。映画を見る前から、言っていることが想像できて、それは、私が乗っかっては危険な分野でした。つまり、大金持ちは特権を駆使してあらゆる組織を動かすので、個人で対抗するのは無理だからです。大金持ちを批判することは、危険な技です。

 だから、黙っていて、マイケル・ムーア監督のメッセージも、今回でも、途中で言いやめたかもしれないのです。または、将来へ、ペンディングとして置いたかも。

 ところが、写真で見た国母選手のファッションが、ムーア監督が言う、『アメリカが、こんな国になってしまったのは、奴隷制度があったからだ』を体現している、黒人少年風ファッションだったので、その重要で危険なメッセージが、言い易くなってしまったのです。国母選手さまさまです。(?!?!?)
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 となると、それを言われては最も困る富裕層が、ひそかにしかも、熱心に国母選手を応援するから、結果として、金メダル取得を祈る可能性はあります。そうすると、それらの思念が集合して大きな力となルカも知れないのです。今日のウエブニュースでは、早速、スノボー界固有の洋服を売っている会社が「腰パンは普通のことです」と擁護していましたし。

 そういう思いが、大集合をして、国母選手は、金メダルを、とるかもしれないのです。まさか、八百長さえ歯ないと思いますけれど、それがあるがためにテレビ中継がなされなかったりして、・・・・・いや、このごろ、なんでもアリの世の中だと思いはじめましたよ。
ブログで、映画『シッコ』について触れたら、それ以降何も外出していないのに、ソ連たるビデオが家の中から行方不明になって、12000円もよけいにTSUTAYAの支払いをしなければならなくなったし、・・・・・ところで、これが、LATEST(ごく最近の)どろぼうです。

 かれらは、キーアイテム(今回は三枚借りていた中で、ブログに取り上げた『シッコ(医療問題を取り上げた映画』だけを盗んだし、その上、たんすの中の女性用下着を、主人の方へ入れ替えて(これは、過去に何度もやられています)かえっていきました。これが私向けの恫喝です。他の人には他の人向けの恫喝をやっているのでしょう。こういう忌まわしい悪さを、思いつく人間が、何度も過去に実名で取り上げた人(世界中の大資本家の手下としての奉仕)の可能性があるわけですが・・・・・私が怒るのは、その手下としての働きを摺る人間は、警察とも仲良しだし(それは、NHKの番組に出演した時の発言内容でわかったが、)共産党とも仲良しなのですよ。こうもり以上に面妖な人間です。

 そういう世界ですから、コングロマリットの連中は何でもやるのです。で、国母選手の金メダルも、確定的に、彼に、とらせるかもしれません。ムーア監督や私が発言でしにくく、なるような方向へ持っていくために。彼女は国母選手を批判したが、どうだ、彼は金メダルを取ったよと、言う形で・・・・・
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 と、ここまで予測をしておいて、「毒を食らわば、皿まで」ですから、より本筋に入りましょう。

 つまり、マイケル・ムーア監督やら、その作品についての尊敬の念を吐露することです。

 監督は、もっとも発言するのが困難なメッセージをユーモアにくるんで、一種のよい意味でのだまし討ちの中で、鑑賞者に伝えてしまいます。

 そのひとつが、フリント(GMの主工場があったところ)の衰退と、そこで働いていた父が沖縄戦に参加していたという事実です。父君は、マイケルほど太っておらず、知的な印象の人で、寡黙な人みたいです。でも、愛情豊かにマイケルを育てたので、末っ子のマイケルは物怖じをせず、本音で他者とぶつかる青年(または人間)として育ちあがりました。

 そして映画内ではそれは、知らされては居ませんが、広島を訪れて、資料を4時間にわたって学習し、映像も全部見たそうです。日本車の大発展と大攻勢をかけた輸出によって、壊滅的打撃を受けたフリント育ちでありながら、日本に対して、感情的にならず、戦争の被害者としての、一般人について学習して帰った方なのです。器が大きいです。

 東部のアイヴー・リーグの名門を卒業したわけではなくて、一種の田舎者ですが、それゆえに、かえって、まっとうに発言できる存在なのです。

 かれは、未来への希望として『ローマが滅亡した』という事実を挙げています。こういうところは映画観賞上は<ネタばれ>というものですが、皆さんが、将来映画『キャピタリズム~マネーは踊る』をご覧にならないと仮定をして、はっきりと申し上げます。今日15日まで武蔵野館(新宿)でやっては居ますが、この寒さの中、わざわざ映画館へ足を運ぶ方が居るとも思われないし。

 また、ムーア監督は、団結の尊さと、行動を起こすことをも、薦めています。これは、いじめの問題を考え続けてきた私にとっても、正しい手法です。黙ってやられっぱなしで居てはだめで、戦わなくてはなりません。だけど、それこそ、当局というか国家の上層部が、最も恐れていることなのです。それゆえ、私もそのことには今まで触れられなかったわけです。

 私自身だって、アジテーターとして、決起するつもりは無いのです。静かに毎日、文章を書いたり、絵を描いたりしていたい人間です。だれだって、その人固有のカタツムリの殻があって、その大きさに沿って生きているわけです。

 私の殻は小さいです。でも、やむにやまれぬ思いで、発言をすることはあります。そうせざるを得ないときがあります。マイケル・ムーア監督もその手の一人であって、現代の預言者の一人です。それを、皆様にお伝えしたかったわけです。

 そして、『預言者は、世に容れられず』という言葉があるとおり、普通は名誉やお金には恵まれません。でも、マイケル・ムーア監督は稀有なほど、成功しました。それは彼が熟考しぬいた、映画の筋立てによるところも多いが、彼のいわゆる人徳も加勢したと思います。彼の製作した映画四本は、ごく、最近、特に、2010年の二月に連続してみたのですが、すべてに大切なメッセージが入っておりました。そのことを私が皆様に伝える動機を与えてくれた、国母選手には感謝します。
 それゆえ、まったく間接的にですが、彼には、天の恩寵がくだり、金メダルを取ることが可能かもしれません。・・・・・・これが、彼の成績に関する予言です。
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 なお、皆様に、ご安心をしていただきたくて、あえてそれも付け加えますが、私には不思議な形で、恩寵もまた下っています。どうしてか、一部の人には「あなたほど、恵まれている人はいない』といわれていて、それは、他者が早死にしたとき、・・・・特に自殺をなさったりしたときに、『ああ、私が持っているラッキーポイント・・・・それは、ごく普通のレベルのものです。別に誇るべきものでもないが、・・・・。を、彼女は、もっておられなかったのだ・・・・・と、気がつ区時があって、わかりました。

 夫も居て、こどもも孫も遠くで、無事に暮らしている。持ち家もあって、その中で、どんな時間でもお風呂に入れるし、あがれば、猫がそばについていて、私をかまってくれる。だから主人が居ないときでも、こころがさびしくない。そして、長年美術の世界で努力をしてきた結果、・・・・・時には豪語するように、・・・・・2000人から5000人の知人が居る。海外にも修行に行くこともできた。

 と簡単に総括すれば、それは、極上の生活かもしれません。非常に苦しいときもあるのですよ。上にあげたように、女物のパンツが、男物の引き出しへ移動をしていたりするのを発見するときは、いやな気分に成ること限りが無いです。でも、私なりに、この国やら、国民へ奉仕をしているつもりもあって、それに対して、天は不思議なバランスを取ってくださって、ご褒美も与えてくださっているのです。その喜びのほうは申し上げたくないのですが、というのも、敵がすぐそれに着目をして、悪さを仕掛けてくるからです。ひとつ言えばお風呂にはいると、「お前が入っているのを知っているよ』という風に鈴を振らして夜警が回る。つまり、お風呂を何時に入るかという人間の基本的な尊厳さえ奪ってくるのです。

 その夜警はあるときそっと出てみたらわかったのですが、ご近所様で、午前零時過ぎでも回ります。そして、その男性の家は、警察官立ち寄り所13番というブルーの看板をかけています。そして、門前にさらに紙のポスター(警察のもの)をぼろぼろになるまで貼っています。だから、私は『日本の警察は、CIAの手下となっている』と断言するのです。そんな小さなところにまで手を伸ばしてきています。

 こちら(鎌倉市雪ノ下2-3-7)に、ご訪問をくださったら、誰でも納得をなさいますが、我が家の近辺は、まったく静かな環境で、もし、悪人が出没したら、それこそ、CIAのたくらみというか、変装でしょう。そういう環境の中で、できるだけがんばっているのが私なのです。
             2010年2月15日書き、送るのは、別の日に。雨宮 舜
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続、国母選手、6歳の子が友を撃つ時、母は何をしていたのか

2010-02-15 01:58:29 | Weblog
 私は一気に長い文章を書くのですが、それを、発信するのは抑えます。お読みになる方が、お楽に読んでいただけるように、ブログは、一日に一回更新することを、ルールとしています。12年続けているメルマガではオリジナリティの問題から一日に数通を一緒に発信してしまうこともありますが、まだ、ブログは始めて、一年半ですから、気を使っているわけです。

 それで、時事問題を扱うと、自分の文章が世間一般の流れと、一日で異なってくることもあります。国母選手の問題も圧倒的な熱を込めて報道をされたと思ったら、14日は一転、冷え込みましたね。その際、ホリエモン(さん)が、「あれは、一種のいじめではないか」と発言をしたとの、ウエブニュースも見ました。もちろん、ヒステリックに加熱するのは、良くない現象ですが、今回の件は、ごく一般人から起きた批判なので、相当に意義があると思います。

 私がここで、まとめれば、国母選手はノブレス・オブリッジの観点が一切無かったのが問題です。選ばれた存在こそ、行動に気をつけなければならないという、心構えが欠落をしていました。その影に、21歳で既に結婚をしているそうですから、おやから、非常に甘やかされて育っているということも暗示されています。

 衣食住の維持に必要なお金は、学生だから稼ぐことができないはずです。年上のキャリアーウーマンと結婚をして居る逆玉なのかな? 違うでしょう。両親はお店か会社をやっているか、病院でも経営していてお金持ちなのでしょう。ウィンタースポーツは何をやるにしてもお金が掛かるケースが多いので、実家はお金持ちだと推察されます。

 そういういえのこどもだから、スーツを国から支給されても、その大切な意味が、金銭的にも精神的にも、わからなかったのでしょうね。税金を使って、自分が今ここにあるという意識がまったく欠落をしていたのです。
  
 どんなおしゃれをしても、許されるのは私服の場合です。荒川静香選手みたいに、金メダルをとって、取材が、殺到した後で、私服でインタビューに応じるときには、シャツ出しで、腰パンで、ドレッドヘアーでもかまわないけれど、今は駄目だったのです。

 五輪代表だから注目をされるから、そこで、さらに目立ってやろう・・・・・という意識は、夢に見るのならかまわないけれど、実行するのは、さもしいです。上品ではない。しかも彼が選んだスタイルが、昨日髪型だけでも、説明をしたように、アメリカのアフリカン(=黒人)少年たちの文化です。
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 冬季五輪とは、先ほども言ったように、修行時代にお金が掛かる種目が多いので、諸外国でも、富裕層が、タッチをしている世界です。入場式を見ていても、アフリカンの選手は少ないです。

 最近、フィギュアーのルール変更に関する本が出版されました。まだ、読んでいないのですが、日本のフィギュアー選手が、好成績を挙げた途端に、彼、彼女らが、得意とするわざの得点が、低くなるそうです。それは、なぜかというと、世界の富裕層が、日本が、立派になることを好まないからです。

 国民の士気が高いと、その国は容易には支配ができないと、T・ベン氏(元イギリスの国会議員)が、映画『シッコ』の中で発言をされていますが、五輪や世界大会で金メダルが多数出ることは、その国の国民の士気を挙げます。だから、日本人が得意とする種目のルール変更が常に行われてしまうわけです。

 短距離走、スピード・スケートなどは、技術よりも運動神経によりますが、フィギュアーなどは技術の部分が多いので、ルール変更をされると、選手はダメージを受けます。

 そういう世界なのです。

 そういう世界で、原初はアフリカン(ここでは、イメージをはっきりさせるためにわざと古い言葉、黒人を併記しますが)の少年たちのファッションだったものを、粋がって使うのは、的外れです。もし、国母選手が入場式に、例のスタイルで、出た(ただし、コートを着るみたいでしたから、腰パンもゆるいネクタイも、観客には、見せ付けられなかったでしょうが)としても、スタンドの観客の、失笑を買っただけでしょう。
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 マイケル・ムーア監督は、二人の高校生が学園内で、銃を乱射した事件が起きた後で、<どうして、アメリカには銃をぶっ放す人が多いのか>を探求し始めます。映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』は、その心の旅の記録です。一種の哲学書の向きさえある立派な映画でしたが、

 その中で、非常に切ない場面が出てきます。それは、6歳の黒人の少年が、学校へ銃を持ってきて同級生のかわいい白人の少女を撃ってしまい、結果として殺害してしまいます。どうしてそんなことが起きたのかを、監督は探求するのですが、

 驚くべきことに、母は、130キロ離れた(それは、鎌倉から東京程度に離れているか? または、もっと遠いはずだけど)都市へ、バスを使って働きに出かけ、ほとんど、子供の面倒を見ることができなかったのです。生活保護みたいなものを受けるためには、知事命令で、それを、やらなければならなくて、朝五時に家を出、子供が寝てから帰宅するような具合でした。そして家には父親も不在でした。外出ということではなく、出稼ぎということでもないみたいです。

 しかも彼女は都会で、ニ箇所のレストランに勤めても、時給650円なので、アパート代さえ出ないようなきつい暮らしです。一方で、そのレストランの経営者は、彼女のような資格の人を雇うことで、免税措置を受けているのです。

 もうね、悲惨で悲しくて、目を覆いたくなるような、矛盾に満ちた世界にアメリカの貧困層はくらしているのでした。

 で、こどもを育てたことがある女性なら誰でもお分かりになると思うけれど、子供って、時間と手間をかけないと育ちません。だから、その六歳の少年は、一切が無明の世界に居るのです。育ててもらっていないから、彼にとっては、学校で銃をぶっ放すことが、人の命を奪うことになって、自分の将来も真っ暗になってしまうと言う認識さえ、ないことでしょう。何もわからないで、やっていることなのです。責任を問うべき、お母さんは<善良そうな普通の人>でした。主犯(?)の6才の子供も、もちろんかわいそうですが、お母さんもかわいそうです。アメリカでは普通の家にも銃があるから、こういう結果になりました。

 ただ、ムーア監督は銃の数が多いことだけが、銃による被害を生むわけでもないといっています。そこらあたりの分析は深いです。

 国母選手は、中学二年生の時にアメリカの競技会に、エントリーをして、アメリカかぶれになって帰ってきたのでしょうが、

 その腰パン、それから、シャツを外へ出す、などの、あらゆる意味で、ゆるいだらしないスタイルは、きちんと面倒を見てもらえない、アフリカンの少年たちの、生活から生まれたものなのです。私は、決して、アフリカンの少年たちを、軽蔑してこれを言っているわけではなくて、国母選手が粋がっているから、それが、「おかしいわよ。決して立派な階層、つまり、冬季五輪の主流派である富裕層には、受けない服装ですよ」といいたいのです。

 日本から飛行機に乗って見に行く階層も、日本社会の中では、お金持ちの方でしょう。そういう人があこがれる服装でもない。そして、国母選手は若い人のスターになるつもりもあったのでしょうが、実は若い人は、そんなに、甘い生活をしている人には、あこがれないのです。今の若い人は厳しいです。環境が厳しいから考え方も厳しいですよ。

 おしゃれをすることはかまわない。だけど、制服を着崩すのは、間違っていますね。会社でもそれは許されない。学生だから、まだ、わかっていなかったかもしれないけれど、世界に向けて出て行く人間だったら、もっと、文明史のことも理解して、おしゃれも選ぶべきです。

 芸能人だったら、許されるかもしれない。それから、芸術家もとっぴでもよい。しかし、彼らはもともと、制服など着ないし、国家のお金で、自分をアッピールしようなどとは思っていません。比較をすると、彼は中途半端なのです。だから、大勢の人から批判をされたわけです。それなのに、謝罪会見も、一種の方便としてやって、『ち、(うる)せーな』という声が、マイクに拾われてしまったそうですから、大勢の人から、さらに批判を受けたのは仕方がないですね。

 でも、新聞か何かに出ていました。久しぶりに、冬季五輪に国民の目が向いたと。本当に世の中って面白いです。『国母選手殿、あなたのチンピラ振りが、意外な効果を挙げましたよ。功績大ですね』とかげながら、お褒め、申し上げておきましょう。

 今回の冬季五輪の特徴といえば、そうですね。選手に、古顔が多くて、国民はその件が起きる前には、何も期待をしていなかったと思います。『旗手である上村選手でさえ、メダルも取れないでしょう』と、思っていたでしょう。だけど、急に盛り上がりました。それは、国母選手のおかげです。

 ところで、まったく話題が変わりますが、堤義明さんが、ウィンタースポーツのパトロンだったのをここで急に思い出しました。彼が、つぶれた後では、選手の養成が、滞っているのでしょう。『昔の名前で出ています』という類の選手が多かったです。堤義明さんについては、あまり深くは知りませんが・・・・・今頃になって、その退陣の影響が現れてきているかな・・・・・と、思ったりします。
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 新顔である真央ちゃん・・・・・がんばれ!!!!! ルールの変更や、コーチの不親切やら怠慢を乗り越えて、がんばれ、がんばれ、!!!!!
                    2010年2月15日   雨宮舜
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国母選手の髪型は、奴隷社会の名残だと思われるが?!?

2010-02-14 00:07:51 | Weblog
 最初にお断りを申し上げます。今、アメリカでは、昔の言葉でいう<黒人>のことを<アフリカン>といい、<黒人>と言う言葉を使いません。その日本語に当たる英語は、BLACKとかNIGGER というスラングだと思いますが、それを、今は使いません。

 ただ、今日の文章の趣旨が差別の問題であり、アメリカの、普通の人々の大変さを語ることに目的がありますので、わざと、黒人という言葉を使いました。普段の私ならやらないことですが、今日だけはお許しくださいませ。
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 『いや、世の中というのは、ダイナミックに変化していくものだ』と、今日も思いました。それが、政治におけるものであれ、社会現象におけるものであれ、あらかじめ計画をされた方向ではない現象が起こることは、大歓迎です。そこから、結構な真実が垣間見えたりしますので・・・・・

 ところで、私はサクレクール寺院の件を引き続いて書いていくつもりでした。ところが、冬季五輪の代表選手のおしゃれが大問題になっていて、その写真が、12日にウエブ上で出現して、突然にですが、それが、私が今、丁寧に、考えていることとリンクすることに気がつきました。

 それは、・・・・アメリカがどうして、こういう国であるか・・・・という疑問に対して、マイケル・ムーア監督が文明史を紐解いてさえ、立派に解説をしてくれていること・・・・と、リンクをするからです。特にその答えは、私一人で過去、数年にわたって考え出していたことと、見事に一致することを、思い出させたからです。
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 どうか、これから先に書くことは、私が、自分ひとりで考え付いたことだとは、信じてください。私はアメリカという国は大好きな方なのですが、でも、問題は数多くあり、その根本のところに、奴隷制度を持っていたことが、在ると考えているのです。同じことをムーア監督は映画内で、おっしゃっているが、今日の私の上の数行の言葉は、受け売りではないのです。

 そこのところを、国母選手のおしゃれ、特に、その髪型が思い出させてくれたのです。

 私は日本人として日本に生きているわけです。その日本には、日本固有の大問題があります。何度も言っていますように、経済的には安定しているが、真の独立国ではないために、あらゆる正当なる権利を奪われているところも在る。思いがけない現象が起きて、損をすることも多いと考えているわけです。

 トヨタのリコール問題だって、数年前から、世界で一人勝ち企業である見たいだからこそ、心配していました。今では、『やはり、やられたね』という感じです。日本の民主党政権には戦略局とか、言うものができたそうですが、明治期の日本のように、国益を考えて、政府が行動をとるということが、一切ありません。だから、狙われた企業は、一人で、戦わなくてはならないし、いわゆる銃後である、日本のマスコミからも叩かれます。気の毒ですが、これは、日本の首相も同じことです。

 私は別にトヨタメンバーではありません。父は開明的な人間で、明治生まれながら一種のフェミニストだったので、結婚した後で、母を働きに出したのですが、それが、横浜正金銀行でした。しかし、午後三時過ぎから忙しくなるということで既婚の主婦には勤めにくいので、日産自動車へ、勤務先を変更したのです。
 それ以来の、70年以上にわたる日産びいきです。でも、トヨタへの、国内外からの総・バッシング体勢を見ていると、日本政府は何をしているのだろうと、驚きますし、車・評論家に、トヨタを責めさせているテレビや新聞などの、マスコミにも疑問を感じます。
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 社会に見られる苦しみは、個人の段階でも当たることだから、この国の将来には、漠としたものですが、不安があります。

 でも、マイケル・ムーア監督の映画を見ていると、アメリカの普通の市民、特に中流以下は、日本人以上に、今苦しそうです。

 どうして、そういう風になったかというと、映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』の中で、ムーア監督が見事に解説をしていますが、奴隷制度があったので、その奴隷たちが反乱をする恐怖を、当局(というのは、国の上層部)が、非常に強く持っているからのようです。心理学で言う投影・現象の結果、当局は、アメリカ市民へ、多大な恐怖感を与え、支配を確認しようとしているがために、アメリカ社会には大いなる不安が満ち満ちていて、すぐ、人々は銃をぶっ放すこととなった・・・・・というのが、ムーア監督の、その映画内での結論でした。
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 私は靖国神社の参拝の問題。および、映画『靖国』騒動がおきたときに、それと同じことを、強く感じました。アメリカの上層部は、日本人が反抗をしてくることを異常に恐れていると・・・・・それについては心理学的な投影現象のひとつで、『アメリカの上層部は、多分、東京裁判を苦しんでいる』ことの証明なのだと発言を続けてきました。

 日本人の反抗を非常に恐れているから、一種の踏み絵として、お前は逆らうつもりか逆らわないつもりかと、アメリカは日本の政治家に、常に、問いただしているのです。それを、靖国参拝を、キーワードとして、常にやってきているのですが、戦後も、66年を過ぎました。もう、第二次大戦のことは、後ろへ忘れましょうと、考えるのが普通の人間だと思うのですが、まるで、ナイフを突きつけるように、靖国参拝を初め、南京大虐殺だとか、日本人慰安婦の問題を、持ち出してくるのが、その手の人々の戦略なのです。

 今、民主党政権です。そして、私がみるところ、戦後内閣のうち、実質的には、もっとも親米の組織です。表はどうかわかりませんが、裏は、もっとも、アメリカから信頼をされている党です。それは、小沢幹事長に源泉があるのですが、他の党員もメディア受けがよいということで、
 また、小選挙区制に最も賛成した政治家が多いということで、

 アメリカから深い信頼を得ているがために、従軍慰安婦問題も起きないし、・・・・・
他にもうんぬん、かんぬんとなります。しかし、これを言うと、私の言葉を否定するために、いやな現象がまた、起きるかもしれません。
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 国や国民に対する、そういう責め苦は、すべて、裁判という形を通して行われます。私は中学校のころ、「三権は独立している」とならいましたが、日本もアメリカも実態はまるで、違う模様です。立法の府である、国会に最大の議員を送っている民主党が、そして、その幹事長に過ぎない人が、行政の実態を握る予算を、・・・・とくに陳情を、たった一人に集中をさせようとしていることなど、アメリカ型に近づいていることでもあり、
 それは、日本国民を不幸に陥れる、策略と思われ、日本が、アメリカ型社会へ近づいていくことを示唆していますので、大変です。

 アメリカの実態は、上下関係、貧富の差が激しいことで、下のほうの人たちが、人間扱いをされていない社会です。日本は今のところ違います。在日の人への差別といったって、アメリカのひどさに比べれば、ずっと、穏やかな方でしょう。

 アメリカ社会のこの上下の差は、結局は奴隷制度があったことにその主因があるでしょう。日本には貧富の差や、差別のことがあっても、それは、戦後、66年の間に、そうとうに改善をされていて、電車の中などで、『これは、私とは違うわよね』と、他人を見下す視線を、投げる人などいませんよね。

 銃が規制をされているからだけではなくて、心理的な側面からも、人々はアメリカに比べれば、ずっと安心して暮らしていられるわけです。
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 本日申し上げたことは、ずいぶん原則的なことで、普通なら申し上げないところのことです。しかし、例の五輪選手、国母君のおしゃれを見ていたら、その髪型がドレッドヘアーというもので、黒人の子がやっているものだから、突然に上のようなことを、書きました。

 かわいそうに黒人の子達は、まず、ちぢれっけを伸ばそうとしました。三ミリ程度の、細いみつ編みをしている子は、薬で伸ばさなくても、その力を強くかけた編み方で、縮れを伸ばせるのか、結構つやのある髪なのですが、国母選手みたいな、1センチから2センチほどの、太いみつ編みをする場合には、まず、薬で伸ばすので、髪が木綿糸みたいに弱っていて、つやが無いのです。

 しかも、みつ編みは自分ではできないので、あまり、シャンプーもしない模様です。
私は、身体状態が健やかでないと気分が悪くて、何も手につかないので、爪もしっかり短くしていて、髪も常に、洗って清潔にしていないと、だめなのです。だから、<国母選手は、あの髪型で、競技に集中できるものだ>と不思議です。が、それが、若さというものでしょう。?!?!?

 だけど、ひとつ彼が間違っているところがあります。国母選手は、優越したおしゃれをしているつもりでしょうが、その髪型は長い間のアメリカ、黒人社会の苦しみを反映した髪形だということを、忘れているところです。かれは、21歳だそうです。きょうぎにあけくれて、しかも、結婚もしているそうですから、暇もなくて、アメリカの社会の実体も知らないし(ただし、中二の時に競技会でアメリカに行っているみたいですが)その文明史も知らない模様です。ただ、うわべだけをまねしているわけだから、こっけい極まりないので、人々の大いなる批判を浴びたのでしょう。

 東海大学もこれから、教授を派遣してしかるみたいだけど、彼に、ボーリング・フォー・コロンバイン』の映画を見せたら、一遍で、日本人の自分がそういうおしゃれをすることの滑稽さが、わかるでしょうが、どうなりますことやら・・・・・

 黒人たち、は、虐げられたからこそ、髪がまっすぐなことへあこがれるのです。上流階級へと上り詰めた黒人たち、は、上等な薬で髪の毛を伸ばすので、優雅でつややかなウエーヴヘアーで、しっかりしたスーツを来たり、美しいワンピース姿だったりします。体ももちろん細身でね。ブッシュ元首相(息子の方)の内閣で、思わず、「マイ ハズバンド」と大統領を呼んでしまったライス前・国務長官がその典型でした。

 急遽カナダに向かう東海大学の教授からは、諄々と諭していただきたいものです。『その髪型は、長い間虐げられてきたアフリカン系の、少年少女たちが、安い薬で直毛を手に入れたものの、つやと勢いを失った髪が、そのままでは、体をなさないので、工夫の結果、編み出されたスタイルだから、もともとが、直毛である日本人がそれをまねるのは、神様に逆らった、不遜極まりない姿なのですよ。・・・・・と。
    2010年2月14日   雨宮 舜
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バスティーユで待ち伏せしていた、美形の紳士は(?)

2010-02-13 01:26:29 | Weblog
 私はとうとう石段を降りました。サクレクール寺院あたりはみやげ物やさんがいっぱいあります。たとえてみれば江ノ島の石段あたりと同じこと、またはアテネの細い路地と似ています。パリ市内でももっとも観光地化している場所で、おのぼりさん(ふ、ふ、ふ、私を含めて)目当ての、同じようなアイテムがどのお店にもたくさん置いてあります。ただ、江ノ島あたりよりは、そりゃあ、華美ですが・・・・・

 もちろん、私はそんなものには、何の関心も持たず、やっとの思いで地下鉄を乗り換えました。地下鉄を乗り換えるのさえ億劫だったほどでした。そこから、五つぐらいで降りなければいけないのに、『どうして、断られちゃったのかなあ? 残念だったなあ。見たかったなあ。プロの技を』と思えば、虚脱状態に近くて、ぼんやりとしていて、あれっと思う間に乗り過ごしていました。

 サンポールという駅の次には、地上に出るところがあるのです。御茶ノ水あたりの丸の内線と似ています。丸の内線も早い時期にできた電車なので、地中の深さがあまりなくて、運河の下を通らず、上を通るために、急に窓外が明るくなります。まだ、パリについて一週間も経つていませんで、バスティーユの街へ降りたことは、無かったのに、乗り過ごしたということだけは、すぐわかり、あわてて電車を飛び降りました。

 ここで、挿入となりますが、バスティーユの駅構内では後日、地下鉄のタイヤが燃える事故があり、煙が充満して、電車が動かず、うろうろしている夕方がありました。そうしたら、美しい白人女性に事情を聞かれたのです。それこそ、グレースケリーみたいにきれいな女性から、「この際、どういう風に、○○ホテルへ行ったらよいか」と質問をされました。それは、うれしかったですよ。私は、他人から見て、『とても安全な人間だ』という顔をしているのでしょう。

 で、その人も私と同じく、フランスが達者ではないアメリカ人だと推定して、私の方がつたないフランス語(とても、フランス語ともいえないもの)で、周りの人に問い合わせると、

 ・・・・パリの地下鉄は騒音を抑えるために、レールの上をタイヤが、走る形式になっていてブレーキか何かを急にかけたせいで、タイヤが燃えたのだ・・・・そうです。そういえばゴムの燃えたにおいが充満をしていました。

 ところで、急にここで、こんな後日の思い出を挿入したのは、バスティーユの駅がターミナルのひとつで、大きいほうだと言うことを言いたい宝です。

 その中の、
 あたりに誰も居ない場所で、突然に、私は呼び止められたのです。サクレクール寺院で悩んだ顔をしていた日のことでした。

 相手の背は180センチぐらい。私より頭ひとつ高いです。そして、何よりも着ているものが素敵なことにはまず気がつきました。とても、上等な、しかし、十分に着こなしていて、やわらかくなっているホームスパンのジャケット。グリーンか茶色かわからないが、色合いもすごく素敵です。こういうものを着ている人は、意外と現在は、みかけないのです。パリでも、お金持ちは車に乗って移動をしているのか、オーソドックスなおしゃれをした人に出会うことは少ないのです。日本だってこれほど、おしゃれなジャケットを着ている紳士には、めったに出会えません。

 さきほど、いった、地下鉄火災の日に、私に助けを求めた、グレースケリーのそっくりさんも、らくだ色の、アンゴラ入りらしいウールのロングコートを着ていて、あたりを振り払うほどの威厳に満ちてはいました。でも、そういうお金持ちみたいな人が、パリに不案内だと他人に知られると、その後が危ないのでしょう。だから、私に質問をしてくれたのです。見かけ上の私はアジア人の中年のおばさんですから、パリのことなど、知らないであろうに、顔が善良そうだから、安心して質問を投げかけてくれたわけでした。

 美形のご婦人の話から離れて、もう一度バスティーユに戻りましょう。彼は顔も優しそうでした。日本でたとえるなら、森本レオさんという雰囲気。でも、外人(白人)ですから森本さんとは、違います。・・・・・どうしても似た人を探せば、ウィリアム・ホールデンかハンフリー・ボガートかな。はたまた二人を足して二で割ったような渋い美形です。

 版画の関係では、ぱりで、すでにいろいろな外人に出会っていましたが、一番の美男子だったでしょう。最初はだから、安心して話を聞こうとしました。だけど、内容を聞いた途端に、私は逃げ出していたのです。

 すごい勢いで走って逃げました。ヒールのある靴を履いていて、スカートもはいていて、しかも左腕には、重い紙袋を持っています。それなのに、必死で走って逃げました。

 バスティーユは地上に出れば、中心のオベリスクを囲む円形の広場です。地下鉄の駅は、その中心から、やや細い地下通路が、四方八方に向かって放射状出ています。たびたび例として出す映画『ポンヌフの恋人』でも地下鉄の通路が印象的な場面で使われていますが、それも、バスティーユ駅の地下道を使っているのではないかと思うほど、似ています。

 そこを全力で走って逃げました。よくぞ、重い銅版を入れた紙袋が破れないで済んでくれたものです。もしそれが敗れたら、それは、制版済みといって、模様が既につけられているものですから大切なので、それを拾うために立ち止まり、敵に捕まってしまっていたでしょう。

 そして、ときも味方してくれました。そのころの私は、まだ、十分に若かったのです。今では心臓がそれこそ破れる感じで、五十メートルも走れないでしょう。しかし、その日は火事場の馬鹿力がでました。
~~~~~~~~~~~

 ところで、どうして、『あ、この人は悪人だ』と気がついたかですが、周りに四・五人の屈強な同じく背の高い男性が居て、それらの人間の顔が悪相だったのです。スキンヘッドだったりして。中心人物とは明らかに差があり、紳士が、命令者で、手下を数人従えているのだと、察しました。

 その上、一番変だったことは、「地下鉄の切符を後検札するから」といわれたことです。
これがものすごくおかしいと感じました。今ではどうなっているかがわかりませんが、1998年当時の改札口は、非常に簡単なもので、そこを飛び越える若者も居ました。だけど、私みたいな外人が、そんな小銭を節約するはずがありません。緑色のラシャ紙を、細く切った素朴な切符で、お値段も安くて、パリ市内なら、外へ出ない限り、全線同じ、値段だった記憶があります。

 そして、改札を出た後では、切符は手に持っていないのが、普通ですから、チェックするのなら、改札のすぐ傍でチェックをするのが普通でしょう。彼らに呼び止められた場所は、改札口よりは20メートルは離れていて、地下鉄の職員とはまるで関係がなく、この呼びとめが行われたことが瞬時にわかりました。

 普通なら誰だってもって居ない切符を「持っていないから、駄目だ」と、責め立てられれ、警察に来て欲しいなどといわれて、車に乗せられたら最後、警察ではなく、どこか、恐ろしい場所に、拉致されるのだと想像します。

 実はパリの普通の人って意外と背が低いのです。私は普通の日本人として、外人だとアメリカ人のことを思うので、背が高いはずだと信じ込んでいるのですが、アメリカの特に白人は、数世代にわたって、大漁のお肉を食べてきたのか、特別に大きいのです。

 しかし、フランス、スペイン・イタリア、ギリシャ、トルコ等の南欧の人は、体格はそれほど大きくは無いのでした。この項は続きます。2010年2月13日   雨宮舜
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サクレクール寺院・傍の、工房と、そこで働く人々

2010-02-12 00:20:30 | Weblog
 さて、私が紹介をされた工房は、登る際は左側にあたる石段の途中に入り口があります。はいると、中は洞窟めいていて、中年のおばさん(ということはさえない、しかし、誠実な女性であろう)が受付をやっていて、・・・・・彼女はあまり、英語が得意ではありませんでしたが、・・・・・所長を呼んでくると、言ってくれました。

 現れた人があまりにも美しい女性だったので、私はびっくり仰天。多分、二代目とか、三代目の人でしょう。でも、男性を統括して束ねる存在があまりにも華奢であったので、驚いたのです。『パリだからかなあ?』と、衝撃を受けました。摺り師というのは体力が必要なので、普通は、男性です。特に西洋の版画は、プレス(高圧からくるネーミングだと思う〕という機械を使いますので、ほとんどが男性です。日本の木版画は、特に江戸時代は、大きなサイズを摺らず、しかもばれんという道具で、静かに紙を撫で回す形で摺りますので、あまり体力が要らないのですが、それでも、男性が主でしょう。

 その所長は、ジュリエット・ビノシュを上品にしたような美人でした。ジュリエット・ビノシュが上品ではないというわけではないのですが、ダニエル・ダリューとか、カトリーヌ・ドヌーヴに比べれば愛情のあるという顔立ちです。でも、小柄でかわいいという雰囲気があります。所長は上品な赤・紫色の薄手の(ということは上等だという意味ですが)、Tシャツを着ていて、『やはり、ここは、版画工房だ』と思わせました。

 中に入ると広くて、伝統もありそうで、相当なレベルのところであって、もっと、気取った服で現れてもおかしくないのに、Tシャツ程度で、お客と対応するのは、どうしても、汚れる場所だからです。どんなに清潔にしていても、インクの伸ばしてあるプレートのそばを通ったり、誰かと袖すりあうだけで汚れてしまう場所ですから。
~~~~~~~~~~

 工房は広くて、版画を摺る機械が、10台ぐらいそろえてあり、美形の青年たちが、5、6人静かに働いていました。実はそこへ至る前に、日本で紹介をされた、別の工房を訪ねていて、そちらには、機械が大小で、三台くらいしかなくて、たむろしている人は、40人ぐらい居るのです。圧倒的な違いを感じました。『今、目の前に対峙している工房が、世界でも最高級というレベルで、立派なものであり、西洋のキコウ本(高価な本)の挿絵として使ってあるエッチングの類は、こういうところで摺られたのであろう』と思いました。何事にでも、高級なところと、低級なところの差はあるものです。

 高級なところとは、作り出すものが最高のレベルであり、低級なところとは、単に、お金儲けを第一の目標としているところです。工房にたむろしている人たちからお金を取るために運営されているところと、工房に依頼をするアーチストからお金を取ることを目的にする工房との違いです。ただし、版画工房というのは、どういう風に運営しても、儲かるものではありません。ビジネスとしては大変な種類のものであり、伝統やら、文化への理解の違いによって、それが、うまく続けられるか、閉鎖されるかの違いが出てくると思います。

 中に入ると、西側は、外気に面していて、小さな格子が連なった、縦長のフランス窓がたくさんあり、そこから入ってくる光だけで作業は行われているようでした。蛍光灯も白熱灯も使っておらず、微妙な色彩を大切にすることもうかがわせました。

 そして、洞窟側(東側)に棚があり、そこにプチダノンの容器が縦横、100個位あって、残ったインクを保存してあることが伺われました。あまり、長時間保存していても油がこかしますが、一ヶ月以内にそれらを使えば、それこそ、さらに微妙な色合いが出るというものです。
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 実は私はパリでは、4つの工房を訪問しています。実際には第三の、小さなしかし、専門家だけが使っている、良いところで修行ができるのですが、この伝統ある立派なサクレクール寺院傍の工房を訪ねた日には、そちらの自分で機械が使える方は、所長さんが旅行中であり、「まだ、来ないでください」といわれていたので、こちらのプロの摺り師さんが、技を見せてくれるほうに大きな期待を寄せていたのです。

 しかし、しかしです。私が値段について提示をできなかったということもあり、そのほか、APというためし刷りを持ってきていなかったこともあり、摺ってくれるのを、断られてしまったのです。つまり、私の版画は、深堀の一般多色摺りといって、後日、日本で日本の摺り師さんに頼んだら、一枚摺り代だけで、一万円をとられました。

 つまり、手間が掛かるものなのです。機械やインク代を別にしても、実費の日当が、3万円程度の仕事で無いと、その工房は引き受けないのでしょう。私が持参をしたのは、20センチかける30センチぐらいの小さなサイズの銅版でしたが、それを、摺るにしても、一枚摺り代を5千は出しますと、こちらから言わなければ成らなかったと今ならわかります。

 が、初めての外国暮らしであり、お金のことをはっきり言う習慣がまだ、無かったので、こちらから、高い値段を言い出すという勇気が無かったのです。

 でね、私より、15センチぐらい背の低い、しかも若い、だけど、超がつくほどの美人である所長からにべも無い形で、断られて、がっくり来てしまったのです。

 せっかく、ここまで来たのだからと、サクレクール寺院へ向かう石段は最後まで上りました。しかし、寺院内部へ入る気力も出ないほど、がっかりして、サクレクール寺院の前庭で、手すりにつかまって、パリ市内を見下ろしながら、非常に青ざめて、背でも丸くしていたのでしょう。惨めでとても弱々しく見えたことでしょう。

 でも、それだけなら、別に問題は無いのですが、その日の私は、一流のところを訪ねるのですから、きわめて上等なものを着ていました。別に高いものでもないのですが、品質に関しては、最高級のものを着ていたのです。今ではすっかり、気構えが違ってきていますが、実は小さいころから、品質だけは馬鹿によいものを着せてもらっていて、友達からも「私服の時はよいものを着ているのね』といわれていました。制服のときは父が、質素を旨とする教育方針だったので、ズックのかばんと、ズックの靴で通いましたが、私服は母の好みだったので、母はよいものをきるのが趣味の人だったからです。

 ここで、こんなことを言うのは、これも、別に自慢でもなんでもなくて、マイケル・ムーア監督と関連しています。彼を書くのが難しいというのは、彼が貧しい居人たちの見方なので、それゆえに、警戒をされている人だからです。出、映画について批評を摺るつもりではじめたあの文章が、いささか、書きにくくなったのは、貧しさを、嫌う普通の日と向けにどういう風に書き抜いたら、一番正しく、かつ、良い文章ができるだろうと、思い悩んでいるところだから、ムーア監督も普通の中流市民であり、私もかっつかっつですが、中流であるということを言いたいわけなのです。

 で、言わせていただければ、非常に上等な品質の服を着ていて、(いや、パリ市民だって、100%ウールのものを着ている人は少ないのです)、しかも、手には銅版を入れた、ブランド物の白いつやのある紙袋を持っていました。これが、災いをして、その日に死ぬことになったかも知れなかったのでした。そのがっかりして丘の下を眺めていた直後に、ギャング団に後をつけられたのです。それをバスティーユで気がつくことになります。

 あの時は、その、大切な大切な第三の工房生活が、まだ始まっていませんでしたから、拉致されて、殺されてしまっても、誰も、私が行方不明になったことなど気がつかず、私は突然に子供や、夫や、親兄弟からも、引き離されるところだったのかもしれないのです。つまり、夜は一人暮らしです。そして、パリと日本の間は時差があり、べたべたすることを好まない主人には、毎日電話をしていたわけでもありません。一週間や、二週間、何の連絡が無くても日本の家族は何も心配しないので、その間に、決定的なことが起こっても、誰も、どうしようもなかったわけです。

 私は自分がやっていることに対して報酬がないという意味では不幸だと思うときもありますが、でも、よく考えてみると、どうも幸運に恵まれているようでもあります。ぎりぎりのところで常に救われていますので・・・・・・この項は、もちろん続きます。
   2010-2-12   雨宮 舜
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サクレクール寺院(パリ)前の、石段と、紙袋の話

2010-02-10 22:02:24 | Weblog
 今、マイケル・ムーア監督について書いている途中です。しかし、彼について、本当に言いたいことを書くのはとても難しいのです。それは、今回の映画『キャピタリズム』をご覧になった方はお分かりになることでしょうが、すこし、間を空けて、今、マイケルムーア監督のほかの映画を見始めたところです。『シッコ(アメリカの医療制度について述べた映画)』を本日見たところですが、ますます、文章を書きにくくなりました。

 だから、少し、前まで戻って、『のだめカンタービレ』について、まだお話をしていなかったことを述べさせてくださいませ。

 『のだめカンタービレ』は、本当のところは一本で公開すべき筋を、音楽を生かすため、また、資金をかけたから、フィルムを編集しすぎることがもったいないから(?)、前・後編に分けて公開をされています。だけど、間を四ヶ月空けるのはどうかなあ。

 せめて、フランス映画『メスリーヌ』みたいに、前・後編を、同じ映画館で、一回交代に見せるという形に、してもらいたかったところです。でないと、芸術作品としての形をとれないので、海外へ、もって行くのなら、大急ぎで、そこもお願いして、(せりふを字幕ではなくて、現地語で入れるのでしょうから)前・後編を、同じ日に鑑賞できるようにしてもらいたいと思います。

 のだめカンタービレの関係者は、すこし、ファンへ甘えていると感じます。が、それは、さして重要な批判ではありません。
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 で、元に戻ると、サンジェルマンを含め、パリを観光紹介するような画面はあるのです。後編で、のだめの学習上、または、修行上の悩みが出て来るそうで、その前提条件として、パリを紹介しているわけです。

 サクレクール寺院は、結構重要な場面として使われますが、

 サクレクール寺院から、私は後をつけられていたらしくて、結果としてバスティーユで、ギャングかCIAだったと思われる屈強の男たちに、拉致されかかるのです。
 非常に怖い思い出が、思いがけずも『のだめンタービレというおとぎばなしのような映画を見たことで、喚起させられてしまったのですが、その件は今考えると、まさしく、政治に関係があります。実際には12年が経ていますが、時間がたつとかえって明らかになる部分もあって、その怖さが増してくる部分もあります。で、前の文章(レオン・カラックス監督の章)と意外にも接点がある文章となっていきます。

 で、その怖い話には、紙袋が重要なアイテムとなっています。それをどうして思い出したかというと、のだめが、サクレクール寺院の石段の前で、紙袋を大量に持っていたからです。中身の入っている10個以上のブランド物の紙袋を両手に持って石段をふうふう言いながら、あがるという設定になっています。

 その紙袋は、もちろん、主人公である『のだめ』の買い物ではありません。お定まりのシンデレラ風な隠し味が含まれていて、脇役の方が、お姫様であり、そのお姫様にこき使われるという設定で、買い物袋を多量に持たされているのです。そのお姫様の方は、韓国出身の天才的ピアニストという設定です。そちらは、こどものころから、母親が、ステージママであって、それに、抑圧されきって育ちあがったので、大人に差し掛かるにつれ、そこから、逃げ出して自由を感じたくなり、その表現としての、パリでのショッピングでした。既に成功をしているので、お金持ちであるという設定です。ここらあたりは一種のネタばれと言うやつですが、主筋には、関係ないのでお許しくださいませ。その成功者は、今、精神的に迷っていて、買い物をしまくるということで、自己の解放を目指している・・・という設定になっています。

 『のだめカンタービレ』のプログラムを読んでいて驚いたのですが、そのブランド紙袋は、すべて、本物だそうです。色がいろいろあって10いくつまとめて持っても美しいこと限りが無くて、それが、パリのエスプリなのでしょうね。
~~~~~~~~~~~
 しかし、突然に挿入として、普段の生活のことへ入りますが、パリとは単なるおしゃれの街ではなくて、そこで住んでいる人たちは、非常に楽しく、安心して暮らせる街でもあるそうです。医療費とか、子育ての費用が、十分に、国家から出ているから、そうなる。この情報は、ムーア監督の映画、「シッコ」を見ていて、わかったことでした。ただ、私も、地下鉄内で赤ちゃんを連れた人に出会うと、周りの人が親切なので、その様子から考えて、パリでは小さい子供がとても大切に扱われているのは、肌で、かんじました。思いがけないほど、穏やかに、普通の暮らしが営まれている街だったのです。

 『シッコ』はアメリカの医療保険の問題に取り組んだ映画なので、日本では一切あたらなかった模様です。つまり、日本人は、アメリカ人に比べれば、医療保険でより手厚い保護がなされているので、ムーア監督の怒りを共有できなかったのでしょう。私はムーア監督を好きだから、研究するために、最後まで見ましたけれどね。

 いやあ、アメリカの普通の国民が、苦労の限りを尽くしているのを見て、切ないこと限りが無かったのですが・・・・・本当に見るのがつらい映画でした。ひるがえって『のだめカンタービレ』などを見ていると、若さと夢にあふれているので、ほっとしますがね。
~~~~~~~~~~~

 ムーア監督はブランド物については映画の中では、触れていませんが、もちろん、そんなものを買う、(踊らされている)ことには大反対でしょう。私もパリへ行ったら、なにか買い物をするべきだと言う発想はありませんでした。

 しかし、私はパリで研修したのが、海外の単独滞在の初めての経験だったので、そうとうにしっかりした準備をしていって、ものを運ぶ際は、紙袋を使って、運ぼうと考え、日本から荷物の中に、ブランド物の紙袋を入れて、飛行機で運んでいったのです。

 きれいな紙袋に、版画用の模様をつけた後の銅版を、数枚入れて、私は地下鉄で、サクレクール寺院に向かいました。パリに着いた後での情報収集によって、その石段の途中左側に、立派な版画工房があることを知ったからです。プロの摺り師に刷ってもらおうと考えました。それを脇から見ていれば、技術の習得に役立つからです。

 その工房の存在を、教えてくださったのは、フランス人の現代アートの大家・オリヴィエ・ドブレさんでした。それで、大きな希望を持って、あの長い石段をあがっていったものです。1998年の9月の初旬でした。

 その後で、危うく、身柄を(CIA?、もしくはギャング団?に)拉致されそうになったのですが、・・・・・その話は続く・・・・・とさせてくださいませ。
                      2009年2月11日  雨宮 舜
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レオン・カラックス監督は、デュポンの一族かな?

2010-02-09 22:57:30 | Weblog

 私は2008年にオムニバス映画『TOKYO』を見たときに、その第二話にこめられている悪意にぞっとしたと申し上げました。

 フランス、特にパリには、地下・下水道溝が昔から設置されていることは知っています。だから、その下水道は汚いし古いわけです。壁がこの映画に描かれている通り、茶色でしょう。ところが、日本の下水道設備はほとんど、戦後できたものだから、コンクリートの色で灰色のはずです。だから、この部分はほとんど、レオンカラックス監督の、思念だけで、作られた映像であり、真実ではありません。

 そこに、66年も前の、大日本帝国海軍、または、陸軍時代の、戦車がおいてあり、・・・・云々という設定は、日本人が好戦的な民族だと言う、断定を、世界中に向けて発信をするものです。これは、例のリメンバー・パールハーバーと同じで、大本の根源は、石油資源争奪のやむをえない戦争であっても、その敗戦の結果、責任をすべて、負わせられている日本人を、さらにいじめる措置なのです。しかも監獄の場面が、それに追い討ちをかけます。荒唐無稽な設定の監獄で、それも、また、見ていて悲しい限りの、映像です。

 最近フランス映画『メスリーヌ』、前・後篇を見ました。その前篇で、カナダの刑務所の中で、懲罰房へ、入れられたメスリーヌは、真っ裸にされた上に、高水圧の水を放射されて、痛さと屈辱と、寒さをあわせたすさまじい苦しみを、味わいます。しかし観客に向けては、テロップで、「この刑務所の、こういうシステムは、後に人権の見地から、廃止された」と出ますので、観客は一応ですが、ほっといたします。そして、『メスリーヌが、脱獄を繰り返す理由が、伏線としてここで語られたわけね』と、趣旨を正しく取って、納得をします。

 ところが、この『TOKYO』の方は、リアリティもないし、しかもコメディでもありません。息を抜くところが無いのです。しかも怒りをぶつけようにも、主人公は『ポンヌフの恋人』の中で、発達障害を持っている青年を演じた役者で、今回も不思議な、わけのわからぬ人、コミュニケーションが通じない人という設定です。

 言葉が、意味不明の、言語を使うという、人を食った設定なので、怒りのもって行きようがありません。批判を食らうことを、最初から想定していて、しかも、それを、やり過ごす、措置が最初から準備されているのです。まったく、馬鹿にされきっている日本と日本人です。悲しさも余りあるという映像です。

 しかし、ニ年ごの今日、グーグルの検索で、タイトル頁が『売り切れました(多分DVDがということなのでしょうが)』という説明以外、一切が、削除されているということを発見いたしました。ということは、この映画を作ったサイドは、最初から確信犯として、この映画を作っていたことを明瞭に示しています。

 何を確信していたかというと、日本人が好戦的で野蛮な民族だということを世界中の若い人へ示すことが目的で、それをやろうとしていたというポイントをです。

 今、日本の漫画や、アニメが人気があります。で、それらを好む世界中の若い人々へ、「日本人はあなた方が思っているほど、きれいな心の民族でもないし、安心して付き合える民族でもないのですよ」と知らせることが目的であるわけでしょう。そして、それが、見え見えなのです。

 そして、私のような小さな存在であれ、それを、すぐさま見破って、「ひどい」と声をあげることを知って、『あ、いけないかも知れない。これは、右翼に限らず、日本人すべての反発を食うかもしれない』と思って、その存在を引っ込めたのでしょう。

 でも、こういうフィルムこそ、文化庁は保存をしておくべきですね。文化庁は、800万円だかを支援しているとプログラムか新聞にでていましたから、作品を保存をしておく義務はあります。

 そして、きちんと把握をしなければいけないことは、こういう文化面の支配と、経済面(お金)の支配は連動しているということです。為替差損とか、金融商品で、大損失を味わわされる日本人の苦しみをあざ笑っている、海外の富裕層の本音が、この映画『TOKYO(第二話)』には、ものの見事に、現れているのですから。

 事前にこの計画の本当の筋や趣旨を知っていて、800万円の支援金を出したかどうかも、知りたいところです。もし、日本の俳優にも文化庁の担当者にも、それを知らせないで、強行したのなら、レオン・カラックスという人物は相当な悪人です。

 それから、プログラムを買いましたが、そこに寄稿をしている人たちは、『本心では、どういうつもりで、この映画を褒めているのだろう』と疑います。日本の知識人の、哲学的な素養をも、疑います。

 売文業という言葉があるが、極論すれば、『このプログラムは、その好例を初めて、目のあたりにした機会だ』と感じたことでした。『収入や、名誉に、つながれば、どういう文章でも書くのだ』という彼らの、汚い心が、みえて来ます。結構有名なエッセイスト(翻訳家)も寄稿していたので、恐れ入りました。純粋な日本人なのに、この映画を褒め称えている行動は、私などからしたら、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものでした。

 そのプログラムは捨てちゃったかもしれません。が、映画が、今では情報だけでも、非公開となり、この世の闇に葬られていくのなら、そのプログラムは大切なものとなっていきます。捨てたのは残念でした。が、うすっぺらで、おべんちゃらな文章を書いた寄稿者は覚えています。これから、先、その人の文章は信用できなくなります。おしゃれなことで売っている人で、それこそ、朝日新聞の書評欄にも文章を寄稿している人ですが・・・・・
 一応ですが、試写を見て、文章を書いたのでしょうから、その罪は重いです。

 そのうち、この第二部だけ抜かして「いい映画でしょう」などといいながら、新たに、公開をされるといけないので、はっきり、ここで、言っておきます。三部作の第二話が、危険で汚いものだったのです。ゴジラの音楽が使われている部分です。

 私はこの映画の存在を永遠に語り継ぐだけでも、『日本人としての、必要な任務を果たして死ねるなあ』と思うぐらい、日本と日本人が、低くみなされ、さげすまれていました。被・植民地として、やりたい放題の措置を、諸外国の富裕層から受けているかを、知りましたから、それを人々に伝えないといけません。一種の目撃者ですね。
~~~~~~~~~~~
 さて、2008年には、あまりにも、びっくりしたので、レオン・カラックス監督の背景を、グーグル他でネット検索をしてみました。すると、レオン・カラックスという名前は、ペンネームであり、本当は、フランスの大企業、デュポンの一族の出らしいのです。創業者から数えれば、4代目、または、5代目、またはそれ以降の子孫であるらしい。これが今もネット上で、公開されている情報かどうかは、不明です。だけど、パリへ渡って調べればすぐわかることでしょう。

 高校を中退していても、映画を撮ることができる背景はそういう、生まれによって、支えられていたわけです。しかも、『ポンヌフの恋人』には、その制作に9年間を費やしたという話ですが、それも可能なほど、バックに財力があるご家庭の出身だと思われます。

 となると、あの映画の筋は、別に教唆をされて思いついた話ではなくて、彼のスケルトン(骨格的な真情)かもしれないのです。恐ろしいことです。小さいときから、「日本人は残酷な民族だ」とおじさんやおばさんや、そのほか、お屋敷のサロンに出入りしている大人たちから叩き込まれていて、信じ込んでいるのかもしれません。

 でもね、そういう偏見を持っている人にこそ、実際に来日してもらって、日本の都会の機能性やら、ホスピタリティ(心のやさしさ等)を目にしてもらって、考えを変えてもらえば、それは、私のような国際関係に興味のある人間にとっては、うれしい事なのです。その結果、改めて正しく日本や、日本人を理解してもらうことができるのなら、それは、文化庁が800万円出した価値があるというものです。レオン・カラックス監督を許してあげてもよいです。

 ところが、カラックス監督は、ほぼ、ニ週間(毎日、4,5時間撮影しても、総計50時間のフィルムは撮れる)を嵐のような速度で取り上げた後で、さっと、帰仏してしまった模様です。そのフィルムを、十分の一4,50分に縮めるのは、簡単でしょう。で、日本人と触れ合うことも、京都や広島などの地方を学ぶことも無く、さっと帰ってしまったのです。

 比較すると、同じくらい世界を、巻き込んで熱くしている監督でありながら、ムーア監督の日本滞在の日々は、日本人にとって、どれほど、ありがたい様式だったでしょうか?

 映画『ポンヌフの恋人』と、映画『キャピタリズム』を比較して、どっちが上だなどというつもりはありません。だけど、映画『TOKYO(第二話)』と、映画『キャピタリズム』を比較すれば、マイケル・ムーア監督のほうが圧倒的に、心優しい素敵な人物だとなります。海外からお客様が来てくれる、・・・・・主目的は映画の宣伝のためでしょうが、・・・・・広島を訪れて、丁寧に、資料館を見てくれて、映像も丁寧に見てくれたということは、本当にありがたいことなのです。

                    では、2010年2月10日  雨宮 舜

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カラックス監督 VS ムーア監督(銀座の読み方の違い)

2010-02-09 10:01:32 | Weblog
 今朝、2010-2-9の朝日新聞第23面に、沢木耕太郎氏が映画『フローズンリバー』について文章を書いておられます。これは、試写ではなくて、ご自分で映画館へいらっしゃって感激なさったので寄稿をされた、非・注文・文のような気がします。それほど、感激をなさったのでしょう。普通映画の批評は朝刊には載りません。ので、なおさらその様に推察されます。
 ところで、急にこの文を、ここに入れたのは、その沢木氏の文章の中に重要なネタばれというものが入っています。それでも、ご自分の意思と、感動を伝えることが大切なので、そういう書き方をなさっておられるわけでしょう。これは、映画配給会社等から、すすめられた行為ではないと、感じられます。だから、その重要なネタばれがあっても、私は後日、その映画を見に行くつもりです。

 で、私は今、ムーア監督について述べている最中ですが、ネタばれを防ぎながら書くことに相当苦慮しています。しかし監督が、日本を理解する程度が深くて、それに感謝するので、引き続いて書いていきたいのですが・・・・・

 というわけで、これは、事実上はムーア監督の6となる文章ですが、本日はレオンカラックス監督と比較をしたいと考えます。

 それも、銀座というキーワードで。

 今回の来日で、ムーア監督は銀座に出かけて、ひどく驚いています。『ディズニーランド・キャピタリズム』と、NHK『クローズアップ現代』内で、お話をされていますが、

 「ルイヴィトンが数軒、シャネルが、数軒とか、ありとあらゆるところにきれいなブランド・ショップが建っている。ニューヨークの五番街(広い道路を指します)でも、ティファニーしかないのに」と。

 これに対して、いろいろ、お話をしなければならないのですが、銀座に比べて、アメリカの方が地味だったり、貧乏だったりするわけではありません。石造りの堅固なビルが立ち並び、デパートなどのショーウィンドーの商品は圧倒的に高価なものが飾られていますので、10年ぐらい前から、私は『やはり、アメリカの富の集中は違うわね』と感じています。

 ただ、この10年間に、銀座には新ビルラッシュが起こり、それらの新しいビルの一階には、ほとんど、ブランドショップが入っていて、特に力のあるところはビルそのものを自社ビルとして持っていますので、あっちこっちで、ブランド・ロゴを見るのも確かです。

 これは、現在三十才以上、五十才までの女性たち、特に収入の上では、中流の上ともいえる、パラサイトシングルで、かつキャリアーウーマンである人たちに、根深いブランド志向があるので、商品が大量に、売れるからでしょう。

 もっと若い層は、渋谷や、原宿でものを買うと、私は思います。だから、いずれこれらのブランドビルが撤退する日もあるでしょうが、中国や韓国からの観光客で、引き続き、威勢を保つかもしれません。
~~~~~~~~~~~~
 ムーア監督はその光景を嫌悪しているわけですが、でも、それでも、心配をしてくれていることがはっきりわかるので、私は好感を持ちました。

 比較してレオンカラックス監督の東京感には背筋が寒くなる思いがしました。東京感というか、日本感ですが・・・・・

 それは、TOKYOという映画に現れています。既に一回丁寧な文章を書いていますが、DELLの大型デスクトップが例の攻撃で壊されているので、ちょっと、簡単にそれを取り出せず、記憶に頼って書きますが、

 ひどい調子で、日本をさげすんでいる映画でした。文化庁の資金援助を得て、世界中の有名監督に作らせた三部作で、三番目は韓国の大物、ボン・ジュノ監督だったと記憶しています。

 一番目はアメリカの監督でした。一番目と三番目はまじめに作られています。

 ただし、二番目のレオンカラックス監督の部分が、ひどかったです。恐るべき映画でした。それで、今、自分側のデータがなくなっているので、グーグルで検索をしようとすると、一切のデータが出てきません。タイトルの名前だけは出てきますが、『売り切れです』という文字が出てくるだけで終わりです。

 「なるほどね」と納得をします。ひどい映画なので、日本人が丁寧に見たら、大変なこととなるからでしょう。右翼といわれる人たちでなくても怒ってしまいます。しゃれた映画だと宣伝をされていたから右翼人は見に行かなかったのでしょうね。それで、公開当時は看過されたのでしょう。

 監獄の場面等で、出演する石場れん司氏や島田久作氏のWIKIPEDIA欄にもこの映画のことは一行も出ていません。第一話の監督と第三話の監督がどう納得されているかがわかりませんが、第三話担当の、韓国の名監督のWIKIPEDIA内にも載っていませんでした。公開当時は新聞もべた褒めだったのにです。

 『ポンヌフの恋人』のときは、9年もかけたというレオン・カラックス監督が、その名画と同じ主演・男優と組んだので、日本側俳優は「これは、名作であろう」と信じ切って、出演したのでしょうが、後で、完成作をみて、ぎょっとしたことでしょう。
 私もしゃれた映画だとの前宣伝を信じて見ていたのに、途中から、反吐が出そうだし、背筋は寒くなるし、本当に参りましたし、めいりましたよ。
 
  <国際的軍産共同体が、レオン・カラックス監督を教唆して、このような映画を撮影させたのか>とさえ思いました。一話と三話がまともで、東京の現在を、ある視点から切り取っていますので、かえって二話が重要なサブリミナル効果を挙げるので、それは、ひどい話と、結果としてなります。

 日本国民としては絶対に抗議をしなければならないのですが、誰も声を上げないので、当時は閉鎖された小さな世界(ただし、読者は、数百人には及びます。し、社会階層的には、知識人が多い)である、私のAOLのメルマガ内では、痛烈に抗議をしておきました。

 石橋氏や、島田氏は、レオン・カラックス監督が、総日数2,3週間で撮影したと言うので、・・・脚本など渡されていなかったと思われます。主人公がまともな言葉をしゃべることができない一種の障害者という設定であるので、もし、批判を受ければ、何とでも逃げ道が、監督のほうには、用意されているわけで、本当にひどい映画でした。

 レオン・カラックス監督は、インタビューなどには応じていませんので、裏側の本当のところはわかりませんが、法外に高い演出料が出たのではないかと感じます。だから、<まあいいや、小遣い稼ぎにちょっくら作ってみるか。コメディを> というくらいの感覚でしょうが、ブラックユーモアとしても笑えない作品で、

 銀座の歩道を、一丁目に向かって、下水溝に住んでいる汚い風情の主人公が、菊の花(天皇を象徴する)を食べながら、突っ走り、帰宅をすると下水溝の中には、戦前の陸軍か海軍の戦車が旭日旗を立てて、保存をされております。

 しかも主役が、渋谷あたりで花火や爆弾を爆発させ抜いて、暴動を起こしたという罪で、中世のヨーロッパの監獄よりひどい環境の監獄に入れられます。挙句の果てに、主人公は縛り首(死刑)を実行をされます。しかし、その映像は、現在の日本の監獄の実情とはまるで違っているでしょう。恐ろしい映画で、こんなものを海外で公開されたら大変です。

 しかもそれが、文化庁の支援を得てせいさくをされた・・・・・こういう現状こそ、日本が、植民地支配を受けていることの圧倒的な、証明となります。日本は隅々まで、しかも日本国民の目が、高度に目くらましをされている形で、支配をされているのです。

 精神とか文化の側面で支配をされています。そして、世界中から「いじめてよいんだ。あの国は」と、思われるように、すべてが設定をされていくのです。だから、北朝鮮も拉致問題に真摯には対応しません。

 その映画ですが、公開ご、二年弱経った今、ウエブ上ではすべてが、抹殺されています。それの筋やら、出演者の情報が一切、グーグルの検索では、でてきません。アルファベットで引いても出てきません。

 日本人をいったんは小ばかに仕切った上で、私のように、ごく、平凡な日本人の一人が、きちんと裏側を解読をしたので、『あれ、これはまずいかな?』と思って、引っ込めたのでしょう。日本人は虫けらのごとく扱われています。

 映画『靖国』よりも、はるかに大きな問題をはらんでいる映画でした。第二話に関してはどこにも救いようが無い映画です。実情ともかけ離れているし、脚本を書いた監督の、驚くほどのずるさを感じさせます。レオンカラックス監督の『ポンヌ不の恋人』は、傑作だったとおもいますし、それが好きだったので、新作映画『TOKYO』の方も、映画館まで見に行ったのに、ひどい裏切られ方をしました。
~~~~~~~~~~
 それに引き比べれば、世界中を席巻している、マイケル・ムーア監督が、日本、および日本人に対して好意的なのは、非常にありがたいです。

 特に、日本車に壊滅的な打撃を受けた、GMの本拠地、フリントを故郷とする監督が、広島を見学に行ってくれたのはありがたいことでした。

 なお、今日は九時間弱で、更新していますので、夜、このブログをごらんになる方は下もごらんをいただきたく。2010年2月9日             雨宮 舜
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医療保険と、生活保護、日米の違い、公務員(官僚)の大切さ

2010-02-08 22:03:46 | Weblog
アメリカの医療保険制度、・・・・・映画『シッコ』vs私の本『黄色いさくらんぼ』

『ムーア監督にの5』

 マイケル・ムーア監督の映画に、一種のサブリミナル効果を持って、批判する文章が出ました。(二本前の、私の文章を、ご参照ください)それが、なぜ表に出たのかについては、わかるポイントは、映画内には、数々あります。が、<ムーア監督ご自身と、その映画はなかなかの優れものだ>と思う私の認識は変わることはありません。

 <それは、買い被りでしょう>と思うほど、ムーア監督は日本を映画の中では、高く評価しています。それは、他の海外の作家みたいな漫画とか洋服のデザインなどのポップカルチュアーのポイントで評価をするのではなくて、社会システムについて、高い評価を与えるという形です。

 彼はいいます。「日本には、すでに医療制度がある。それは、アメリカにはまだ無いのだ」と。その、国民皆保険制度があるために、日本人がどれほど、安心して暮らすことができているか、そのメリットを日本人は正しく知っているかなあ?
~~~~~~~~~~~~
 ただし、皮肉なことに、その制度は戦後の占領軍の中に、格別理想主義の人がいて、そういう人々の理想郷実現の意欲によって、もたらされたものであります。

 そして、その影に、農地解放によって、急速に貧乏になっていった地方地主や、財閥解体で、急に貧乏になった日本の富裕層や、士農工商(+華族制度)の廃止によって、同じく、急速に貧乏になっていった人たちの犠牲は、踏まえています。また、戦死してしまった、一般の軍属、BC級戦犯、そして、A級戦犯・・・・・数多い犠牲の上で、より多くの人(大衆または、庶民といってよい私たち)が一生の安寧を得るようになりました。
~~~~~~~~~~~~
 アメリカとは、国家としては、第二次大戦の苦しみが、一切ない国であったがゆえに、かえって、これらの制度が確立していないのです。国の大統領を選ぶのも直接選挙ではなく、かつ、ゴア候補とブッシュ候補が争った大統領選挙では、相当な不正が行われたであろうことは、海外から見ていても推察できるぐらいでした。日本は、国会議員を、直接選ぶことはできます。その後は、やや、あいまいで、決して100%の民主主義が到達できているとは思えませんが、ともかく医療保険制度は確立しています。
 
 アメリカという国を私は好きですよ。だけど、ニューヨークしか知らないし、それも一人暮らしだったので、できるだけ、ブロンクスやブルックリン(特にアフリカンが多く住んでいる地帯)には、近づかないようにしていたので、全部は知りません。芸術家とアパートの近隣の人々と、付き合っただけです。かれらは、アメリカないでは、数少ないらしい中流の下の人々ですが、精神的にはひどく誇りが高くて、立派な存在です。

 しかし、2000年の修行時代に、ほとんど、毎日五時間は一緒に過ごした男性・版画家が、私が帰国後、たった九ヶ月で孤独死したのです。一緒に版画を作っていた時期は、健康そのもので、一日に立って10時間は働いていました。朝早く来る人で午後五時ごろには帰宅してしまう人なので、私が一緒に過ごした時間は、毎日五時間程度でしたが、あの元気なひとが、別れたあとたった九ヶ月で死ぬということが一切信じられず、それは、ほぼ、七年間にわたって、私の胸の中にある疑問だったのです。

 それを一種のミステリー小説仕立てで描いたのが、私の五冊目の本『黄色いさくらんぼ』でしたが、・・・・・超・簡単に彼の死を総括すれば、・・・・・医療保険があったなら、あの突然の逝去の知らせのメールは来なかっただろうに・・・・・と、思い、切ないのです。

 孤独死は栄養不足か、慢性疾患が隠されていたかのどちらかでもあり、また、その人にとって最大のよりどころであった版画工房がつぶれて閉鎖された精神的なショックも大きかったとは思いますが、ニューヨークの画廊街、および、版画界では、相当な程度に有名だっな存在が、孤独死をしなければならないのは、せつな過ぎる結果です。
~~~~~~~~~~~~~

 日本では、このぐらいのレベルの人(実績があるアーチスト)ですと、誰かが支援して、「生活保護を受けなさい」というのではないかなあ? となると、孤独死はしないで済むわけです。もちろん、芸術家は、気難しいから共同生活などしたくないともいえますが、毎日工房で作業ができた人ですから、ある程度以上の、共同生活精神はある人です。

 生活保護費があれば、生きることができたのではないかと思えば、・・・・・余計切なくて、たまりません。自殺ではなくて、生活費が無くて、一種の餓えから来る死だと思うから。日本人の奥さんが居るという話でしたが、その人とはとっくの昔に見限られて(貧しいからですが)分かれていたのでしょう。または、たんなる見えでそういっていたのか、どちらかはわかりませんが、本当の所は、孤独で暮らしていたからこそ、61歳でなくなるという結末になりました。救われなかったわけです。
~~~~~~~~~~~~~

 <日本人が、日本から見ると、そう見えますが>、どうも、生活保護費はアメリカには、無い模様です。はっきりわかりませんが、医療保険も、国民皆保険制度は無い模様ですので、貧乏であると、病気からも死からも、救われません。厳しい国です。

 一方日本では、最近では、若い人の餓えによる死とか、生涯未婚である人々の孤独死が、問題になっています。でも、申請すれば、生活保護は、受けられる(?)

 福岡県でその認定が厳しいことが問題になっていますけれど・・・・・
 
 このように、日本人が守られているのは、几帳面な官僚機構のせいです。日常生活がきちんと運営をされていくのは、官僚機構と、それの下部組織としての地方公務員の働きのおかげがきちんとしているからです。

 そういう意味では、小さな政府であるアメリカは国民保護の面で、きちんとしては居ないのです。日本の方がずっと、レベル高く、一般の人を保護しています。

 しかし、民主党の手法は、「官僚をやっつけよ、陳情を、小沢に一手に集めよ」というわけで、従来の日本にあった、にほんてきなるもののよさを、失わせるものです。ムーア監督がせっかく、日本を買いかぶってくれているのに、最もよい部分を失おうとしている現在です。残念です。
~~~~~~~~~~~~
 私が、今日、最も問題にしたいことは、そういうポイントでは、不思議なほど、アメリカより進んでしまっている日本なのに、そこに住んでいる人が元気が無いということなのです。

 それが本当に問題なのですが・・・・・簡単にはその理由も解決案も出せないというか、いえませんね。では、今日はすっきりしない終わり方ですが・・・・・ここで、いったん閉じましょう。

    2010年2月8日                雨宮 舜
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ホワイトハウス(+韓国政府)のウィルス感染を、今、検証する

2010-02-07 11:46:36 | Weblog
 最初にお断りを申し上げますが、以下の文章は、たった、4時間で更新してしまった『佐々木俊尚(評論家)、堤実果(岩波新書)、ムーア監督』の続編です。もし、意味がわからないといけませんので、そちら、・・・<カレンダーでは、2010-2-7をクリックすると出てきますし、この文章をスクロールしていただいても、下に現れると思いますので、それ>・・・も、よろしくお願いをいたします。
~~~~~~~~~~~
 私が困惑をさせられた(=弾圧の)現象は、新手、新手が考案され、全部で一千件を超えるほどですが、丁寧に検証するために、ここで、時空をその2007年4月17日の午後に、戻らせていただきたいのです。

 大黒屋ギャラリーとはかつて訪問をしたことがありません。私が好むタイプの画家が個展をしない傾向の画廊だと感じます。でも、そこをグーグルで検索をすると、私の文章が例題として現れたのは、・・・・・当時はブログもやっていないので、完璧な漏洩ですが、・・・・・やった人間が大組織(たとえばの話、CIAか警察内で)のサラリーマンであり、命令されてやったことだったら、頷けるところもあるのです。

 というのもその漏洩したデータの中には大黒屋というキーワードは入っているからです。しかし、同姓同名の一種で、私が言及しているのは、栃木県板尾にあるホテルのことです。そちらは、現代アートのパトロンとして、大変有名な存在で、その建物内、および、庭に数々の名品が置いてあることで有名です。だから、美術の世界に疎い人間が、キーワードだけで、銀座の画廊に、引っ付けたのだと考えると、間違いが納得されます。

 ところで、ここで、脇へそれた挿入ですが、この問題が起こった後で、グーグルが電子書籍化するということがおきました。だけど、それ以前には、一冊の本に当たるほどの大容量のデータが、ただで、インターネットの世界で、公開されたことは無いと感じます。
これも、私への攻撃が、薄まるように、設定された後追いの策かもしれません。日本の作家たちが当時、大抗議をしていますが、今、あまり騒がれていませんね。私もその後、ブログなどを始めて、インターネットの世界に詳しくなったら、<別に、それって大したことでもないね。データ漏洩しても、仕方がないね。主人があの当時言っていた、「宣伝になるからいいじゃあないか」は、正しかったね>と思うほどです。

 でも、最初に発見した時は、本当に驚きました。その後、アドビ、関連ソフトを舞台に、さまざまな新手の攻撃が、加えられていて、逸失・利益は、すさまじいものへとあがります。が、今では金銭的な補償を求めるという方向よりも、それだけの被害が加えられるのは、自分の文章が真実を述べているのだという、プラスの面を多く感じていますので、<こちらこそ、蚊に刺されたほどだねえと感じるよ。これらの攻撃のこと>と、思い至っているほどです。
~~~~~~~~~~~~~

 さて、ここで、大変重要なことは、私がこの件で何かを書くと、同時に、ウィルス被害報道が、ニュースとして沸き起こることです。今まで、トロイの馬、ボットウィルス、ガンブラーと三回ほど、大きなウィルスが、報告をされています。特にガンブラーに美術関係のホーム頁が汚染をしたとか、最近報道をされて、・・・・・なるほど、なるほど、こういうニュースが流れる、そのタイミングを計ると、これも、私の文章の、力をそぐ方向で、練られた策ですね。・・・・・と、思い当たるわけです。

 そのもっとも大きくて、派手な現象は、ホワイトハウスの、IT部門がウィルスに感染したというニュースで、引き続いて、韓国政府のIT部門も汚染したというニュースが流れました。これも、ためにするニュースだなあと思っています。

 ムーア監督が、「恐怖心を与えて99%の国民(庶民)を支配する』ということを何度も言っていますが、庶民ではなくて、ライターを支配する恐怖心を与え、読者を少なくする目的を持っているでしょう。どうして、そう判断をするかというと、タイミングが重要です。ボットウィルスの時期は、私が、このパソコン被害を初めて、公表した時期であり、

 ホワイトハウスの被害が、公表された時期は、パソコン内部のメモとして、伊藤玄二郎氏+井上ひさし氏の日本での役割について触れたころでした。その一端として、瀬木慎一氏の私の文章の剽窃の問題とか、さまざまな事例について、私がパソコン内にメモを落とし始めたころなのです。つまり、私が裏側をはっきりと知覚し始めたから、それを、公開するおそれがあるからこそ、ウィルス問題に一般化して逃げようと、敵は考えたわけです。

 どうしてかというと、井上ひさし氏の日本国内における役割など、こと、私に関して言えば、奥の院中の奥の院であり、奥の手中の奥の手ですから、それが、公開されては困るのです。日本は高度に洗練した形で、支配をされている植民地国だと言う私の判断は、井上ひさし氏の行動を分析しているうちに、確信を与えられたことであります。その上、その手の文章を、(当時使っていたソニーのハーフ・デスク・タイプ〕パソコン内で書くと、必ず電源が落とされてしまうことから考えても、あたっています。井上氏が、東電にまで守られるとは、彼が第一級のエージェントであることを、裏付けている・・・・・と私は考えた次第です。でないと、東電が一個人を守るために動くなどとは、おかしいです。私の方は、特に2007年から2008年にかけて、東電の停電で、散々痛めつけられてきています。だから、怒りもひとしおです。

 伊藤玄二郎氏は、井上ひさし氏に比較すると、一般国民に対する、知名度は低いです。しかし、鎌倉を拠点としていることで、日本のあらゆる知識人に(文筆界、美術界、学者の世界、および出版の世界、新聞の世界)手を伸ばすことができます。で、この人を分析することも、NHKやら、文芸春秋社がどのような動きを、かつ、どうして、するかということへの大きな分析となり、これもまた、CIA側、(=世界の富の、80%、アメリカの富の、99%を自分たちの手中にしている富裕層の、諜報機関部)が、どの様に日本を支配しているかの解明を進めるからです。
~~~~~~~~~~~

 ホワイトハウスに、ウィルスが侵入したとか、韓国政府にウィルスが侵入したとか、いう事実をニュースで一般庶民に公開するなど、本当に被害があったのなら、驚天動地の発想です。韓国政府にとっては、北朝鮮は仮想敵のはずで、それに対して弱みを見せるなど、想定外の行動であります。同じことはアメリカにも当てはまります。世界に冠たるアメリカの中枢の機密・防衛状態が、それほど弱かったら、大変なことであり、実際に被害があったのなら、一切が秘密裡に処理されるはずの話だからです。

 こんなニュースが公開されるのは、私とか、そのほか、弾圧をされている人間の真実の声を抑え、「それは、嘘だ」と、普通の人に思い込ませる役割が、裏に、あったでしょう。それ以降の歳月に、被害を防衛する技術を獲得する過程で、私はパソコンの知識が抜群に増えましたので、外のパソコンを使って、これらのウィルスがどういう働きをするかの詳細を調べましたが、私のパソコンに起きている現象とはまるで異なっていました。

 で、冒頭の大黒屋ギャラリーの件に戻りましょう。もし、それが、ウィルスの仕業なら、他の画廊にも、私の漏洩データが引っ付かなくてはならないのです。キーワードを使って自動的に作業を行うのがウィルスのはずですから、私がそこで画廊名すべてにわたって、同じ現象が起きなくてはなりません。

 画廊や美術館についての文章は今までいっぱい書いてきていて、それらの固有名詞たるや、100は優に超えています。それらの画廊・美術館のホーム頁には同じ現象は一切見られませんでした。

 銀座の大黒屋ギャラリーは、私が過去には、一度も訪れたことが無く、だから、一切の文章を書いたことが無いのです。だから、<そこのホーム頁なら、彼女はチェックしないはずだから、そこに引っ付けておけば、こちらとしては、効果は上がるが、彼女には知られないであろう>と、考えたのでしょう。さすれば、この時点でも、相手も、なかなか、頭がよいということになります。ただし、ずるいという意味でです。クリエーターとしての頭のよさではありません。学者としての頭のよさでもありません。

 ですから、冒頭に書いた、諜報機関に雇われているサラリーマンが、ただ、命令をされて事を行ったとしても、その処理過程は、なかなか、込み入っていたといわざると得ませんね。

 だけど、人間が考え付くことです。それなりの限界はあります。だから、私には一切の因果関係が目に見えてきています。

 ところで、これほどの被害を与えられている尾で、申し上げることですが、今、世界中から誉めそやされている小沢幹事長は、都立新宿高校の出身です。当時の私はその学校と同じくらいの偏差値で入学できる御茶ノ水女子大付属高校に入学していますので、頭のレベルでは遜色ないと考えています。
 しかもアメリカに滞在しているときに、私が大学院の教室で、手書きにしろ、パソコンを使ってにしろ、英文をさらさらさらっと、書き上げるスピードに、周りの学生はみんな驚嘆したものです。夜は教授にエールを送りましたが、教授も、そのスピードと量には驚いたはずです。それが、反映した行動にも出会いましたから、それは、わかっています。
 
 以上の一節は、繰り返しになりますが、威張るために申し上げているのではありません。莫大な被害を与え続けられているから、それの解明をするために申し上げていることで、別に読者の上に立つために話していることでもないのです。

 結局のところ、人間とは裸で生まれて、裸で死んでいくのです。その過程で特別な贅沢をしたい人間が、ありとあらゆる悪さを考え付いて、他の、99%の人間から富をすくい上げていること故祖、問題なのです。そして、彼らの潜在意識の中にある、後ろめたさこそ、ありと、あらゆる、こういう悪を、生み出す原因でしょう。

 いまのところ、法的整備ができていないので、私がこうむった被害は、法的な訴訟へは持っていけないのです。でも、心理的には、犯罪そのものだと感じます。そして、その攻撃案を、創出する存在が、日本では、・・・・エージェントとしてでしょうが、・・・・・特に、大切に、扱われていることも、おいおいお話をしていかなければなりません。

   では、2010年2月7日  雨宮 舜
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佐々木俊尚(評論家)、 堤未果(岩波新書)、ムーア監督

2010-02-07 10:00:00 | Weblog

 今朝(2010-1-7)の朝日新聞、第11面のコラム、『売れている本』は・堤未果・さんの『ルポ 貧困大国アメリカ II 』を取り上げています。私は今まで、I も含めて、その本を読みませんでしたが、『朝日新聞が、書評欄を使って、けなす形で取り上げるのなら、いよいよ取り組まないといけないな』と感じています。

 ところで、読んでもいない堤さんの本から、文章を起こしたのは他でもない、その文章の中に、ニ箇所ほど、マイケル・ムーア監督のキャピタリズムが登場し、それも、同様に断罪をされているからです。つまり、『つまらないものだ』と、規定をされているからです。

 今まで、このコラムはたびたび読んできましたが、ここまで、取り上げる本をけなした文章を読んだのは初めてです。筆者・佐々木俊尚氏の個人的な感想だとはいえ、朝日新聞には編集者はいるでしょうから、これは、新聞総体として、こういう予備判断を読者に与え、映画も見ないし、本も読まないほうへ誘導しているということになるでしょう。

 でね、今、大急ぎで、佐々木俊尚氏をグーグルで検索しました。私より20歳若くて早稲田の政経卒、そして、元毎日新聞記者、ネット右翼に関して観察している・・・・・ふむ、ふむ、ふむ。これだけの情報では、佐々木氏の思想傾向は、よくわかりませんが、785文字(原稿用紙換算二枚)の書評欄の文章の中では、私の言いたいこととは真っ向反対の方向で、論を張っておられます。

 しかも、堤さんの本に関連して、そんなに、短い文章の中で二箇所も、マイケル・ムーア監督の映画『キャピタリズム』をけなしている・・・・・ライターとしては、原稿用紙換算二枚というのは、短いほうで、一字一句大切なのに、そういう偏頗がある。堤さんの本が売れている原因を分析するのなら、二箇所も、映画について触れるのは、おかしい行為です。結果として、この文章は過去のコラムの何にもまして、変ですね。だから、<裏側から教唆があり、故意に、こういう書き方になったのではないか>と感じるほどです。
 <あ、出たな。私の文章を間接的に、けなす行為が、ここにも、>と思ったことでした。偶然でしょうが、過去に何度も、こういうケースに出会っているので、私はもう、偶然ではないのではないかと考えているほどです。ただし、ここで、私がこのように発言しても、佐々木氏側も、朝日新聞側も、「そんなことは屁でもない。蚊に刺されたほども痛くない。問題にせず」とおっしゃるでしょうが・・・・・・
~~~~~~~~~~~~~

 ところで、ムーア監督の映画は、現在日本では、新宿の武蔵野館というところ、一箇所でしか公開をされていません。地方の名画座(たとえば、横浜ではジャックアンドべッティ)などに、流れていくかもしれないし、DVD化されるかもしれませんが、・・・・・

 ともかく、ここで、私はひるまずに、映画『キャピタリズム~マネーは踊る』について、述べ続けましょう。佐々木俊尚氏がおっしゃっていることも一理はあります。「水戸黄門的なカタルシスを与えたにしか過ぎず」、「勧善懲悪のエンターテインメントでしかなかった」との二つの発言は、見ようによっては、そう見えるかもしれません。

 しかし、最先端で、切っ先を交わしながら、グローバリズムのトップと交戦している私にしてみると、自分のみを守りながら(つまり、心理的にでも、物理的にでも暗殺をされないようにしながら)、表現できることは当然に限界があるのです。

 佐々木俊尚氏も、堤実果さんも大手のメディアに既に加担をした人ですから、ご自分の身を守る姿勢はあるはずで、私とは、圧倒的に、立場が違います。

 ムーア監督はご自身を、最低限守りながら、あれだけのものを表現したのだから、偉いです。
~~~~~~~~~~~~

 さて、ムーア監督は戯画化しながらも、キリストを登場させています。本人はカソリックの信者であると、たびたびおっしゃっているが、この映画自体が、一種の伝道の書となっていますので、当然のこと、キリストに触れないといけないでしょう。

 さて、前夜から私が半分寝ながらかつ半分覚醒しながら、練り上げた文章では、そのキリストを、タネにして、私自身の被害の一端を語るつもりでした。

 私が初めてその現象に気がついたのは、2007年の4月17日のことでした。銀座の大黒屋ギャラリーというところに、これから、紙の本となそうとしていた原稿が、出版用の頁設定も終えた段階の形で、引っ付いてグーグルの検索で現れたのです。

 これを、やった側の目的は、「お前の原稿はすでに、公開されているから、誰も買わないよ」と嘯くことでしょう。ともかく敵側は、私が大きくなるのを、絶対に阻止しようと考えている模様です。ただね、2007年四月から既に、三年以上たっていますので、
私は、その攻撃を逆手にとって、私の文章がそれだけ、力があるし、真実を語っているのだと、考えるようになりました。物事は両刃の剣という趣をすべて備えているものです。

 私は弾圧されればされるほど、強くなっているし、はっきりとものを言うように変化してきています。

 ただ、元へ戻れば、そのデータ漏洩を、発見したのが、午後二時で、すぐ、しかるべき知人に対応策を相談した後で、大黒屋ギャラリーにも電話をかけてみました。内容は、ただ、所在地を聞いただけです。鎌倉からの電話で、その画廊が、銀座の鳩居堂の傍にあるビルの六階にあることを確かめました。つまり、日本で一番地価の高い場所にある画廊です。

 その後で、法的な係争関係に入ることを想起して、グーグルの検索画面を、写真に撮っておこうと考えました。検索画面そのものは、プリントアウトができませんので。
 パソコンの画面を写真に撮っておこうと考えたのは、午後四時のことです。そのときは既に、先ほどの現象は消えていました。

 その瞬間から、私が対峙している敵はものすごく、大掛かりな存在で、個人ではないと考えました。電話が盗聴をされていて、すぐ、相手方は、防衛の処置をとったからです。しかし、敵はずるいもずるいやつで、さまざまな偽装を重ねて、一年間ぐらいは、ある個人がやっているかのごとき、数々の、悪さをし続けたのです。

 たとえば、仕事上交わしたメールが、ピンクの背景色をつけて、デスクトップの中に突然浮かんだりしてね。ところで、組織が相手より、個人が相手のほうが戦いにくいものです。知人がやっているかもしれないと感じるのは非常にいやなもので、他者にも公言しにくいもので、私はほぼ、一年間ほど、やられっぱなしで被害を与え続けられました。

 でね、その件で、<別の、大切な知人が、離れていく>という現象にも出会いました。で、私は2007年の暮れには、さすがに悲鳴を上げて、「キリストにならう。ゴルゴダの丘を登るキリストに自分をたとえる」と、メルマガ内で話しているほどです。それをさかのぼること、7ヶ月前には長らく続けたメルマガをいったん閉鎖することも考えたほどでした。

 だから、深い弾圧にさらされた人間の、ぎりぎりの表現として、マイケル・ムーア監督の、『キャピタリズム~マネーは踊る』は、すばらしい成功作だと私は考えます。ずいぶん勇敢ですが、それを作るために彼は疲労困憊を氏、かつある程度の達成感も味わったので、「しばらく休息に入る」と、宣言したのもむべなるかなと思うほどです。

 ところで、この項は、もちろん、続きます。上の文章だけでは説得力がありません。
ただ、例のごとく、長くなりすぎますのでここで、いったんは切ります。そして、続きは、ちょっと、お待ちくださいませ。2010年2月7日  雨宮 舜

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日本人を、心配してくれる、・・・優しいムーア監督

2010-02-06 12:54:15 | Weblog
 『国として、被・植民地化しない方法は?』

 マイケル・ムーア監督の映画を一本も見ていないのに、NHKのクローズアップ現代(それは、2009年12月3日放送で、私は録画をしておいて、2010年の1月の末に見たのですが)・・・・・彼が非常に優しい人間であることを知りました。

 突撃取材の映像が世界中にばら撒かれているので、激しい性格であると誤解を受けていると思いますが、本質は非常に優しい人です。そして、その優しさは、弱いもの、不当に虐げられている人を、保護したいという傾向となって現れます。

 と、同時に、そういう人々を生み出してしまった社会へ眼を向け、その原因を探ります。そして、映画として、庶民大衆にわかりやすく、大切なことを告げてくれます。

 のちに、近作、『キャピタリズム~マネーは踊る』を見る私ですが、その前に、その番組で、発言されたことが、日本人にとっては、重要な贈り物であることに気がついたので、それを、この場でお話をしたいです。ごらんになった方は、そこに気がついておられるかな?

 でも、文字として記録をしておくことも大切だと思うから。

 それは、恐怖心を利用して、大衆を煽り立て、その隙間に大金を、奪ってしまうやり方が、単に一国内で行われていうわけではなくて、国家間でも行われていることを示唆する発言ですが、

 ムーア監督ご本人の言葉ではなく、イギリスの(元国会議員・・・・現在は、評論家からライター、もしくは、学者であろうと私が推察するひとですが)

 T.ベン氏の言葉として、引用をされます。

 実は、これは、マイケル・ムーア監督が医療保険問題を扱った映画『シッコ』の中の映像だそうですが、


「国家の支配には2つの方法がある。恐怖を与えることと、士気をくじくこと。

教育と健康と自信をもつ国民は扱いにくい。世界人口の1%が80%の富を独占している。貧しく士気をくじかれ、恐怖心があるため命令を聞いて、最善を祈るのが一番安全だと思っているんだ」

 と、発言をしています。

 『うーむ』とうなるのは、私が長年考えてきたことと同じだからです。

 日本人もその恐怖感であおられています。チューリップとか公共花壇の花を、傘で乱暴に、払いながら、摘み取ってしまう男の、映像が出ました。その後、毒入り飲料の発見とか、毒入り餃子事件の発覚とか、料亭・大阪吉兆の、偽装牛肉事件とか、バターが急に市場から消えるとか、毒入り米事件とか・・・・・・

 その中には、真実の事件も含まれているでしょう。悪い肉に血を混ぜて、良い肉とした事件などは、本当の事件だと思います。

 しかし、最近の朝青龍問題に至る、一連のヒステリックな、総バッシングは、日本人を精神的にあおリ、その結果、容易に支配してしまう、手法の一つであると私は考えているのです。

 たとえば、NHKで放映された監視カメラの映像さえある、チューリップの花を傘で払う男についても、誰も逮捕されていませんね。日本人は、普通の場合は、孤立して生きている人は少なくて、大抵は会社とか、近隣社会に顔を知られています。だから、あれほど、明瞭な映像が出れば、「あれは、だれそれさんよ」と評判になり、微罪であっても、警察は逮捕しなければならないでしょうし、

 週刊誌は、普通なら、後追いをしなければならないでしょう。

 民主党はよく「国家、戦略局をつくりました」とか、なんとか、いっているけれど、本当に国民を守りたいのなら、こういう微罪であっても、日本中を、心理的な混乱に陥れた犯人は逮捕するべきですよね。だけど、一切の続報がありません。

 ただし、こういうことを書けば、このブログ公開と、同時期に、またはあとに、その逮捕があるかもしれません。私の文章を後追いして、反対方向へ事実をフォローされることは非常に多数、私自身が気がついている、そちらさまの手法ですから。
~~~~~~~~~

 だけど、民主党の国家、戦略局とか、言うものは、ほとんどは、小沢幹事長の独裁を、サポートするためのもののようで、国民を守るための機関ではない模様です。これって、スターリン時代と同じですよね。本当に恐ろしいが、ここ、4日間で、マスメディアの論調も、小沢幹事長に対しては、急速に変わりましたし。
~~~~~~~~~

 ま、いずれにしろ、T.ベン氏の言うとおり、教育と、健康と、自信を持つ国家は扱いにくい」と言うわけで、日本は扱いにくい国だと、思われていて、実際に、去年の秋に、アメリカのストラテジストが、『日本は扱いにくい国だ』と発言したとの、ウエブニュースがありました。
 そして、昨日、「小沢幹事長がアメリカ訪問の予定である」と報道をされました。本当に、<どうどう>というか、<いけシャーシャーというか>、はっきり、と、アメリカ(その1%の富裕層ですが)に、かわいがられていることを公開したわけです。

 そして、日本人が世界で唯一持っている相撲という興業(それは、遊びであるのですよ。国技ですって。変ですね。遊びであるから、人がお金を払って見に来るわけです、(後注1)で、もっとも人気のある相撲取り、横綱朝青龍を、自ら引退するように、お膳立てをしました。

 この流れは中川昭一元大臣の酔っ払った姿を、世界中にさらしたあの工作と同じ流れでしょう。・・・・・というわけで、誇りや、士気を奪っていくわけです。

 そして、そういう日本という国の中で、物事を見通していて、元気な人間は、必ず、弾圧をされます。それは、非常に間接的なので、加害者がはっきりとはしない形で行われます。が、私の場合は、すべての因果関係はすでに、解明しています。

 今日の文章から派生することはいっぱいあります。横綱審議委員家の鶴田卓彦氏のバックグラウンドに対する分析とか、いろいろありますが、文章が長くなるので、ここで、いったん止めましょう。では、

   2010年 2月6日   雨宮 舜

後注1、相撲を好きだという外国からのレポートを見て、昔は、相撲が柔道のように、他の国でも行われるようになったのか、と私は誤解をしていました。

 そのころは、大木の元にすんでいる我が家では、地上波しかテレビが入らなかったからです。今は、ケーブルテレビで、衛星放送を見ることができます。1999年のニューヨークのアパートにおいてあったテレビは、チャンネル数が、百近くあるかなというもので、選局が、難しいし、あのころは版画にまじめに取り組んでいたので、見ませんでしたが、

 私が衛星放送オンチだっただけで、世界の人は衛星放送で、日本の相撲を見ている模様です。だとすると、世界中で、あの朝青龍を、人々は楽しんでいたわけです。なんとも、言いようが無い流れです。国民の総意とはまったく異なるところで、結論が出されました。

 相撲の人気もさらに落ちることでしょう。

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日本人のお金・数兆円が、アメリカの富裕層へ流れた?

2010-02-05 13:10:02 | Weblog

 最初に今日の結論を申し上げてしまいましょう。日本人のお金数兆円が、外国に取り上げられたが、その流れを日本人は、しらない。そこが問題だということです。

 一月から三月にかけて、税務署への申告の季節が始まりました。もし、税法上、「あなたが、過去一年間に金融商品の取引で損をした、額の30%を国家が補填をします。還付金の形で、補填をします」という法案が既に、成立していたと、仮定をしましょう。

 すると、あっちこっちから、「私は300万円損をした」「私は500万円損をした」と言う声が上がるはずです。企業や、組織の年金・基金運営者にも正直に報告すれば、30%を補填しますと、通達を出せば、そちら側だけでも、数兆円に上がる可能性もありますが、

 庶民(中流階級)の個人資産からどれだけのお金が、海外、とくに、マイケルムーア監督が、今回の映画の中で描き出した、アメリカの富裕層へ流れたかを、知ることができます。

 こういう情報を正しく流すのが、大新聞の使命だと思うのですが、まったくやってくれませんので、例の見てきたような嘘をいいのひとつとして、私が個人的に仮定を立ててみます。
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 まず、一億人の国民の所帯数を、三千と仮定をします。単身所帯やら、二人所帯が増えてきたので、夫婦と子供二人の所帯よりも、そちらが多くもなってきたと推定をして。

 そのうち、三分の一の、千所帯が、優良企業(公務員を含む)に勤務している夫が家長であり、金融資産を持っていると仮定をします。そのまた三分の一、300所帯ぐらいが、今回のリーマンショックで、損失(目減りを含む)を出したと仮定をして見ましょう。一家族、(一所帯)あたり、平均300万円の損失を出したと仮定して、その総額は、9千億円になります。これに、先ほど出した数字をあわせると、優に兆という単位に到達します。
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 これほどの、利益を生む団体(=ミツバチ)が日本です。
その利益の中から、1%を還元して、日本のメディアを操作をしても、その軍資金は、90億円となります。何だってできますし、自分たちには、絶対に反乱をしないと誓約を出している(これも想像ですが、多分当たっています)小沢幹事長になら、世界のシンクタンクを使って、かれこそ、世界第三位の実力ある政治家で、立派な存在だと、世界中に向けて発表する(後注1)くらいのことは軽くできます。

 小沢氏本人にその9000億円から5%キックバックをしたって、450億円です。小沢幹事長は何だってできますね。横柄の限りを尽くして、同僚議員をにらみつけても、ご本人は何も怖いことはありません。そして、あげるほうのアメリカの富裕層にとってはそれは、軽い軽い金額です。

 
 これもムーア監督・関連です。その3と名づけてもよいのですが、彼本人には日本人についての、特にお金についての発言は映画の中では何もありません。表題の、『日本人のお金が大量にアメリカ(または、欧米にその本社を置く、コングロマリットや銀行と、その社長)、に流れている』・・・・・そして、それが、日本人にとっては、重要です・・・・・は、ムーア監督が話していることではありません。

 彼はアメリカの問題を分析するので、まず手一杯です。アメリカの一般国民(市民という言葉を使うが)を守るのに、一生懸命です。しかし、アメリカを分析するために他の国を勉強することは大切で、今回はまず様子見ですが、日本を訪れ、東京、京都、大阪、広島などを訪問された模様です。将来日米関係についての分析をしてもらえば、相当な良作が出来上がることでしょう。しかし、当分お休みを取るそうですが・・・・・

 ムーア監督の映画で、私にとって、一番大切だった数字は、1%の一です。アメリカという国の総人口のたった1%を占める富裕層が、アメリカが、生み出す富の99%自分たちのものにしていると、いう、その数字には、驚きました。

 だから、「アメリカには中流階級が無い。で、こんな無残なことー=デリバティヴや、サブプライムローン=騙しみたいな規約を含む投資話=に乗せられて、生活の基盤である住宅を次々追い出され、それが、転売されるどころか、野ざらしになっていて、次から次へと、ゴーストタウンが生まれることと成る」と、彼は繰り返し言っているわけですが、その大金は、たった、1%の富裕層に流れると言う点こそ、ムーア監督の原書の怒りを引き出しているポイントです。
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 私にとっては、その1%という数字はどれほど、ありがたかったでしょうか。つまり、数字で考えると実体がしっかりと、目に見えてくるのです。

 日本人のお金が数兆(個人資産と、会社や、年金基金の損失を合わせると、千億円単位を超えているはず)円が既に、その1%の、富裕層へ、わたっている可能性をずっと前から感じていたからです。それが、目に見える形で、頭に浮かぶほどの、実体を感じ始めています。今日はすでに、長くなっていますので、そういう損失を出しているかくご家庭の実態については物語としては、触れませんが、思い当たるご親族を持っている読者は多いことでしょう。

(後注1)
世界の注目指導者3位に小沢氏 米調査会社、首相入らず
2010年1月20日(水)10:00
 【ワシントン共同】国際政治上の危機分析を専門とする米調査分析会社ユーラシア・グループは19日、今年注目するべき世界の指導者10人を公表、3位に民主党の小沢一郎幹事長を挙げた。首位は中国の温家宝首相、2位はオバマ米大統領で、鳩山由紀夫首相はランク入りしなかった。分析は小沢氏を「民主党内で最も力がある政治家」と位置付け、党の選挙戦略や資金面、候補者選定をコントロールしていると指摘。
· Leaders to watch 2010(Eurasia Group 英語)

「壊し屋」「大物」…小沢氏を世界メディアも注目(読売新聞) - goo ニュース

 なお、ご注意申し上げますが、私がこの配信記事にうなっているということではなくて、『ああ、また、裏が動いた。いやなことだ』と考えているだけなのですよ。そういう意味では首尾一貫している人間が私です。   では、2010年2月5日、    雨宮舜

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ムーア監督が、京都で書いた、中 という漢字

2010-02-04 23:31:35 | Weblog
 3日前に、以前録画をしておいた、12月中に放映されたNHKクローズアップ現代の中のムーア監督篇を見ました。その中で、特に印象的だった場面について、言及をさせてください。

 ムーア監督は東京で、映画の宣伝をした後で、京都、大阪、広島と訪問を続けるのですが、京都で、法然院(後注1)をたずねます。そのときに座禅体験をして、書道にも挑戦するのですが、大変感銘深い行為を見せます。

 普通の外人は必ず傍にある見本帳の中の字を選ぶのだそうです。ところが、ムーア監督は、ご自分で、事前に字を選んできて、それを、そこで、臨書しました。それは、なんと、中という漢字だったそうです。
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 法然院は、銀閣寺の傍にある模様ですが、一般的な意味での観光寺院化をしておらず、したがって、静かな環境のところです。そこで、事前に覚えてきた字を一字書くムーア監督、それは、映画館の予告編で見た、熱烈で、突出取材を繰り返す人とはまるで、違った雰囲気をかもし出します。その臨書と、座禅の映像はNHKにはなくて、(それもそうですよね。そこまで取材をさせるのも、やりすぎというものです)ご住職の談話で知らされます。

 今日、2010-2-5に私は新宿で映画『キャピタリズム』を見てきたのですが、その結果、ムーア監督が非常に深い思いを持って、その一字を選んだということがわかります。

 それは、中流階級の中だったのです。

 そして、ムーア監督は日本人に向かって、「中流階級が存在していることは、とても良いことだから、それを守りなさいね」とおっしゃっているのです。それは、その臨書の行為からも見えるし、映画を見ると良くわかります。

 ムーア監督が本当に信頼し尊敬をしているのは、ルーズベルト大統領です。ルーズベルト大統領が演説内で、お話をされた、数々の希望(つまり、国民を守るためにやりたい施政と、法案成立)が、いまだアメリカ内で実現をしておらず、その反対に恐ろしいまでに、普通の人々、つまり、日本で言う中産階級の人々が、家を追われ職を奪われ、貧困層へ陥り、かつ、それらの人々が働いて稼いだ富は、アメリカ国内において、1%だけ存在すると言われる富裕層へ流れていってしまっています。

 そういう強奪がなぜ起きるかというと、特に自分自身が住んでいる家を担保にお金を借りるように薦める、金融商品やら、住宅ローンのせいで、そうなるのでした。

 そういえば私にも記憶があります。日本でも、そういう投資がはやるとか、できるとか、新聞で読んだことを。でも、『変な投資だなあ。危ない』と強烈に思ったものです。実は鎌倉では、何回か、投資に失敗したから家をお売りになるとか、成ったとかいう話を聞きました。それを、私は株式投資だと思っていたのですが、こういう商品が日本にもあって、それに投資をなさったのかもしれませんね。

 ニューヨークに豪華な支店を持っている、源吉兆庵というお菓子やさんがあります。今、各デパートにも出店をしていますが、本当の出自は岡山県だと言う話です。ひとつひとつのお菓子が高くて、富裕層狙いだとはっきりわかるお菓子やさんですが、その本店が鎌倉に置かれています。その建物こそ、ながらく、立派に商売をなさってきた御茶屋さんのものです。

 店先にほうじ茶の焙煎機が置かれていて、小町通り一帯が、良い香りに満ち溢れていました。しかし、その伝統ある日本家屋が売りに出されて、そこを源吉兆庵は、買ったのです。別に鎌倉で発生したわけでもないのに、鎌倉を本店にするのはブランド力を高めるためだそうです。その古い建物を、骨組みだけの、すけすけにして、つまり、人間の暮らしている息吹をまったく消し去って、瀟洒なお菓子屋さんに改造しました。が、無機的で、冷たい感じです。今まではここまではっきりと実名(源吉兆庵)では、書きませんでしたが、なんとも、いやみな感じの本店です。人の不幸にのっとって、開いたお店ですからね。感じが悪いです。

 でも、幸いなことに日本では、今までは、それは、特別なお金持ち、すなわち、大金を投資をできるほどの人だけの話でした。

 普通の人が、軒並み追い立てをくって、町全体がゴーストタウン化することはありませんでした。でも、私は本当に心配しています。民主党の小沢幹事長の手法は、まったくの独裁的な傾向です。アメリカでもこういう変化はあっという間に起きた模様なので、余計に心配しています。

 私は大勢の日本人が、ひどく心配しているので、小沢氏は恥を知る日本人の典型として、ご自分から身を引かれると思っていたのに、氏は幹事長を辞めませんでした。

 私はこの陸山会の金銭的な疑惑が起きたときに、それは、馴れ合いであり、海外から与えられた金銭を、日本国内から、献金されたように国民に納得をさせるための、小沢氏側、検察側ともに、ぐるである芝居または、演技であると申しましたが、

 それ以上のことは申し上げませんでした。辞めて欲しいなんて、一切申し上げませんでした。私みたいな一個人が、何かを言うよりも日本人すべての思いや言葉を察して、小沢幹事長ご自身やら、鳩山首相他が、お決めるになることだと思っていましたが、予測に反して、続投となりました。

 私は小沢幹事長の独裁的な手法を、本当に懸念以上の思い、いや、危惧以上の思いで見ています。心配しきっていますが、小沢氏の手法は、民主主義とはまったく反対の方向だからです。私と同じ年で、都立新宿高校出身だということがまったく信じられない発想の数々を、平気で示す人です。

 たまたま、ムーア監督も最後に、「『デモクラシー』という価値観を大切にしよう、それを優先させて、マネー・キャピタリズムを、追い出そう」と言っています。

 私はキャピタリズムを追い出そうとまでは、言いません。特にしっかりしていて、あれほどの、騙しである、金融商品を買わない人間にみんながなれば、防げる被害もあるからとおもっているからです。

 ただ、さまざまな局面で、『今のままで、進むと、日本は危ない』と思っています。それを、NHKクローズアップ現代の中で、ものの見事に、ムーア監督にも指摘をされました。

 ムーア監督はそれこそ、愛を他者に与える人でした。彼は、自国民(アメリカ市民)のことも当然、ひどく心配していますが、「団結をして、不当なことに対して戦えば大丈夫だ」といっています。ともかく、日本はいまのところ、あのゴーストタウン化した状況よりはましであり、富裕層と、中間層との給料の差も少ないので、これ以上悪くしないように、国民はきちんと政府や政治を監視して、自分たちの生活を守らなければ成らないと改めて感じた次第です。

(後注1)NHKがプレミアム8(ハイビジョン夜八時から)の中で、(特に、先週だったか、今週だったかつい最近)このお寺で自然が豊かに残っているというか、虫やかえるなどの生き物も含めて育っている事を伝えました。オンデマンド放送を申し込んでいる方はどうぞ。
                   2010-2-6      雨宮 舜
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いよいよ、春節が来ます! (中国から・・・第二回目)

2010-02-04 09:01:54 | Weblog
いよいよ新年が来ます! (nanami)
2010-02-03 03:31:52
丁寧に掲載して下さって、ありがとうございます☆

こちらは旧暦で祝いますので、今が年末。そろそろ慌ただしいムードになってまいりました。

今朝は、住んでいるマンションの警備員さん(いつもニコニコして丸顔で可愛い二十歳です)から、突然「おはよう!」と日本語で声をかけられてびっくりしました。。。
何でも、日本のアニメやマンガが好きで、日本語の勉強を始めたとか。今、若者の間で日本のマンガやアニメは絶大な人気で、その影響で日本が大好きな若い子がとても多いのです。
反日層の何千何万倍でしょうか笑
年配の方だと、今でも山口百恵が好きな方が多いですね。頼まれて、白血病で亡くなるドラマがすごく有名で、頼まれて主題歌を翻訳したこともあります。
文化の力って偉大です。。。

今日は、正月の飾り物(虎と福の文字の切り絵)を、洋服のお店を開店したばかりで張り切ってる友人(二十代後半)からもらいました。みなの祝福に、小さな店だからと、照れながらも張り切ってる様子がまぶしいです☆
更にお正月は生花の出店もするとか。。。
そんな忙しい中でも、いつも一生懸命日本語と英語を勉強していてすごいパワーを感じます。
そんな夢や希望が一杯の若者がたくさん!

しかし、その一方で闇も深刻です。。。
現在、南方の大都市に住んでいるので、
物乞い(障害者や幼い子供や老人など)も街のいたるところで目にしますし、田舎から職を求めてふらふらしている人(学校にもあまり通ったことがない人々)もあふれています。
スリや泥棒など、犯罪に走る人も多いし、「なんでもいいから食べさせてくれ!」といきなり声青掛けられたこともあります。
実際に、スリや泥棒の被害にあったこともありますし、、、
まさに、中国の大都会は光と闇というか。。。

そして、そんな不満をたくさん抱えている人を扇動するような人があれば、理由なんてなんでもよく、暴動なんてたやすく起きるのです。
食にあぶれて暇な人がたくさんいるのと、野次馬根性で仕事なんかすぐにほっぽり出す人が多いので、ほんのちょっと何かあっただけでも、あっという間に大群衆になってしまうんですよ。。。警察(公安)の権力が強いので、平気でいきなり棒でバンバン殴るしびっくり!!!したことがあります。日本の警察って穏やかだから・・・汗
まあ、すごい光景で確かに外国人が見たら恐怖に怯えますね、、、何事が起こったのか!と。
でも、発端はたいしたことじゃなかったり・・・

なにかにつけて、人口のすごさを感じます。私の住んでる大都市の大きな中心の駅を、正月の帰省で利用する客は一億人とか、、
日本の総人口に近い人数が、、、想像を絶します。。。

叉、都会と田舎では全く違う生活ですし。。。
以前内陸の田舎に住んでいたときは、外の店先などにテーブルを出して食事しているので、私が日本人だと分ると、外国の暮らしは大変でしょうとか一緒に食べるように勧められることもよくあり、郵便局のお姉さんが(日本と違って全て荷物は局留めなんです)バイクに乗せておくってくれたり、日本からの引越し荷物(ダンボール九箱)も、あっという間に近所の人たちがさっさと運んで、ぱっといなくなってお礼をするヒマもありませんでした。(しかも気温40度近くの猛暑の頃なので汗だく。6階でエレベーターなし)
冬は厳しく風邪ばかり引いていましたが、近所の病院の御夫婦はお粥やラーメンを作ってくれたり、点滴しながら患者のみなさんと炭火の火鉢を囲んでお菓子を食べながら談笑したり、大家のおばさんが心配して三食作って持ってきてくれたり、気候の厳しさで度重なる病は辛かったのですが、思い出すとじーんとくる思い出がたくさんあります。
近所の朝鮮族の食堂では、足の悪い無口だけど優しいおじさんと元気なおばさんによくしていただして、お変わり自由でずいぶん太りました笑
中秋節のお祝いで大家さんのお宅に集まった際には、殺したばかり!の鶏の鍋をみなさんで食べながら、バイオリンで私の好きな曲を弾いてくださったおじいさん。。。涙
そんな田舎での思い出の数々の写真は、都会へ移動したあとパソコンを盗まれて全て失ってしまいましたが。。。
スリや泥棒、詐欺の被害にもあって酷い目にもあったのですが、善意の庶民もたくさんいることを知っているので、ひと括りに十四億の人々を中国人は全て反日!などと悪く決め付けた意見がネットにあふれている現状が悲しいのです。
日本人もそうですよね。親切な善意の人もあれば心無い冷たい傲慢な人もいる。。。
どんな国もそうなんだと思います。
様々な政治体制の枠組みはあっても、一人一人はそれぞれの心を持った人間。

ついつい、長くなって申し訳ありません。

(これから、先は心優しい個人的な挨拶ですが、ちょっと、省略をさせていただきます)

 以上written by nanami --- sent by Amemiya syun 2010-2-4
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