今は、日曜日(=21-10-10)の午前三時です。昨日9日(土)は、夕食も食べずに、夜の八時に寝入って、6時間後の午前二時に起きたところです。9日に(四つの花瓶にいけた)花の水切りをしていなかったので、早急にそれをしないと、花が腐るので、(午前二時に庭に出るのは、普通は不自然ですが、それでも)『庭から新しい花を切ってきましょう』として、午前二時に庭に出たら、3つも異様なことを発見しました。それは、すべて、警察庁、もしくは、鎌倉警察署の、生活安全課が、行っていることなので、下においてあるこの章が、急に気になりました。
というのも、この章は、今のところ、表面的な主人公として、瓜南直子さんと浄智寺さんが出てきています。西部邁 さんの死亡に、ついても、本当は、書きたかったところです。多摩川に入水自殺と報道をされていますが、無論、自殺ではなくて他殺です。
しかも、この章に出てくる、浄智寺のラーメンの会と、まったく同じ趣旨で、西部邁 さんが、ご自分の番組に、瓜南直子さんを招いています。それが、西部邁 さんが他殺されることにつながっています。でも、この章では、そこまでは、言及せず、主に浄智寺さんに、とどまっています。浄智寺さん一つを取ってみても、大量な、対・私への、攻撃があるからです。
で、結局結論としては、本当の主人公は、この章でも、相変わらずの、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、本当は生きてます。地下潜航をしてあれこれ、企画をしています)なのです。ですから、100%政治論文であり、かつ、CIAの手下として、動く、警察の動向を解くミステリーでもあります。ということは、三日前からパソコンを開いて、文章を、あれこれ、書いたり、推敲をしている途中で、裏から手を入れられていた可能性があるので、点検しないといけません。
それを、午前二時半から、行ったら、案の定見つかりました。【無門関の答え】出版前後のいきさつ他、相当の個所で、抜けています。で、午前5時から、それを修正していきます。そして、午後五時まで、それを行い、文章部分は、ここで、書き終わりました。リンク先を見つけていません。が、文章は、ここで、留といたします。
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このブログは、最近では暗い話が、多いので、冒頭に、写真でも置いて、少しでも華やかにしようと思っています。
これは、伴さん(瓜南直子さんの、実質婚=非入籍婚の相手)の家に入る、道の入り口に立って居る看板です。この看板の後ろに人が歩いていますね。そこが小町通りから続いてきたまっすぐな道の一番、北の端、もう少しで、鎌倉街道へ、合体する場所です。史跡・鉄の井(くろがねの井戸と呼ぶ)の、すぐ近所です。アビティビルと、言う(植栽が、一階にたくさん植わっている。川喜多かしこさんの娘=和子さんの、遺族が建てた・・・・・その会社フランス映画社にも政治的大問題があるのだが、ここでへ、言及しない)ビルの対面です。伴さんの家に来るなという意味での看板でしょうが、こういう看板が設定されたということこそ、伴さんに対する私の批判が、的を得ていることを証明するのでしょう。あまりにも正しいから、こそ、こういう防衛をしているのです。だが、実際に、この看板を設置したり、動かしているのは、鎌倉警察署の、生活安全課、かもしれません。または、そこから頼まれた誰かか? どうも、発想が、小学生、もしくは、中学生並みで、我が家のご近所主婦を動かしているやり方と、そっくりだから、そう考えています。
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副題1『珍しく、8時間寝た。ほぼ、10年ぶりだった』
私は、5日は、夜の8時には寝入ってしまった。夕食も食べずに。いろいろ、疲労が重なったのだと、思う。だが、次の日の朝、4時まで、寝てしまったのには、驚いた。ほぼ、10年ぶりだった。パリやニューヨークで版画修行をしていた時期(1998=2000年、毎年秋に三か月ほど滞在し、現地の版画工房で、7~10時間過ごしていた)には、決まって、三時間で目ざめた。私が、携わっていたヘイター方式というのは、非常に重いローラーを、一日、数百回、回すので、(かつ後片付けが大変なので)、どうしてか、体の構造が変わってしまって、睡眠時間の、短い人になっていたのだった。特に夜は、文章を書くこと(一種の修行だけれど、すでに、友人に向けて配信していた)を行っていたので、頭と体が、さえきっていて、三時間睡眠で、良かった。ただ、4日目毎に、7時間寝たので、ナポレオンとか、太田光夫人とは、違う。でも、この二人が、毎日睡眠三時間で済むというのは、まったく嘘ではないだろうし、私も、一週間で、六日、は、そうだったから、あり得る習慣だと、思う。
ところで、1990年代、上野の公募団体展に、出品していたころは、夜の8時ごろバタンキューっと寝てしまったものだった。どうしてかというと、100号の作品なのに、直径二ミリぐらいの極細の、筆で、描いていたからだった。でも、その頃は、年齢としては、40代だったので、友達に電話で、最近、「こうなのよ」というと、「あなた、どうしちゃったの?」と笑われた。その人は専業主婦だったが、仕事を持つ主婦の人は、夜9時、10時の、夕食は珍しくないそうだ。我が家は、主人が早寝早起きの人なので、昔から夕食が早くて、かまくらで、仕事をするときは、夜の六時で、追浜で、仕事をするときでも、夜の七時だった。
これには私は、本当に困った。だいたい東京へ行くと遅くなるのだから。だけど、主人が、松坂に単身赴任をしていた間に料理を覚えて帰ってきたので、月曜日と、木曜日には、主人に作ってもらっていた。それで、銀座と、東上線【ときわ台】の、母の老人ホームに出かけて、夜の11時過ぎに帰ってくる様になっていた。
ところが、主人が、塩気の濃いもの、それから、脂っこいものが好きなので、それで、血栓が、心臓にできてしまったらしい。2016年の四月に、やっとわかった。50%50%の確率で、死ぬ可能性があったそうだ。大変危険な状態で、よくぞ助かったと、言うほどだった。
それ以来、びっくりして、できるだけ、自分でおかずは、作る様にしている。それで、一日に、後片付けを入れると、6時間ぐらい料理にかけている。特に出来立ての温かいものを、提供する様になったら、自分でも驚くほど、おいしいと感じる様になった。この影に、主人にも、セッティングを手伝ってもらうということがある。保存食を並べてもらい、ご飯は、よそってもらい、私が、スープと、おかず二品を、ジャストなタイミングで、提供する。あつ、あつで、提供する。すると、同じ料理法なのに、抜群においしく感じる。
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副題2、『瓜南さんは、2012年の四月に、いつもとは、まったく違った文章ニュアンスで、ご自分が、どれほどの、苦境にあるかを吐露している。死の二か月前であった。苦難は、二つあって、一つは、経済的不如意についてだった。だが、彼女が、貧乏であることが、この料理の、件で、私には、その投稿の10か月前には、すでに、わかってしまった。
それをことさらに言うのは、彼女が亡くなった後で、実質婚の相手である伴清一郎さんが、「愛していた」などと、声高い投稿をしているので、いやな話だと、思うからだった。彼は、直子さんの名声と、美貌と、それから、彼女の思い込みを利用した、ずるい男性だと、思う。直子さんは、・・・・・自立した女は、男に経済的には、依存するべきではない・・・・・と、戦後の女性たちの間に席巻した、思想を信じて、普通の結婚を選ばす、実質婚を選んだ。
そういう形態は、男女とも富裕だとうまくいく、・・・・・かもしれない。しかし、音楽の世界とか、文筆の世界とは、違って、絵描きは、儲からない。文筆家は、印刷という大量コピーの手段があるので、もうかる。音楽の世界もCD他の形態で大量コピーが可能なので儲かる。文筆家としては、藤田宣永と、小池百合子さんなど、軽井沢に、広いお宅を建設して(それでも、実質婚ではなくて、入籍婚であり、しかも、心から、夫婦として、過ごされたみたいだけれど)お互いの自由を確保し、かつ、パートナーシップを楽しむということができるが、絵描きには、それほどの、収入はない。音楽の世界では、GACKTなど、マレーシアか、どこかに、豪邸を持っている。
しかし、絵描きは、違う。有本利夫だって、一時期奥さんに勤めをしてもらって、養ってもらっていた。だが、自分が、有名になり収入が増えるにつれて、芸大卒の奥さんに、家事専業になってほしいと頼んだのだった。したがって、「二人ぶちは食えるが、一人ぶちは、食えない」という昔からの、ことわざ通り、に、同居、入籍婚をして、伴さんに、ある程度の、お金を出してもらうべきだった。伴さんの方は、直子さんに、セックスの相手をしてもらうのと、彼女を妻とすることでの、名誉や、誇りを得られるのだから、それ相応に、あがなうお金を出すべきだった。特に伴さんが、美大を出ていないらしいので、芸大卒の女性を支配し、そばに置いておくことは、大変なプラスだったと思う。それに見合う、財政的な、負担(住居費、と食材費)を出して居たら、直子さんが、(実は別居住まいだったらしい)の、住居費を、節約できただろう。彼女が、調理という労働を分担するだけと、言う形式をとるべきだったと、思う。
我が家の夕食の写真を彼女のコメント欄に入れただけで、瓜南さんが怒ってきて、フェイスブック紙上の友達関係を切ったらしいので、そこまで、するほどに貧しい食生活なのだと、わかってしまった。
後で、思うと、「お漬物研究家です」などという表現も、貧しさの象徴だった。お気の毒だが、そうだったのだ。ぬかみそとは、もっとも、安い費用で、できあがって、かつ、おいしい【おかず】なのであるし。しかし、塩分が濃い。その上、彼女は、夕方は、ひぐらし文庫(教養の高い人たちが、集まる居酒屋)に出かけて、たばこを吸い、お酒を飲んでいた。だから、肝硬変か、肝臓がんで、亡くなったと、私は想像している。ただし、急変に近い。または、急死に近い亡くなり方である。ところで、彼女の急死を知ったのちに、あの、証拠文章(金田ゆう子さんを警察のスパイとして、使おうとした、2011年10月から、11月18日までの、フェイスブックコメント欄)をコピーしておかないと、と思って、フェイスブックに入ると、ない。100%無くなっていた。
::::::::::ここで、挿入としていれるのだけれど、::::::::この、彼女の死後に、FBの投稿が部分的・・・・といっても、ほぼ毎日(の全日本明日ハガレンを含む)だったのだが、‥‥消去されているという事も、大きな証拠のひとつとして、瓜南さんが、CIAエージェントたちの、対・私攻撃用弾頭として利用されていたことが明らかになるのだった。あの膨大な投稿群を削除するのなど、素人には、時間がなくて、無理である。瓜南直子というID全体を消し去るのだったら簡単だが、IDを残しておいて、投稿だけ、取捨選択して、無難なものだけを選んで残し、私が後日、証拠として利用する可能性の、ある文章の方だけを削除するというのは、あまりにも時間がかかるので、普通の人にはできない。執事を自称する金田裕子さんにも無論できないし、伴さんにもできない。
それほどに、大量に、私に対して攻撃をしてきたので、彼女は天に処罰されることとなったのだった。私に対して、攻撃者として接触することを、誰かから命令教唆された場合、私のことを、まず、調べないといけない。このブログだけでも、せめて、三か月分ぐらい、さかのぼって、読まないといけない。そうすると、私を攻撃してはならないことが自然に分かるはずだ。だが、芥川賞も、直木賞も、サントリー学芸賞も、とっていない・・・・・したがって無名な人である私の文章を、頭から軽蔑して、読まない人が多い模様だ。私を攻撃する、または、軽蔑する様に、依頼をされていても、その準備段階的調査をしない人が多い。それでもかまわないけれど、瓜南さんみたいに、急死することとなる。::::::::という挿入を入れて元の料理問題へと、戻ります。::::::::
私は、母親教室などで、栄養学の初歩を学んだ。子供がいると当然にマスターすべき分野だ。そこで、「素人の場合、簡単に見極めるコツは、一週間に、60品目の食材を取ることです」といわれた。で、それを40年間、大体において守っている。そういう趣旨で、作った八宝菜を、たち吉のお皿に入れて、あと酢の物かサラダと、お澄ましか、スープか、みそ汁が並んだ写真だった。それを直子さんは、拒否した後で、
これ見よがしに、ラーメンを、自作すると、言う神奈川県央、在住の、男性に、非常に親切に対応した。直子さんは、どうしてか、ひたすらに、私を意識して、対抗意識を燃やしてきた。それで、裏に鎌倉エージェントがいて彼らに、操作されていることが分かった。このらーめん男子との、べたべたの、仲良しぶりを誇示するのもその一環だった。 ☛☛☛
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副題3,『浄智寺さん(朝比奈恵温=朝比奈宗源を祖父とする孫世代)さんは、恵まれた環境に生まれたために、とんでもない軽い性格と行動の人となっている。伊藤玄二郎の言うなりに操作されている人物だ。同じ禅宗でも、曹洞宗は、相当に厳しい修業が必要みたいだが、』
タウンニュース 掲載号:2021年8月6日号 に、浄智寺さんの顔が、大きく出ています。
☛☛☛ ので、ラーメンが、重要なアイテムになった。私のパソコンは、24時間監視を受けているので、私がインターネットで、何を検索し、SNS特にFBで、何を注目しているかに、鎌倉エージェントは、敏感であり、私が、直子さんのFB頁の中で、このラーメン男子との、ベッタベタな、やり取りを、見ているのを知っていたからこそ、彼らは、ラーメンに飛びついた。
で、井上ひさしか、伊藤玄二郎のどちらかが、またまた新しい企画を立ち上げた。で、浄智寺さんを使って、かまくら五山の、すべてのトップと、覚園寺さんを招いて、ラーメンの会を、開くという、直子さんの、得意気な、フェイスブック投稿があった。直子さんは、ドローイングギャラリーの個展でも、「オープニングに、鎌倉の有名人がすべて、参集した」と、とても得意気だった。父君が海軍の、将校だった(もしかすると、偉い位だったかな?)ので、戦闘的な気質を、受け継いで、いるのか? または、非常に勝気だと、言う側面・・・・・を常に感じ取っていた。が、浄智寺で、ラーメンの会とは、恐れ入る。
しかし、直子さんは、私には気が強いくせに、伴さんには、気が弱い態度で、接するのだった。別の人の投稿だが、・・・・・日暮文庫で、瓜南さんが、たばこを伴さんにせがんでいて、一本もらっていたので、驚いたが、実質婚の相手だと、聞いて納得・・・・・と、書いているのを読んだ。
衆目の監視のもとに、一本ごとに、わざわざせびらなくては、たばこを貰えないなんて、どれほどに、弱い立場なのだろうか? 哀れ極まりない。若い女に、伴さんが、目移りすることを恐れて、これほど、下手に出ている。本当にかわいそうだと思う。だから、私は、伴さんの、彼女の没後の、FBへの投稿に怒るのだ。「愛している」ですって。それって、「セックスの相性が、よう、ござんした」という意味ですか?と、解釈して、怒っている。
女の立場からすると、伴さんの、直子さんに対する態度とは、・・愛・・というものでも、そのほかの何ものでもない。女の立場としては、経年で、容貌も体質も衰えるのだから(もし、自分が富裕層ではないのだったら)、入籍婚でないと、ダメですよ。本当に、かわいそうに。
つまり、瓜南さんの、周辺にいた人々は誰も、彼女の現状とか、苦悩を知らなかったというわけです。・・・・・・すでに、肝硬変になっていて、ラーメンなどもってのほかだ・・・・・・と、言うことを知らなかったのです。私は、知っていましたよ。相手がひどい攻撃をしてきても、私の方は、絶対に喧嘩などには、持ち込まず、ただ、ただ、ものすごい大きな心で、見守っていたから、いろいろわかっていました。しかし、11月18日の、金田裕子さんを相手のおふざけには、とことん、怒って、直子さんを捨てたのです。
私の命を奪うかもしれない、警察のスパイとして、金田悠子さんを、駆り出しておきながら、それが失敗したら、たった、1300円のお菓子=豊島屋の源平まきを送って、
「赤い袴をめくると、白い生足が現れて・・・・・」云々とは、何事ですか。瓜南直子さんが、天から叱られて、命が奪われて(実際には、肝硬変で急死)も、仕方がないです。
というわけで、2011年11月18日、以降は、直子さんの、FB投稿も読まないし、ドローイングギャラリーで、彼女の最近の状況を聞くことも、やらない様になりました。すると、これも、別の人の投稿ですが、12月から、彼女は激やせして、非常に衰えたそうです。
私は彼女が、具合が悪い事には、2011年の8月には、すでに気がついていました。その酷暑の、日に京都・東山へ至る坂を上っている直子さんを、伴さんが、タクシーで追い抜いて行ったというエピソードを、書いている際に、彼女が抑え気味ながら「ちょっと、残念だった。乗せてくれればよかったのに」という記述をしていることからも、体力が無くて、そういうグループ展に参加すること、特に地下鉄をおりて、東山の坂を上ることが、すでに、無理な段階になっているということと、
伴さんとは、同居していないのだと、言うことなど、いろいろ、わかるのだった。・・・・・・ということです。
この泉湧寺のグループ展ですが、だれが、どうして、コネをつけたかと、言う点が、疑問だったのですが、これまた、ラーメンの会で、わかったのですね。鎌倉五山のトップを招くということは、円覚寺のトップだった、祖父の、威厳をもってすれば、浄智寺さんにとっては、簡単です。だけど、覚園寺さんは、立地している場所も二階堂で、北鎌倉ではないし、宗派としても、禅宗ではないし、その会に交わることが変なのです。
でも、このラーメンの会が、伊藤玄二郎と、いまだ生きている井上ひさしが案出したものだとすると、瓜南直子さんを、私の上に置き、その五山のトップ全員が、直子さんをお姫様状態にする会を催したという現象によって、私が、自分の立場に悲哀を感じて、ノイローゼになるということを狙っている、そういう裏事情があるわけです。
そういう伊藤玄二郎らにとって、泉湧寺に、コネをつけた、覚園寺さんを、そのパーティに招くことは、必要であり、かつ、必然だったのでしょう。私は、「覚園寺さんが、ラーメンの会に参加をしました」と、言う直子さんの記述に接して、すぐさま、覚園寺さんと、泉湧寺さんの関係を、ネットで、調べて、宗派上、とても、仲が良いということを知り、『なるほどねえ』と、思いいたった次第です。二階堂という場所柄、酒井忠康先生が、間に立って、覚園寺さんに「動いてください」と、お願いをしたのかもしれません。
こういう部分が、今では、すべて、削除をされて、消えています。したがって、直子さんが、CIAに使役をされた、対私用・核弾頭だったと、言っているのです。もし、そうではないのだったら、投稿はすべて、残しておけばいいではないですか? ほとんどないです。だから、それも証拠として、瓜南さんは、日本人を貧乏人化していっている、核燃料を売りつける側の先頭に立って、私をイライラさせ続けたのです。そういう観察に基づいて、語っています。すべて、緻密に、積み上げて語っています。直感だけで、動いているわけではありません。
私は、10年前の、2011年には、そのことはすでに分かっていました。が、詳細を描く機会がなかったのです。ところで、浄智寺さんは、禅宗です。禅宗のお寺で脂身が、トロトロに浮かんでいるチャーシューの入ったラーメンですって。直子さんは、北鎌倉駅前の、中華料理店(町中華というたぐいだと、思うが、私は一回も入ったことはない)【大陸】について、一回別の機会に書いていますので、このラーメンの会も、実物が浄智寺に、【大陸】から、届けられていた可能性は、あります。会費三千円~5000えんぐらいで、塩味とか、とんこつ味とか、ビールとか、シュウマイとか、クラゲの酢の物とか、も、出たと、思いますけれど。
シューマイという語彙から、私の頭は、ワンタンへと、飛ぶ。スーパー東急で、6日にワンタンの皮が、一個もなかった話をしないといけなくなった。
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副題4,『ここで、スーパー東急の、リニューアルについて述べないといけなくなった。それも、私への弾圧に、スーパー東急が使われているということが真実であると、言うことを証明している。ともかく、そこは先月までは、心理的に陰惨な場所で、また、商品に、魅力がないお店だった。それを自宅で、主人に何度も話してあるので、我が家の、夫婦間の会話を、盗聴することによって、大改修することにしたみたいだった。
一階の、名店街が、消える。これは、JR鎌倉駅ビル内に、できた、小さなCIALに、お客を取られたからだろう。五階に大型家電店が入る。これは、良かった。それだけは、ラッキーだ。パソコン周辺機器が、突然に壊されることがあるので、電車に乗らないで、応急措置がとれるのは、うれしい。
でも、日吉駅の、ホーム上の、駅ビルには、追いつけないでしょうね・・・・・広さも入店テナントの、種類も、かくも、華やかさも、追いつけないでしょう。むろん売上高も追いつけないでしょう。失礼ながら、こういう予測をするのは、そこの店員さん・くりはら嬢を対・私いじめ用に何十回も使ってキタカラデス。彼女ハ、驚ロクホド、ブレイデ、ゴウマンナ女性デス。デ、私ハ、トウトウ、ゴウヲニヤシテ、くりはら嬢を、至近距離から写真に撮ったノデス。ソレだけで、私のスマホが、東急カラハ、遠ク離レタ、雪ノ下ノ、我が家ノ玄関の上がり框から盗まれ、横須賀警察署から、返還されるということガ、起キマシタ。ソノ、ほか多大な、被害を与えられ続けているので、こういう予測をするのだった。伊藤玄二郎と、味方をする個人や、組織には、まずいことが起きると、言う典型が、このリフォーム後の、東急に起きると、思う。どういうことかというと、投下資金の回収ができない?とか、売上高が、改修前に比較して、意外と、伸びない?とかいう結果に、陥る可能性が高い』
::::::::::ここで、挿入に入りますが、今、私の頭の中には、この中華料理という語彙で、思い浮かぶ数々の謀略といじめを思い出します。山下飯店が舞台の一件(これは、ここではなく、将来別の章で、詳細に書きます)とか、21-10-5に、スーパー東急で、ワンタンの皮が、一個もなかったこととか、その三週間前に除湿剤(詰め替え用)が、一個もなかったことも、また、数年前に、バターが、一個もなかったのも、すべて、鎌倉警察署の生活安全課の課長が指図しているのでしょう。
そして、まあ、なんと、660円を越さないというルールがある配達料を、いちゃもんをつけて、830円も取って、かつ、六個配達すべき(しかもかさばらないし、とても軽いもの)のうちの、二個を配達しなかったと、言う恐るべき不道徳ぶりを示しています。
これについて、ご興味のある方は、後注2に置いた、リンク先をご覧いただきたいと、存じます。
ココデ、ダイ2ノ挿入ニ入リマス。急に、カタカナになってしまった様に、栗原嬢というのは、大変なアイコンなのです。
どういうことかというと、彼女は、店員さんとしては、恐るべきやり方で、コインを乱暴に扱うのです。手で渡さないで、横滑りをさせます。よく中国人観光客が、「日本では、店員さんが、丁寧なので、感じが良い」と、投稿していますが、正反対です。で、スーパー東急の上級社員=副支店長を呼んで、注意したのです。
しかし、例のごとく、スーパー東急には、鎌倉警察署の、生活安全課の、支配が、及んでいますので、栗原嬢は、悪くない。私の方が悪いとなったらしくて、私が買い物に来るたびに、栗原嬢に対応をさせることにした模様です。銀座で、画廊巡りをしますね。帰途、新橋駅で、急に下にもぐることになった、横須賀線は、地下五階にあります。東京駅もそうなっているのですが、新橋駅も最後の段階で、エスカレーターの、下りが無くなるのです。私の家には、四種類の泥棒が入ります主人は、早寝・早起きの人ですから、主人が寝入った後で、何度も泥棒に入られています。で、重要な書類類を入れたアテンダントバッグを常に持ち歩いています。重いです。エスカレーターがないと、困るのです。で、エレベーターがあるにはあるのですが、秘匿された位置にあるので、なかなか、気が付きませんでした。ある時から、やっと見つけたエレベーターを使う様になりました。ただし、エレベーターには、監視カメラがあります。で、新橋から、鎌倉まで、50分です。で、待機させていた栗原嬢を一階の、レジに置きます。当時は、上の階が閉まっても、一階だけ、お惣菜を売っているので開いていました。しかも、一階のレジは、一つです。で、どうしても、一階のレジを使うので、栗原嬢に、対応をされることとなります。主人の心筋梗塞がわかる前は、私は、時間を倹約するために、サラダとか、とんかつなどを、よく買って帰りました。
その時間帯だと、半額になっています。栗原嬢は、私の収入などを、警察から、聞かされているらしくて、「貧乏人目!(苦笑)」と、言う表情で、対応します。それでも、そのおかずがあった方が、時間が浮いて、ブログが書けるので、我慢をして、彼女から買い続けました。でも、呪いや軽蔑のこもった目で、見つめられ続けたので、とうとう、業を煮やして、ブログに、これを描こうとして、彼女の横顔がはっきりわかる、写真を撮ったのです。すると、それを玄関に置いている時で、二階に夫婦ともども、いるときに、そのスマホが盗まれました。今は、jpeg file が、すべて、スパコンに入るので、私が彼女を撮影したことがわかっているわけで、そのスマホを盗めば、その写真が使えないだろうと、言うことになりました。チェーンをかけていない場合の玄関の鍵は、合いかぎを持っているご近所様なら、簡単に開けられます。
で、安野家の前、及び前田家の前に、長期間置いてあった、この看板を、常に、このブログで、使うこととなります。泥棒は、四種類いますが、合いかぎを持っている二軒のうち、大原光孝さんの家の前には、この看板は、置いてありません。この時期、大原さんが、目の前をケンタッキーフライドチキンの前他、散々うろちょろして、嫌がらせをしてきたので、彼が、スマホを、、玄関から、取り出したのかもしれません。または、八幡宮の作業員休憩所に詰めている警察官などなのかも、知れません。ともかく、四種類いる泥棒・常習者のうちの、だれかが盗んだのでしょう。日本では、警察官とか、警察の協力者が、泥棒を行います(苦笑極まりない。驚くべき国です)
何百回と、数えきれないほどの回数、侵入されています。
しかもそのアイコンの個人名、くりはらを、ここに入れただけで、入力が急にカタカナになりました。これも、むろんシステム異常を利用をした、弾圧の一つですが、それとは別に、急に字数が、14000字ぐらい増えてしまって、「三万字以上になりました。で、3万字以内というルールに引っかかって公開できません」と、goo blog 側が言うので、この章から、養老先生について書いた部分を抜かします。
:::::::::::ここで、、ラーメンから、ワンタンに向かって、横にずれた文章を浄智寺さんにもどします。
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副題5、『浄智寺さんは、私を頼ってきた、小林篤生さんの、【無門関の教え】という書物の出版を横取りしましたね。

小林篤生さんという人物は、ICUの、一期下で、物理専攻の学生でした。ICUでは、自然科学系の学生は、数が、非常に少ないので、学生時代から、知っている間柄でした。そこへもってきて、妹の結婚により、小林さんと、私は、姻戚上の兄弟になりました。もともと、人懐っこいし、ざっくばらんな性格の人だったので、この【無門関の答え】の出版の時=2009年の様に、66歳過ぎても、それは、変わらず、「僕さあ、本作りたいから、教えてよ」と頼まれました。実は、彼は、技術書については、すでに、数冊の書物を出版していた過去がある模様でしたが、私が渡した、私の自著が、美しくて読みやすいので、その魅力に惚れて、接触してきたのです。
で、彼が、蒲田駅近くに持っているオフィスとか、かまくら雪の下の、我が家で、いろいろ、教えました。本づくりって、いろいろな約束事があるので、一回のレッスンでは、とても、教えきれません。
その何回目かのレッスンで、蒲田に行ったときに会えないうえに、夜だったので、蒲田駅周辺の、暗がりの道で迷ってしまったのです。で、暗い住宅街で、ホームレスに変装した警察官に、並んで、歩かれたり、タクシーに変装した警官たちに脅かされたり、散々嫌な思いをした上に、鎌倉へ帰ってきたら、すでに、夜の11時を過ぎていたが、八幡宮の正門(三の鳥居)前で、細身で、眼鏡をかけた、いかにも頭のよさそうなスーツ姿の、男性が、「うっ、見失った?・・・・・云々、カンヌン」といっていました。前から、それは、想像をしていましたが、この男性は神奈川県警本部に、配備されている大卒のエリートで、将来桜田門で、警察庁長官となっていく人材だと、思います。目の前、10m以内に歩いている私の事を、聞えよがしに、話題にしているので、こっちは笑ってしまいました。ただ、この時間帯だと、ホームレスを歩かせるわけにも、タクシーを三台ぐらい止めて、置くわけにもいかなかったので、エリートさん、その者が出てきて、誇示的に脅かして来たのです。さて、そこから、20m以上歩いて、例の川合良一さん宅の前まで来ました。すると、そこの狭い歩道を北側から、先ほどより10歳以上若い、これまた、エリートそのものと見える男性がやってきて、同じ様に、「僕も、見逃しました」と言って居ました。それを、目の前、3mのところから、すれ違いざまに言うのです。
ああ、もう、そこまで来ると、笑っちゃうほどでした。彼らにとって、紙の本を作ることができると、言うのが、どれほどに困ることであるのかがわかりました。
でね。こういう経験から日本では、警察とはCIAの手下であるということとなります。蒲田での、脅かしも嫌でした。だが、そのホームレス男は、三ガ浜(葉山)の、美術館前のバス停に座っていたこともあるので、警察の人間が脅かしに来ているのが、わかっていたので、小林篤生さん相手のお土産として持ってきたビールろっぽんを、彼に、あげました。道に迷ったのに、それを持って歩くのは、しんどかったからです。相手が警察の人間で、脅かしてきているのが、わかっているのに、そういう事をする私が、如何に、豪胆で、おびえてはいないかをご理解下さい。
ともかく、私が、何かを説明するときには、すべて、裏に実体験があるということです。日本では、言論の自由がありません。そういう中で、紙の本を工業生産的に、500部以上、できれば、何万部でも、自分で、作ることができる私は、極めて恐れられているのです。だから、瓜南直子さんが、攻撃弾として、使役をされることが生起します。
そして、こんなに苦労をしたのに、小林さんは、ひょいと、浄智寺さんに、横取りされてしまいました。確かに、自分一人で、出版するよりも【大法輪閣】という、仏教書専門出版社から、出す方がいいですね。で、小林篤生さんが、彼らの陣営に取り込まれたことこそ、彼らにとっては大勝利だったのでしょう。
で、それ以降、友人が次々と、裏切る様になっていきます。
元週刊朝日編集長で、中学時代の同期生、飯田隆君が、2010年3月(ちょうど、無門関の答えを、小林君が、私に送ってきたころだった)の横浜の、ホテルニューグランド二階での同期会に、遅れてきて、かつ、末席に私を、呼んで「あんたは、ノイローゼなんですよ」と、のたまわったのち、ほかの誰とも、言葉を交わさず、お料理にも手を付けず、二次会にも出ずに帰ったり、
2014年、豆腐や【うかい】での、宇都宮和代、中島加奈子、坂本きっこさん、大協力の罠が張られていた形でした。これも、11日に、リンク先が見つかったら、あげておきます。後注三として
:::::::::ここですが、先ほど、この部分が書いたのに、システム異常を利用して、消えたので、それで、ここで、挿入として、重要なことを語ります。
岸田文雄・現・首相の背後にだれがいるのか について、朝日新聞には、石川健次東大教授が、経産省、東電、ほかをあげておられます。しかし、私に言わせれば、早稲田閥を、利用して、成岡康司君が、後ろにべったりと、ついていると感じます。成岡君は、電車とか鉄道に強いのです。で、日曜日にも診察がある歯医者さんに、それを知らないで、遅れそうになったので、タクシーを呼ぼうとすると、「一台もありません。今、横須賀線が不通だからです」と言われました。配車センターのその女性は、私が、こちらの情報を何も与えていないのに、「川崎さんですね。八幡宮様の二つの駐車場の間ですね。志一稲荷に入るところの」というのです。私の方は、その前に「北へ向かう形で、文華館の前にとまってください」と、言っただけなのに。すべて準備万端で、整っているわけです。ただし、よい方ではなくて、悪い方でですが。
で余りの事に、笑い出しそうになって、・・・・・流しているタクシーを偶然捕まえられることを願って、山を下りて行ったのですが、タクシーは捕まらず・・・・・ただ、それでも、家に帰って、ブログの続きを書くことはせず、鎌倉市内を用事をこなしながら、五時間も逍遥して帰ってきて、この続きを書いているところです。
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副題7、『浄智寺さんは、ご自分の祖父である、宗源氏の名声を利用して、曹洞宗の中の事務方で、トップファイブに入っておられるであろう。宗興寺の、なかの誠哉氏を取り込んでしまって、父の三十三回忌を、心がこもっていないものにしてしまった。医者、弁護士、そして、僧侶は、政治とは別物なのだろうに、伊藤玄二郎との、仲の良さの前には、そういう原則も打ち破って平気なようだ。恐ろしい。上記のタウン誌、2021年8月6日号の、大きなサイズの写真を見ていただきたい。脂ぎっていて、自信満々だ。宗教人とは程遠い、印象を受ける』
ここで、リンク先を二つ探さないといけなくなりました。それは、11日の夜にいたします。お待ちいただきたく存じます。ただし、この章でも、最後の部分に、恐るべき加筆をしてあります。それは、お読みいただいておきたいです。
そのうえ、画家という人間にとっては、創作する態度というのが、大切なのです。むろん、人付き合いも、必要です。でも、毎日、同じ流れで、時間が過ぎていくことが大切なのです。それによって、絵を描く時間も生み出されてくるのだから。浄智寺さんは、人懐っこいのでしょう。それで、人たらしの天才、伊藤玄二郎には、100%以上に支配をされておられます。そして、彼の提案することは何でも、言うことを聞くというタイプです。後注4へ。
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副題8,『浄智寺さんh、NHKの、【クイズ100人力。鎌倉検定篇】に出て、かまくら春秋社の、利益増幅に、ご奉仕をなさいましたね』
NHKが、2013年に、熱心に報道をした番組に、100人力というのがあります。スタッフは、以下の通りです。
出演者[編集]
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クイズ 100人力(くいず ひゃくにんりき)とは、NHK総合で2013年5月から不定期(ほぼ月1回)に放送されていたクイズ番組である。2012年にNHK番組たまごで『クイズ!100人力』として放送され、番組たまご時代としては2012年10月27日(温泉対決)と2013年3月3日(東京駅対決)に放送された。2013年度の番組改編で定期番組に昇格し、2014年度以降は不定期で特番扱いとして、2015年3月まで放送されていた。
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以下は、2013年6月放送のものです。
6月22日 | 古都鎌倉対決 | 鎌倉市在住・在勤のみなさん | 原田寛 喜清みずほ(北鎌倉おもてなしボランティアガイド) | 8月31日深夜再放送 |
私は、この時の浄智寺さんについては、激しく批判をしています。それで、私の実家の、法事をめちゃくちゃにしましたか? 禅宗のお坊さん、特に父君が偉い人が、ご自分の方が先に恐ろしい裏技を、色々をなさっていて、私に、それを分析されて、正しい事情を、書かれたから、復讐をするのですか?
これは、【鎌倉検定】と、言う参考書を、伊藤玄二郎が、出版しているので、NHKが、そういう番組を作るということは、鎌倉春秋社の、売り上げを伸ばすお先棒を担いだということと同義です。
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副題9、『覚園寺での、樋口恵子講演会で、どういうことが起きたかを、ここで、語りたい』
樋口恵子さんは、お茶大付属高校での、先輩です。私は、樋口さんの公演を三回、生で、聞いているのですが、今回だけは、手書きのお誘いが、下部に付記されている、招待状が来たので、でかけました。覚園寺の、信徒会館の大ホールって、木造、屋根裏形式の、とても、面白い部屋です。
しかし、樋口恵子さんには、裏切られました。あんなに、優しい言葉で、お招きをいただいたのに、講演が終了後「あんた、だれっ?」というそっけない態度でした。私は、出かけるまに、それも、想定内に入れておいたので、「樋口さん、どうしたのですか? はがきの文面と、今の態度の違いは?」などと、喧嘩腰で、問いかけたりしません。
・・・・・その帰途、私は幅1.5mの狭い道を後ろから、音もなく、ついてくる、小型機動隊バスを発見した。覚園寺さんの帰途、私は二階堂の喫茶店によって、本の編集の仕事をしたので、その道を通った時間帯は、覚園寺での、ロータリークラブ主催の、樋口恵子さん後援会の、打ち上げパーティが、終わった直後ではないのですよ。その喫茶店にも、仕込まれたお客が、来ていたし、(そのお客はなんと、伊藤玄二郎の悪口を言い始めた。私が、その悪口に乗っかることを期待されたのだと、思う。むろん乗らなかった。しかし、喫茶店を出た後で、カラタチの生け垣が、北側にある、1.5mぐらいの細い道を通って、我が家への、西へ向かう途中で、後ろから、音もなく、ついてくる機動隊隊員輸送用の小型バスがあったのです。
本当に音もなくでしたから、10年ぐらい前だったけれど、電気自動車だったのかもしれません。
でもね、後ろで、ぱちぱちと、言うカラタチのとげが、車体に当たる、音で、気が付いたのです。そこの道って、常識問題として、車の侵入は、禁止されている道だと、思うけれど、そういうルールに従わないと、言うのが警察です。
ここで、こういうことを書いたのは、酒井忠康先生を、中心として、伊藤玄二郎と、親しくて、こういうことをおやりになっておられるのがわかるからです。
それと、何よりも養老先生の、最近の番組に三つ目のお寺として、出てきたからです。
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副題10、『ああ、侘助のおばちゃんに胸倉つかんで、店の外へ突き出されたことがある。瓜南さんが、悪口を言ってあったのか? 真相は、わからないが、今つぶれそうなボロボロ状態で、閉店している。もし、竹屋画廊と、同じ様に消滅したら、ほら、やはり、私にひどいことをしたら、あなたの方が、悲惨な目に出会うのですよ。竹屋画廊のおばちゃんも、私の胸倉つかんで、満員の画廊の外へ追い出しました。二つはそっくりですね」と言えます。ただし、鎌倉エージェントが私の文章を打ち消すのに熱心なので、侘助は、政府のお金=官房機密費を使って、建て直されるかもしれません。そして、新築のお店で、営業再開をするか?』
侘助(北鎌倉駅前にある居酒屋・・・・・そこの看板を瓜南さんが描いたと、投稿をしていた。・・・・・また、そこが、樹木希林さんと、親戚だと、言うことで、しょっちゅう、NHKは、樹木希林特集を流す。
今の侘助のわびしい事。瓜南さんの描いた、ツバキなど、ボロボロの看板の中で、色さえ、目立たない。両隣が、売ってしまったので、北側も、南側も、バスから、丸見えだが、建物、自体が、木造の古い家屋なので、崩れ落ちそうだ。
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副題11,『金田ゆうこさんに、モノ申したい。聞く耳持たないとは思うが、この文章は、神様への捧げものだから、金田裕子さんを抜かしては、瓜南直子さんは、語れない』
ところで、金田祐子さんです。あなたは、「私は執事でございます。お嬢様、お嬢様、何でもお申し付けくださいませ」と直子さんに毎晩のように言って居て、命日に鎌倉へ、来て墓参りをしたりしていますね。
いかにも善人みたいです。だけど、あなたが直子さんを殺したも同然なのですよ。あなたは、直子さんに頼まれてわたくしと、11月3日にデートしたいと、言って来たでしょう。お断わりをしました。だけど、あれって、CIA側のスパイをあなたにさせようとする、趣でした。そして、私が断ると、【恋の鶯から】という日本中、その当時は、どこにも売っていなかった、ラベルの日本酒を、フェイスブック紙上にあげて、からかってきましたね。
あなたはね。今、日本人が二極化していて、普通の人はどんどん、貧乏になっている、そういう仕組みを作っている悪人たちの先頭弾として、私に接触しようとしてきたのですよ。油断をさせた会話の中で、私がどれほど、深く、政治の、真実を知っているかを確認するのが、目標でした。
で、そんなおっちょこちょい人間に、どうして、瓜南さんが守れますか? 執事です。執事ですと、言ってへりくだるのは、やめて頂戴、偽善者目。
あなただけが原因者ではないが、私はあなたのお友達ですと、言って、彼女に、2011年6月以降近づいてきた、人間たちは、寄ってたかって、彼女を死に至らしめたのです。
わたくしの方は、彼女を見守っていた・ら・し・い・のです。ただ、文章を読むだけですよ。それでも、11月18日まで、彼女は普通だったのです。特に全日本あすハガレンも、攻撃だしお食事の投稿も攻撃だし、映画のプログラムが我が家から、盗まれているという裏側があるので、それも、対、私への攻撃でした。しかし、毎日我慢をして読んであげていました。敵側が何をどう考えているかが、かのじょの投稿を通じてわかるからです。
例の10月末から、始まっている私へのスパイとして、金田さん、あなたが鎌倉へやってくる案を・・・・・私の方が、断ったら、その後、お詫びとお礼の印として、瓜南さんは、あなたに豊島屋の源平巻を送りました。美麗な缶入りで、当時、お値段は、1300円。見かけとお値段のバランスを言うと、豊島屋で、一番安い、お菓子です。そこからも、直子さんの、経済的苦しみを推察できましたよ。あれほど、大きなこと(=警察がスパイ役に祐子さんを選んだ)で金田さんを動かすとしたのに、そのお詫び代が、わざわざ、広島に送るのに、たった、1300円のお菓子です。
ともかく、私は、二人のふざけ切ったエロチックなやり取り、・・・・・赤い袴をちらっと剥くと、白いなま足がちらっと見えて、を、読んで、瓜南さんの投稿を読むのをやめたのです。人が命を落としかねない策謀が生まれる可能性のある、そういう時だったのに、ふざけ切っている二人のやり取りを、見て、・・・・・・
別の人のブログで、最近知りましたが、直子さんは12月に入って、突然に痩せ始め、その後、4月に、本音を吐露して、亡くなりましたね。
そして、伴さんは、とんでもない形で、復讐をしてきています。それは、一年以内に書いたことなので、リンク先(後注1)を見つけましょう。その中で、使っている写真を冒頭に置きます。
後注1,