銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

在日・引揚者・新コロナウイルス罹患者などへの差別の話と、噂話好き銀座雀の事 + 旧・村松画廊、蓮ポウ議員の離婚

2021-03-27 22:28:18 | 政治

。。 下の文章を28日の午前四時に締めた後で、今、8時間経っています。で、下の文章を書いた目的や、れじめを冒頭に置きたいと、思います。学校社会に苛めが蔓延をしています。そして、無くなりません。実は、大人社会が、差別を助長していることが、子供たちに、見事に反映をしているのです。差別の横行を日本社会が許しているのは、日本社会の上に立っている支配者側が、日本を支配する道具として、在日の人たち、または、韓国在住の韓国人、および、北朝鮮の金一族、または、アメリカなどに、住んでいる韓国系住民を、利用し、かれらを、日本人の上に置くという政策がとられているからなのです。この件ですが、崔洋一監督が長らく(もしかしたら、今現在も)日本映画監督協会のトップの位置を占めていることなどに、象徴的に表れています。崔洋一監督は自分の国籍を、北朝鮮から、韓国へ変更したと、言っていますが、それ故に、日本人ではないのですよ。それなのに、日本の映画監督が、集団を作っている或るソサイエティのトップを、ほぼ、終身状態で、担っています。

 ですから、この一文に置いた、銀座(京橋を含む)の貸し画廊街で、見聞をした、二人の在日の人を、書いて、その賢さを、分析することは、ある意味を持つと、私は考えているのです。二人とも、その年齢から考えて、戦前か、戦時中に、自分の意志で、かつ、資本金をもって日本にわたってきたビジネス志向の、韓国でも富裕層だった家族の、子孫だと、私は、見ています。

 在日と言っても、従軍慰安婦像に、象徴される、貧しい家庭の少女たちとか、徴用工で、代表される、貧しい家庭出身の男性たちだけではないのです。これは、満州から引き揚げてきた、日本人引揚者にも、あてはまる、定義で、社会を構成する人は、上下の階層にわたって、種々、様々だと、いうことを示しています。

 しかし、二人とも、その年齢から考えて、日本人化するための、通称を用いる年代だったと、考えます。白田さんは、通称を用いると同時に、韓国を大切にしていることを、40代から、隠さない人だったと、見ています。しかし、所作や、ふるまい全般において、日本文化になじみ、ほぼ、日本人とおんなじ振る舞いだったと、見ています。内実はともかく、表面的には、とてもつつましい態度の人でした。

 一方、川島女史は、生涯、結婚をしなかったと、見ています。つまり、おひとり様キャリアウーマン、として生きてきたので、相当に気を張って、突っ張って生きてきた可能性があります。それで、50代後半に達して、確実な資産形成ができるまで、在日であることは隠してきました。しかし、銀座から、京橋に移転をする際には、数億円に達する資産形成が済んでいたので、強気になったのだと、見ています。

 このケースは、やまゆり園事件にも通底するのですよ。あれは、植松聖が、障碍者を馬鹿にして起こした事件ではありません。井上ひさしたち、鎌倉エージェントが、・・・障碍者は、口が、達者ではないので、被害について、語ることができない・・・と、いう側面を利用した、徹底的な、差別思想に基づいた、謀略事件です。だから、その真相を書く私が異様に弾圧されるのです。

 植松聖は、雇われた、確信犯で、命令された通りに動いているだけです。だから、名称不明のままの、19人の死者を、うんだ彼をさばくのに、一審だけで、終わったのです。あの異様な裁判を繰り返せば、やがて、瑕疵や、嘘が、一般の日本人にも、ひろく、露見してしまうからです。

 今、やまゆり園の建物はすべて取り壊され、新築中です。そして、新築開業時には、名称も、変更されるでしょう。管理者も、神奈川県から、法人へ、移行しています。

 差別を、徹底的に、悪・利用した、事件でした。だから、証拠隠滅のために、そうしていくのです。私の怒りは深いです。ここまで、添え言を入れて、昨日かいた、全文へと戻ります。

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副題1、『私にひそかに耳打ちした男性がいた。<あのね、シロタさんって、在日なのよ。川崎さん、その事、知っている>と』

 その男性が、そのうわさ話をしたのは、2005年から、2010年の間であって、私が、銀座界隈の画廊オーナーの内、シロタさんが、もっとも賢いと、文章で、公開し始めたのは、2017年以降ですから、それに対する反論としてではなくて、彼本人のうわさ好きゆえの現象だったと、思います。私は、2017年に初めて、「京橋の有名画廊のオーナー山口みつ子さんは、自殺ではなくて他殺である。理由はかくかくしかじかで」と、いう真相を開示しました。

 それを書くのは、相当につらいことで、それだけ、2017年の私は、ひどい弾圧を、ご近所、それからNHKニュース、同窓会、銀座の画廊街で、受けて居たということにもなります。防衛の一手段としては、敵さんたちがやっていることの、秘匿されている真実を書くというのは、大きな手ですから、書きました。

 しかし、書いてみると、自分が確実にステップアップしているのを感じました。ライターとして、グッと、プロフェッショナル化したのです。お金は稼げないけれど、主婦の、手慰みという段階は過ぎました。しかし、山口みつ子さんが他殺であると、いうことを書くにあたって、これも有名な画廊であるギャルリーユマニテを、「コテンパーに、やっつけた」というのにも等しい事になるので、銀座の画廊巡りをやめました。それで、銀座の画廊街で、見聞したことを書くのが自由になったのです。その一つが、「シロタ貞夫さんは、決して、味方ではなかったが、客観的に見て、(貸し)画廊のオーナーの内、もっとも賢い」と書き始めたの事でした。しかし、銀座に行かなくなったので、2017年の夏にシロタさんが、亡くなったということも知らなかったのです。

 で、上の二重ガッコに書いた、シロタさんは在日だよと、いうセリフに戻ります。ただ、それを発言した人物の名前は、さらしません。彼と打ち解けて、話し合ったことがあって、彼が解決できない悲しい問題を家庭内に抱えた、苦難の人でもあることを知ったので、それ以上の苦しみを与えたくないし、自分が苦しいからこそ、他者(ここでは、シロタさん)の悪口を言って、気晴らしをしたいという趣もあった様に思うからです。

 で、この男性ですが、大・大・企業勤務のエリートで、中流の上という立場です。

 一方で、私のご近所で、ぺらぺらと、この山の、21軒の人々の隠された内情を私に告げる人がいます。ちゃら男さんと、私が呼んでいる大原光孝さんです。私は、彼が、上にあげた紳士みたいな、単純な噂好きだったら、実名を上げないのですが、一方で、対私への攻撃を種々様々行う人間なので、実名を書くのです。ところで、彼が、どうしてそうなったのかについて、は、まず、一生勤務というものをしたことがないのも、重要な要因でしょう。つまり、大学を卒業した後で、普通の人が学んだ筈のものを、彼は、一切獲得をしていないのです。

 日常の話し相手は、この山のご近所主婦10人から15人だけですから、ああいう風になります。また、私をいじめるのは、大学の先輩である柄沢斉から、降りてくる命令に沿っているでしょう。で、その柄沢斉が、シロタ画廊の専売作家の一人なので、シロタさんが、味方ではないと、いうのは、確かな話なのです。ところで、話は飛びますが、柄沢斉に、その様な命令を下しているのは、酒井忠康氏でしょう。

 しかし、同じ敵であっても白田さんは、川島女史(村松画廊の、二代目オーナー)などと、比較すると、圧倒的なレベルで、賢かったです。

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副題2、『村松画廊について、本日は、軽くだが、触れる。その画廊は、昔は、銀座六丁目(?)のビルの二階に在ったと、記憶している。が、最近では、移転をして、京橋に映っていた。そして、2021年の現在は、閉鎖している。2005年ごろは、ギャラリー山口の対面のビルの一階で、商売をしていた。その旧・ギャラリー山口を、今使っているのが、ギャルリーユマニテなので、そこは、政治の渦が巻いている一種の鬼の住処だと、考えている。馬越陽子さんが、私をうつ病にさせるべく、大きな自慢話をしにやってきたギャラリー手も、ある時期、そこに存在して居たし。まあ、車が通らない、暗い通りなので、車の中に馬越さんを待機させるなどということがしやすいし、警察博物館があるので、あそこに隠れていることができるからかもしれない?』

 副題1に置いた、噂話好きの紳士から、「シロタ画廊のオーナーって在日なんだよ」と聞いたときに、私が、どんな反応をしたかを、ここで、語ります。実は、一切、反応をしなかったのです。リアルな世界では、喧嘩をしない主義だと、語っています。だから、「あら、私、そんなこと、とっくに知っているわよ」とも言わないし、「あなた、それは60過ぎの紳士が、こういう場所で、いう話でもないわよ」とも言わなかったと思います。こういう場所というのは、銀座の或る画廊の室内を指します。

 とっくに知っていると、いうのはシロタ画廊の展示室を見ればわかります。大小の展示室がありますが、小の方には、365日、リーウーファンの作品がかかって居たと、記憶しています。それから、大の方では、三か月に一回、名前から考えて明らかに韓国系、または、カミングアウトをした在日の作家だと、わかる人でした。だから、30年間に、100名近い、韓国系作家の作品をそこで、見たことになるので、誰に、何を聞かなくてもわかります。

 でも、私は是々非々の人で、白田さんが賢いということは、ここにあげる川島女史などと対比すると、まことに明らかになるのでした。

 川島女史というのは、いつも、(薄手だが、しっかりと、織られた)ウールで、かっちりと仕立て上げた、上等な、ダークスーツを着こなして、一部の隙も見せない人でした。それは、銀座の方で、見た姿です。そちらの方では、お茶大付属高校同期の内藤松子さんが、個展を何回もして、案内状ももらっていたので、よく行っていて、川島女史の、そういう構えた姿を、見ているわけです。

 ところが、京橋に移転をした後では、川島女史は、私の中では、落ちた偶像となります。2017年の三月に、ギャルリーユマニテのオーナー十束さんが、落ちた偶像になったのは、引っ越しを教えてくれないのが、金成悠子さんの、女性特有のいじめだったのではなくて、オーナーの十束さんの指示だったと、知ったからでした。

 川島女史は、其れよりも10年ぐらいの昔から、私の中では、落ちた偶像となっていたのです。理由は二つあって、私をいじめるその手法が、画廊るたんの、中島三枝子さんよりも、幼稚なのです。幼稚極まりない形で、しかも、ごく、ごく直接的です。川島女史は、私の外見だけを見て、弱いと判断をしていたのかもしれませんが、北久里浜の水道山をめぐる大詐欺事件の際に、日本橋の、有名な弁護士さんが、舌を巻いて、「あなたは、外見から見ると、典型的な被害者像に見えるけれど、実際には、違うのだね。非常に豪胆で、かつ、頭が良い」と言ってくださったほど、です。

 いじめてくる川島女史を、反論もせず、喧嘩もせず、じっと我慢をして彼女を、観察しながら、将来、之を文章化しようと、考えているだけです。いじめられても、心は、動揺せず、全く冷静なのです。村松画廊が、閉鎖するまで、通い続けていたのは、相馬さんというスタッフが、とても良い人だったからです。また、美術評論家として機能をするためには、全画廊を見ておきたかったからでした。

:::::::ところで、ここで、挿入ですが、川島女史は、村松さんという人の下でスタッフとして働いているうちに、引退する村松さんから、地盤とか、画廊の、場所を譲ってもらったと思うのですが、その際、テナント使用者の名義変更ほかで、現在の貨幣価値にして、600万円ぐらい必要だったと、思うのです。

 川島さんに、富裕な身内がいるのか? それとも前オーナーの村松さんが、一種の退職金として、それを彼女にプレゼントしたのかは、知りませんが、アラフォーで、画廊のオーナーになり、70歳まで、続けたというのは、女性としては、成功者だと、思います。ただ、川島女史は、富裕だから、次のオーナーとして、自分の部下だった相馬さんに、退職金として、600万円を与えて、画廊を引き継がせると、推察していたのですが、違いました。相馬さんとか白川(ギャラリー山口のスタッフだった)さんは、今どうしているのだろう。二人の事はとても、なつかしいし、かつ現在が、心配です。:::::::::

 元に戻ります。もうひとつ、川島さんに注目する理由がありました。

 彼女は、ものの見事に、・・・・・山口みつ子さんが、自殺である・・・・・と、いうことを銀座の画廊に喧伝して回っていたからです。その行動は、新聞記者相手にも、及んでいました。この二つは、二つともに、私に対する嫌がらせです。しかし、2005年にそれが、始まる前、私は彼女に恨まれる様な、ことを自分がやった覚えがないのです。

 で、川島女史の、この二つの行動は、誰かから命令をされて行っていると考えました。誰が、彼女に、そうする様に命令をしているのか? それは、わかりませんが、何故、彼女が、そういう命令に従うのか? そちらの方はうっすらとわかりました。彼女は、在日の出自を隠している存在だと、思います。

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副題3、『川島女史は、銀座にいる時は、すきのない辣腕経営者ぶりを発揮していた。しかし、京橋に移転をした後では、富裕なマダム風に画廊経営を変えていた。以前は二つの展示室をフル稼働して、貸してお金を稼いでいたと、考えられるが、京橋に移転をした後では、小展示室の方は、人には貸さず、ご自慢らしい、自分のコレクションを飾っていた。それが、用途は不明なものの、韓国系の、歴史的、遺物、または、名物と、いわれる類のものだと、私は、判断をしていて、それ故に、ああ、彼女は在日の出自があるのか? それで、私を異様にいじめるのだ。もしかしたら、成岡庸司君とか、井上ひさしと直接に出会って懇談をしていますか?と、考えた』

 鎌倉に最近できた、ジアースという画廊が、同じ名前の、ジアースというパチンコ店経営者の、一族の女性が、経営しているのではないかと、いう一文を以前、書いた事があります。経営者の若宮女史が、警察と直結する大きないじめを目の前で、行ったからでした。その上、60代に達している女性が、鎌倉駅、すぐ近くの(ただし裏通りには、位置しているのだが)一戸建て(売値は、2021年の貨幣価値でいうと、8000万円を超える物件)を、買って、と、同時に自宅を、北鎌倉に買うというのは、サラリーマン家庭の主婦としては、ありえない措置だったからです。無論、以前から、ほかの場所(古淵か?)で、画廊を経営していたとは、ご本人から聞いています。しかし、画廊経営とは、もうかる商売ではないから、突然に、これほどの、飛躍(古淵という横浜線沿線から、横須賀線、鎌倉駅近傍へ移転をする)ができたのは、遺産相続しか考えられないのです。

 私は川島女史とは、一回も個人的な話をしたことがないし、スタッフの相馬さんとも同じです。だから、彼女の私生活は、一切知らないものの、銀座の画廊を、建物の新築化で、追い出されて、京橋に移転をしたときには、何らかの大金を、彼女が、保持していたと、考えています。追い出され・補償費だったかもしれないし、銀座での、シビアな、経営ぶりで、十分に資産形成ができていたのかもしれないし、富裕な親族からの遺産相続があったのかもしれません。

 私は、不動産について考えるのが大好きで、銀座や京橋を通ると、自分が借りる目的もないのに、賃貸物件がひと月、いくらで、借りられるのかを調査したりしています。すると、住まいではなくて、事業用に借りる場合、最初に補償金というのが必要で、それがだいたい500万円であることを知りました。後は、借りた部屋の毎月の家賃ですが、それは、広さとか、立地条件で、変わります。

 川島さんの場合、銀座は、いかにも古びたビルで、二階に上がるのも階段でしか上がれない形でした。しかし、京橋は新築ビルで、しかも一階の路面店です。

 ここに大宣伝をして移転をする際に、すでに、彼女は三億を超える資金を貯蓄していたと考えました。荻窪から、吉祥寺までの、あたりに、貸しマンションを、三区画持っていたと仮定すると、家賃収入が毎月50万円を超えます。その上、株を総額一億から二億買っていたら、一年に、100万円から、200万円の配当金が入ります。その二つと、自宅を、保有して居たら、余裕しゃくしゃくで、老後を送ることができます。

 山口みつ子さんが、殺されたのちの川島女史の行動を見ると、超単純です。だから、お母さんではないです。また、主婦でもなさそうです。ということは、おひとり様の老後となりますが、こと、収入の面では、彼女は、全く心配がない老後を、すでに、京橋移転の前に形成していたと私は考えるのです。

 これが彼女が、山口みつ子さんが、殺された後で、自殺説を喧伝して歩いた際に、「山口みつ子さんが、経済的に、困窮していたのだ」と、いう理由を用いた、本当の理由です。

 もう一つは、山口みつ子さんに対する嫉妬心があったと考えられ、それも山口みつ子さん自殺説を喧伝して歩いた、理由です。経営者としては、自分は、圧倒的にうまいし、彼女より上だと考えていても、人間として醸し出す雰囲気の上で負けているとは考えていたでしょう。

  ここを数値を使って、さらに、正確に分析していきます。川島女史は、銀座では、大小二つの画廊で、シビアに貸し画廊代を取っていたので、月に300万円の収入があり、それは、年に3600万円になります。その中から、年に、300万円から、500万円を、投資に回すのは、容易だったと、考えられます。その点、山口みつ子さんは、シビアではないので、野見山さんなどには、ただで、画廊を貸していて、その突破口から、お金を引き下げて、貸さざるを得ない相手が、いっぱいになっていて、収入が不安定になっていたと、推察されます。

 シロタ画廊には、専売扱いの作家がいて、それが、デパートの画廊で個展を開いた際にも、いくばくかの手数料がシロタ画廊に入る形式になっていたと、私は、推察していますが、そういう作家を育てていく、その過程の忍耐強さも、シロタさんの賢さを証明すると、私は考えているわけです。で、大小二つある展示室の小さい方はほとんど、社交用、または、常設展示用に使われていて、そちらからの、貸し画廊収入はなかったはずですが、それでも、経営は安泰だったと、見ています。

 京橋に移転をした後での、川島女史に戻ります。その新しい画廊の設計図ですが、彼女が、自分で、設計をしたのか、別の人が、やったのかは知りませんが、大小二つの展示室をフル稼働で、貸すという形式には、向かない形の間取りでした。小さい方が、異様に細長いのです。しかも、南北に細長い上に、西側の壁が総ガラスなので、油絵等を展示するのには向いていないのでした。油絵だと、からだを絵から、引き離してみるのが普通です。それができないので、貸し画廊としては、よくありません。

 陶芸などの作品を展示するのには向いているのですが、村松画廊というのは、現代アートの作品を展示することで、有名になっている画廊ですから、陶芸作家などは、扱っていない画廊なのです。

 で、彼女はそこにご自慢のコレクションを並べていたわけですが、それがわかってからは、私は、大きな方の部屋の今週の個展作品を見た後では、その小展示室には入らず、外の道路からガラス越しにそれを見て足早に通り過ぎるのが常でした。いつも時間が足りなかったからです。

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副題4、『川島女史が特に長期間展示し続けていたコレクションを見ると、彼女の好みが、少女っぽいものであることが分かった。で、彼女はあの固いスーツの下に、ツンデレ状態の女っぽさを隠し持っているのかもしれなかった。また、口が堅いので、美術界の紳士たち(それは、作品を買う方のパトロン役の社長たちも含まれていたであろうが)が安心して、彼女と一夜の契りを交わしたのかもしれなかった。

 彼女はあの眼鏡をはずし、スーツを脱ぎ捨てると、柔らかな肌を持った、極上のタイプの・・女・・だったのかもしれない。そして、彼女自身、男性との接合を、楽しむタイプで、それで、とろけ切るタイプだったのかもしれない。

 それは、個展の初日のオープニングパーティの後で、二次会に流れ込み、そこでは、おおいに、はしゃいでいる様に見えるが、絶対に処女だっただろうと、私 が思っている山口みつ子さんなどとは正反対の生き方なのだ』

 今、NHKニュースを見ると、セクハラ裁判や、パワハラ裁判が、いっぱい行われていると報道をされています。私自身の人生を考えてみても、20代とか30代には、そういう嫌なことはいっぱいありました。しかし、それで、裁判を起こそうなどとは、夢にも思いませんでした。ただ、この悔しさは、将来小説に書こうとは、思っていました。

 なお、まだ、そういう種類の小説には手を染めておりません。小説を書いている暇がないのです。それに、今、直面していることは若い日のセクハラの思い出よりも、ずっと、今、現在のわが身に危険をもたらす事であり、喫緊で、防衛をしないと、いけないからです。

 でも、今抱えている問題を訴訟に持ち込むことも致しませんよ。訴訟なんて、普通の人が起こしたら、大きく消耗をします。

 現在NHKが報道をしている訴訟は、ほとんどが、裏に支援者がいます。共産党もしくは、共産党の中に隠れ住んでいるCIAエージェントが率先して起こしているでしょう。そして、何らかの別の狙いを隠しているものです。

 ところで、快楽という問題に戻ります。セックスは大きな快楽をもたらします。ただし、結婚生活における快楽よりも、そうではないセックスの方が、より大きな快楽をもたらします。大卒で、ひとかどの仕事をしている女性で、高い収入がある、特に、離婚をした女性たちの間で、フリーセックスに近い状態が出現をしていることは知っています。男性たちは、未婚の独り者よりも、そういう女性の方が、後でのトラブルが少ないと、知って居て、合意が成立します。

 川島女史の場合、普通なら、独身なので、男性にとっては、彼女から、結婚を迫られる危険性があるわけですが、画廊での、彼女の働きぶりを見ている人は、彼女が、画廊の経営に打ち込んで、満足をしていて、結婚など、望んでいないと、見るので、安心をして、お誘いをかける可能性があるし、川島女史の方でも相手が誘いやすい様にするテクニックを知っていると、見ています。

 こういうことを私が言うのは、シロタ夫人などの顔と、川島女史の顔には、明瞭な違いがあるからです。白田夫人というのは、いかにも昭和生まれの、マダムという顔立ちで、養老孟司夫人と、同じ様なタイプです。白田夫妻には、画廊の経営と、子育てをするという夫婦が、共通して取り組む、任務があります。だから、こちら鎌倉雪ノ下で出会う夫婦者と同じ顔つきです。

 川島女史の顔は、奥様の顔でもないし、母親の顔でもありません。キャリアウーマンそのものの顔です。

 私は川島女史は、在日の出自があり、それ故に、CIAエージェントの大物・例えば電通の成田豊氏や、成岡庸司君などと、すでに、懇談は重ねていると、見ています。そのうちの誰かと、ベッドインをしていて、寝屋の語らいとして、「こうしなさい」「ああしなさい」と命令を受けていて、その通りに行動をしていると、見ています。ずいぶん、驚く様な解釈ですが、これは、きっと当たっているでしょう。

 こういう解釈をするのは、ネットで、最近、連邦代議士が、離婚をしたと、いうニュースを見たからです。その後予算委員会等の質疑応答をする、彼女を見ていると、とてもきれいで、一般的に言う、離婚後の苦しみなど、微塵も、見て取れません。私は以前から、高収入で、しかも高学歴の女性たちの間で、職業上知りあう男性と、一時期、または、一夜の、セックスライフを、楽しむ風潮があるのを知っていました。男性もむろんの事、高収入だと、自由奔放です。中には、糟糠の妻を追い出しより良い家庭出身で、より若い女性と、再婚するケースがあります。それを事実嬢の、一夫多妻だと、定義している人もいます(上級国民、下級国民の著者) しかしその女性版もあるのです。

 なお、午前四時になったので、この章はここで閉じます。総タイトルに書いた、

引揚者への差別、それから新コロナウィルス罹患者への差別に、ついては、ご自身の周辺を見渡して、お考えをいただきたいと、思っています。なお、ほかにもありますよね。ハンセン氏病患者への差別、精神病院へ、入ったことのある人間に対する差別、

 私がパリで、三か月、ニューヨークで三か月を二回、繰り返して、版画工房に、通い詰めた結果、自分が外国に向いていると考えたのは、それらの国の、有名でない人間、特に中流階級、もしくは、中流階級の中の下の方の人間には、いまだ、キリスト教精神が残っていて、相手を、人間として、対等に扱う、ところが残っているのです。それが、私が、自分は海外に住む方が向いているおと考えたゆえんです。

 しかし、二人の人間の間に、ぎりぎりの段階に、達した暗雲がないと、そういうものが見えないのです。表層的に見る限り、世界は、ほとんど同じです。

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