銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

NHKスペシャル【空き家特集・杉並区篇・2010年1月】を使って、個人的に弾圧をされた私△

2016-10-30 22:57:15 | 政治

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。二枚あるのは、私が、国画会の絵画部と、版画部の両方に、1991年から、2002年まで、どちらかで、入選をし続けていたからでしょう。


 これは、2016年10月28日に到着した国画会からのお手紙です。来年の、五月の連休中に行われる展覧会への応募用紙です。既に、14年間も出品していないのに、未だ来る。どうしてでしょうかねえ。これを担当しているのは、2000年には、お給料をもらっていた、広田成生さんだと、思うのですが、この封筒が、この10月という時期に来るということは、彼にとって、12月末は暇だという事です。

 で、部屋で、他のスタッフ二人と一緒に、おみかんを食べている処へ、私が「論文を書くための資料を見せてください」と、訪問をしたのですね。それは、上野の都美館から歩いて五分の場所にあるマンションを借りて、国画会が、事務所としていた時代であり、2000年の事です。両側を棚で囲まれた、立派な事務室の真ん中には、白木のしっかりした1.5mX1.5mサイズのテーブルがあって、その日には、そこでは何もやっていないのに、その場所を貸してくれず、玄関(0.7m四方)で、仕事をさせられたのでした。コピー機も貸してくれず、かつ、椅子もテーブルも貸してくれず、私はしゃがんで、膝の上で広げた資料(過去の展覧会のカタログ)を読み、不自由な姿勢で、メモを取ったのでした。そして、欲しい図版は、歩いて10分ぐらいかかるコンビニまで、コピーを取りに行ったものです。そんなひどい待遇を受けたのは、部屋の中では何も仕事をせず、ただ、おみかんを食べていたからです。それを見られると嫌だと、思ったのでしょうね。小心者です。だが、資料を手渡しする時にすべては見えましたよ。つまり、非常に楽な仕事に対して、お給料が出ていたという事です。それを、見られたくないという小細工でした。バカですねえ。普通のレベルで、親切にしてもらえたら、別に、こういうことは書きません。毎年10月の末に応募用紙は来るのだから、12月の末は暇だというのは誰にとっても、理解ができることではないですか? それに目くじらを立てるほど、私は子供ではないですよ。

 これを冷遇と言わずして、なんと言おう。この先は、副題5に続きます。そこに委細が、丁寧に、書いてあります。

 この文章は最初は、総タイトルを『大久保忠春氏、秋山裕徳太子氏、酒井忠康氏を、大口病院事件が起きた後で、分析する・・・・・その1』としておりました。だが、30日の夜10時半に上のものと変更しました。そして、夜の、9時半から推敲加筆を始めております。終わったら、△印を総タイトル横に付けておきます。

 なお、この一文に書かれている内容は、大変、暗い話ばかりです。でも、著者である私が、そういう類の、暗い人間だとは、思わないでください。例の鎌倉エージェントが、そういう人間たちなのです。ずるくて、暗いです。そして、恐ろしい事ばかり企画をしております。ただ、もし、私が真実を見破って、それをこのブログで書いた場合に備えて、どこかで、『お前の方が嘘を言っているのだ』と言って、逃げられる様に、一部に、真実を込めるという形で、事前・準備をしているのです。

 それが、大口病院事件などです。特に三か所目の飛び火地点として、千葉県の、友愛病院というところが選ばれました。この病院名ですが、私は、知りません。そして、鎌倉エージェントの誰かが、ここに、関係があるという事も知りません。

 だが、非常に重要なことに、とうとうですが、筋弛緩剤が、登場しました。これを私は待っていたのです。だから、今まで、大口病院事件について、それほどに、詳細に書く事が、無かったのでした。しかし、ここでは、大口病院については、まだ、論ぜず、昔のことの方を語っていきます。

 部分的に真実を持っているが、主要な部分で、はめるため、の、うそがあるという特徴を持つのが、現在の謀略事件です。が、昔は、高をくくっていて、ひどい事を平気で、やってきているのでした。しかも、単純にです。2007年から、特に顕著に、そういうことが起きてきているのですが、ともかく、本日は、2010年の、1月に、報道されたNHKスペシャル【空き家特集・杉並区篇】という番組について、分析していきます。

 もちろん、読者の中には、「そんなことは、古い事だ。どうして今の事を分析しないのだ」と、おっしゃる方があるでしょう。だけど、古い事だから安心して分析ができるのです。もう固まっていて、動かないからです。

 そして、この一文の目的は、是も又、現在起きている、そして、私の想像通りに、大型化して生きそうな、大口病院事件を分析していくための準備の一部だと、言う事です。鎌倉雪ノ下から、それを攻めていくという案もあるのですが、美術界にうごめいているCIAの動きを通じて、それを分析していくこともできるのです。

 本日の、この一文だけで、それが、一気に解決するわけではありませんが、どの問題も、共通する事項があるので、それを皆様に開示していきたいと、思っているわけです。

副題1、『前報(後注1)に、自信があり、それで、新しいブログを本当は書きたくなかったほどである。実際に入力に対して妨害を受けているので、前報が、どれほど、重要な文章であったかが、私にも傍証づけられて来たし』

 創作をしている人間は誰でもそうだと、思うのですが、終わりに近づくと、今作っているモノの出来が良いか悪いかは大体わかるものなのです。で、私にとって、前報は、些少の自信がある文章でした。どういう方面で、出来が良かったかというと、そこに包含されている真実が、まだ、他の人が誰も触れていない真実であると、言う点で、すごいものになって居ると、考えております。特に副題9の、赤字で書いてある部分が、すごいものであるはずなのです。そこだけでは、一般読者様に向けては、説明不足ですが、鎌倉エージェントには、すぐ何を書いてあるかがわかっており、それゆえに、彼等たちを震撼させている筈です。

 こういう時は、次のブログを書くときに、いろいろ、邪魔をされます。まず、入力が表に出てこないという形があります。これは、第一次フェイスブック時代の2011年に始まった妨害で、最初はおろおろしましたが、今では、突破できる様になっております。ただ、そういうパソコンシステム上の妨害が起きるのも、このブログが、真実を書いて居るからこそですから、私は、『ああ、やはり、そうだったのだなあ』と、確信を抱くというわけです。

 それで、非常に重要なそこだけを、もう一遍ここにコピペで置きましょう。そして二度目なので、それを4つに分解して置きます。:::::::::::

副題9、『  *1)2016年9月21日のNHKニュースウォッチでは、この点滴液における殺人事件(横浜大口病院事件)が、北九州にある、産業医科大学付属病院に飛び火したと、言っていた。が、何故、その病院が選ばれたかは、私には、すぐ、判ったのだ。それは、現代アート系作家大久保忠春さんの、交通事故を装った暗殺(後注1)が、思い出されて、その病院が使われたのだった。

  *2)大久保忠春さんは私と、例の元経済企画庁長官にして、元三井物産副社長と、成岡庸司君と、元福音館社長時田史郎君と、慶応大学の同窓会・三田会の横浜支部長・横山君と、元ブラウン大学(NHKクローズアップ現代のMC・国谷裕子さんが、同じ大学を出ているが)出身の高田弘子さんなどと、私が全部一緒だった横浜国立大学付属中学校を出ているからだ。

 *3)そして、野見山暁次さんと大久保忠春さんが親しくて、かつ、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんが、自殺を装って、暗殺された事案などが、すべて、絡んでいると、私は見ている。彼らが思いつくのは、まったくぜろから、始まる事ではない。だから、この大口病院事件は、謀略なのだ。

 *4)つまり、すべての謀略は、前田祝一夫妻とか安野夫妻とかが、過去に行った、悪い事を無かったことにして、彼等を助けるために起こされているのだ。そして、この大口病院事件も、その一つであったのだった』  :::::::::::ここで、挿入から元に戻り、本日の新しい文章へ入ります。

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副題2、『大久保忠春さんとは、九州産業大学の教授だったのだ。だから、大口病院事件が、謀略だとばれそうになった際に、私に、さらに、その先の真相を書かせないがために、第一の、飛び火地点として、その大学病院が選ばれたのだった』

 私自身はすべてを記憶しているので、そのことを当然覚えているものとしてつい、抜かして、ことを書き進めてしまうのですが、大久保忠春さんと言う同期生(と、言っても全体で、100人だから、結構よく知っている方だけど)は、九州産業大学の教授だったのです。中学時代の彼は、写真が好きで、それで、賞を取ったりしていたのですよ。ともかくお金持ちのお坊ちゃまだと思います。ライカか何かを、既に中学生にして、しかも、1950年代に、親から買ってもらっているのですからね。昔の中学生、特に付属みたいに、エリート階級のお子様が通っている学校の子はバイトなどしませんので、親が買ってくれたカメラでしょう。そういう点からも、私は次の様に想像をしているのですよ。お顔は、似ていないものもお名前から、大久保利通公の、子孫ではないかと、そう思うところもありました。だって、男がです。一生の仕事として、現代アートを選ぶということは、相当なお金持ちだと、言うバックがないと、選べないのですよ。私は女性だから、生きていく糧は別にある(サラリーマンと結婚をしている)ので、いいのですが、男が、現代アートに耽溺をするのは、ちょっと、危険な話なのですね。ただ、教職に就けばいいのですけれど。

 私は彼と個人的な会話を交わしたことはないのですが、ただ、一度だけ、毎日コンクールの1998年度に、二人とも入選して、彼と、精養軒の二階で、お昼を一緒にしたことがあります。ほぼ、20年前ですね。その時に彼が、「三田晴夫さんに紹介してあげようか?」と言ったのに、私って、非常に臆病であって、「いい。いいです」と言ってしまったのです。あれがねえ、反対方向で攻めて行って、「ええ、紹介してください」と言って居たらどうなっていただろう?

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副題3、『ここで、美術評論家、三田晴夫さんについて、解説しないといけなくなった』

  ここで、二日目に入って、推敲中に、三田(さんだと読む)晴夫さんと言う美術評論家について、解説を加えたいと思いつきました。美術以外の、分野の人が三田さんを、知らない可能性があるからです。毎日新聞紙上で、長らく美術評論をしていた人で、しっかりした人で、まともな人です。しかし、どうしてか、非常にお気の毒な弾圧を受けました。

 そういうケースは、類似の事件があるので、私はすぐ謀略だろうと、推察したものです。ほかの事案とは、NHKで、7時のニュースとか【その時、歴史が動いた】の司会をしていた松平定知アナや、佐木隆三んさんも、受けた同じ類の攻撃で、相手から徴発を受けて、それで、喧嘩になってしまい、相手が、それを、ニュース化したというケースです。相手とは、タクシーの運転手です。この三人は、いわゆる、CIAの陣内には、入っていなかったから、こういう弾圧を受けたと、感じています。反対に、高須クリニックの院長とか西原理恵子さんなどは、そちらの陣営に入っているので、やりたい放題の事をできます。林真理子さん、残間理恵子さん、福岡伸一さんも大体、似た様なものです。

 ただ、松平アナのケースと佐木さんのケースは、マスコミにすでに乗っている、有名人でもありお金持ちだから、飲んだうえで、タクシーに乗っていたので、一種の密室だから、狙われやすいし、一般の人が、簡単に、それを、信じやすい状況だったのでした。しかし、三田さんのケースは電車の中です。
 しかも、それほど、有名人でもないです。だから、より程度が深い、謀略の、匂いがします。気の毒だったなあと、おもっております。三田さんは、美術評論家の組織の中で、慶応閥とか東大閥には、入っていないみたいだし、とても真面目そうなので、すべて、人的コネで、事を行う、CIA組織から狙われやすいのだと、思います。朝日新聞社は、自由で、主体的な毎日新聞を憎んでいる可能性もありますし。

 ところで、ここから先は、部分的ですが、80%の真実を開示する文章となっていきます。それはですね。三田さんをはめた、電車内での、喧嘩とは、後注2に書いた、私の、エッセイが、引用されていると、見做しています。そして、毎日新聞の、現代アートの、コンクールが無くなって、悲しんでいる私の悲しみをさらにえぐるために、三田さんが、狙われ、・・・・・そして、毎日新聞紙上の、三田さんの美術評論は消えたのでした。 

 誰が、その挑発者を、リクルートをして、事件を起こしたのか? そして、単なる喧嘩で終わり、新聞記事にもするべきではない事件なのに、どうして、新聞記事になったのか? 目撃者がいたわけですね。それも、CIAだったと、思いますよ。

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副題4、『毎日新聞社主催の、現代アートのコンクールが無くなってしまった。どうしてだろう?酒井忠康氏などが、裏で、それを勧めた可能性を感じるのだけれど』

 ところで、ここで、三田さんについて書いて居る、挿入から部分から、元へ戻ります。この間から、書いて居る、小さな私立大学である日本工業大学の広報部長だった女性が、突然に、学芸大学の広報担当特任教授になった話がありますね。あの人が、5歳ぐらい後輩(お茶大付属高校の)なのに、常に、上から目線で、物言いをする女性なのですが、良く、「川崎さん、チャンスは前髪をつかめというでしょう。それでないとだめよ」と、言っていました。

 精養軒の、二階のベランダで、池を見下ろしながら、大久保忠春さんと、二人で、ランチを一緒に取りながら、彼女のその「チャンスは前髪をつかめ」という言葉を強烈に思い出しておりました。でも、大久保忠春さんに、「ええ、お願い。三田晴夫さんに、紹介して」とは、頼めなかったのです。

 私はニューヨークやパリで暮らしているときは、すこぶる元気で、勇敢なのですよ。しかし、日本だとだめなのです。消極的になってしまいます。その時だったと思うのですよ。毎日新聞が取材をしてくれて、「中学の同級生が同時に入選をしている」と、記事を作ってくれました。

 毎日新聞社は、NHK音楽コンクールもNHKと、共催していたし、この現代アート系のコンクールも主宰をしていたし、将棋の名人戦も主宰をしていたのですよ。長らく。そして、それらのコンクールは、私の実家の近所の水谷さんと言う方が、始めた事だったのでした。そのおじさんに、「あんたは、ばかだけど、あんたのお母さんは、聡明だよ」と、東横線・渋谷駅で言われたことがあります。丁度、私の方が、東大に勤務していた頃で、つい、この水谷さんも、東大卒だと、勘違いしてしまったので『おじさまは、どこの大学を出ていらっしゃるの?』と、質問をしたからでした。ご子息が東大出身だから、父君も当然そうだと、思っていて、そう質問をしてしまったのです。

 日吉の実家のあるあたりは、社長通りと言われていて、東大卒が、ずらずらすらっと住んでいる一帯だったのですよね。だから、水谷さんも、当然東大卒だろうと、思って質問をしたら、違っていたのでした。「僕は、青空大学を卒業しているんだよ」と、続けておっしゃいました。これは、私の失敗です。だけど、水谷さんは、私の母には好感を持っていてくださったみたいで、いつも、毎日新聞社刊行の高価な本(1970年代ですでに、9000円ぐらいなの)を持っていらっして、母は、買っていましたよ。

 私ね、今般の、大口病院事件の、発端となって居る柳沢昇とか、彼の亡くなった妻であった(と、同時にご本人が、「自分は、伊藤玄二郎の愛人だったので、彼にはよくしてもらっている」と公言をしている)石川和子さんやら、その最も大切な親友だったらしい安野智紗夫人やら、その安野夫人に媚びている前田清子夫人などから、とんでもなくひどい形で、からまれている、この30年間の、種々のエピソードを思うと、
 どうして、鎌倉雪ノ下というブランド住宅地に、こんな下品な人たちが住んでいるのだろうと、不思議でしかたがないです。あの、日吉の実家付近の人達は、こうではなかったのにと思うので。社長通りなどと言うのは、ご近所の間でのマイナーなジョークです。ただ、日本の高度成長期を支えた人間たちが住んでいた町ではあります。そこでの、マナーとかルールを思うと、こちらの、雪ノ下で、行われていることが、本当に信じられないのですよ。本当に信じられない事ばかりです。他人の所有する土地の崖部分を無断で、破壊するなど、ただ、ただ、信じられないです。

 その原因ですが、20戸だけで、地域社会を作っている、一種のタコ部屋だから、こうなると、おもっております。その上に、外部から、CIAエージェント達のアイデアや指示が入るので、これほどに、恐ろしい事が平気で、行われる一帯となってしまっているのでした。

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副題5、『毎日展がつぶれてしまったのは、単に毎日が不景気だからだったのだろうか?』

 ところで、大久保さんの方は、すでに、毎日コンクールに何度も入選している存在でした。ところが、私の方は、子供が中学時代には、一切を休んでいたのです。これは、絶対に必要な事だったと思っています。川上未映子さんが、新海誠と、一緒のスイッチインタビュー(NHK土曜日)で、子育てをしながら、文案を練っていて、子供が寝た途端に、パソコンでぴゃーっと入力をすると言っておられたけれど、ちょっと危ないですね。子供って、母親がそばに居ながら、心、ここにあらずと言うのが、一番いけないのですよ。大丈夫かなあ? 若いうちに一芸に秀でて世に出た女性が、さらに、結婚をして子供も持つというのは、幸せの極致だとは思うけれど、子供って、そうそう簡単ではないですよ。

 川上未映子さんは、きれいな方だから男性が放っておかないとは思いますが、あまりにたくさんの物を手に入れると、どこかが欠けてくるものです。決してねたんでいうわけではないし、呪っているつもりもないのですが、『大丈夫かなあ。小説家と、子育てって、両立しがたいとは、思いますよ。ただ、聡明な人であるのは認めますので、どこかで、気付きを得られるとは、思いますけれど。

 ・・・・・神は、どんな人にも平等であり、人が持っている幸福の量と、不幸の量は、すべての人において、等量である・・・・・と、言う概念をどこかで読んだことがあるのですが、74歳になった今では、私は、その概念は、どうも正しいのではないかと、おもっております。そういう意味では、山口百恵は、正しかったです。彼女は、若くして、人生の知恵を獲得していたと、言えましょう。

 ここでも子育てという、余談の方へ入ってしまいましたが、芸術家の優劣という意味では、その1998年時点では、大久保さんの方が、先輩で、はるかに、優越している存在でした。ただね、決して、イソップ物語の酸っぱい葡萄風に言うのではないが、芸術家の優劣なんて、そうは、簡単に決められないものなのですよ。というのも、大久保さんの作品は、非常にユニークなもので、素晴らしいものでした。キャンバスの裏から作業を加えて、キャンバスに凹凸があるという作品を連作している作家だったのです。一方で、その特徴を生かすために、色は、常に、グレーとベージュが混合されたもので、統一をされていました。それに比較をすると、私は色の側面で、センスのある作家だったのです。

 それで、面白いエピソードが生まれています。国画会の国展と、毎日展は、いつも同時期に、上野の都美館で、開催をされていました。その時期は、春陽展もあり、春季には、もっとも、華やいだ集だったのです。六本木の新国立美術館が開館する前の話ですが。それでね。都美館内で、すれ違った、国画会内部の、とても偉い先生X氏が、「川崎さん、あっちの方に、いい方を出したね」とおっしゃったのでした。

 ここから先ですが、初稿では書いたつもりの事が消えております。で、仕方がないので、もう一回書きますが、その頃の私は、ゼロ号の筆で、小さなネットを最終段階で、画面に掛けるというシリーズを制作していました。で、国画会の方は、100号までという大きさの制限がありました。ところが、毎日展の方は制限がないのです。その頃の私は、その手の大型の作品を、一年に8枚程度制作をしていましたが、キャンバスの大きさは、100号を、5枚程度、120号とか、150号を三枚程度描いていました。で、たまたま、毎日展には、大きさ制限がないので、150号の物を出していたというわけです。

 ところで、その毎日展が、潰されました。毎日新聞社は、景気が悪いという事でしたが、それだけではないと、思います。陰に酒井忠康氏の動きがあったでしょう。酒井氏は、瀬島龍三から、私が、大物画家になってはだめだから、毎日展を潰してしまえと、教唆を受けたのだろうと、推察しています。

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副題4、『2010年の1月に放映をされた恐ろしい番組、【空き家特集】は、私と上條陽子さんとの電話から始まったと、推察している。ここには、秋山裕徳太子氏が、からんでいるが、その秋山氏の、上に居るのは、酒井忠康氏だったのではないだろうか? だから、ここでも、酒井氏が絡んでいる可能性を感じる・・・・・ただ、石塚雅彦氏 →、湯川有紀子さん →村松友視氏 →赤瀬川原平氏 → 秋山裕徳太子氏だったかもしれない』

 上のエピソードですが、裏側の心理を言えば、別に国画会を逃げ出して、毎日展一本でやって行こうとか、思って、いいものを、そちらに出したわけではないのですよ。でも、都美館で、すれ違った際に、「あっちの方に、いいのを出したね」と、他の人が聞てもいいという形で、捨て台詞を言われたのは、そのX氏が、私が、国画会で、冷遇をされているのに気が付いておられたという事なのです。それは、確かです。

 もしかしたら、北久里浜の地籍変更届(=一種の詐欺であり、横須賀市の水道山が、只で、民間人の手に入った)事件が、1978年だったので、その20年後であり、島田章三さんが、何らかの悪口を私に対して国画会内部で、おっしゃっていたのかもしれません。島田章三さんに対して、横須賀市から、大金が付与されていた頃でした。

 これが、何で、そうなるかというと、その詐欺事件を、当時土木課長だった、杉本某氏が、見逃しているのです。私がちゃんと、「これはおかしい」と、言っているのにです。杉本某氏は、その後大題出世をして行きますし、どうも、一種の、見返りとして、大金を得たと、思われます。瀬島龍三が、「気に入った。あんたの面倒は、一生見るから」と請け合ったのでしょうから、最大の、特権を得たというわけです。

 実は、これも、また、私の知り合いの、方を出世させ、私を、一人取り残してやろう。そういう形で、ノイローゼにさせて、自滅させてやろうとする作戦なのです。どうしてそうなるかというと、杉本某氏(最終段階では、市役所トップの副市長に上り詰めますが)の奥様の、杉本正子さんと、私と、島田章三さんの、実妹の、大沼嘉津江さんの三人は、親しい間柄だったのです。一年間、総勢20人で、PTA新聞を作る仲でした。X氏が、そこまでの、いきさつを知っていらしたかどうかは、知りませんが、私は、ともかく、国画会内部で、冷遇をされていました。指原いく子さんがやった事、広田成生さんが、やった事は、いつかまた、まとめておきましょう。

 たまたま、近辺に、今年度の、応募用紙の入った封筒があったので、広田成生さんが、やったことの方は、冒頭に、書いておきました。

 指原いく子さんのやったことは、もっとひどい事で、エリートの間では、あり得ない話なのです。だから、瀬島龍三(私が数人をそういう風に呼んでいる、鎌倉エージェントのトップである。たぶん、彼の死亡は、事実だと、思うけれど、遠くに住んでいるので、さだかではない。彼の発案がいまだに、尾を引いている)が、島田章三さんに、あれこれを、吹き込んでいた可能性はあるのです。

 ただ、2002年までは、版画か、平面のどちらかで国展には、連続入選をしていたのですが、2002年をもって出品を、やめました。その後ですね。杉並区を舞台にした、【空き家特集】と言う恐ろしい番組が、NHKで、日曜か、土曜日の夜に放映をされたのでした。2010年の1月の事だったと、記憶をしています。それは、国画会の、審査資格を持っている人が、他の展覧会をまるで、見ていないということが根本原因としておきました。

 それは、本年の、文化勲章受章者、草間彌生と、1995年ごろは、肩を並べる存在だった、NKさんという天才的現代アート系作家が、
 精神病院へ入っているということを、一番の主題として、嘘番組だったのです。事前には、如何にも社会派の重要作品であるかのごとき、番組宣伝が、大量に行われたので、まじめに、そう思ってみた人もいるはずですが、どうして、どうして、NHKは、大ウソをついていました。

 NKさんが、精神病院に入ったのは、多分ですが、3つの原因が重なって、います。そういうことをからかってきた番組だったのです。しかも、後で、述べる上條陽子さんとの、電話のやり取り他の、数種の要因を重ね合わせると、単純にからかってきたというよりも、確実に私をターゲットにして、苦しめるための、特別な任務のある番組だったのです。

 そういう結論を先に置いておいて、NKさんがどうして、入院するに至ったかの原因の方へ戻りましょう。一つ目の原因は、1992年か、1993年に、国展に出品をして落選をしています。私は、審査権を持っていないのですが、直感としてそれが、判りました。そして、最初のブログ(後で、見つかったら、リンク先を置いておきます)を書く前に、国画会の枢要なメンバーに問い合わせてありますが、やはり、落選はあったらしいです。

 ほかの展覧会を、国画会の、審査権を持つ作家たちが、研究してみると言う姿勢があれば、絶対に落選をさせなかったと、思うのですが、そういう姿勢がないのです。X氏にはありましたが、それでも、「毎日展より、国展の方がいい展覧会なのに、どうして、川崎千恵子は、毎日展に、できのいい方を出したのだ?」という様な詰問調の言い方でしたから、100%平等な目と言うわけでもないのです。

 2つ目は、母親の死にまつわるエピソードと、それが、誘因になったと、見るのが正しいでしょう。母の死後、遺体をそのままに放っておいたという事です。しかも、それで、新聞沙汰になったとか。

 で、どうして、こういうことを知っているかですが、それは、上條陽子さんに電話をかけて、教えてもらった事でした。私は画廊で、うわさ話をしない方です。それから、二次会等も、ほとんど参加をしません。ところで、公募団体展と、コンクールに応募する生活は、神奈川時代と、東京時代を合わせると、ほぼ25年間続けたわけですが、その間に、もっとも、楽しくて、性格の良い作家として、上條陽子先生と知り合いました。そして、電話を交わす間柄と、成りました。その中で、このNKさんの事を、相当に、詳しく、教えてもらったことが一度あります。その前に、国画会のY氏から、「あんな人間はだめだよ。母親の遺体を放っておいて、新聞沙汰になったんだぜ」と、言う言葉を聞いていたので、もっと、詳しい事を知りたかったからです。NKさんと上條陽子先生は、女流展で、同輩だったので、良く知っておられると思ったからでした。

 たまたま、上條陽子先生の妹さんが、荻窪の、NKさんの家の近所に住んでいるということで、非常に詳しい事をご存知でした。
 上條陽子先生は、国画会で、NKさんが落選の憂き目に出会ったことは知らないで、居られたし、そもそも、国画会内部の事は全くご存じないので、私がNKさんに対して抱いている憐憫やら同情やら、心配をしている思いとは、結構違っていて、NKさんへ、同情的ではありませんでした。私は、そういうニュアンスは、充分に分かりましたが、別に、上條先生に逆らうわけでもなくて、全部、「そうだったのですか」と、ただ、聞いているだけでした。それは、リアルな世界では、喧嘩をしない主義の私にとっては、普通の事です。

 だが、その電話で、NKさんが、自分を高く評価してくれる三木多聞氏に、熱烈な恋をしてしまって、夫と離婚をしてしまったという事と、三木多聞氏は、それを重荷に思っていて、循環器系の、脳の病気を患ってしまわれたという事でした。そして、NKさんは、薬学部の、出身でもあるという事も知りました。だから、画壇には、元来が、友達が少ない方なのです。だから、孤立しやすく、同情を受けにくいという事も知りました。

 で、そういうお話から、私は、NKさんの家を、ものすごく広いものだと、推察していました。杉並に戦前から住んでいて、300坪ぐらい敷地ある家で、樹木がうっそうと茂っている家だと、想像をしていました。私には実際にそういう友達は居るのです。そして、お庭がまるで、武蔵野化している様なお宅に住んでいる友達もいるのです。

 そういうお宅内で、NKさん自身は、『自分は薬剤師だから、名義貸しだけしていても、生活費は大丈夫』と思っていたので、離婚をしたのだろうなあ。だが、意外と苦しい生活に陥ってしまったので、お葬式の費用を生み出せず、それで、仕方がなくて、放っておいたのだと、思いました。   

 また、国展で落選の憂き目に出会って以来ノイローゼ気味で、気力も体力もなかったのだと、という傾向もあるだろうし、夫と離婚をすると、自分側の親族からも嫌われるし、夫側の親族は、手助けとして、一切あてにできないわけなので、人手が足りず、したがって、お葬式ができないのだと、そういう風に思っておりました。

 私が直近で経験したお葬式は、母のモノでした。既に、93歳だから、親戚だけ参列する形式で、質素にやりましょうと、兄弟で、取り決めましたが、それでも、173万円かかったそうです。何か、書物の広告で、読みましたが、痛いホテルというのがあるそうですが、それに似た形式で、葬祭場には、遺体向けの、冷凍保存庫があるのですね。それで、よい日取りを選べるのです。一週間以上先延ばしにするのは、亡くなった人に対しては、失礼であり、いけないとは思いますが、死亡時の、次の日に葬儀などを行うのは、遺族にとっては、非常に大変です。せめて、三日後ぐらいの余裕は欲しいところです。私の友達には裕福な人が多いです。親のお陰という側面もあって、裕福な人が多いのです。慶応三田会横浜支部長とか、元三井物産副社長兼ロンドン支店長などと言う人が友だちなのですから。

 だけど、現代アートだけをやっている限り、非常に貧乏になるということがあるのです。薬剤師の資格を持っていたら、名義貸しだけでも、月に10~20万円はもらえると思うのですが、システムが変更になったそうで、それが、駄目になったとしたら、資格は宝の持ち腐れになります。兄と言うか父親と言う程に年の離れた、大・美術評論家に恋をして、現実にそばにいる夫と、離婚をしてしまう程、現実を見る事ができないNKさんが、薬局の店頭にたって、ご近所主婦に対して愛想を言うなどと言うことは、できないでしょう。で、彼女は無収入だったと、推察します。国民年金などの加入問題などに対しても疎くてね。期間が足りないとか、言われた可能性もあります。

 ここからですが、女性の方に、切に説いているのが、離婚をしない様にという事です。結婚生活なんて、太陽が照る日ばかりでもないのですよ。でも、離婚をしないようにと、切にお願いをします。このNKさんの、後日、特にそのNHKの【空き家特集】という番組を見たら、絶対に離婚をしたら駄目だと、思い当たるでしょう。

 実際に番組が始まってみると、驚いたことにNKさんの家は、私の予想よりは、はるかに、小さいものでした。敷地が、30坪ぐらいであって、そこに総二階の建売住宅風の建物が建っているという形です。両隣が、まったく同じ形式の家だったので、これは、建売住宅だったと推察されます。夫が出ていく形で、この家が残ったのか、離婚をしてから、この家を買ったのか? それは、私にはわかりませんが、思いがけず小さな家だったので、

 ここで、遺体を放って置いたら、『周囲から大騒ぎになった』と、言うのもわかりました。隣とは、3mも離れてはいないという形でした。だから、匂いが近所に漂うでしょう。でもね、ニュースでよく見る他の例みたいに、母親がもらっていた遺族年金を引き続いてもらいたいがために、遺体をお葬式には、出さなかったというのとも、違うと、思うのですよ。そういう計算が有ったのだったら、火事場のバカ・力を出して、遺体を隠すでしょう。バラバラにして、生ごみ置き場に捨てるとか。しかも、一遍ではなくて、分けて捨てるとか、遠くのゴミ捨て場で捨てるとか。どんなに、体力が衰えていても、・・・・・お金が必要だ。そうしないと、自分は生きていかれない・・・・・と考えたら、そうするでしょう。

 彼女にはただ、ただ、体力、気力、そしてお金がなかっただけなのだと、私は思っています。今でも、そうおもっております。

 ただ、番組はミステリー仕立てで始まっていて、最初は、NKさんの家だともわからないという形で、始まりました。しかし、途中で、北側順一郎さんが出てきたり、どこかの美術館に勤務している若い女性・学芸員が出てきたりしたので、NKさんだということがわかりました。そして・・・・・その日には、そこまではわからなかったのですが・・・・・今では、それが、はっきりと、判りますが、この番組は、私宅の電話を盗聴した結果を利用した、私いじめの番組だったのです。

 つまり、羊頭狗肉と言うか、なんというか、本当の狙いは、NKさんと言う画家を、貶め苦しめ、そして、彼女が、国展に落ちたがゆえに、廃人になった(これは、上條先生の言葉だが)ことを強調して、「お前も、早くノイローゼに成れよ」と、言われている番組だったのです。そして、がけ下みたいな粗末なアパートに住んでいるNKさんの、息子さんまで訪ねたのですよ。一応モザイクは掛かっていましたが、ひどい。ひどい。ひどい番組でした。

 そして、特にその場面において、それが、残酷極まりない番組であることが証明されました。そして、番組内でも、精神病院へ入院していることを公開したのではないかなあ。

 私は、今まで、上條陽子さんが好きだったので、あまり、詳しいところまでは、踏み込んで書いてきていないのですが、その後、上條陽子さんが、秋山裕徳太子氏と、一緒に三人展をする様になり、それが、何回も続いているので、
 ここまで、はっきりと書ける様になったのです。というのも秋山裕徳太子氏は、明瞭に私を傷つけているので、敵さんの陣営の人だと、判るから。

 それは、しっかりと、判っておりますので。何故わかっているかについては、今はまだ言えませんが。そして、北側順一郎氏も秋山裕徳太子氏とは、非常に親しいですしね。二人は恵比寿と言う今、トレンドの最先端を行っているおしゃれな街の、ご近所様ですし。

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副題5、『2010年当時の、私はまだ、60代で、若さが充ちていて、正義感にも燃えていたので、義憤が止まず、誰かと、今夜中に、話しあいたいと、願った。で、電話を掛けた。相手は、某実力派女流画家だ』

 副題4で書いたことは、今日初めていえることがいっぱいあります。今までは、上條陽子さんの名前を出したくないと思っていたので、奥歯にものが挟まった様な言い方しかできなかったのですが、もう、上條陽子さんが完全に、敵陣営に組み込まれたと、思うので、はっきり書ける様になったのです。これは、同窓会の中に手を入れて、しっちゃかめっちゃか、破壊工作をされているのと同じ仕組みです。画家は、企画展を、申し出でられると断ることができませんし。

 ただ、上條陽子さんは、瓜南直子さんなどとは、違って、具体的な場面では、いじめてはこないので、できるだけ名前を出したくないと、願っていたのでした。

 でね、当時は、まだ、・・・・・私と上條さんとの間の電話が悪利用をされて、こういう番組ができたのだ・・・・・と、言うところにまでは思いが及ばず、ただ、ただ、義憤に駆られたのですね。でね、「これは、ひどい」ということを、誰かと、語りあいたいわけですが、今度は、上條陽子さんは選びませんでした。どうしてかというと、一回前に、上條さんが、NKさんに対しては、同情的ではないということを知ってしまったという事と、上條陽子さんは、ちょっと、耳が遠いので、具体的な事実について話し合うのには向いているのですが、微妙なニュアンスの交換が無理なのです。特に電話では無理ですね。
 心の在り方を話し合いたい場合には、上條さんは、相手として向いていないのでした。でね、その夜に選んだ相手Z女史とは、申し分のない会話ができました。それで、私は満足をして、その夜に寝入るのですが・・・・・・しかし、その会話の中でも、一点だけ腑に落ちない点があり、それは、気にかかった事でした。

 今は、その頃より、7年が過ぎています。そして、その間、私は、幸か不幸か、どんどん、内容を深めて行って、今まで、語ることのできなかった部分にまで踏み込んで、このブログ内で、書ける様になって居ます。でね、今、初めて、それも書くのですが、誠実極まりないZ女史が、「怖いのよ。最近の世の中って。だから、余計なことは言わない方がいいわよ」と、言った部分だけは、自然な事ではなかった様な気がしてきています。

 上からの命令や教唆で、そういう様に、頼まれていたと、感じ始めています。というのもやがて、Z女史は、秋山裕徳太子氏などと、同じ画廊で、頻繁に招待されて、展示をする様になるのです。以前は、銀座井上画廊、オンリーだったと、思うのに、ほぼ、二つ目の優待画廊ができたのです。
 でね、・・・・・こういう恐ろしい番組を計画した、敵さん連中には、・・・・・・これも電話の盗聴によって、・・・・・私がZ
女史と、親しいということが十分に分かっていて、「彼女(=ここでは、私の事)は、この番組が終わった後で、必ず、あなたに、電話を掛けるはずだから、・・・・・世の中のことに口を挟むと怖い事になる・・・・・」とは、言って置いてください」と、頼んでおいたのではないかなあと、今では、思うのですね。

 ここらあたりは、私の方が、まだ、そこまでは書けなかった時期なので、彼等は、私をだまして、私が、この番組に対して、どう思っているかを知ったので、『成功をしたー。この手法を次にも使おうと、なったのが最近の、数々の謀略事件だと思うのです。

 なお、この文章は、まだまだ続きますが、それは、新しいブログを起こして書きましょ。

2016年10月29日の夜から、31日にかけてこれを書く。リンク先を全部は見つけてありませんが、でも、一応完成したということにして、署名を入れます。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3743579です。 また、このブログをアップしたのは、実際には、29日ですが、こちらの整理の都合上、30日と変更をさせてくださいませ。

 後注1、

宇都宮事件を考察している内に、大口病院事件が、なぜ産業医科大学付属病院へ、飛び火したのかの謎が解けて来る△△   2016-10-27 19:29:58 | 政治 

後注2、

電車内での喧嘩を目撃して、考えたこと   2009-03-29 10:33:34 | Weblog

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