副題0、『この章を書き始めるにあたってのお断わり』
私としては、詐欺犯を捕まえるはずの警察が、自作自演で、還付金詐欺を私に仕掛けてきたと、いう問題から、逃げるつもりはないのです。そして、本日の義務として、その続きを書くべきだと、思っています。しかし、前報を書いた後で、アイデアが、数方向に散らばって広がっており、本日は、その内の一つ、子供とは何だと、いう方向で、進みたいと、思っております。
ところが実際には、途中の、化学構造式、とか、反応式というところで、終わってしまいました。子供とは何かという話は将来いたします。なお明日、加筆推敲をいたします。
で、本日の文章は、しばし、還付金詐欺からは、離れたみたいに見えるかもしれませんが、これは、派生部分ですので、ご理解をいただきたく存じます。
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副題1、『私は、前報を書いて、久しぶりに、満足をした。一般の方には、山田さんって、誰?って、いうぐらいの問題でしょうが、非常に重要な真実を開示したと、思っている次第です。敵さんたち(鎌倉エージェントと呼ぶCIAの日本人子分たちと、警察庁全体)が、震撼した筈ですし。
で、文案(=アイデア)が、多方向に進んでいるのですが、それは、頭の中だけで、やって置いて、手は、別の事をやりましょうと、考えていたわけです。だから、更新をせずに、ずいぶん、間を開けました。
さて、余裕をもって雑事をこなしているうちに、その中の、録画ニュースを点検する仕事中、無視できないお話が出てきて、私は非常に面白いと考え、しかも、自分でも、それに関連して、あれこれ、話すことがあると、思い始めました。ニュースウォッチが、地下鉄サリン事件を回顧的に、報道した時に、誰も知らないエピソードというのを表に出してきたのです。
ところで、そのニュース映像を、このブログに使おうとして、ここでは、jpegしか使えないのでそれを写真に直そうとすると激しい妨害を受けて、スマホでもアンドロイド版携帯でもできませんでした。が、、私も化学専攻なので、口で、説明します。
サリンとは、全体の中にメチル基が、三つ使われていて、それらが、P(リン)で、まとめられ、そのリンにフッ素と、酸素がつながっていると、いう様な化学物質です。ただし、亜型がいくつもある模様です。新コロナウィルスの変異体という様に、ちょっと、どこかの分子が入れ替わって居たりすると、性質が変わりますから。
毒性を産むのは、リンとかフッ素の部分です。それは、過激なマイナスイオンと化すので、それが、からだを構成するたんぱく質系、有機分子のプラス部分と結びついて、違う物質になるので、それが、からだを壊すということにつながるのです。それで、あれほどの、事件となりました。丸の内線・国会議事堂前の駅でしたね。
服藤(はらふじと、読む。愛称、はらさん)という当時の警視庁(または、警察庁?)の科学捜査官(穏やかな顔をした紳士)の思い出です。今は、医学博士です。
ハラさん(警視庁内の愛称)は、黙秘を続ける、サリン製造者の口を開かせるために、捜査担当課長から、「ハラさん、科学の話でも、土屋(製造担当、化学専攻)にしてみてよ」と頼まれて、取調室で、土屋正美と、二人だけになり、
結局、後日、彼の自白を招いたのですが、その思い出話は、近々書物となるそうですから、詳細な流れなどは、ここでも、皆様には、伝達しないで、置きましょう。
しかし、私が化学屋として、・・・・・それは、面白い。自分でも似た経験がある・・・・・と、痛感した部分は、ここに、書かせてください。
それは、化学構造式に関する部分です。それを、ニューヨークでの私の個人的体験と絡めて、書き起こさせてくださいませ。
はらふじさんは、自分で、事前にいろいろ、資料を調べて、サリン系の物質でもガス(気)化できるものとガス(気)化できないものもあることに気が付いて、土屋が、製造した、サリン物質の化学構造式が、ガス化できるものであるので、だいたいこういうものであろうと、事前に、突き止めて置いて、それを取調室の、机の上の紙に、サラサラさらっと、手書きで書いたそうです。
すると、土屋正美が、非常に驚いて、立ち上がって、からだを前後左右に揺らし、手をぶるぶるふるわせたそうです。土屋という青年は非常に優秀だと、ハラフジさんは、言っています。その優秀な青年が、絶対に他人には、構造式などわかるものか。自分だけがそれを、作れるし、空で、構造式をかけるのだが。と、思っていた気化可能のサリンの構造式を目の前で、書いたので、落ち着いて座ってはいられないほどの衝撃を受けたみたいだったそうです。
それほどに優秀でも、一般社会で、正の方向で、働くほどの、居場所がなかった模様だと、はらふじさんは、言っています。
ここからは、私の推察を赤字で入れますが、ポスドク問題か、アカハラ問題があって、東大のポスドクだって、よい大学の助教授の席を見つけるのは、非常に難しいのです。特に上司の感情も入ります。五年に一人ぐらいしか、有名大学の席が、空きませんし。
それが、筑波大学だと、さらに困難です。高校教師の場はあっても、大学教授とか、研究所就職は難しかったでしょう。昔、高等師範学校だった歴史がそうさせるのです。だから、それを、理解して、筑波大学へ入学すればよかったのですが、入学時の、自分の学力で、筑波大学を選んで、入学してみたら、自分が、超優秀だったと、いう形で、居場所がなかったのでしょうね。
ただ、年上の親戚がいて、こういう実情を教えてくれていたら、自分のやりたいことを望まないで、あきらめて、普通の会社のサラリーマンになったかもしれないのですが、世間知らずだったと、いうことでしょう。オームだけが、彼を受け入れ、居場所として、お金も自由も与えてくれて、最高の研究ができたそうです。こういう東大と筑波大の違いの話は、覚悟を決めた私でないと語ることができない話です。真実ですが、東大関係者も言わないだろうし、筑波大関係者も、表向きには言わない話です。ただし、つくば大学の出身者の頭脳が、東大出身者のそれに劣ると、いうことをいっているのではありません。社会の慣習上、大学教授の席が圧倒的に、旧制帝大出身者で、占められているという実情があるので、こうなります。
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副題2、『私は、このお話を非常に面白いと思った。自分がとても似た経験をニューヨークで、しているからだった。私が、はらさんの立場で、土屋側にあたる相手は、25歳の女子・大学院生だったが、ともかく、当時59歳を超えていた私の方が、化学方程式を書いた方だった。知識の上では、こちらの方が上だった。アサコは、硝酸の分子式が書けるかどうかすら怪しかった。」
今、ここから先に、書いた文章が1500字ぐらい消えました。で、ここの主人公だけは、仮名にいたします。というのも彼女は狂ったのです。で、塩化第二鉄原液という猛毒を床にばらまいたのでした。で、仕方がないので、アサコと、仮名を、つけましょう。日本の京都の美大を卒業して、ニューヨークで、修士号を取って、その後、それを使って有名人になってやろうとしている勝気で野心的な女の子です。
10年ぐらい前に、私は、このエピソードを詳細に書きあらわそうとして、彼女の卒業した美大の偏差値を、探ろうとしました。草間彌生は、現在のなまえを京都市立芸大という大学を卒業しています。その大学と、アサコの卒業した大学の、入学時偏差値を比較してみたかったのです。
そしたら、見つかりませんでした。どうも美大の名前が、変更になっていたみたいです。(セイアン)という名前だったと、思うのです。しかも場所は京都だったはずです。しかし、10年前の2010年に、すでにその大学名は、見あたら無いのでした。それで、自分が如何に大物かをも、そこでも、悟った次第です。(苦笑)卒業生の一人がとんでもないことをしたら、大学が名前まで変えるのですよ。特に私が、文章を書くとです。私がメルマガか、ブログで、書いた場所、モノは、消し去るのだと、いう悪意が、この日本には、蔓延をしていますので。22日にはモヘヤと、いう種類の毛糸が、日本から消えた話を聞きましたし。
今から書くのは、1999年の修行時の、思い出ですが、2000年の方の版画修行の思い出を【黄いろいさくらんぼ】というタイトルで、書物にしているのです。販売はしておらず、ただ、献呈しただけですが、今は、中古で、高いお値段で、取引されている模様です。で、其れの姉妹編として、修行場所が、異なる、こちらの例も書物にしたいと思ったのでした。
こちら、1999年の版画修行のお話を、書物にする場合、タイトルは、【黄いろいプラタナス】と、する予定です。どうして、そういう題名にするかというと、私はアサコが、床に劇薬をぶちまけた日以来、その版画教室には行っていませんでした。ところが、ニューヨーク一人暮らしで、テレビはあっても見ないし、宅配新聞はないので、曜日がわからなくなっていて、二週間後ぐらいに、ふとという形で、その教室をのぞいたのです。その教室のドアは、なんと、お茶大付属高校のドアと同じで、厚い木でできているのですが、丸い穴が開いていて、そこに、素通しのガラスがはまっています。そして、私がひょいと顔をそこに近づけた途端に、27人の学生と教授が一斉にこちらを見たのでした。ここで、教授に仮名をつけます。アリスと、呼びましょう。アリスが、私を招じ入れ、挨拶をする様に、言ってくれました。それで、教壇のところに立ち、みんなに別れの挨拶をしました。
実はアサコの代乱暴狼藉の後で、アリスに長い長い英文メールを送ってありました。それを書いたときは、もう一回アリスと、出くわすとは思っていなかったし、私は、しゃべるより、文章の方が得意ですから、ずいぶんとはっきり書きました。
*私は、11月の末にニューヨークを去ること。
*修士号を取って、ニューヨークにのこり、そこで活動するつもりはないこと。
*ともかく、版画を勉強しに来ただけであって、あなたを打ち負かそうなどとは、夢に思っていないこと。
*あなたは、入学許可時の、FINE ART OFFICEでの、私に対する皆さんの高評価に恐れをなしたらしい。それもわかるけれど、・・・・・ともかく誤解を解いてほしい。
*私は、日本では、お母さんみたいな人だと、良く言われている。このメールも、そういう特質が現れているだけで悪気はないこと。ただ、あなたは、私の事を高飛車だと、思うかもしれないけれど、私は、元来が、そういう人なので、威張っているわけではない。・・・・・などなどと。
英文メールは、二人しか読んでいない筈です。が、アリスは、その内容を許さないと、思いました。で、「あなた、本日は遅刻のしすぎです。もう何もやらないで、帰りなさい」と、いわれると、思っているのに、そして、その日、そこへ行くつもりは全くなかったのに、唯一、曜日を忘れていたので、顔を出してしまっただけなのですが、アリスは礼儀正しく、教室の中に招じ入れてくれて、挨拶をする様に、促したのでした。
私は、27人の仲間に、簡単なお別れを言った後で、振り返ってアリスにも、感謝の言葉を述べました。外へ出ると、校門のそばに高いプラタナスの、木があって11月の第三週、すべてが、黄色く紅葉し、輝いていたのです。冬の日は、ニューヨークでは、早めに落ちます。天空に太陽がある時間よりも、斜めの時間帯の方が、すべての葉っぱの透明度をいや増しに増して、金色に輝かせて居たのでした。私は、神に深く感謝しました。アメリカの中流階級には、まだ、ちゃんと、キリスト教精神が残っているのでした。人間は、神のみ前では、すべて平等であると、いう意識を保持しているのでした。で、書物のタイトルを、【黄色いプラタナス】として、【黄いろいさくらんぼ】の姉妹編とするつもりでした。
この時も人生におきる何度目かの事として、神が、見守ってくださると感じたのですが、2001年にこのエピソードの続編を聞いてしまいます。そこでも、神の存在を強く感じ入りました。
こっちの方も相当面白いはずです。ただ、アサコの事をブログで、書くのさえ本日は妨害をされたのですから、大変です。それほどに、井上ひさしは、私の文章が面白いということを知っているのです。彼は、公的には大宣伝をして、死んだことにしました。だが実際には、まだ生きています。今回は嫉妬ということをキーワードにしますが、私は、井上ひさしから、嫉妬をされていると、つくづく感じています。嫉妬するので、私が、書いた結果を消し去ったのでしょう。遠方で、彼が目の前にしているノートパソコンの、デスクトップ画面にある、或るアイコンを、クリックすると、中継基地を経て、私のパソコンに、システム破壊が、起きるのです。
女性について書くときにその人の容貌は、結構大切です。アサコは、背は150cmぐらい、太ってもいず、痩せてもいず、そして、顔は、普通で、まだ、25歳なのに、もうおばさんチックです。【せいあん】を卒業した後で、一般企業に、二年ぐらい勤務して学費をためて、ニューヨークに乗りこんできて語学学校を含めて、三年間滞在し、修士号をとって、草間彌生か、オノヨーコになろうとしているところでしょう。
もっと、もっと、はっきり言うと、草間彌生も、オノヨーコも、実家がお金持ちです。そして、美大の修士を卒業したから、有名な作家になったわけではありません。彼女たちは、学歴で、勝負をした人たちではありません。一方、あさこは、基本的に、美術の才能があるとも見えず、美大の修士号を、だんビラとして、振り回し、ニューヨークや、世界へ乗り出していこうとしているのです。
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副題3、『一方で、私の方だが、学歴を取得する為に、ニューヨークへ行ったわけではない。実質的な勉強ができればいいので、いつも観光ビザで、いって、三か月で、帰国している。ただ、版画工房を使いたいというか、版画工房を使わないと、修行にはならないので、初めて、ニューヨークへ行く前に、日本で、外人に、いろいろ質問はした。銀座の、地球堂という画廊のオープニングに来ていたアメリカ人女性(とても上品な人)が「ニューヨークならPratt Instituteがありますよ」と、教えてくれたのだ。で、私は、そこが、大学と大学院を兼ね備えているキャンパスであるなどとは、夢にも知らず、プロ用の、版画工房だと、思いこんでいただけだった。
ただ、プロ用の版画工房なら、それは、それで資格が必要だ。だが、欧米では、資格と言っても、書類が、重要なわけではない。実力なのだ。実力がモノを言う。で、初日、Gラインという地下鉄に乗って、Bedford-Nostlandという駅に降りたのだった。すると、映画【いかと、クジラ】に出てくるお母さんの方の家みたいな、古いが、中だけは、高級で、豪華なアパートがあって、その向こう側に、美しいキャンパスが、広がる。この大学の特徴として、塀の外、大学の、すぐそばに大きな2000人以上を収容する二棟の寮があること。私は、むろん、別の地域で、一人住まいのアパートを借りて住むが、学生たちは、その寮に住む。アサコの狼藉は、そこを通じて、全学生の噂の的となり、その結果、担当の、女性教授に、次の学期から、一人の受講者もいなくなって、女性教授は大学をやめないといけなくなった・・・・・そうです。
これも、私にとって、人生何回目かの『ああ、神様は、存在しておられる』と、いう現象でした。アサコなど、誰も問題にしては居ません。教授が、私に対して、嫉妬しているから、起きた現象です。彼女は、この大学の陰の有力者の愛人だから、教授にしてもらっていると、いう噂がある人でした。
彼女が私に嫉妬していて、それを目ざとく悟った、アサコが、教授におべっかを使う一種の作法として、私をいじめまくったからです。
学生たちは、みんな利口です。アサコはバカですが、ほかの学生は、利口です。実際の気違い沙汰を起こしたのは、アサコですが、後ろに女性教授の嫉妬があることは、みんなわかっていたのです。
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副題4、『父が常々言っていたことだが、他人から嫉妬を招かない様にすることは、人生の要諦の一つだ。と、しかし、私が、欧州系アメリカ人である、この女性教授から、嫉妬をされたのは、工房を使う許可を得るために、持って行った、見本の作品が、superior 過ぎたからしいので、それは、防ぎようもない出来事だった。その作品がいいということは、学部の版画の教授や学生にもうわさが伝わり、大学院の方の、教授をしている、40代の、白人にしては、とてもかわいいタイプの、女性教授にも伝わったのだと、推察している。彼女は、最初から、私に対して、強い対抗意識を示した。ところで、この女性教授は、日本でいう講師の立場なので、講義をして、それが、終わると、すぐ帰ってしまうので、金属板を腐食する、腐食駅の、管理を怠っていた。で、仕事が進まなくなった。
銅板は、800倍に、希釈した、塩化第二鉄溶液で、腐食する。全体で、27人の学生がいるので、課題を、三つぐらい、こなすと、腐食駅の、腐食作用が、失われた。銅板よりも安いアルミニウム版を使う学生もいて、その人たちには、硝酸の希釈液が、用意されている。硝酸は薬として、みんなが慣れているものだし(中学生ごろから化学の授業に出てくるものだ)、安価なので、硝酸希釈液は学生が、作り直すことが許されていました。
私自身は、ほかの学生とは、違う仕事をしていました。ヘイタ―方式という深い堀をしないといけない、工法なので、800倍希釈液など、使って居られません。それで、学部の方の教授にお願いをして、塩化第二鉄の原液を手に入れていて、それを、台所用の、新井桶風の、容器(プラスチックに入れて、危険なものなので、それほど、高くはない位置の棚に入れておきました。
27人の学生は、仕事が進まなくなったのですが、それぞれ、工夫をして、作業を進めていました。どういうことかというと、学部の方の、作業場に、いって、腐食をさせているか、または、アルミニウム版を使っていたのだと、思います。しかし、そういうことは、大学院から、ここに入学してきた学生にとっては、やりにくいことです。で、アサコは、私の塩化第二鉄原液を使いたくてたまらなくなりました。たまたま、私と同じ工法を採用している学生もいて、そういう人には、自由に使っていいわよと、いってありました。それを横目で満ちるアサコは、自分も使いたくてたまらないのですが、
私はアサコには、使わせるつもりはありませんでした。アサコみたいな普通の銅版画を、作っている人間には原液とは、扱えないものです。だって、800倍希釈液で、15分ぐらい浸すものです。その800倍の濃さですから、30秒でいいはずですが、相当使い始めているので、こちらも効果が落ちているので、50秒かもしれないし、3分かもしれないのです。深堀なら、二週間程度つけるので、10~15分程度差があっても、大丈夫なのですが、普通の銅版画で、原液など使う人はいません。まあ、10ccほど分けて頂戴と、言われれば、10CCほど挙げたかもしれません。しかし、それは、この二か月の、彼女の妨害といじめを考えると拒否したいところでした。
しかし、アサコは、そういう風な正攻法では来ませんでした。絡め手から攻めてきました。つまり、こういう質問をしてきたのです。
「ねえ、ちえこ、ねえ、どうして、銅板を硝酸につけてはいけないの?」と、・・・・・私は内心で激怒しました。こういうのにはデジャブ―があります。ご近所住民の安野智紗夫人が、井戸端会議を利用して、住民の主婦、10人ぐらいの、上下関係を作り上げようとしていました。全体で、17人ぐらいの女性が当時居ました。が、働いている人とか、年齢が上の人は、参加を免除されていました。が、彼女にとって、私が参加していないことが、目の上のたん瘤だったのです。それで、参加をさせるために、一種の懐柔策として、「うちの子(すでに、中二になっている)に、お客が来たのでお紅茶を出したいからお砂糖を貸してください」と、いいに来たのでした。一切付き合っていない間柄なのにですよ。私はにべもなく、そういうお付き合いは致しませんと、いって、それ以降も井戸端会議には、参加しませんでした。元へ戻ります。ニューヨークの版画工房へ戻ります。
その時に、私は作業机に座っていてアサコは、目の前に立っていると、いう状況でした。私は、作業机の上に広げてある、実験記録の新しい頁をめくって、そこに、化学方程式を書きました。
Cu + 2HNO₃ = Cu(NO₃)₂ + H₂
となり、青い結晶となります。
または、水溶液の中だと
水和物[編集]
Cu(NO3)2(H2O)2.5はCu中心が水と硝酸イオンに囲まれた正八面体構造をとる[1]。この水和物は約170℃で酸化銅(II)と二酸化窒素と酸素に分解する。
- となります。
- 一方塩化第二鉄って、一種の触媒風な働きをするので、銅板を腐食するときに、鉄分と、銅を、同時に、溶液の中に溶かしていきます。+イオンと、マイナスイオンの結びつきが起きません。
私自身は、硝酸の中に、銅を長時間つけたことがないので、目に見える反応として、どういうことが起きるかを見たことがありませんが、
硝酸の方だと100%の化学反応が起きて、銅板の細い溝の中に、固体が、埋め込まれてしまうかもしれないのです。
私自身、硝酸との反応は実際には見たことがないので、説明しにくいなあと、思いながら、顔を挙げてアサコを見ると、目を丸くして、しかも苦々し気な、顔をしています。すぐ、何を考えているかがわかりました。
で、今度は、こういいました。「あのね、私はね。東大に勤めていたのよ。だから、こういう式をすぐ書けるのよ」と。
これはからかいの一種です。東大では、主に英語を使って仕事をしていたので、別に、こんな初歩的な(特に第一行目は、優秀な学校なら、中学で、すでに出てくる化学式であろう)化学を使って勤務していたわけではありません。
だけど、「教授の威を借りているから、自分の方が上だ」と考えている、アサコを、そばで、見ながら、私は、負けているとか、自分が劣位であるなどとは、全く考えていなかったのですよ。常に、彼女の方を、軽蔑していました。
それは、安野智紗さんにも当てはまることです。
ところで、アサコは、2か月間、散々ないじめを行ってきたのですよ。だけど、自分では、それを忘れていて、私が化学方程式を使って、からかったことに激怒をして、猛毒の塩化第二鉄、原液を床にぶちまいたのです。
午後一時半ごろ発見をして、それから、片付けるのに、夜の12時まで、かかりました。購買部で、大量のキッチンペーパーと、ゴム手袋、二足と、大型のゴミ袋を、買ってきて、作業を始めたのですが、大型のゴミ袋、七袋になりました。それは、当時、そのビルが、リフォーム中で、ほこりが、床にたくさんたまっていて、それも同時にぬぐい取ったからです。
あまりにも驚かされたこの日以来、自分が、相当に強い人間である事を自覚して、リアルな世界では、喧嘩をしない様になりました。
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副題6、『鶴岡八幡宮の龍村さん。この章の総タイトルには、鶴岡八幡宮とは、出ていません。だけど、必ず、読んでくださいね。私が、安野智紗夫人の事をどう考えているかが、この章に、出ています。私は、その驚くべき勝気さをニューヨークで、アサコという、女性の行動に接して、常に思い出していました』
いかに、2020年4月15日から始まった、大量の、樹木、伐採について書いたブログを、時系的に正順に置きます。あなたは、私より安野夫人を明瞭に上に置きました。で、私はすぐ踵を返して、帰りました。それは、あなたからご欄になると、すごすごと、負けて帰った様に見えませんでしたか?
それで、ご自分が、ものすごく、立派なことを言ったと、お考えではありませんか。私は、この2021年1月13日、みずほ銀行鎌倉支店で、手ひどい扱いを受けても、決して、抗議をせず、ただ、すごすごと、その支店を辞しました。
しかし、それが、警察が自作自演で、特殊詐欺(=還付金詐欺)を、計画し、私をひっかけた、ということにつながっています。
また、2017年3月末、京橋のギャルリーユマニテをすごすごと辞しました。
龍村さん、私は、あの頃、あなたの言葉を正確に分析する為に、は、10年は、かかるはずだと、いいました。
昨日、NHKニュースウォッチを見ていて、地下鉄サリン事件の、さりん製造者、土屋正美を自供に追い込んだ、当時の科学捜査官、現在は、医師である服藤さんの行動、・・・・・土屋正美の眼前で、化学方程式を書いた・・・・・
で、説明できるチャンスを得たのです。一回目ですが、ちょうど、ほぼ一年後ですね。
八幡宮の権威を、虎の威として、使った高枝切りをきっかけに、小野寺夫人と前田夫妻の関係を、丁寧に考察する
矜持という言葉は、和服の作法から来ている、と思われるが、白井達雄氏の作務衣の胸のはだけ方には恐れ入った・・・+・・・我が家の東側が残酷無比なことになっていて
古くからの鎌倉住人の中には、90年代のnumber twoが八幡宮を去り、別のお宮のtopになった・神奈川県・の人事・をいぶかしみ、かつ残念がる人が大勢居る筈だ
鶴岡八幡宮様が、我が家を崩壊させるまでの事をなさったので、ここで、酒井忠康氏と私との間の20年間を振り返って見た
この章では、鎌倉の偉い方の筆頭級人物である酒井忠康氏と、私のご近所の主婦で一般人である=安野智紗夫人との関連を語ります。