先ず、写真の説明をさせてくださいませ。靖国神社です。撮影日は、2015年4月24日午前11時50分です。この写真の詳細な説明は、後で致します。
副題1、『井上真央と、檀ふみは、昔も親子(?)で、共演をしたことがあるという。びっくり』
花燃ゆが低迷していると聞きます。それについては、意見がありますが、ここでは語らず、ただ、それが始まる前の番組宣伝で、以前にも共演をしたことがあり、それは、NHKドラマ『蔵』だったと聞いて、あっと驚きました。蔵は毎日新聞で、連載中から読んでいます。宮尾登美子物は好きではない方なのですが、あれだけは、『すごいなあ。傑作だろう』と思っております。とても、よくできた小説です。その主人公【烈(上の子が9人も亡くなっているので、こういう特殊な名前を父親がつけた。が、女の子である)】は、松たか子が演じています。その子供時代が、井上真央だったのですって、短い時間の登場だったので、タレント名は覚えておりませんでした。檀ふみは、その時は、主人公にとって、大切で、しっかりした愛着が形成された育ての母だが、戸籍上は叔母にあたる人物を演じています。実母が死んで、檀ふみが、再婚相手にふさわしかったのですが、実際には、そうは事は運ばず、彼女は奉仕一筋の人生を歩むという設定です。
新聞連載小説は読まない方なのですが、その挿絵、(智内兄助)が素晴らしく、そこから惹かれて文章も読み始め、さらに、テレビドラマも見ることとなりました。テレビドラマは、非常によくできていたと思います。出演者みんなが適役でした。原作は単行本化されてからも読みました。買いましたよ。箱入り上製本でした。
ところで、そのドラマの方から、記憶に残ったのか、それとも、原作から記憶に残ったのかは、覚えておりませんが、宮尾登美子が、披瀝した概念のうち、これは、素晴らしいと思ったものが、あります。
それは、主人公の【烈】が、後妻として家に入った、継母【せき】に、意見をする場面で、ナレーションが言う言葉です。母が死んだ後の話です。主人公にしてみれば、自分が長年慕い寄って来た叔母の佐穂(檀ふみ)と、父が結婚をすることを望んでいたのに、父は、色町の女と結婚をしてしまいます。その女がわがままで、しかも、だらしがないので、主人公の列にしてみると許せない場合があって、意見をします。その時のセリフにかぶせて、
・・・・・【せき】も傷ついているかもしれないが、【烈】もそれを言うことによって、したたかに傷ついていたのだった。・・・・・と言うものであって、すごい概念であり、私にも見事に当てはまる概念だと、思い至ります。愛着障害の文章を書いているうちに、北久里浜での、切ない思い出がよみがえってきたので、なおさらでした。
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副題2、『戦争の犠牲としての、貧乏を考えるために、靖国神社に行ったのに、私はそこで、日本有数の上流階級に出会ってしまった』
私は『保育所で、子育てをしない様に』と、繰り返し述べております。そのためには、重要な仕事をしている女性は、子供をあきらめる必要はあると思っております。また、男性には、もっと給料を上げてやらないといけません。日本は、いわゆるグローバリズムと言う名の、植民地支配を受けている属国なので、莫大な金銭を海外に吸い取られていて、日本人が働いたお金が、日本人へ還元されないのです。適切な、再配分もなされていません。それを改革していかないと、この国は、属国のまま滅亡をしてしまいます。一部のうまく生きている既得権益者以外は、生活が破たんをしていくでしょう。階層が、両極化していきます。
でもね、タワーマンションに入居するために、奥さんも働くという程度の家計なら、タワーマンションを買わないでいいのです。子供の方がずっと大切です。デザイナーズインテリアの中で、大塚家具の調度品を配置していたって、男の子が、40歳を超えて引きこもっていたら、どうします? 暗い気持ちになるではないですか? ものが大切か、心が大切かは、きちんと考えてほしいです。でも、そのことをお若い人たちに教える人間が居ません。むしろ、反対にトレンドが流れています。
昨日も、ネットの世界で、『保育所育ちの私は幸せです』という記事を見つけました。NHKニュースとgoo(=ocn)news livedoor news MSN news の4倍体は、私が普段、そこを点検しているからこそ、私の文章への否定の記事が載りやすい場所です。
引きこもりになったというところまで、極端ではなくても、男の子が、40を過ぎて、結婚をしないというのも親にとっては気がかりです。そして、女の子も結婚をしないケースが広まっています。女の子が未婚で、40を超えると、親は、心配で、たまらないでしょう。と言うのも、現代日本では、まだまだ、女性は差別の対象であって、生涯賃金も安いし、老年になっても働けると言う保証がないからです。今、貧困女子と言う言葉がありますが、昔は、そんな言葉なんてなかったです。
・・・・・適齢期は、25歳まで。と言う昔の不文律を復活させよう。・・・・・と、思うほど、今の女性は、守られては、おりません。安定的な守りの下に置かれていないのです。しかも、そのことをきちんと教える大人が居ません。で、うかうかと若い日をすごしたのちに、40代後半になって、家にいたたまれなくなって、独立し、一気に貧困女史へ転落するという形が起きるのでしょう。気の毒でたまりません。そこへもってきて、政府が、過干渉の極地で、女性の活躍推進法案を、作るですって。この国は、ますます、疲弊をしていくでしょう。
一方で、冒頭の写真に、見られる様に、社会の上層部に位置する人々は、まことに平和に暮らしています。
これは、用事(丸善CHIの株主総会)が、あって出向いた九段下のそばにある靖国神社に、私が73歳近くになって、初めて出かけた、24日、お昼に撮影した写真です。中央に、石がしっかりと埋め込まれた石畳があり、その上を歩いてくるのは、白百合学園の小学校一年生のちっちゃいレディたちです。そして、すべてのお子さんにママが迎えに来ているのでした。そのママたちですが、べつにPTAの集会があるわけでもなく、また、授業参観でもないのに、黒かブルーのワンピース、または、ツーピースの、きちんとした、いでたちなのでした。この親子たちが一生にわたって、上流階級であることができるかどうか? そして、将来、お子さんが、心底幸せになれるかどうかを、私は、疑いますが、
私が、「お子さんを、保育所で、育てない方がいいですよ」と言う時に、それは、同時に、「上のお子さんみたいな生活が最上です」と、言っているわけではないのです。それは、ここで、言明をしておかないといけません。私はごく普通の人が、ごく普通に生活するにあたって、夫の給料がもっと上がった方がいいし、それは、できるはずであるし、それによって、余裕ある時間をもって、母が、子供の面倒を見る方がいいと言っているのです。
下の方の文章は、前の日に一部を書いていたもので、それに、ぴったりだろうと、株主総会のついでに靖国神社に撮影をしに来たのに、大いに、調子が狂いました。(苦笑)と言うのも、私は貧乏であることの苦しさと、それと親の愛情を天秤にかけて物事を語りたかったからです。貧乏になることの一つの原因として、父親が居ないということがあります。父親が戦死をした人は、そうでない人に比較をすると貧乏な子供時代を送った可能性があります。無論のこと、戦争の犠牲者には、遺族年金が支給をされました。だけど、それでも、埋め合わせしにくい部分があったでしょう。そのことを考えるために、靖国神社に行ったのに、そこで、出会ったのは、『双葉か白百合か、どちらが、より上流階級の、お嬢様と言えるだろうか?』と言うほどの、日本一のお嬢様学校の、ちっちゃなレディたちだったのです。本当にびっくりでした。そして、大いに調子は狂いました。
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さて、本日、私が本当に言いたいことに入る前に、一般的な事例を、もう少し述べさせてくださいませ。
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副題3、『今、武蔵小杉にタワーマンションが乱立しているが、そこに住んでいるママたちは、大卒が多いだろうね』
武蔵小杉という町を皆さまは、ご存知ですか? 大発展をしています。煙などは出さない種類ですが、工場が多い地域だったので、敷地として、大きなスペースが確保できます。ので、タワーマンションが林立しています。また、東横線の武蔵小杉駅周辺は、新しい商業施設が、乱立していて、第二の二子玉川になるかもしれません。
そのタワーマンションと言うものですが、鶴見の、JR駅と、京浜急行の駅に挟まれた物件にだけは、興味があって、パンフレットをもらいに行ったことが あります。鶴見って総持寺があって、それが、一種の公園だから、全体に、環境が良いのです。昔から丘の上は、高級住宅街だったと思います。それに京浜東北線を 利用したって、東京駅まで、30分でしょう。蒲田で始発電車に乗り換えれば、東京まで座って、通勤ができますし。自宅の玄関から、会社のドアまで、電車の待ち時間を入れても、1時間以内で、行かれるでしょう。たとえ、オ フィスが池袋にあっても。だから、鶴見が、吉祥寺程には、有名な町ではなくても、駅から、一分の場所にあるタワーマンションなら、将来とも値下がりをする可能性はない物件です。
今、この手の高級マンションは、買う意思を示さないとお値段を教えてくれません。で、『遺産が入る予定です』などと言って、パンフレットをもらったのです が、高いのが億ションで、最安値のものでも、実質的に、6000万円でした。平均的なお値段は、9000万円弱。そして、いいものからすでに売れていて、 5000万円強の、1LKぐらいしか残っていないのでした。ただし、1LKでも、60平米はあるみたいです。それは、3年ぐらい前の話なので、今のタワーマンションの相場を知りませんが、タワーマンションっ て、好立地にあれば、だいたい一戸で、8000万円はするみたいです。
ああいうところを買って入居するのは、若い夫婦の自己資金だけでは無理だから、当然親からの支援があると思われます。それほどの、裕福な親がいるお嬢様は、当然の事、大学を出ているでしょう。小さい頃は、白百合か、双葉へ通学していたかもしれません。さて、これからどうなるか?
タワーマンションとは、もともと、子育てには向いていないと言われています。下に降りるのが億劫になるし、ベランダで何らかの作業をしていて、下に落ちると致命的なので、ベランダが、解放的ではないとも、言われています。しかも、ペットを飼うのは不可でしょう。だから、自然とは遊離した環境での子育てとなります。しかもママたちですが、東京圏で、裕福な家庭だと、私立中学の受験は、当たり前のことなので、小学校四年生から、お勉強漬けで、生きてきた可能性が強いです。そういう女性には、子育てに関して、本能が損なわれている可能性が強いです。
で、もしかしたら、彼女たちは、自分は上等なお洋服を着て、2歳から、3歳までの幼い娘にも、ウールでできたワンピースなどを着せて、お受験塾に通う女性となるかもしれません。そういう女性が、一年か二年後に、冒頭の写真に、写っている女性たちへと、昇格していくのだろうか?
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副題4、『現代日本の様に人口過密地帯では、一人で孤立して、子育てをすることはできない・・・・・過疎の村に移住をしない限りは無理なのだ』
佳子様ご入学で湧いているICUですが、50年前は、一学年に、200人しか入学をさせず、(アメリカから大量の寄付金が届いていたので、それで、大丈夫 だった)したがって、入学するのは、東大へ入るより難しいと言われていました。で、特に私学出身の、お嬢様が、入学してくる割合が多くて、才媛がいっぱ いいます。で、彼女たちのうちで、立派な仕事をしている女性の中に、お子さんがいないケースが多いのです。
で、そこから、私は気が付いたのですが、・・・・・妊娠とか出産とか育児とは、相当に動物的なものであり、頭脳を酷使する女性には、排卵さえ起らないのではないか・・・・・と言うことでした。私はたまたま 妊娠しました。しかも、主人が、それを、話し合ってくれなかったので、計画的な妊娠ではなくて、自然に任せたものであって年子で、妊娠をしました。
当時は、7棟で、合計200戸の中層型分譲マンションに住 んでいました。その数の住人だと、ママたちの派閥ができるので、誰かと組む必要があって、私はたまたま、隣の階段のママが、向こうから目をつけてくれて仲良くなったので、午後は、6,7時間、彼女と一緒に暮らす様になりました。彼女は都会地の情報に詳しい人で、国際基督教大学のことも、それが、できた最初期から、よく知っていて、それで、私のそだちを信用してくれて、仲良くなろうと、してくれた人です。とても賢い女性で、後年、お子さんを二人とも医者にしました。彼女との会話の中で、学んだことは大量にあります。書物よりも現場で、現実に即して考えることの大切さは、あの時期に学びました。
この横浜時代に、ママが二人で、周辺に、お子さんが、常に、6,7人一緒にいるという生活を体験しました。それが、JR鴨居駅近辺の、東本郷住宅と言う場所での経験であって、それが、生きているので、私は幼児を遊ばせることに関しては、ベテランのママの一人となっていて、したがって、移転先だった横須賀・北久里浜でも、自宅がいつも、私設・保育所並みに、にぎやかに、なって行ったのです。
横浜では、6~7人の、大きなグループで常に遊んでいたのですが、それは、自分たちのこども4人の仲間として、別のママの次子 とか、三子が加わっていたからです。二人目のお子さんとか、三人目のお子さんのケースでは、ママは、長子とママ仲間を既に形成しているので、次子と一緒にくっついては歩かないのでした。この横浜東本郷と言う町は、三井のららぽーとも、後年できるぐらいで、さすがに、住人のレベルが高くて、エチケットも高かったです。「お互い様」という観念が発達をしていました。
ところが、北久里浜では、違っていました。お互い様の概念を示さない人がいたのです。丘の上の総戸数、400~500戸の大規模団地なのですが、たまたま、私が住んでいる場所は、丘の上のさらに、突端であって、周囲に七戸しか家がないのでした。そして、そのうちの三戸には、小さな、お子さんが居ないので、総勢、四戸で、合計八人子供がいて、一緒に遊ぶという体制です。
それに加えて、上でも言っている様に、次子として、親には、面倒を見てもらっていない遠くに住む子供たちも、我が家周辺で発生する子供の歓声を聞きつけて仲間に加わるのでした。で、多い時で、10人ぐらいの、2~5歳の幼児が、集まっていました。プレ幼稚園、または、幼稚園・在園・時期のお子さんが遊んでいたのです。
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副題5、『一方で、セックスの快楽優先で、夫や子供を捨てる母もいれば、戦死者の遺児と言うママもいる。それが、1970年代の日本だった』
横浜・東本郷町に住んでいた時は午後中、或るママと一緒にべったりと過ごしていたのですが、今度はそれは、止めようと決意をしていました。あれは、1960年代で、分譲マンション生活のごく初期だったので、まだ、どういう風に生活したらいいかを、人々が、確認できておらず、過剰に群れたがってた時期でした。また、200戸と言う戸数も、危険水域の戸数だと感じます。全戸に、うわさがいきわたります。しかも瞬時にです。ある奥さんが家出をした話など、瞬時に伝わりました。その奥さんですが、セックス優先で、子供が、まだ、7歳以下なのに、家出をしたのです。そういうことが許される時期だったのでしょう。
ご主人は、官公庁勤めのエリートで、町内会の世話もしていて温厚そうなのに、奥さんは、結婚前の不倫相手と、暮らすつもりで、家出をしてしまったのです。家出する前のことですが、超が付くヒステリー女であって、子供をベランダに締め出して、長時間泣きわめかせる様な人でした。私は真南に住んでいたので、何回も、泣き叫ぶ声を聞きました。その女性は、特に下の子が嫌いらしくて、バスの中でも、しかりつけていましたし、締め出しも、次子ばかりでした。そちらのお子さんの方が、繰り返し被害に出会っていました。まだ、幼稚園・通園中だったので、五歳以下です。その人の家出は、たぶんですが、セックスの相性・如何と言うことだったと思います。結婚前の経験者(=年上の男性で、相手としては、彼女は不倫野遊び相手のつもりだったらしい)の方が、健全な考えのご主人よりセックスの上で、快楽が強いということだったのでしょう。
相当に計画的な家出であり、後から思えば、資金をためる為だったと推察できるのですが、いつも、お肉やの、アルバイトをしていました。当時は、中流階級の主婦が、人目に付く形で、働くということは当たり前ではなかったのです。で、『この人は肉屋でアルバイトをするなんて、ご主人の顔をつぶす人だなあ』と、思ってみていたら、自分の新しい巣を作るための資金稼ぎだったのです。で、ご主人が帰宅する前には、疲れ切っているので、子供にあたるのでした。畜生と言う言葉がありますが、本当にひどい顔をした人でした。怖い顔です。だが、ご本人は、自分を魅力的な女だと、自覚をして、昔の男性と、いつでも自由に、寄ってもらえる自宅(=ラブホテル代わりの巣)を作るために、家出をしたのでした。
今はその後、40年以上が過ぎているので、棟と、棟の間に植えてあったケヤキが成長し、美しい環境となっています。人間関係も落ち着いている事でしょう。元からいる人は年を取ったと思いますし、小さな子供の数も抜群に減っているでしょうし。
まあ、そういう風ににぎやかで、登場人物が多彩な、ソサイエティで、後年二人のお子さんをどちらも医者にするほどの、賢い奥様とタッグマッチを組んで、毎日6時間以上、喋り捲って、生活をしているわけだから、主婦としては、ベテランの会話能力を身に着けたわけです。それで、北久里浜へ、転居をしてからも、ご近所の主婦とも、幾ばくかの立ち話は、しました。
その時に、その幼い子供のいる4戸の中の一軒・・・・・(E家と、ここでは、仮に呼んでおこう。A,B,C,D,X,Y等は、過去にすでに使ってしまっているから)・・・・・の奥さんが、「父は、戦死しました」と言ったのです。ものすごくびっくりしました。私の周辺には、戦死した父の居る友達は、その時まで、遭遇したことはなかったからです。そして、瞬時に、いろいろなことが頭の中を回転しました。が、何も言いませんでした。
私にしてみると、立話って、まったく落ち着かないのです。特に横浜で、一日に6時間も一緒に主に部屋の中で話し合う生活をして来たわけです。それを数年間もです。その密度に慣れているので、立ち話だと、落ち着かなくて、話題を深める気持ちにはなりません。で、その【父親は戦死した】という重大事に、こちら側は何もコメントも入れず、ただ、受け止めておくだけにしました。・・・・・しかし、これが現在起きている種々様々な政治的問題へ、繋がって行くことになるので、とても、たいへんな、事なのですが、まあ、順を追って語りますので、ともかく聞いてくださいませ。
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副題6、『ミスターEは、戦後最大のエージェント、瀬島龍三の手先となって、私を、攻撃をして来た最初の人物であった』
E家は、ご主人は銀行マンだとのことです。だが、後日、大変低級なやり方で、復讐をしてきたので、大学卒ではないと思われます。そして、その復讐は、後ろで、戦後最大のエージェント瀬島龍三が、『そうやりなさい』と支援してのことだったと推察しています。
瀬島龍三の親友に、元海軍参謀の、益山重夫と言う人物がいて、その人物が、地積変更届と言う書類を利用して、横須賀市の水道山1200坪をただで、自分のものとするのですが、その時に、私を巻き込んだので、私は一切の裏側を知ることとなりました。益山夫妻は、私のことを人が良いだけの、人間だと小ばかにして、とんでもないバカげた嘘で、それほどの重要な書類を私に渡したのです。詳細を言えば、私も最初はその大規模な詐欺には、気が付きませんでした。ただ、わが家は、60坪ほどの敷地がありましたが、そのうちの半分は、私の母の名義でした。で、母の実印を押してくださいとのことで、彼らにしてみれば超がつくほどの大切な書類を渡されたのです。母は、変な話ね。寄付をするのに、実印を押すなんていうことはありませんよ」と、言います。それで、びっくりして、書類を精査して、詐欺に気が付くのでした。この件は、すさまじいことと発展をしていき、私はその時、益山夫人に、車で轢き殺されそうになります。頭がいいということもただ、メリットだけでもないのでした。(苦笑)
益山氏は、その近辺を、500平米ほど、買って移住をして来たのですが、それらをすべて、分譲地とか、建売住宅として、他人に分け与えて、結果として、書類上は、2.73平米しか残っておりませんでした。それって、一坪以下と言うことです。
しかし、見かけ上は、まだ、広い土地を持っている様に見えました。理由はすでに、横須賀市の水道山と言う部分に侵入して、そこを開墾をして、自分の土地にしていたからです。しかも、水道山全体を、円周状に回ると言う書類上だけ存在する道路を作って、それを横須賀市に寄付するという形を取ったので、横須賀市は、水道山が、実質的に益山氏(名義上は大建産業)にわたることを、阻止できないという仕組みになっていました。
巧妙にして超がつくほど、知的な詐欺事件なのです。
E夫妻に対しては、この計画が成功した暁には、成功報酬として、土地を分け与えると言っていた模様です。
今、その当該の土地は、山を崩し、平地をねん出して、ルネ北久里浜という美しいマンションになっています。一時期、グーグルの地図には出現をしていなかったのですが、今は、ブリーズコートとかフェアリーコートと言う名前で、出てきます。駅そばから、山の中を垂直に、5階分上がるエレベーターがあり、上にでると、富士山が見え、360度の眺望が利くマンションとして、売り出されています。
だから、悪事は、30年弱の時間を経て、遂行され、完成したのですが、その裏側の詳細を握っている私が、生きていると、それに、加担した連中は、枕を高くして眠れないので、私を殺したいのです。特にこの泥棒を、当時は、横須賀市の土木課長だった、杉本氏へ、(奥さんの正子さんを通じて)電話で、告げてあるのに、看過したのですから、杉本氏には市民を裏切っているという道義的な責任はあります。
で、このルネ北久里浜のエレベーターは、近隣住民にも月1500円で、使わせるという措置が取られております。また、その開始時には、数か月無料で使わせたものです。これも杉本氏のうしろめたさからでしょう。
で、私が情報を入れたのに見関わらず、わざと、看過した杉本氏は、その後莫大な富を得て、また、役職上大出世をすることとなります。彼は、長らく、横須賀市の副市長を務めていました。75歳になっている、今でもそうなのかな? 私が、この文章内に書いていることは、すべて、被害妄想の結果でも、誇大妄想の結果もなくて、実際の証拠とか傍証は、多々ある問題なのです。
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副題7ーA、『戦後最大のエージェント瀬島龍三(=アメリカが実質的に日本を支配するにあたって、最も頼りにした男が、彼である)は、自分の敵へ、復讐する為に、無辜の、子供の世界までを使うのだった。その前半』
その35年前に起きた、横須賀市の水道山が、ただで、伊藤忠の元顧問だった、瀬島龍三+益山重夫の二人にわたってしまった、実質上の詐欺・・・・・・(ただし、書類上だけは整っているので、犯罪としては、立件ができない)・・・・・を、決行した時に、ミスターEが彼らに協力をして、うちの子をいじめるということが起きます。
その詳細を、このブログの世界で、すでに、書いているので、今住んでいる鎌倉雪ノ下でも、同じことが応用をされています。我が家の前の道路が、29年前に、瀬島龍三の、鎌倉雪ノ下まで及ぶ、一種の復讐のおかげで、盗まれてしまったのですが、こちら鎌倉・雪ノ下での、登場人物は、彼本人ではなくて、ご近所の住民が前面に、立たされております。瀬島は、すでに、死んでいるはずですが、鎌倉エージェントと呼ぶ組織内の連中が、私のご近所住まいの人間を、あおり、教唆するという形をとっております。で、もっとも大きく動いたのが、前田祝一・清子夫妻であり、また、安野夫妻なのですが、
彼らが、私をイライラさせて、ノイローゼにさせて、したがって、自分たちが行ってしまった悪事を、消し去ろうとする動きに、利用する人材として、時には、自分の幼い孫を使います。それは、そっくりそのまま、35年前の北久里浜で、ミスターEが行った事なのです。しかも、この鎌倉雪ノ下よりもさらに、あくどいレベルで、それを行いました。
こちらで、前田家が、その手の孫を使った嫌がらせをして来た時期には、私には、まだ、孫はおりませんでした。だから、うちの孫が、疎外されて、仲間外れにされるという意味での被害はなかったのです。
一方、北久里浜で、その事件が起きたのが、1978年か、9年だったので、わが家の子供たちも道路を使って遊ぶ時期でした。ところが、わが家の目の前の道路を、ミスターEが乗り出して、キャッチボールを始め、しかも、うちの子を入れてくれないのでした。うちの子自身は、ミスターEのお子さんより、より活発で、社交的なので、すでに、小学生になっている事でもあり、少し遠くで、遊んでいました。仲間は十分にいました。そして、私が観察していたところ、ミスターEの長男は、ずいぶんと、引っ込み思案な子で、実際のところ、父が乗り出してくるのを嫌がってはいました。で、そこで、行われているキャッチボールは、まったくもって、自然なものではありませんでした。
しかし、親の方の私がそれを見せつけられるということがあります。いじわるをして来ているのを、わざわざ、見せつけられるという事があります。それは、たいへんに嫌な事であり、私はブログの読者には非公開と言う形ですが、すでに、一片の小説となしていて、文章に書いているのです。それは、タイトルを『元海軍参謀の陰謀』と言うもので、すでに、2000年には、完成していたと思います。
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副題8、『シャルリーエブド事件も、すべて、この1978~9にかけての、横須賀市北久里浜にあった水道山の、ただ取り事件に、端を発している。だから、私が今書いている、【E家のママの父親が戦死をした】という問題は、決して過去の話では無い』
この・・・・パソコンで文章を書くと、一切秘密にはできない。それほど、ハッキングの力が強くて、マイクロソフト自体が、協力していると思われる・・・・・と言う事が、最大規模で、悪用をされていくのですが、2000年ごろの私には、うっすらとは、裏側が解るものの、それが、無いことにしたいと思っておりました。
その方が怯えないで、いろいろ、行動ができますので。でないと、大きな犠牲を払って、ニューヨークで三か月ずつも、アート(特に特別な方式の版画について)修業をしたことがまるで、生かせません。
でも、2007年になって、自分のパソコンが壊され始めるという事態が起き、また、毎晩、50回ぐらい、仕事がしにくいシステム上の、破壊工作を、アドビのイラストレーターを使っている最中とか、ワードを使っている最中とか、AOLのメールを処理している最中とかに、受け始めて、初めて、自分は、特別な存在となっているのだと、自覚をし始めます。
そして、元ソニー保険の、社長をしていた川島章由君(ICU在学時の同級生)の2007年、9月の逝去の報をきっかけに、このことを公開し始めます。最初は、ICU卒業時の同期生相手だけでしたが、そのうちにメルマガの読者に向けても語り始め、そして、このブログの世界でも、詳細に、語り始めます。
すると、ありと、あらゆるニュースを使って、私が現在書いていることを否定しようとする動きが出始め、それが、シャルリーエブド事件であり、ルビッツ君が、自殺願望をもって、アルプスへ激突させたとされる、ドイツ格安航空機の事故です。また、チュニジア・チュニスで、博物館が襲撃されたのも、この北久里浜の水道山の、地籍変更届を利用した、ただどりじけんが、真実の端緒であり、また、広島空港にアシアナ機が暴走気味に着陸したのも、それから、延々と続く嘘の一端であり、また、秋葉原支柱倒壊事故も、同じ流れの中の事件なのです。
そして、私が、鶴岡八幡宮の宮司様とか、酒井忠康氏とかいう社会階層的には上だと、誰もが認める鎌倉の名士を、その行動について批判しても、まったく良心の呵責も感じないし、一切、ひるまないのも、・・・・・二人がなさっていることの裏側に、この北久里浜での瀬島龍三+益山重夫の、悪事が潜んでいる・・・・・・という確信があるからです。誰が使者になって、二人を動かしているかはわかりません。
ただ、今週の、24日(金)に、銀座の画廊、2,3の態度が変であって、考えてみて、なるほど、酒井忠康氏が、復讐をしてきましたねと、分かってきたので、ここまではっきりと書いています。最近、私は・・・・・氏の審美眼を疑う事例をニューヨークで発見をした・・・・・と語っています。それに対して、画廊を利用して復讐が行われています。が、神の前にたてば、本当に恥ずかしいことを、酒井忠康氏は、繰り返し、おこなっておられますよ。私にはそれが、明瞭に見えているので、ひるみません。
でも、それらの、敷衍的なニュースとか、現象の方には、本日は詳しく触れることをせず、・・・・・E家の問題へ帰ります。
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副題7-B、『CIAのトップ、瀬島隆三は、無辜の子供の世界をも、悪、利用する。その後半』
ミスターEが、子供の世界に干渉して、瀬島達の支援に回ったのは、週末でしたが、こちら、鎌倉雪ノ下では、前田清子さんは、夜に行動を起こしました。定年退職しているのか、それとも、國學院大學の講師だから、時間に余裕があるからか、夜、孫たちを使って、ち・よ・こ・れ・-・と・遊びをやっていました。特に、石段が、はっきりした形をとっているもっと、山の下の方でやるとか、自分の家の前でやるのなら、気が付かないで済みます。が、わが家の前で、しかも、大声で、それを、やるのです。だから、意味がピーンとこちらに響いてきます。・・・・・例の『元海軍参謀の陰謀』と言う小説の中で書いたことを応用しているわけですね・・・・とわかって来ます。
私がご近所トラブルをあれこれ、書くのは、すべてのトラブルの裏に、大・大の字がつくほど、CIAが居るからなのです。『単に、気が合わないから、意地悪をしてやれ!』と言うレベルではないから、書くのです。そして、それが日本政治の本質を分析することにつながるので、意義も、感じています。
でね、最初のち・よ・こ・れ・-・と遊びのことをこのブログの世界で、書きました。リンク先を見つけるのが大変なので、今それをやっている間はないのですが、その時は、彼女は、自分が主導をして、自分の孫を使って、私を・・・・・極端に言えば、・・・・・殺そうとして来ていたのですから、こっちも必死で応戦しますね。で、今度は、二度目のこととして息子さん(孫にとっては、父にあたる存在)を使って、我が家の前で、ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びをやりました。しかし、この時も夜だったので、異常なこと極まりないです。
しかも、さらに驚くことに、今度は他人の子供まで、教唆して、使役し始めます。驚くべき悪意です。しかも、私が、彼女や、安野夫人たちのことを天が叱るために、鶴岡八幡宮の大銀杏を倒壊させたと書いているのにもかかわらず、そういう風に出てくるのでした。鶴岡八幡宮様は名誉や、金銭的に、彼女たちを支援なさっておられます。無論のこと、伊藤玄二郎発で、アイデアが、ねじ込まれているのでしょう。
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副題9、『私の文章を種に、攻撃案をねん出する、人間は、表向きは死んだことにして、実際には、地下潜行をしている井上ひさしなのか? それとも前田祝一氏なのか? それが、今は、問題だ』
文章にすでに書いているのに、無視して、同じ手法で、攻撃をさらにやってくるので、私は、ずっと、こういう風に考えておりました。・・・・・前田氏とか、安野夫妻が、他の人を動かしているのだけれど、A家が、未婚の娘の形態をスパイとして、役立てて、安野家のベランダから、私の頭へ水をぶっかける様な、バカげたことを了承をしたのは、何故だろう? まさか、単なる仲良しだから、そちらに協力をする。それほどのバカなの?あの夫婦は。奥さんは、田園調布育ちで、武蔵野美大を出ていると言っているし、ご主人も、お見合いで結婚をしたとみられる、書斎派(=有名大学卒のインテリ)みたいなのに、どうして、これほどのバカなことをします。「これはね。巨匠、井上ひさし様が考え出したアイデアなので、貴重なものなのですよ。水をぶっかけられたら、自分が嫌われていると悟って、彼女は引っ越していきますよ。そうしたら、私達は安泰です。だから、協力をしてくださいね」と、前田夫人は、A夫人に頼んだのでしょうね。井上ひさしの名前を信用して、こういうバカげたことに、協力をしたのだろう・・・・・と。
しかし、シャルリーエブド事件が起きてから、考えがだいぶ変わりました。「前田祝一氏もすでにトップクラスのエージェントとかしているのではないかしら? 彼は、仏文学科の教授だったのだから、文章の読解力はあるでしょう。さすれば、私の文章を研究しぬいて、そこから、攻撃用のアイデアを出している可能性もある」と、考え始めたのです。ここは、非常に重要な点であります。まあ、私が大物扱いを受けているのも事実だとすると、最も身近にいる存在として、破壊力が抜群だと、推察されていれば、そういう役目も割り振られるでしょう。それで、私が事前に予定を組んで、外出するたびに、共産党が、目の前に顕現するのかもしれません。それは、井上ひさしのアイデアだと思っておりましたが、前田祝一氏も共産党である事は、確かなので、そちら発のアイデアで、こうなっているのかもしれません。これは、結構なレベルで、厄介なこととなったなあと、考えています。ただ、今章では、この推察への、傍証の類は、曝さないでおきます。
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副題10、『E家では、奥さんは、かかあ天下みたいで、旦那さんは、体格は大きいものの言うなりみたいだった。そして、奥さん主導で、次子(娘)を幼稚園には、通わせないと決めたみたいだった』
E家の家族構成において、お子さんが上が男子で、年子で、したが女の子と言うことで、わが家と二歳違いで、同じ構成になっています。そちらが年上です。それで、うちの長男が、幼稚園に入る四月には、そのお嬢さんは、すでに、年長組になっていないといけないのでした。ところが、家で、夫婦で、『下の子は幼稚園には行かせない』と決めたみたいで、わが家の子供が幼稚園に入学する前には、一番年長の子として、グループの中に存在をしていました。しかし、その頃は、晴れた日は、全体で、6人で遊ぶので、ほとんど問題がありませんでした。うちの上の子は、私がおやつを上げるということを、知っていて、それに安心をしているので、おやつとかお菓子のことは忘れて遊んでいます。
ところが、うちの上の子が幼稚園に入ってしまうと、突然に、外遊びが消えました。ある意味で、子供社会のリーダーだったのです。で、外遊びが、崩れたので、そちらE家のお嬢さんと、わが家の二歳年下の娘が家の中で、遊ぶ様になりました。これは、女の子としては当然のことなのです。女の子って、外で走り回るよりは、家の中で、いろいろな、おもちゃを使って遊ぶ方が好きなのです。
ところが、数週間で、困った事態に陥りました。それは、2才も年上の、その子に、お菓子を盗み食いをされるという難問でした。どんなに隠しても、探し出して、しかも、 隠れて食べるので、本当に困りました。お母さんは専業主婦です。それに働いてもいません。ただ、元、銀行勤めではないかと、思われました。それで、計算高いのです。で、『幼稚園なんて、たいしたことをやってくれないのだから、行かせなくてもいい』という考えの様でした。
でも、それって、子供に特別な経験をさせるのだから、かわいそうなことなのです。ただ、私は横浜東本郷の時だったら、毎日六時間話し合える環境があったので、相手に自分の意見を言ったと思います。でも、先ほどもいう様に、立ち話程度の会話では、自分の意見など開陳をしたくない方で、黙っていました。
そう言う特別な選択を、とった裏には、もう二つ別の理由があって、そちらからすれば、【「お隣にあたるわが家が、まるで、私設・保育園状態で、子供たちが楽しそうだから、あそこで遊ばせておけばいい】という点と、もう一つは、この子が次子であるので、愛情が長子ほど涌かないということと、娘だったのでフロイトのいう、エレクトラコンプレックスも相まって、母親の方が、子供が、かわいくないのです。一方、父親の方ですが、女の子って、父親にとってはかわいいものなので、『幼稚園にやらせないのは、友達ができにくいからかわいそうだ』と、主張をするはずですが、そういう結論にはならないで、行かせないとなったのは、奥さんが、かあ天下だからだと思います。
親が愛情がないケースのお子さんって、本当によ くわかります。まず、常に上目づかいで、こちらを見ます。たった後妻の子供なのに陰険で、微笑みもありません。ここを書きたかったので、E家を仮名にしました。Eはイニシャルでもないのですよ。遠藤さんとか、円城寺さんでもありません。この子がどれほど、かわいくないかを語るために、わざと、まったく無関係な、仮名にしたのです。そして、その困った問題を発見して、叱っても、まったく、こちらの言うことを聞きません。それは、他人母親に比較をすると、私みたいな、他人のおばちゃんなんて、まったく怖くないからでしょう。私は無論のこと、つねったり叩いたりするわけでもないから。
だけど、四〇年後、こういう文章を書くのですから、ある意味で怖いのですよ。これを実名で書いたら、・・・・・まあ、結婚をして、名字はすでに変わっているでしょうが、・・・・・婚家の姑などから、『その通りだ。陰険な性格で困る。息子とは、離婚をさせるべきだ』という様な話が起きるかもしれませんよ。
それでもね、子供に愛が あれば自然に、私に対する感謝の気持ちもわくでしょうし、それが、言葉に出れば、ママ同士に、親愛の情がわきますので、問題が、深刻化する前に、話し合えると思うのです。しかし、『こちらのこどもが、二歳も年上だから、お宅のお子さんの、面倒を見てあげているのよ』と言う態度で、ふんぞり返ってい益す。毎日迎えに来て、ありがとうございますと言われるどころの話ではないのです。そう出てこられると、こちらも、追い詰められるので、とうとう現場を見せるということになります。押入れの下の段に、お客用の蒲団が置いてありました。母は、ものすごい働き者であって、すべての蒲団を上等な綿で作ってくれていましたし、そのうえに、天竺木綿(シーチングとも呼ぶ)で、包布(全部くるむ病院方式)の手作りカバーをかけておいてくれました。その白いカバーが、飴(生キャラメル状のもの)で、ベッとべとになっています。その部屋にこもるのは何度目かでした。で、主人の書斎用に使っている机の下に、二人が居ないことを確かめたのちに、そして、家じゅうのどこにも見当たらないことを確かめたうえで、その押入れの中に隠れて、お菓子を盗み食いをしていると確信をしたので、その現場を、ママに見 せることとなります。
ママは、現場を見て、しかも、私から、数か月間にわたって、困らせられきったという話を聞いて、恥ずかしかったと思います。だけど、もし、お互いさまの観念を彼女が持っていて、そちらでも子供を呼んで、家の中で遊ばせたら、自分の子をもっと正しく、理解できる部分もあったと思いますよ。子育てに安易な道はありません。みんな、同じぐらいの労働を果たさないといけないのです。むしろ、よその家で遊んでもらう方が気兼ねなほどと、心構えを改めないといけません。それと、できるだけ、遊んでいる現場に、顔を出さないといけません。盗むぐらいだから、お菓子のことは、家でも、何も言わなかったのでしょう。だけど、どんなお菓子をもらったかと、自然に、こどもが報告をする様な、明るくて優しいお母さんでないといけないのです。そのためには、自宅でも、お菓子を上げる生活をしていないといけません。自分の子供時代が、質素だったから、この子もそれでいいというほど、の、時代では、すでに、なくなっていたのです。
ここらあたりですが、今、何分の一かの家庭が給食費さえ払えない状況だと、聞きますので、せつないこと極まりないです。そして、そういう悪い社会になった原因を語りたいです。私は旗振りはしないと申し上げております。アジテーションもしたくないです。だけど、現在の日本社会はおかしいです。東北に以前より高い防潮堤を作るのだそうです。そのお金を、子供たちに回しましょう。
しかし、元の、幼稚園に通園させなかったお嬢さんの件に戻れば、結果は、E家から、私が復讐をされることとなりました。そして、その流れが、38年後、こちらの、鎌倉雪ノ下でも応用をされる事となっています。
2013年4月24~26にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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