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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

なぜ、シモーヌ・ヴェイユに魅かれたかー1

2009-09-11 23:46:39 | Weblog
 シモーヌ・ヴェイユになぜ魅かれたかと言うと、それは、私がブスだったからです。もてない女だったからです。ただ、そのポイントで論陣を張る前に、あまりにも突飛な論を展開しても、ヴェイユに対して失礼ですから、彼女に対して一般的な意味でのレジメを最初に上げましょう。

 彼女は、今なお、『知る人ぞ知る』と言う感じで、マイナーな学者です。特に哲学が専門ですから一般的なエンタメでもエッセイでもないので、とっつきにくいかもしれません。しかし、その人生の有様はユニークで、ゴッホとか、シューベルトなどに、通じる、天才的・芸術家の要素を多分に含んでいます。

 彼女はアグレガシオン(高等教育機関での教員資格)と言う、フランスでもっとも有名な試験(日本で言えば、格の高さとしては司法試験みたいなものなのでしょう)をボーヴォワールの次の年に合格をしていて、一時期リセの先生をしていました。

 が、哲学の実践の一つとして、労働者階級の中に入っていって一緒に労働をしたり、スペイン内戦に参加したり、ドゴールの自由フランスへ参加したりしているうちに、多分ですが、消耗して、第二次大戦終結前に死亡していて、著書の類は、すべて死後発表をされたとの事です。

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 さて、ヴェイユの業績、そのものについては、ここで、ちょっと中断をします。
現在WIKIPEDIAに公開されている写真は西原理江子似のおおらかな美人の写真ですが、45年前学生たちが、『二人のシモーヌのうち、あなたはどちらが好き』なんていう会話を交わしながら読んでいた書物には、度の強い眼鏡をかけた、いかにもがり勉らしい写真しか載っていませんでした。

 そして、当時の私は同じようなタイプでした。左側に今の写真が載っていますが、当時よりは、子どもを生んだりしていますので、より女性的に変化しているが、美人とは言いがたい顔です。そこに通底するものを感じて、好きになったといえます。

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 ところで、女が顔で勝負をする話に関連して恐るべき経験をした話をここで、さらしましょう。セクハラ中のセクハラ発言です。それも、華麗で文化的な場所、ギャルリー東京ユマニテ、と言う大画廊の、オープニングの場(夕べ)でした。しかも発言者は、なんと、テレビにも出る有名な美術評論家、瀬木慎一氏・・・・・

 その恐るべき発言が出来したバックグラウンドも、書かなければなりません。そうしないと、この文章が下品になりすぎますので。

 当時、私は、やっとですが、公的な世界である『月刊ギャラリーの連載』が始まっていて、それが、大変面白いといわれ、評判になっている時期でした。美術、特に現代アートと言う小さな世界ですが、それでも、アメリア・アレナス(高学歴ではないはずだが、人気のあるキューレーター)ではないが、全く新しい形の、生き生きした文章を展開しようとがんばっている時期でした。

 しかし、この世は嫉妬が蔓延しています。私は推察的な直感ですが、既成の美術評論家が私に対して警戒をし始めていると感じました。いや、これは、確かな事でしょう。それを感じ始めて、数年が経っていますので、却ってあっさりとそれを認めていて、それなりの世界で我慢をしながら生きているわけです。

 さまざまな事を我慢をしています。不利になっています。それも我慢をしています。もっと羽ばたきたい。NHKのつばさではないが、誰かから、『もっと羽ばたけ」と言ってもらいたいところですが、ずっと、我慢をしてます。

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 ところで、実際の発言を今日、世間に公開する気になったのは、フェミニズムの問題と関係しているからです。瀬木慎一さんの発言はひどいもので、一種のセクハラでした。

 私はまず、こう発言をしたのです。「いまはね。あまり絵を描いていませんので、個展をやりませんが、どうか、宜しくお願いを致します」と。これは、やくざのみかじめ料ではないが、既成の、美術評論家の世界に、今から入っていくわけですから、『どうか、宜しくお願いを致します』・・・・・と言う暗喩を含んでいるのです。

 まあ、私はいっちゃあなんですが、相当にレベルの高い人と普段付き合っています。人付き合いをしていないと、広言をしてもしていますが、それは、謙遜でしかなく、相当広い範囲で、素敵で上品な人と付き合っています。皆さん礼儀が正しいです。で、瀬木慎一さんもそういう人の一人だと信じていたので、ここでの予測された応えは、『分かりました。がんばってください』です。

 ところが、彼の口をついて出た答えは、なんと、「売る絵が無ければ体を売れば」でした。いやあ、驚きました。が、この続きは明日詳述します。
                09-9-11  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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ボーヴォワールと、NHK朝ドラ『つばさ』の09-9-10日

2009-09-10 21:50:26 | Weblog
 シモーヌ・ド・ボーヴォワールは美しい人です。フランスでは、日本と違って、美しさの基準に若さは重要ではないそうですから、ボーヴォワールなどは最上級の女性でありましょう。グーグルの検索で、今日はたまたま、セーヌ川に彼女の名前を冠した新しい橋が掛かったというニュースさえ知りました。

 我が家で、テレビを買った1955年以降、ボーヴォワールは動く映像として、画面に現れました。細身で、きりっとして、知的で繊細で・・・・・しかし、幸せそうには見えませんでした。それは、サルトルとの関係が、実質的には、彼女に負担になっていて、サルトルが、利点を独り占めにしているような直感を得たからです。

 もちろん、ボーヴォワールにも利点があったでしょう。仕事を持つ女性にとって、時間が自由につかえることは大切で、それには、二人の結婚の形の方が、自由度が高いからです。それに、文化人のサロンの中で生きていく場合にも、ボーヴォワールにとって、一種の防衛柵と、サルトルがなってくれていた時期もあるでしょう。

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 ところで、Wikipedia に下記の記録があります。この数行はそこからの全くの引用です。

アリス・シュヴァルツァーによるインタビュー集『ボーヴォワールは語る-「第二の性」その後』が出版され、その中で「子供を持たなかった事を後悔していませんか?」という質問を受けて、ボーヴォワールは「全然!私の知っている親子関係、ことに母娘関係ときたら、それはそれはすさまじいですよ。私はその逆で、そんな関係を持たずにすんで、ほんとうにありがたいわ。」と答えており、その人間らしい率直な人柄が伝えられている。

1986年、パリで没。遺体はサルトル同様、パリのモンパルナス墓地に埋葬されている。

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 私は、このインタビューアーの質問をこう分析します。私が今感じているように、インタビューアーも、当時にすでに、ボーヴォワールが、無理しているように感じていたのではないでしょうか? 本当の質問は「あなたはサルトルと一生を一緒に過して後悔をしていませんか?」だったような気がします。

 しかし、当時の言論界の御大であったサルトルを少しでも、否定的に捕らえる事ができず、暗喩的と言うか、間接的に、「あなたは、後悔をしていることはないのですか」と問いかけたくて、この『子ども如何』と言う質問が出てきたような気がします。つまり、インタビューアーも同じ業界の人なのです。同じ業界で生きていく限り、自分を守る必要もある。

 でね、結局問題なのは、<<<ボーヴォワールが、無理をしているように見えて、どうも幸せではないように見える>>>のは、ちょっと、感性の強い人には共通する判断だったのだと私は考えるのです。

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 でもね、ボーヴォワールが幸せであったかどうかは、彼女自身は何も語っていないので、何が真相だか、分からないわけです。だから、その主題から変換して、彼女のその言葉、から、敷衍を新たに始めたいと思います。

 つまり、母娘関係の難しさです。そちらへ移行させてください。それを書こうと文案を練っていた最中の、09-9-10日朝、NHKの『つばさ』で相当濃密な場面が放映されました。

 母、娘間の葛藤の解消、そして、昇華の場面です。脚本のできはすばらしく、また、この場面・主演の吉行和子さんのすばらしさも出ていました。

 以前に申したように、吉行和子さんは、不器用と言うか、役に入り込まない女優さんで、常に素の自分がでるひとです。それなのに、今回だけは、いろいろ意固地なな所もある、つばさの祖母を、圧倒的なリアルさで演じています。脚本も良いが、彼女自身も素晴しい演技です。入魂の演技とはまさにこのことなのでしょう。彼女自身、一生で、一番良い役としてこれに出会ったと仰っているようです。この役に出会ったことを感謝されているようです。その感謝がまた、素晴しい演技を生んでいます。
 
 特に吉行和子さんが、ご自分自身の家族を作らなかった人です。子どももいない、孫もいない。だからこそ、この役が不思議な魅力を彼女から引き出しています。そして、その結果、家族のあることのすばらしさ、それが平凡な幸せの典型である事を示しています。

 もちろん、これは、フィクションです。そして、つばさの家族は、従来のNHK朝ドラでは考えられないほど、いろいろな問題を過去に抱えた一家です。決して単純な意味で、ラッキーだったりハッピーだったりする家族でもない。

 それでも、長い間抱えていた葛藤が終わったときに美しさと安堵感を見事に表出しています。人間が普通に生きるという事の典型を示しえています。

 偶然の一致でした。たまたま、ボーヴォワールの不全感を問題にしようとしていたら、ドラマとはいえ、その欠落部分を補うお話とであったのです。

 驚きましたし、さまざまな事を考えさせられました。涙も出ました。普通、『つばさ』で、泣かせられるのは土曜日のはずです。しかも土曜日の、最後の三分間ぐらいです。しかし、今日(09-9-10)は始まって、7分目ではもう泣かされてしまいました。

 フィクションでありながら、ある種のリアリティがあって、これを制作しているスタッフとキャストの皆さんを尊敬しています。こころから。

 ところで、あしたこそ、シモーヌ・ヴェイユについて語りましょう。

  09-9-10 夜、

ところで、猫がまだ、カメラに慣れてくれず、左の目はカメラを見ていますが、右目はやはりそらしています。しかし、夜撮っているので、迫力がある大きな瞳になっています。

 この写真はカメラマンとしては、初心者の私と、素人モデルの我が家の猫とのコンビとしては、できの良いほうなので、NHK朝ドラつばさへのオマージュとして、特に取って置きのものとして、捧げるつもりで、載せました。本文と関係がありませんし、犬派には申し訳ない迫力ある写真です。狩をする動物である猫の一種の獰猛さがでていますから、怖いでしょう?。

(ここで、小さなお断りですが、昨晩より、二時間早く、この更新をしています。いつも、深夜に開いてくださる方は、良かったら、下もご覧頂きたく。09-9-10           雨宮舜(川崎 千恵子)
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二人のシモーヌ(ヴェイユと、ボーヴォワール)・・・・・1

2009-09-10 00:11:09 | Weblog
 昨日深酔いをさせられて、しかも放り出されてしまった若い女性について書きました。一番強く感じたのは、断る力の少なさと言うか、小ささです。そこに大問題がある。だけど、彼女を責めているわけではありません。私はたまたま誰にも誘われないので、深酔いはしないけれど、他の側面で断る力が弱いとは思っています。

 だから、他の女性が、断る力が少なくても、それはありうる話だと思っています。

 この力ですが、どうして少ないかの原因の一つに、社会が女性に求めているパターンがあって、その一つの、『可愛いい』ということに、重要な価値が置かれているからでもありましょう。ただ、それだけではなく、親子関係も重要ですが、・・・・・

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 それを書き表した本として、私のように、1960年代(昭和三十年代)に学生だった人間には、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性」は非常に重要な書物でした。

 そして、ボーヴォワール自身も社会的には大きな存在でした。

 ただ、私は、それを読んで、45年以上経っているので、さきほど、WIKIPEDIAで復習をしたのです。すると、驚いた事には、シモーヌ・ヴェイユ・・・・・・・・・・『重力と恩寵』他の著作があり、純粋な性格で、労働者階級に混じって働いたり反戦運動にミを挺したことで有名、34歳で、恋愛も結婚もせず?、早世した)・・・・・・・・・・の方が項目が多く、しかも書いてある事が長いのです。

 私は昔から、ボーヴォワールよりはヴェイユが好きでしたが、この点に関して明日もっと詳しく書かせてくださいませ。

 今日は出かける前にいえの掃除を熱心にしたうえに、外でもしんどく・・・・・それは本を書評献呈他で、差し上げているのですが、これって個展をするのと、同じくらい、つかれる事なのです。簡単にいっちゃうと、自分を打ち出しアッピールし、押し出し、押し付ける事なので、それが疲労困憊するのです。若ければ乗りに乗っちゃうという形で、別にどうって言うことも無いのだけれど、分別のある年頃ですからね。だから疲れちゃいます。

 だけど、6冊目の出版後、まだ、三週間目ですが、すでに、好評が集まり始めました。それは、嬉しいことです。

 尽くせば尽くすほど、報われるという事を知ります。それも嬉しいです。誰か、固有名詞を持つ、明瞭な他人に、尽くすわけではないが、創作と言うこと自体が、天に向かって尽くす事だと感じています。だからです。
 

 ただ、その自分を打ち出すという、しんどい、しんどい事をやって、しかも、夜中に帰ってきたので、これだけの文章でお許しくださいませ。

 二人のシモーヌと題したのは、なぜか、そして、なぜ、ヴェイユの方がすきなのかは、明日書きます。では、09-9-9日  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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呑み会で、若い女性が、『断る力』を発揮する難しさ

2009-09-08 22:10:10 | Weblog
 これから、先にどうなったかはあまり詳しくは書きません。でないと、彼女が誰かが、特定される可能性があるからです。だけど、ともかく、救急車が着たら、突然に彼女はしゃんとして、なんと、数十キロの距離をタクシーで帰宅する事になりました。ご主人とも、その辺りでは連絡が取れて、ご主人の了承の下に、彼女は鎌倉駅からタクシーに乗って帰宅の途に着きました。

 ものすごく遠いので、1万円で済むかどうかも分かりません。ご主人におお叱られするでしょうし、彼女もしらふになったら、『なんて、馬鹿な事を自分はしてしまったのだろう』と思い、青くなると思います。私は20分程度前までは、タクシーに乗って帰ることなど、思いもよらないと考えていましたが、救急車が来た途端、彼女が突然、怒り出したので、大丈夫だと判断しました。

 救急車を呼ぶ前に、彼女にそれを呼ぶことを納得をしてもらったつもりでしたが、その辺りでは意識がまだ朦朧としていて、私が何を言っているのか、判断ができなかった模様です。でも、救急車が音も無くやってきて、(それは助かりました。誰かが場所を指定して呼ぶ場合は、ピーポ、ピーポと鳴らさないで来てくれるみたいです。)

 三人の人が、担架を持って、目の前に現れると、彼女は突然怒り出して、「どうして、こんなことになったのですか? 誰が呼んだのですか」と言い出したのです。

 顔は可愛くて、目が大きく、まるで甘ちゃんだと思っていたのに、《救急車なんかのお世話になるのは嫌だ》「という判断ができる、常識のある女性だったのです。・・・・・ここまで意識が回復したら、もう、吐くことは無いだろう。タクシーの中を汚す事もないだろう。だけど、途中はむかむかして、気持ちが悪いだろうなあ、かわいそうに・・・・・とは思いましたが、

 救急隊員が決めた事ですから、私が口を挟む余地も無くて、私はそこを去りました。こんなにはっきり意識が回復すると、私がおせっかいをしたみたいですが、救急隊員が最後の決定をするまでも10分以上はかかりました。

 ご主人と連絡を取り合ったり、その間に駅員さんが心配そうに見に来たりして・・・・・

 救急隊員は別の病気もあるかもしれないといいましたし、(それは、目が大きすぎるので、私もちらとですが、甲状腺の機能亢進を疑ったし)、『せっかく救急車が引き受けてくれそうなのだから、ここは頼っちゃったほうがいいのになあ。タクシーで帰るお金と、一晩の入院費では、入院費のほうが安いし、体に安全なのに』とは、思いました。が、彼女本人の意思が、固くて、頼らないという方向で、

 がんばっているので、そのまま、タクシーに乗る彼女を見送りました。

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 ともかく、彼女と一緒に呑んだ同僚または上司が、大変悪い性格の、人間である事は確かです。彼女は三箇所も回ったといっていたし、職場から、家に近い繁華街で呑む事もできるのに、そうではなく、反対の方向として、より遠い場所である鎌倉で、呑むことを提案した事だけを取ってみても、女性の立場を考えてあげていません。男性としての基本的なエチケットさえ、無い人間です。

 以前、鎌倉駅前で、それこそ、虎の敷物みたいに、寝そべってしまった男性がいましたが、その人にはきちんと、付添い人がいました。男性と女性の二人が付き添っていましたよ。それに比べれば、こちらのケースはひどいです。

~~~~~~~~~~~~

 でも、ともかく、鎌倉駅の構内でよかった。夜の11時なんて、電車がついた直後以外はほとんど人がいません。誰にも見咎められないし、さらわれもしない。これが、他の駅だったら、どうにかされてしまったかもしれません。つまり、お財布を盗まれる可能性はあるし、その時、急に気がついて抵抗したりすると、さされたりして危ないことになります。本当に、危ない事でした。

 最後に、こういう危ない目にあう前に、自己防衛をしなければならないのに、彼女には、断る力が無かったのです。三箇所も付き合ったといっていますので、せめて、二箇所目で、『もう、夜の9時半ですから、帰ります。我が家には、12時前に帰らないと駄目なのです』と言って、三回目の店に、同道するのは、断ればよかったのです。

 それができない事情があったのでしょうが、断る力が必要だなあと強く感じた一日でした。若い女性にとっては、非常に難しい事だと思います。が、断る力は大切です。私もそれが足りないので、振り回される事があるので、他人事とは思えなかったです。

 ただ、飲み会で、酔いつぶれた記憶はありません。結婚後は、画家のパーティの二次会とか三次会に参加するだけですが、呑むのはほかの人も、二次会までで、三次会がもしあったとしても、コーフィーだけです。酔い覚ましと話し合いが目的の三次会であり、必ず、夜の10時前に散会します。それは、別に楽しいだけというものでもないのですよ。だけど、規律正しいことは確かな飲み会です。

 そういう風に形が確立している二次会ならよいけれど、自然発生的な会は、自分がしっかりしていて、自分を守るために、断る力が必要です。断らない方が雰囲気が壊れないので、自他ともに楽しいけれど、自分が、危険に陥り易いから、断る必要があるのです。  09-0-6  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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若い女性が、深酔いして、しかも、放り出された時、

2009-09-07 23:50:11 | Weblog
 私は、今日は書きにくい事を書きます。だけど、結構意味のある問題を含んでいます。結論として言えば、女性には断る力が育ちにくく、しかも結構、断る力が必要なときがあると言う点です。それを強調したいために、今日のエピソードをあげるのです。

 他人を責めるために書くと言うよりも、断る力と言うのが、魅力的な女性であることと、両立しがたいような文化がこの日本にあり、それゆえに、私自身も断る力が弱い方であり、ちゃんとそれを、自覚しているからこそ、書くのです。

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 その日、私は用事で、夜の11時に鎌倉駅へ帰りつきました。するとエスカレーター傍の壁に、若い女性が壁によりかかっていて、ふらふらしています。すぐ、「おかしい」と感じました。特におなかがぷっくりと出っ張っているので、妊婦さんだと考え、妊婦さんが、こんなに夜遅く、一人で、しかも酔っているらしい事が不思議だし、心配で近寄って話しかけました。

 朦朧としていて、ろれつも回らないが、説明を聞くと、ご主人に電話をしている最中らしいのです。が、ご主人は電話に出ないとのことです。既に怒っていると推察されます。「おうちは?」と聞くと大船駅で乗り換える必要があり、しかも跨線橋を渡らないと行かれない遠くの駅です。今、鎌倉駅構内でも、エスカレーターにも乗れないし、階段も上れない状態で、大船駅で、また、危ない事になって、そのまま、終電が彼女を残して、行ってしまったら、どうしようもないと、私は考えて、「うちへくる? おばさんのうちへ泊まりなさい」といいました。

 彼女はとても素直に頷いてくれたので、それから、先、20メートルほどを抱かかえるようにして、一緒に歩きながら、『妊娠はしていない事、だけど、赤ちゃんが欲しい』事などを聞きました。ちょっと安心しました。さきほど、妊婦さんみたいに見えたのは、背中の方だけを壁につけてふらふらしていたので、そのように感じられただけでした。まず、『良かった。ほっとした』と思いました。

 でも、タクシーには乗れないだろうと、感じました。
 我が家までの、5~8分でもげろを吐かれそうな感じです。既に今でさえ、気持ちが悪くてたまらなそうに見えます。「歩ける?」と聞くと歩けるとの事。

 しかし、やっと改札口まで到達して、スイカを彼女が取り出して自動改札機に当てたときに、『だめだ。この人を我が家に連れ帰るわけには行かない。この人のために、救急車を呼ばないと駄目だ』と感じました。スイカは、赤いランプがつく形で、精算機へ寄ってチャージするか、有人改札窓口へ回らなければいけないのに、その判断ができず、ただ、スイカを何度も同じ場所に、当てるだけだったからです。

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 熟年の駅員さんがこっちを見ているので、「いままで、我が家に連れて行こうと思っていましたけど、駄目だわ。救急車を呼びます」と私がいうと、「お願いしますよ。男性が女性を介抱するわけには行かないのです。抱いたりできないので」といわれました。

 そのときに、私は彼女をここまで酔わせて、しかも放り出した同僚と言う存在に対して、深い怒りを感じました。スイカが無効だったわけで、彼女は駅構内に入るのが、普通ならできないはずなのです。その同僚が150円か何かの切符を買って、彼女を駅構内に入れ込め、そこで、放り出した事を推定できたからです。

 ひどい人だな。夜の11時近くまで一緒に呑むと言うのは、相方は女性ではありえず、男性であろう。この人は、赤ちゃんが欲しいといっているだから、若奥さんなのだ。そんな存在を、こんなに、夜遅くまで引き回して、しかもこんな危ない状態で放り出すとは、とんでもない男性だ。卑怯だ・・・・・と感じました。

 この項目は明日へと続きます。

                09-9-6  雨宮舜(川崎 千恵子)
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「花椿の、襟章をつけた、新人研修生」

2009-09-06 20:50:02 | Weblog
 本日、(と言っても、数年前の春のことなのですが)、金曜日、午後の六時ごろ逗子駅で電車を待っていると、黒いスーツの若者が何十名と集まっていて、そしてはしゃいでいるのに出会いました。結婚式の帰りかなと最初は思ったのですが、定番の白いお土産袋を持っていないのです。その代わりに、アテンダント・バッグなどを引っ張っています。「は、はーん、きっと、新人研修よ」と推察をしますが、全体の人数の多さと顔の良さ(!?!?!)に、どこの会社であるかについて、興味を引かれました。
 
 「あなたがたはどこの会社の人なの」と質問をするのは、男の子の方が純真で楽なのですが、女の子のグループも傍にいるのを知っていて、このおばさんが、男の子を選ぶのもあざといと思ったので、美形の女性三人組に話しかけると、特別かわいい目のパッチリした女の子が「あ、うるさくてご迷惑でしたか?」と言うので、そのしつけのよさに驚きました。よい家庭に育ち、大企業に大卒で入社できる幸福な若者たちらしいのです。
 
 で、ますます会社に興味を抱きました。「言ってよいのかしら?」と、三人で躊躇するので、「悪いことは書かないわ」と請合った上で、あるお嬢さんの長い髪をすこし、襟元から外へむけて払うと、なんと、花椿の七宝の線が銀色のバッジに浮かび上がっていました。つまり、資生堂の新人だったのです。

 ・・・・・・だから、顔が良かったわけです。最先端で美容指導をするわけではないだろう、本社づとめの布陣でも、資生堂は顔の良い若者を取ることに不文律としてなっているのか、それとも、美形である男女のみが、応募段階から集まるのかは分かりませんが、ともかく、さすが、資生堂だと思うほどの、美形の若者の集団でした。・・・・・

 それはともかくとして、私が驚いたのは、その日ごろ、
 ずっと銀座の資生堂の赤いビルのことを考え続けていたからです。ので、なんと言うシンクロニシティだろうと、感じ入っちゃいました。

 実は、資生堂そのものよりも、そのビルの斜め前にある画廊と、そこで、展示をされていた、絵について、考えていたからです。その絵のよさを文章として上手に表現するための、重要な鍵となるものが、赤い資生堂だったのです。
 
 で、私はその合致があまりに嬉しくて、すっと、古いスプリング・コートを脱いだのです。今日は初めて着る組み合わせとして、非常にユニークな色合いのものを着ていたからです。濃い目のオリーブ・グリーンの綿のシャツとパンツの上下に、同じく殺した薄緑色のセーターを組み合わせていました。襟元に薄い黄色の琥珀のネックレス。

 この色合わせは、もし、絵画に用いたら美しいはずです。ただ、世の中の今現在の流行色ではありません。でもアーチストとして、色の感覚だけには自信を持っているので、流行も値段も無視して、(つまり、安物を着ているのですが)、圧倒的な自信を持って着こなしています。どこへ向かったかと言うと、単に非常に親しいと感じている歯医者さんに行くだけだったのですけれど・・・・・

 相手に見せびらかすためではなく、自分のためだけのおしゃれでも、それが、できるのは、体調がよいときです。おしゃれに気を使う余裕が出るのは、前夜よく寝た日のようです。

 お嬢さん方も「きれい、きれい」と言ってくれました。こんな些細なことでも、とても嬉しいのです。高島屋の二階あたりで、ウォールナットの小部屋に入って、何十万円もする洋服を買う生活とはなんと遠いことでしょう。でも色を選ぶだけでも、それだけでもこんなに幸せになれるのです。『そう言えば、おととい徹夜だったせいか、昨日は八時間寝られたからね』と、自らを納得させました。
     2006年の四月ごろ。それを2009年、9月に書き直す。
              雨宮 舜(川崎 千恵子)
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戸塚駅から、新宿駅に移動して、付け爪の話になる

2009-09-05 21:05:33 | Weblog
 今日は、JR横須賀線の武蔵小杉駅の改修のために、戸塚駅までJR東海道線で帰ってきました。昨日載せた文章は、以下の文章に続きます。これは、三冊目の本に載せたものですが・・・・・


「黒い付け爪」

 湘南新宿ラインを待つ、私の斜め前の女性が、黒のつけ爪をつけていたのです。爪の先がぴょこんと出張っていて、きらきらのメッシュが入っています。もちろんおしゃれの一種ですが、黒とは普通は使わない色なので、驚いて上を見上げると、マスカラがぎとぎとの、目をぱっちりと見開いた女性が大きな花を髪につけて、絹のショールを肩に掛けていました。

 横から見ると、小顔で、蜂蜜を塗ったのでしょうか? その濡れた唇とその他の部分を合わせれば、びっくりするほど垢抜けていて、タレントみたいです。安室奈美恵風ですが、もっと、華やかなおしゃれをしている人です。

 だけどそんなに美しいのに、なにかにいらいらしていて目元にケンがある。怒りが内包しているようです。その時、突然、彼女に「結婚式から帰っていらしたの?」と話しかけたのですが、それはきっと、彼女の怒りを解き、楽にしてあげたかったのでしょう。 

 すると彼女は「いいえ、これから行くところなのです」と答えました。その時夜の八時を過ぎようとしていました。私には子どもがふたりいて、若い友人たちが、披露宴の二次会にだけ招かれる形式も今はあるのを知っていました。『あ、そうか。このまるでお水の世界の人みたいな黒い爪は、二次会向けスタイルなのだ』と納得をしました。答えた瞬間の笑顔が思いがけなく可愛らしいのです。

 そして、ちょっとの間を置いて、「この電車、恵比寿に停まりますか」と質問をしてくれました。確かに湘南新宿ラインの中には、新川崎に停まらないものもあり、乗客がちょっと不安になるのです。特に今は、夜の八時過ぎです。たとえ二次会でも、既に始まっている可能性はあります。だから、心配をしていらいらしていたのでした。

 でも、私自身はほっとしました。彼女のいらいらが『遅刻しそうだ』と言うそんな、可愛らしい原因であって。もっと、どぎつい心配・・・・・たとえば、今夜の主役たる花婿は、本当はこの人が好きだったのだけれど、告白できないうちに、友達に横取りされて、

・・・・・・ああ、そういう話って実際にあるのですよ。

・・・・・・そういえば、『つばさ』(NHK朝ドラ)でも、社長のまなせさんの奥さんは亡くなったのですが、一種の略奪結婚の人だったのですよね。純粋だから、誰からも憎まれてはいないけれど、本当は社長のまなせさんは、<山本未来>が演じるところの別の才女の恋人だったそうです。それは驚きでした。


  あ、ここで、私自身の原文の雰囲気を全く壊して滑稽な文章となってしまいますが、ここで、突然にもそのドラマ、『つばさ』の最終局面への予想をしましょう。真瀬さんとゆうかチャンのみらいですが、・・・・・山本未来役の才女は、あの芋(?)放送局へやってきて、社長と一緒に、仕事をする(?、?、?)・・・・・どうでしょうか? この予想・・・・・ただ。あの脚本は非常によくできていて、なかなか、予想通りには運びません。が、本日、09-9-5日の夜、そう予測しておきましょう。

  さて、原文に戻ります。黒い付け爪をしていた、超がつくほど美しい女性が、いらいらして、ケンが含まれた横顔をしていて、その原因が深いところにあったのではないかと想像したところまで進みました。

 告白できないうちに、ほかの人に横取りされたのだけれど、お婿さんも花嫁さんも、大学のサークルが一緒の仲間だから、出席をしなければならない・・・・・・・なんて、そんな、悲しみや怒りが、内包されているのではないか・・・・・と、おせっかいながら心配していましたので。

 そして、あむろなみえより愛嬌もありお色気もある彼女が、私に対して、優しさきわまりない態度で、たった三分間ほどだけでしたが、接してくれて、新木場行きに乗るのを見送りました。よかった。よかった。                       
  二〇〇六年二月二十六日 書いた原文を、2009年に書き直す。
                   雨宮 舜(川崎 千恵子)
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捨てられていた(?)襟章

2009-09-04 22:29:15 | Weblog
 天皇陛下が国立博物館へいらっしゃった話(ただし、8月14日の事)を書きました。その際、襟章にこだわっています。襟章を私自身は中学時代しか使いませんでした。制服がスーツだったので襟章をつける形式でした。が、高校はセーラー服だったので襟章は使わず、大学でも使わず、勤務先でも使いませんでした。ので、自分自身の襟章の記憶は無い方ですが、他人様の襟章には、興味はあります。で、今日はあるエピソードへの導入としての戸塚駅の話をさせてくださいませ。

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 二月二十五日夜の九時半ごろ、戸塚駅で乗り換えのために一回電車から降りました。ちょうどエレベーターの前であり、その新式のガラスの壁をなんともなく眺めていると、下から三十センチぐらいの所に在る桟の上に、小さいがきらっと光るものがありました。

 手にとって丁寧に眺めてみると、それはエナメルでできた社章のようです。結構大きめで、真ん中に「吟」と言う漢字がデザイン化して入っています。私はたちまち考え込みました。エレベーターの外囲いの桟とは、ゴミ箱ではありません。『こんなところに社章を捨てる人の気持ちはどう言うものだろうか』と思って。

 漢字で『吟』とあるから、大吟醸ではないが、酒造会社の社章か? しかし、定年まで勤め上げた人が、こんなところに社章を捨てるわけもないでしょう。自分の人生を掛けた社章。しかもねじ式でスーツの襟にとめるこれが、自然に落ちることもありえない筈。若い人が、上司とけんかでもして「辞めてやる」と決意して、ここに捨てたのでしょうか? 

 ただ左側の口ヘンにあたる部分は、どこかハングルのデザイン化をも思わせます。もしかしたら、北朝鮮の何かのカルトのバッジで、今、その持ち主はそこから、抜け出る決意をしたのでしょうか?・・・・・・いずれにしろ、これは大きな決断の結果のようです。私がもし、フィクションを書く才能でもあったら、この直径が一・五センチ程度の塊から、ひとつの短編ミステリーでも創作できたでしょうが。

 そう、しばらく考え込む目の前で明るい感じの若い女性が、後ろで車椅子を押す駅員さんと信頼に満ちた会話を交わしながら、エレベーターに乗って下へ降りて行きました。それを見ているうちに、つい先ほど、新宿駅で交わした若い女性との会話がよみがえります。

 これは、次のエピソードへ続きます。またまた、疲労困憊をしておりますので、今日はこれで、終わらせてくださいませ。09-9-4 雨宮 舜(川崎千恵子)
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ノブレス・オブリッジそのものの人、平成天皇

2009-09-03 00:32:26 | Weblog
 私は8月14日だったと思う火曜日に、芸大前からJRの線路に向かって歩いていたわけです。国立博物館の中から、生い茂る樹木の枝が、途切れるところがあって、そこから、門前に集まっている、2、30人の人を認めた途端に、『多分、天皇陛下がいらっしゃるのでしょう』と感じたわけですが、その群れの中にたどり着くと念のために、最後尾(つまり、噴水に近い方)にいた青年に「誰が来るんですか」と聞いてみました。すると予想通りでした。が、どのくらい待つのかが分かりません。

 それも同じ人に聞いてみると、「あと、10分ぐらいだそうです」とのこと。「そうですか。じゃあ、私も待ちましょう」と言って列の中に加わり、「ところで、あなたはどこでこの情報を得たのですか? ホーム頁か何かですか?」と聞くと、「あ、さっき、おまわりさんに聞いたのです。博物館の門を出たら、おまわりさんがいるので、何があるのですかと聞いたら教えてくれたのです」とのこと。

 「そうですか。じゃあ、ほかの人もおんなじ感じかしら?」と私がいうと、「きっとそうですよ」と彼は応えます。そのひとは、服装から推定すると、デザイナーか何からしい人で、美しい女性がパートナーとして寄り添っています。

 『勉強家なんだなあ。ちゃんと基本を踏まえておこうと言う感じなのだ』と考える私です。何かを創出する場合に、古典を踏まえるのは必要な事なのです。ただ、私が新しいものばかり見たがるのは、『古典の勉強は既に、充分やりました。伊勢神宮の秘宝はまだ見ていないが、斎宮美術館(または、斎宮博物館)にも既に行っているし、何度も伊勢神宮も訪れているし』と考えているからです。あとは、誰がどういうものを作っているのかを把握して、アイデアが重ならないようにする必要があり、真似するためにではなく、真似にならないようにするために、もっとも新しいものを見る必要があるのです。

 ただし、デザイナーは違うと思います。デザイナーと言うのは、顧客があり、その要望に応えないといけません。その顧客はまた、その先に、そのデザインによって購買意欲を掻き立てられる大衆を意識しています。だから、三段階先の、大勢の人に訴える作品としないといけません。

 私は本を作り始めてから、デザインの勉強も始めました。基本的な部分だけですが、でも、大本を押さえると、そうなります。で、6冊目の本では、初めて写真をカバーに使いました。これでは、画家とか版画家としての面目が立ちませんが、お客様に、タイトルをよりすばやくご理解を頂くためには、そのユーモラスな写真が生きるのです。滑稽な顔をしたライオンを、部分とする花瓶が「おばさん、お釣りを忘れているよ」と言う本のタイトルにより適合するのです。でね、画家であると言う自分の本分を捨てて、写真を使いました。デザイナーとしての自分がそれを、許したのです。

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 辺りを見回すと、そういう類の若い人ばかりです。8月14日は猛暑の日で、ご老人はいないのです。三々五々門から出てくる人の中に混じって外人も多い。ただし、数回前まで書いたような米軍の関係者ではなくて、外交官か、ビジネスマンと言うタイプ。

 私は他人(ひと)様からは、「若い。若い。どうしてそんなに元気なの」とよく言われるのですが、実は、残念ながら既に老人であり、体も弱くて、そのたった10分が立っていられないのです。で、アテンダントバッグを椅子代わりにして、中腰になって待ちました。そのときに私より後ろに並んでいる人たちから「あ、白バイが来た。もうすぐよ」と言う声が上がり始め、その直後、あっという間に車列が到着し、

 開け放たれた窓から、平成天皇が手を振っておられました。私はもちろん立ちました。しゃんと立ちました。ただ、声は何も上げませんでした。周りの人々も大声を上げるというわけではなく、ただ、「あっ」と言う声や、「ああっ」と言う声を上げるのみでした。それは、珍しいものを見たときの声ではなくて、静かな喜びと安堵の感情を示していました。

 車列が90度曲がって門内に入ろうとしたその瞬間に、「天皇陛下ばんざーい」と言う男性の声がして、それは、三回繰り返されました。何ともいえない哀切な声でした。右翼と言うような、がなり立てるものではない、ある個人の痛切なる悲しみのこもった声。

 それを聞いたときに、また、私の脳は瞬間的に高速回転をはじめ、さまざまな事を考えました。最初には、『場違いだなあ。ここにいるのは若い人ばかりであり、普通の意味で、静かな敬愛を捧げている。歴史的な意味を考えて、待っているわけではない。一種のミーハーなのだ。だけど、上品な意味でのミーハーで、天皇陛下を好きではある。そんな彼らは、あの声にびっくりしたであろうし、場違いだなあと考えたはずだ。平静天皇ご自身でさえ、・・・・・あれ、ありがた迷惑と言うか、場違いだなあ・・・・・とお考えになったのではないか』と言うものでした。

 しかし、その男声の声の哀切さが気になり、もっと違う方向で考えてみました。なぜ、彼はあんなに悲しげな声で、万歳三唱をしたのであろうと、・・・・・

 20秒ぐらい後に、《平成天皇に対するシンパシー(同情の念)を持っているからこそ、悲しげな声になっていたのだ》と、気がつきました。そうですね。そこにいた若い人々も何も彼をとがめなかったのは、同じことが、みんなにも分かっていたからでしょう。若い人は結構残酷なときがあります。よく、「KYだね」と言うようなひそひそ声をあげたり、残酷なまなざしを交わして、老人を排除したりします。その究極の形がホームレス狩りです。

 大昔、横浜山下公園で、ゴミ箱にホームレスのおじさんを入れて、引っ張りまわしてついに死に至らしめた少年たちがいます。彼らはゲームとしてそれをやりました。また、最近では一人で、ゲームとしてではなく、単なる気晴らしで多摩川河川敷にいるホームレスのおじさんを殺したりします。

 もちろん、国立博物館に伊勢神宮展を見にくるような若者と、そんな遊びを真夜中にする少年たちとはまるで、品性が違います。教養もまるで違います。本当の事を言えば、親たちの育て方に責任があるのですが、その親にはまた、その親がいて・・・・・

 でも、いずれにしろ、底の底で老人たちに対して厳しいところもある若者たちが、その哀切なる

 「天皇陛下ばんざーい」「天皇陛下ばんざーい」「天皇陛下ばんざーい」とエコーのように、ながく、声を引いて、繰り返された声の主に対して、温和なる無視をしたまま、さっと、ただ、あかるい満足げな雰囲気で去っていったのでした。

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 私はちょっと涙が出そうでした。その門前で待っていた最終的には5,60人に膨れ上がった人たちはみんな、天皇陛下が我慢をしていらっしゃる事を知っていて、深い同情心に充ちていたのです。平成天皇が悲しみや苦しみをぐっとのみ込んで我慢をしていらっしゃる事は、みんなが知っている事なのです。

 そして、我慢の結果の究極の姿として、ただ、にこやかに手を振っていらっしゃる。それはテレビで拝見するのと全く同じです。だけど、演技とも思えません。繰り返されるつまらない事として、手を振っておられるとも思えません。

 それは、究極のノブレス・オブリッジの具現化でした。そこに待っていた人々の反応も含めて、美しいものを見たという感慨を持ちました。

  この項続く。2009年9月2日   雨宮舜(川崎 千恵子)
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ある火曜日、上野公園にて・・・・・銀の菊の襟章は?

2009-09-02 01:28:06 | Weblog
 私は月曜日には必ず銀座へ行きます。で、火曜日は別の場所に勉強に行きます。六本木や、上野が今の美術の集積場所です。で、8月のある火曜日に上野に行きました。上野公園には美術館や博物館が一杯あるけれど、私が向かうのは都立美術館か、芸大美術館です。国立西洋美術館と、国立博物館より、そちらの方が新しい分野のものを展示しているからです。

 博物館や美術館で展示をしているものは権威の定まったものが多いのです。立派なものですが、画集や美術全集で、デジャヴーのあるものが多いのです。最先端のものを見たい私が向かうのは、噴水を中心とすれば西側になります。

 上野駅を降りたときからその日は、警官が一杯です。『変だなあ。何があるのだろう?』と思いますが、別に赤旗が林立しているわけでもありません。

 噴水の傍に青く塗ったバスが三台あって、周りに警官がたむろしています。『あれ、このバス三台分の警官が来ているのだ。何があるのだろう?』とさらに不思議です。そのバスですがどうも警察のものらしいのに、どこにも○○署などの文字が無く、しいて探せば、『排ガス規制合格』と言うラベルがあるだけでした。

 普通、警察のバスと言うとねずみ色で、窓のところにパイプがわたっているような、ゴッツイ物を見続けているので、その瀟洒と言っても良いブルーの外装のバスは、これまた不思議な感覚を与えられます。

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 さて、用事を済ませました。芸大美術館の前は相当駅から遠いのです。どうやって帰れば、一番近いかなあと、思案投げ首です。と言うのも私は重いA4のパソコンかそれでなければ自分の本を、20冊以上必ず持ち歩いている人なので、アテンダントバッグは引くのさえ重い感じです。歩く距離はなるべく小さくしたいと願っています。

 で、黒門前の道路を線路に向かって真直ぐ歩く事にしました。国立博物館の塀の中から生い茂った樹木が頭の上をさえぎり、見通しは利きません。歩道は狭く、敷石はでこぼこしています。でもね、東京の都心にある道としては、きれいな道の一つでしょう。何でもきれいなものが好きな私は、『これを選んだ事は正解ね』と自己満足をしながら歩いていくと、突然木の陰から美形の青年が現れました。

 それがちょっと普通の人と違うのです。夏なのにダークスーツ、だけど、ノーネクタイ、だけど、ポロシャツでもカラーワイシャツでもない、ホワイトシャツ。クールビズでしょうが、どこか改まった感じがある。なんか印象に残って、チラッと襟章を見ると、銀でできた菊のご紋章です。

 『へえーっ。日本の会社で、菊のご紋章を使う事を許されているところがあるんだ。商標権とか、何とかで問題にならないのかしら? 宮内庁もさばけたものね。
日本の民主主義もここまで進んだのか』と感嘆しながらすれ違って、さらに歩き続けると、

 突然視界が開けて、国立博物館の前が見通せる場所に出ました。50メートルぐらいの向こうに、2、30人の人が横向きに並んでいます。『あ、誰か今日は、有名人が来るのだわ。誰かしら?』と思った途端、ウエブニュースで見た、「秋篠の宮ご夫妻が伊勢神宮展を、ご覧になった」というニュースを思い出し、『天皇陛下がいらっしゃるのではないかしら?』と感じました。

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 さて、ここから、先、天皇陛下が実際に国立博物館にお入りになったご様子とその近辺の事は一切抜かします。明日書きます。今日は別の論点から書きます。つまり、天皇陛下を警備するそのやり方について、実際の観察のみを述べます。今日は、批判もしなければ論陣も張りません。ただ、事実だけを淡々と・・・・・

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 人々が、「どちらからいらっしゃるのかしらね。向こう(芸大の方)からか、こっち(JRの線路の方)からかしら? あ、あそこ(芸大傍の十字路)を封鎖した。もうすぐよ」と期待の声を上げます。

 私はびっくりしました。上野公園だからかもしれないけれど、天皇陛下がいらっしゃる場合は、合計一キロぐらいは、道路が封鎖されて、普通の車両は通行できないのです。日本の警察はそういうことは微妙に上手みたいで、マラソンなどと同じように、封鎖されるのでした。しゃしゃしゃっとね。

 でも、その封鎖された静か極まりない、きれいな道路にそれほどの数の警官はいません。だから、非常にスマートな警備と言っていいでしょう。ともかく、正門前には三人の警官しかいないのです。ただね、その三人の警官が道路封鎖の指導をしたようにも見えないのです。

 ただ、ここにもダークスーツの男性たちがいました。ノーネクタイ、ワイシャツ。年齢構成は、熟年の人が一人、中年が一人、青年が数人。私はその人たちを注視しました。その一人の襟に小さな白い襟章がついていて、それがとてもきれいでした。が、私の知らない襟章でした。

 私はその襟章に対して大きな興味を抱きました。襟章と言うのは究極のデザインだからです。凝縮したデザインだからです。昔から大きな興味を持っていて、三冊目の本にもそれを文章として描いて(または、書いて)います。

 それで天皇陛下が国立博物館の門内にお入りになって、辺りの緊張が解けたときに、ダークスーツのうちの一人に近づいて「その襟章は何ですか?」と質問をしました。すると「警視庁です」とのこと。

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 そのときです。実際の私はのけぞるほどびっくりしました。だけど、と同時にさまざまな考察を瞬時に始めました。・・・・・私が脳を高速回転をさせているときには、無表情になるらしいです。それにもちろん、声も出しません。無感動で、何も聞いていないというか、理解をしていないように見えるらしいのです。

 それで、その警視庁の人は、私に事情を正しく理解をさせるために、補足説明が必要だと考えたらしくて、「皇宮警察もいるんですよ。そちらは襟章が違うんです」といったのです。その途端、私はハッとわれに帰り、にっこり笑って「あ、有難うございます」といいました。

 実際に、ある謎が解けたから、本当に感謝しました。つまり、300メートルぐらい向こうで、すれ違ったダークスーツの美形の青年が、銀の菊の紋章をつけていたのは、皇宮警察だったからでした。何の不思議も無かったのです。日本は急に民主主義化したわけではなくて、銀の菊の襟章は、民間会社のものではなかったわけです。単純な事でした。

 そして、その人が芸大傍の十字路で、車を封鎖したわけでした。ケータイで指揮系統が伝わり、「後何分で封鎖しろ」とかいう、命令を受けたのでしょう。

 警視庁の方は、銀ではなくて、エナメル(七宝)です。白い丸の中に櫻だと思う花が繊細な青の線で、描かれています。サイズも小さくてとても瀟洒なものです。で、その七宝の襟章の人は、私が要点を飲み込んだとみて、にっこり笑って去っていきました。

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 さて、その人の前にいて、馬鹿みたいに無表情で無感動でいた、15秒ぐらいの間に、私が何を考えていたかをお話いたしましょう。それは、『え、警視庁にもブルーカラーと、ホワイトカラーの区別があるんだ。大会社と同じだ』と言うことでした。そのダークスーツの人たちは、ノーネクタイではあったけれど(それは現代の、特に真夏の流儀であり、昔ならネクタイつきで勤務するはずでした)、ピンストライプが入っているにしろ、いわゆるワイシャツであり、字義通りのホワイトカラーなのでした。

 一方のおまわりさんです。黒いチョッキを着ている人たちは、いわゆる機動隊かな? 若い人が多い。それから、そのチョッキがない人は所轄所の普通のおまわりさんかな。中のシャツが文字通りのブルーなのです。

 私以外の、そこに待っていた善男善女は、おまわりさんがすべての警備をになっていると、きっと考えています。私も、『そのダークスーツの人たちが、警察のホワイトカラーなのだ』と知る前までは、そう考えていました。でも、指揮系統は、その人たちが握っているのには、その日、気がつきました。

 上野公園全山で、バス三台分の警官が詰めていても、総指揮は数人のダークスーツの人、特に眼鏡をかけた、熟年の・・・・・トップらしき人・・・・・が握っているのです。

 そのときふと思い出しました。さきほど、噴水の傍で、三台のブルーに塗られたバスを見たときに、その傍にワゴンが、これも、ブルーに塗られて一台停まっていたのです。『あれに、この人たちは乗ってきたのかなあ』とも思いました。使う車さえ違うのです。

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 よくテレビドラマの中で、現場たたき上げの刑事と、大卒キャリアーの警視(?言葉が正しく使えませんが)が対立するでしょう。この前、テレビ朝日で、平塚八兵衛物語をやっていたのをチラッと見ましたが、やはりその構図が出てきました。

 でもね、天皇陛下の警備の場合だけは違うのです。なんていうか、有無を言わせぬ、スピードで、ぴしゃぴしゃぴしゃっと決まっていく。ある一人の人の判断で、すべてがさささっと、片付いていくのです。驚きました。全く知らない世界をのぞいた気がしました。では、今日はこれで、終わります。

  2009年9月1日              雨宮舜(川崎 千恵子)
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