副題1、『この章を書き始めるにあたっての、お断り』
前報のリンク先がまだ、整備できておりません。また、それが、内容として、完成してから、時間が経っておりません。だから、新らしい章を書き始めたくないほどです。しかし、発想がわいたので、それを定着させるべく、筆を執りましょう。
ところで、此処で、話はちょっと、ずれますが、海老蔵について語りたいと思います。彼は美形で花があり、しかも、奥様が気の毒な形で亡くなり、かつ、お子様方がかわいいので、絶頂期であろうと思うほどに人気があります。そして7月の【源氏物語】にも若い観客を多数集めておりました。しかし、私や、私の周辺にいた歌舞伎をよく知っている人々の、共通認識として、「海老蔵は、焦りすぎです。頑張りすぎです。勘三郎や、三津五郎のように、早死にするのではないかしら?」というのがあります。
パフォーマンスの効果が上がるということは、頑張りすぎで、達成できるものでもないのです。今の海老蔵は、痛々しすぎます。もう少し、ゆっくり進みなさいと、言いたいところです。そう思っている人は多いでしょうに、近々、団十郎襲名があるそうです。気の毒に!というしかないです。
~~~~~~~~~~~~~
副題2、『結論を先に言ってしまうと、この章は、鎌倉市役所の移転問題の陰にいる、キーパーソン・三人のうち、二番目に重要な存在である富沢夫妻について、詳細に、いきさつを、語り始める章なのである。前報と、その前の章は、小野寺夫人という女性について語っている。それが、一応、山を越したので、次に、富沢夫妻に取り掛かろうとしているところだ。それが、終わったら、鎌倉市の吏員・阪中英夫に取り掛かるつもりである。阪中英夫とは、安倍総理大臣の加計学園問題における。柳瀬秘書官と、同じ役目を果たしている人間だ。
しかし、彼ら三人は、パペットであり、彼らを操作している悪人が裏にいる。その悪人とは、警察庁長官を含み、安倍総理大臣をも含む、CIAエージェント集団であり、その後ろには、核燃料を、日本に、売り込んでいるアメリカ在住の大富豪集団がいる。
そのCIAエージェント集団は、自分たちが頭がいいと、思いこんでおり、石春産業の、道路補修工事で、証拠隠滅を果たしたと、思いこんでおり、それで、有頂天になっているところだろう。その有頂天さが表れた現象が、鎌倉市役所の、とんでもない田舎への移転という問題だ。または、鎌倉駅員に化けて、いじめ作業を行ったぶす♀刑事の動きである(あと注1)
なんの証拠隠滅を果たしたかというと、私の土地を盗むことになった35年前の、藤本禎子夫人と前田夫妻との争いの証拠群だ。私が唯一勝利ポイントとしていた、道路に対して、藤本夫人が電動のこぎりで、入れた、切れ目を、新しいコンクリートで、きれいに埋め込んだことが、証拠隠滅にあたる。で、私側にとって、唯一残っていた大切な証拠を、最終的に、全部、つぶしたと、思いこんでいるので、その勝利感に酔って、彼ら悪人たちは、次に、鎌倉市役所移転騒動を起こした。
しかし、有頂天になっている彼らを見ながら・・・・それは、早いのではないですか?・・・・・と、内心で思っていた私だ。詳しいことを、言うと、また新たな攻撃が起きるので、ここでは、伏せておくが、証拠は、隠滅されてはいないのだ。おバカさんたちが舞い上がっているだけだ。私の方は、内心で、彼ら、有頂天一族を、笑いのめしているが、その本質には、気が付いていない模様だ。特に伊藤玄二郎と、井上ひさしは、この山に住んでいないので、大切なことが何もわかっていない。
で、その有頂天ぶりは私が足を怪我したことで、さらに、燃え上がり、その反対運動に、当の、私を誘い込むなどということ===やりすぎ中のやりすぎのこと====を、行った。(あと注2)
その結果、とんでもないこととなっている。それが、この、シリーズを書くことだ。結果として、富沢夫妻など、非常に困惑しているところであろう。しかし、前田・安野夫妻、または、その現在の代理人小野寺夫妻の、言うことを聞く限り、こういう文章を書かれるのは、致し方のないところだ。銘記していただきたい。
私は、伊藤玄二郎と、通々カーカーの女性である、小野寺夫人が、こちらの、反対運動にも、かかわっているらしいので、内心で、整合性をどうつけるのだろうかと、不思議でならない。彼女が、嘘を平気でつく、したたかで、不道徳な女性であることは、すでに知っているが、これから先の彼女の行動が大問題だ。
市民運動の一員として内部に入り、反対運動の、様子を、伊藤玄二郎に、逐一報告をするのだろうか? 例の食事つき懇談会で、「こうこう、こういう風に進行しました。そして、誰それ夫人が、プリンターが壊れたと、言っていました。そこへ、すかさず、川崎千恵子が口をはさみましたよ」と、上奏するのだろうか? それって、正真正銘のマタハリですね。
以前は、同じことに石川和子さんが使われていた。 鎌倉市民の、心のありようを探るために、若き日の(下半身の結びつきを伴う形での)愛人を、陶芸教室の先生にしたてあげて、深沢の支所(市役所の分室がある)で、陶芸教室を、開かせてあげて、一種の【くのいち(=女忍者)】の役目を担わせていたのだけれど、これから、は、東大卒の小野寺夫人を使うのですか?
さて、この小野寺、富沢、阪中の三人の一般人の上にいるのが、伊藤玄二郎と、公的には、自分を死んだことにしているものの、実際には、いまだ、生きている、井上ひさしだが、この二人は、
前の三人とは、知名度という意味では、レベルの、違う有名人をも、使役している。実は、小池百合子都知事もすでに、使役をされている人なのだけれど、大前研一、大宅映子などの、一般の人からは、中立に見える論客をも自分たちの陣営に、抱き込んでいる。田原総一郎などの、いかにもその方面の論客という連中を使役しているのは、確かだけれど、今では、櫻井よしこ、小林よしのり、などの、右翼系論客といわれる人々をも、自分たちの陣営にまきこんでいる、水も漏らさぬ体制で、自分たちを強化している。
また、事件が起きる前までは、一般人だったのに、突然、有名人となって、テレビ画面に、大量にその情報が出てくる人間がいる。新潟の小二女児死後轢断事件の犯人、と、されている、小林遼とか、やまゆり園事件の犯人とされている植松聖とか、続々と出てきている。これらは、私の目から見ると、単に、犯人を引き受けさせられているのだけれど、・・・・・
最近、とても気になるのは、大口病院の看護師だったとされている、久保木容疑者だ。二人の老人を殺したのは、この女性だと、されている。私は、違うと、思っている。しかし、こちらに入っていくと、また、字数が大量に必要になるので、・・・・・彼女が殺したというのは、嘘だろう。そういう風に言えと誰かから、頼まれている・・・・・とだけ、いうに、ここでは、とどめておこう。
ともかく、私が言いたいのは、小野寺夫人も、富沢夫妻も、この鎌倉市役所移転問題に関して言えば、下っ端だと、言うことだ。しかし、目の前に現れて、ひどいいじめ策を、しかも、リアルな世界で、講じてくるので、その行動を分析し、書き留めておく必要はある。お気の毒だが、そういうこととなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『富沢家とは、安野家からは、水平距離にして、50メートル、離れているし、垂直距離にして、30メートルは上にあるので、安野智紗夫人の井戸端会議(=毒牙)からは、独立した存在であった。そういう存在として、1984年から、ほぼ、20年間を過ごしてきた女性だ。
私の目から見ると、彼女が育ちがいいことは、すぐわかるし、着ているものに、手仕事が、加わっているので、好感を持った。それで、他者を威圧するための、立ち話や井戸端会議ではなくて、偶然に出会ったときに話が弾むという形で、あれこれを、話し合っていた。お互いに、年齢が、近いと思うし、四年制大学を卒業していると、思われるし(ただし、賢い富沢夫人は、自らが卒業した、大学名は、一切、ほかの人には、教えない)、健康のこと、親の死のこと、遺産相続のこと、など、こういう年代の、女性が直面している問題を、あれこれ、語り合った。
そういう立ち話の際に、こちらのこともあれこれ、話していると思うけれど、そちらのことも相当に、わかったというか、話に聞いた。ミスター富沢は、父君が慶応の教授で、あって、小町という、鎌倉中、もっとも、上品な地域であり、かつ駅に近いところに住んでいると、言うこと。観光地ではないので、メディアにその地名が昇ることはないが、最上級の地域であることは確かだ。その家は、どうも、今、無住であるらしいということ。また、そこで、ミスター富沢は、育ったらしいので、【おなり小学校】を出ているらしいこと。その後、栄光学園、慶応大学、三菱重工という経歴で、生きてきたらしいということ(ただし、ここらあたりは、彼女が語ったという記憶がない。どこから、耳にはいったのかは、覚えていないが)などなど。
さて、私は対抗意識をむき出しにしたと、思われると、いやなので、同種のことで、こちらにも自慢すべきことはあるのだけれど、彼女に話したという記憶はない。たとえば、ミスター富沢は、昭和二十年代に、【おなり小学校】に、通学しているわけなのだが、私の叔父は、大正時代に、男子師範の付属小学校【=現在の、鶴岡八幡宮隣の付属小学校】に通っていたとか、この山の持ち主は、一時期、藤本真澄、東宝重役だったらしいのだけれど、私の父は、藤本真澄さんとは、旧制山口中学時代の、同級生で、とても、仲良しだったとか、言うことも話してはいない。父は、萩の出身だけど、当時、山中の方が偏差値が高くて、優等生が多いということで、中学時代から下宿して、山中に通っていたのだ。
上の集合写真のなかには、藤本真澄さんと、父と、佐藤栄作首相が写っている。佐藤栄作氏とは、現在の安倍晋三総理大臣の叔父ぎみだ。で、私は富沢夫人に対しては、『江戸時代は、両家とも、上級士族だっただろうなあ。富沢家は、伊達藩で、我が家は毛利藩だけど』と、思いながらも、「どちらが、どれほどに、いい家柄ですよ」などと、張り合うことなどはせず、ただ、着ているもの、持っているものについて、ほめている会話だけにしておいた・・・・・と、そう記憶している。
富沢夫人が着ているもの、または、持っているものは、「プラダだから、きれいだ。目立つ」と、言う形ではなくて、彼女が作ったものだから、きれいなのだ。誰かが、創作をしたものをほめる。そのとくちょうを、瞬時にとらえる。それは、私が最も得意とするところであり、そこが、2004年から,2008nennnikakete美術評論家として、銀座で、人気が高かった理由でもある。
そういう自分の、最もいい部分を見せることができる相手だから、富沢夫人に対して、不満を持ったことは過去にはなかった。
富沢夫人の方でも、育ちがいい人固有の、性格として、他人と自分を比較するところなどないので、安心して、何を話してもいい相手となっていた。そういう状態が、ほぼ、20年間続いた。しかし、15年ぐらい前から、いろいろ、怪しい雰囲気が漂ってきた。それは、あに、富沢夫人だけ、リクルートをされてそうなったというよりも、この山全体に、伊藤玄二郎からの教唆で、し掛けられた投網なのだけれど、そこから先の現れ方が、各婦人方で、色々であって、富沢夫人が、表現する形は、許容しやすいものだった。で、私は気が付かないふりをして、34年間、いつも同じ態度で、接して、来たつもりがある。
ここで、育ちがいいということの定義をもう一度語っておきたい.soreha、経済的な、部分もさることながら、親の愛が、十分にあった家庭ということを指す。中條百合子(=宮本百合子)が、すでに、語っているのだが、彼女の母親は、大正時代の人間だったのにもかかわらず、冷たい人だった模様である。だから、中條百合子(=watakusiniとっては、お茶大付属高校の先輩だが、のちに共産党委員長夫人となった)は、小説家になったのだろう。彼女の【播州平野】を私は、読んだが、さして、面白いとは、思わなかった。また、感動を与えられたという記憶もない。・・・・・ただ、二つの側面から評価が高くて、筑摩書房の日本文学全集に収納されていると、思う。一つは、日本の文化界には、隠れ共産党員が多いということと、戦時中には、夫である、宮本顕ジが収監されていたので、その開放の喜びが、静かに、静かに、書かれているからであろうか。ともかく、母親の愛が、少ない形で、育った人は、宮本百合子みたいな上流階級でも、問題があるということだ。小説家に、なる事によって、彼女は、自らを救った。なお、百合子さんの父は、建築家である。いや西隣も有名な建築家、北隣も有名な建築家という家に、今住んでいるので、感慨が深いが・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『富沢夫人とのやり取りの中で、唯一残念だったことは、小町のご主人側の実家(実質上は空き家)に、プレスが置いてあるという情報を、生かせなかったことだ。プレスとは、銅版画を作る(=摺る)機械であって、下の写真は、新品としてのそれが、逗子の私のアトリエに到着して、設置と、組み立てが完成した時に、記念に、制作会社の、人達に撮影をしてもらった写真だ。新品だから、緩衝材のフェルトが真っ白である。これが、制作会社に言わせると、鎌倉の私の自宅へ上げるのは無理だと、言う話であり、それが、あって、逗子のアトリエを作った。しかし、私は俳優の、片岡【鶴太郎】ではないので、作品が右から左へさばけて、高く売れるわけでもない。で、家賃や光熱費が、自分にとっては、高すぎると、思ったし、何よりも、二つの家をキープする大変さ、(主に労働の件)に値を上げて、アトリエを、7年間で、返すことにして、その時に、プレスも人にあげた。残念極まりない』
ところで、前報内で、小野寺夫人の画像をコピペさせてもらった、
【どりーむハウス】というTV東京の特番内で、私はその施主が、特殊な、専門家集団を、使役しているのを知った。重いものを運ぶ若い人たちの集団だった。その家は、特殊な工法を用いて大きな屋根を、12本の、鉄のパイプ(直径が16cmぐらいで、長さが6mぐらいか?)で支える形となっていて、その鉄のパイプが重いのだった。
『なんだ。こういう業者を使えば、しかも、分解すれば、私の新品だったプレスも、二時間ぐらいで、しかも、30万円ぐらいで、鎌倉の、自宅へ上がっただろうに、残念だったなあ』と、思ったが、後の祭りで、すでに、プレスは、人にあげた後だった。その後、富沢夫人から・・・・・小町の空き家に、ミスター富沢のお姉さんか、妹さんが、置いているプレスがあって、うんぬんかんぬん・・・・・という話を聞いた。喉から手が出るとは、このことだと、おもうほどに、「使わせてください」といいたかった。
「私はね。ニューヨークで、一か月に6万円を支払って、使っていたの。お願いです。一年に一か月でいいわ。10万円を出すから、使わせてください」と、言いたかった。制版という事前の準備を、丁寧に、しておけば、一か月で、一年分の発表に足る版画が摺れるはずだった。
、:::::::::ここで、挿入となるが、私は、国画会の国展に版画でも油絵でも、連続入選をしていたが、国画会で、冷遇を受けること(これが、大沼嘉津江さんについてあれこれを書いている政治的な背景がある問題なので、単純ないじめではないが)が、続いていたが、それが、もし、なかったら、
かつ、渡辺幸子さんからの、強烈ないじめという現象もなかったら、・・・・・そして、渡辺幸子さんが、私とトラブルがあったので、敵さんが喜んで優遇し、彼女が、青木繁大賞展の、トップをとるということがなかったら、そして、彼女が、卒業もしていないのに、国際基督教大学の、卒業資格をあたえられ、有名人扱いを受けて、同窓会サイト内で、インタビューを受けていることがなかったら、
私は引き続き、アーチストとして、美術作品の制作を続けていて、それが、忙しくて、こんなブログを書いている暇はなかったと、思う。
ここで、私が本当に言いたいことは、この鎌倉エージェントの面々が、本当に頭が悪いということだ。・・・・隙間でもいい。どこでもいい、少しでも、私をやっつけられるところがあったら、突っ込んでやれ・・・・・と、いう形で、攻撃をしてくる。しかし、その結果は、自分で、自分の首を絞めているということとなっている。特にあくどい性格の持ち主は、井上ひさしであって、かれは、自分は、公的には死んでいることになっているので、自分の責任は、一切問われないので、何でも、提案してやれと、言う考え方の持ち主であり、今、問題としている、高枝切り事案も彼が案出した可能性が高い。実際に裏で動いたのは、伊藤玄二郎だが、・・・・・朝早く、大音響を立てて、前夜徹夜をしている彼女(=私のこと)を、起こしてやれ、それで、彼女の健康を阻害をしてやれ・・・・・と、言う案を出しのは、井上ひさしである可能性が強いのだ。そして、その案は、小野寺夫人を通じて、富沢家に伝えられ、最大の当事者として、富沢家が表に出てくることとなり、したがって、私にいろいろと、書かれることとなる。
ミスター富沢など、中学受験期に栄光学園に、入学したのだから、偏差値的には、本当は頭がいいはずなのに、東北で、孤児院で育った井上ひさしの、マッタク世間からずれたアイデアの犠牲となって、このブログの世界で、大恥をかくこととなっている。なお、富沢氏の経歴とは、東電の清水社長のそれと、そっくりである。だから、どれほどの、エリートであるかは、押して知るべしである。
この山で、安野・前田・小野寺の三夫人のいうことを聞くと、必ず、悪魔の、世界に引きずり込まれることとなるのに、どうして、わからないのだろうと、不思議だが、朱に交われば赤くなるの例え通り、この山では、みんなが、安野智紗夫人レベルの頭脳へ、堕していくらしい。お気の毒だが、そうなっている。安野智紗夫人レベルの頭脳とは、何を指すかというと、自分が得をすることには、非常に敏感だが、道徳的な高さとか、法的な、観点での、正しさなどというのは無縁の頭脳なのだ。つまり、人間としては、非常に前近代的なところに存在しているということ。動物に近いレベルであるということ。そういうレベルにみんなが堕して行っている。
:::::::::と書いて、挿入から元へ戻ろう。プレスという版画制作機が、小町の、富沢親家(空き家)に設置されている話へ戻ろう。
しかし、『使いたい」ということ葉を、彼女に向けては、出さなかった。すでに、富沢夫人が安野・前田・連合軍の、軍門に下っているのを知っていたので、たとえ、最初はスムーズに借りることができても、やがてつかえなくなるという予想がついたからだ。そうなってしまうと、それは、お互いに、厄介ごとを抱え込んだと、言うこととなる。で、何も言いださず、ただ、見送った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『そのうえ、そのプレスは、富沢夫人にとっては、小姑にあたる、女性が持っているものだった。私は、その女性の境遇にも思いをはせた。・・・・・なるほどねえ。その人も、唐様で、売り家と書く、三代目なのですね・・・・・と、まず思った。家が、または、家族がどういう職業に就くかなのだが、それには、おおまかな、法則がある。まず、ビジネスで、成功するのが一代目とか二代目だ。そこで、資産を形成すると、三代目は、そのお金を使って、学者になったり、サラリーマンになったりする。
そして、その次の世代は、芸術家になる。しかし、芸術家が生まれると、特に、その人が、純粋に芸術家だったりすると、生命力として衰えて、その家の資産を食いつぶしていく。何か、我が家と似ているなあと、心の底で、おもった。しかし、ミスター富沢は、体格が非常に良い人だ。したがって、そのじょせいの兄弟も、体格がyoikotoga想像をされ、それは、はかなげに消えていく純粋な、芸術家の姿ではなかった。
富沢夫人は、それを決して口には出さなかったが、夫婦そろって、その姉妹を厄介な人、わがままな人だと、思っていることは、推察がついた。そこも自分と似ているなあと、苦笑いを、(内心で)した。ともかく、その小姑さんは、プレスを、自宅へ引き取ることはせず、引き続き、親の家(無住の空き家)で、使いたいと思っている。しかし、不動産を、遺産相続で、平等に分割することはできにくいし、それぞれの兄弟が、自宅をすでに持っていると仮定をすると、そこは売るしか無くて、プレスが、売るために妨げになっていることが想像をされた。
その後のいきさつは富沢夫人はからは、聞いていない。しかし、その小姑女史も、70歳前後だと、推察され、プレスは手放すことを同意したのではないだろうか?
これ以降、朝ドラ【半分青い】と、私との関連に入っていきます。しかし、その部分はまた、広大になるので、次に回しましょう。
【蛇足】
なお、これは、一種の噂話的、面白がりですが、富沢・親・家は、今,betunohitogakatte、周辺modoujiに買い占めて、豪邸を別荘として建てています。100坪の、平屋で数寄屋造りだそうです。単価は、莫大な高さで、贅を惜しまずに、建てている新築物件です。近所に、紳士服で、あてた別の有名。社長さんの、本宅もありますが、それは、コンクリート製であります。こちらは木造の別荘だそうです。しかし、最低でも、10億、もしかしたら、30億円かけている新築物件です。それを、語るのは、それだけ、富沢家というのが、上流階級の人なのだと、言うことを言いたいからです。今の住民(もしかしたらアイリスオーヤマの社長さんである)が、それほどの、大別荘を建てるのですから、それほどに、よい土地だ・・・・ということです。そこに。80年以上前から、住んでいたということですから。