銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ゴッホは、テオとの、金銭的確執が原因で、?、他殺をされた?

2011-10-20 04:16:39 | Weblog
 これは、前後のある話です。が、これだけを抽出してみました。どうしてかというと、この2011年10月17日に一部の情報通の間で、ゴッホの他殺説が出回り、(それは、火曜日のNHKニュースでも出てきて)

 私は憤慨したり、いろいろあったのです。その付随部分は別稿で書きました。で、以下は、私が傾倒する、ゴッホの死の真相です。では、どうかよろしく。
 番号が、さんから始まっているのは、理由があり、ほかの文章で、その番号が重要になって来るので、そのまま残させておいてくださいませ。

副題3,『ゴッホ最後の70日と、言うBSジャパンの優良番組
     ・・・・・ゴッホの耳を切り落としたのは、ゴーギャンだったのか?』
副題4,『テオを守るために、自殺だといい放ったゴッホ』
副題5,『ゴッホは貧しいが故に、強気であった』
副題6,『ガシェ博士は、どう動いたか?』
副題7,『ゴーギャンは自殺したとは、知っていらっしゃいましたか』
副題8, 『ガシェ博士は、なぜ、贋作に走ったか』

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副題3,『ゴッホ最後の70日と、言うBSジャパンの優良番組
     ・・・・・ゴッホの耳を切り落としたのは、ゴーギャンだったのか?』

 この番組は二回放映された記憶があり、二回目の方を録画してあります。2010年10月30日で、ほぼ一年前なのに、消すことができません。人生で見たテレビ番組の内、最上のものの一つです。日経新聞とBSジャパンは、美術の分野で蓄積が長いので、よい作品を作ることができたのでしょう。
 ここでは、イギリスとドイツの学者の研究を紹介しながら、ゴッホは自殺ではないと、大変重要なことを、述べています。つまり、ゴッホには、似たモチーフの作品が多くて、それ贋作ではないか、という方向の研究から、ついに、驚くべき結論で、ある、発砲者は、他人であり、もしかすると、弟テオであるという説を展開しています。私はそれを、確信しています。これが、広まらないのは、なぜか。それは、私が最後に推察しますが。

 ゴーギャンが、ゴッホの耳を切り落とした。?

 その番組内で、耳を切り落としたのは、ゴッホ自身ではなくて、ゴーギャンだったという、ドイツの学者、ハンスカウフマン氏の説が取り上げられています。
 ゴッホは、理想を抱いて、ゴーギャンを呼びましたが、性格と、それ以前の経歴の違う、二人はやがて、行き詰まり、その行き詰まりの結果、ゴーギャンは、サーベルで、ゴッホの耳を切り落とすのです。が、ゴッホは、彼の身代わりを自分が引き受けるのです。
 ゴッホは一時期、牧師となろうと思ったぐらい強い信仰を持っていたので、ゴーギャンの身代わりをすることなど、簡単なことでした。
 ゴーギャンは、そこを負い目として、それ以降フランスを離れることとなったと言えば、それも、うなずけます。
 そして、これが、一回目の犠牲であり、二回目の犠牲が、腹を撃たれた、件です。
 その番組では、最後に、疑念はあるが、ゴッホが打たれた現場にいたのは、弟テオであると言っています。テオが撃ったとは明言していません。が、事故だとしても、一種の無理心中または、殺害のも区的で、そこにテオはいたと、言っています。

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副題4,『テオを守るために、自殺だといい放ったゴッホ』

 ゴーギャンの犠牲になって罪を自らかぶったという、実績のあるゴッホは、他者、特に愛するテオの犠牲になることなど、全くかまわなかったわけです。
 他人から見れば、ゴッホは、ある種のつきあいにくさを持っていました。強い信念の人であり、そこに、つらい思いを抱いた、ひとは、ゴーギャンもそうであり、テオもそうですが、加害者は直前まで、被害者でもあるのです。テオもまた、ゴッホに金銭の側面で、追い詰められていました。
 結婚をして、妻から、「兄への援助をやめて」と頼まれたテオは、ゴッホに手紙で、その旨願いますが、ゴッホは、「あなた方が、倹約しなさい。オランダへの旅行はやめなさい」と言います。そのオランダ旅行は、赤ちゃんを妻の実家へ見せるための旅行ですから、それを、やめなさいと言うのは、ゴッホの間違いです。が、ゴッホは、それに気がつきません。悪気はないのですが・・・
 ここで、赤ちゃんを見せにと言っていますが、『赤ちゃんが生まれることを報告をしに』かもしれません。ともかく、この旅行から妻はパリへは帰らなかったのです。それが、テオを、ひどく追い詰めます。自分の将来が暗澹たるモノとなった感じがするわけです。

 私が、推察するに、テオは、現在の日本円で、30万円ぐらいの固定給をもらい、あとは、画商としての自分のセールス結果で、歩合給をもらうという形だったと推察されます。独身の時代は、ほぼ、五分の二程度の、高い比率で、兄の支援をしていても、結婚をすると、それは当然に無理になります。
 私はゴッホと同じく、自分では稼げない人間で、親族の援助で、作家活動をしています。で、友達が、独身の弟を、あなたのテオになるのでしょうと言います。実際には両親の援助ですが、弟が独身であることは、彼にとっては気の毒ですが、私にとっては、本当に力強くありがたいのです。が、もし、彼に奥さんがいたら、私のことなど、一顧だにされないでしょう。
 たまたま、ゴッホが、パリに旅行へ行き、弟一家の家に停まると、隣室で、夫婦げんかをする声が聞こえます。それで、ゴッホはびっくりして、三日の予定を、一日で、帰ってしまいます。これらは手紙を詳細に研究すると、友人に謝罪をしているので、わかるそうです。
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副題5,『ゴッホは貧しいが故に、強気であった』

 ゴッホは今の日本円に換算すれば、15万円程度を、弟から、毎月送ってもらっていました。それを、疑いもしなかったし、恥ずかしがりもしなかったのです。どうしてかというと、絵を描き続け、その勉強というか、その制作の推移に、熱中していて、それ以外のことが頭に入らなかったこともあるでしょうが、自分が常に、ぎりぎりの生活をしているので、贅沢をしているという意識は全くなかったからです。
 宿屋に、食費を含めて、7万円程度、出します。残りの八万円のうち、画材費に、5万円程度、交通費等に三万円程度、となると、洋服も靴も買えません。オーヴェールでは、70日で、七〇枚の絵を描いているそうです。カンバスは、 700~1000円程度ですから、それだけで7万円になってしまいます。で、絵の具はもっと高いです。ぎりぎりの生活ですが、それ故に、強気になったと考えられます。

 特に、一月に8万円で宿にすむとは、食費は、45000円ぐらいで、一日一五〇〇円程度です。宿の食事といえども、朝、昼を込め、かつ、ワイン等を、のむ可能性もありますので、毎晩おかずだけは、五〇〇円程度でしょう。とても、質素な食事です。毎晩、ちょっと味付けの違う、ポトフ程度で、終わります。
 
 それらは、すべて、弟テオからの送金です。
 が、テオは結婚をして、お金を出しにくくなりました。

 で、お金の件で、テオを苦しめているのですが、それには、気がつかず、ただ、ただ、前向きに一生懸命だったのです。ここら辺、そばにいて、ゴッホに圧迫されている側にとっては、やりきれないところですが、ゴッホは天真爛漫で、気がつきません。

 ゴッホは、あらゆるところで、イエスの言葉の体現者でした。ゴーギャンに対しても、テオに対しても、許したのは、「あなたが、左のほほを打たれた時は、右のほホモ、相手に向けなさい(川崎意訳)の具現化であったでしょう。

 テオから、断られても、全く弱気にならず、「そうだね。もう送金しなくてよいよ」と手紙で書かなかったのは、不思議な形の傲慢の現れです。聖書の言葉『貧しき者よ幸いなれ』を、地でいく人だったからです。ヴィンセントは、、最高に幸せであり、強気の人でした。何も持っていない。で、何も失わない人だから、徹底的に強気の人だったのです。それが、お金を恵んでくれている人である弟にさえ、向かったときに、テオは、説得不可能なゴッホを知り絶望をしたのです。

 テオにとっては、新妻とパリ暮らしをするためには、日本円で、月に50万円は、絶対に必要で、送金は、すでに無理なのです。が、兄が、送金の中止を了承しないので、妻は、あきれて、オランダの実家に帰ったまま、パリへ戻って来ないです。テオは追い詰められ切って、兄を撃ちに行くわけです。ゴッホはむろん、テオが撃ったわけですから、それを、隠そうと決意します。テオは妻には告白をしたかもしれません。その可能性は、強いです。

 これは、私の想像ですが、撃たれた後で、ゴッホは、テオを許したと感じます。宗教的な許しを与えて、「安心して、パリへ帰りなさい」と言ったでしょう。その後の、テオの衰弱ぶりを考えると、テオは、ヴィンセントを撃ち、死へ至らしめたことを、深く悲しみ自責の念に撃たれて、一種の緩慢な自殺へと至ったと考えられます。
 しかし、兄、ヴィンセントの体は頑健でした。普通なら畑で、死んでしまうはずのところを、死にきれず、家へ帰るのです。が、ベッドで自然に死ぬことを願った彼は、医者を呼ぼうなどと騒ぐことはありませんでした。が、夕飯に降りてこない彼を不審に思った主人に異常なけがを、発見をされます。
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副題6,『ガシェ博士は、どう動いたか?』

 しかし、呼ばれたガシェ博士は不思議なことに、適切な手を打ちません。

 そのうえ、病室で『おまえが悪いんだ』と、叫んだそうですが、それは、それ以前に兄弟の間の、行き詰まりを知っていたと考えると、『このまま、ヴィンセントが、死んだ方が、テオ一家が助かる』と判断をしたと考えられます。常識優先の精神科医である彼は、テオ一家のために、ゴッホを生き返らせる努力をしなかったのです。傷は、重要な内臓を傷つけておらず、ゴッホは傷口から入った最近の感染症で、死んだそうですから、ガシェ博士の、責任は大きいのですが、事前に二人の争いを知っていて、いくら絵がうまくても、弟の家庭を壊してまで、援助を受け続けるゴッホを「おまえの方が、いけない」と、劣位に置くことは、十分に考えられるからです。
 これらの説は、日本の研究者小林利延氏の説で、進みます。私は小林氏の説は、非常に正しいと思います。それは、氏の著書や、このテレビ(今は放映をされていないが、番組としては、存在しているはずで、再放送はあり得る。もちろん、BSジャパンの方のもの)をご覧ください。

 小林氏の説でしょうが、
 ・・・・・テオがピストルを持参して、兄の前で、自殺しようとしたので、それを、防ごうとして、ピストルが暴発した・・・・・ことになっています。そして、その事故を、自殺として、伝えるために、ゴッホは自宅まで帰宅し、宿の主人にそれを告げたとも。

 そして、テオの妻のヨハンナは猛烈な勢いでゴッホの書簡集を出し、その序文に、『1890年7月27日、彼は、ピストルで、自分を撃ちました』と書き、そのときから、自殺の伝説が始まったのです。彼女も子供と夫を守るために必死だったのでしょう。
 ともかく、その番組は、画面も美しく、情報も丁寧で、大変よくできていました。削除しがたく、死ぬまで保存をしておくでしょう。
 これから、先は言わずもがなですが、私は今週発表されたイギリスの学者の、少年説には、くみしません。ここまで述べた、小林利延氏の説に傾倒し続けます。


 本夜八時より、放映されます。それは、この一週間世間に喧伝をされた、新説=カウボーイ好きの少年が、撃った他殺説=に基づいているのかもしれません。
 まだ、見ていないので、わかりませんが、ともかく、はっきりしていることは、私が昨日の深夜かな。大推奨をした、BSジャパン製作放映の、『ゴッホ、最後の70日』とは違う番組だと言うことです。

 後者は、日本の研究者、小林利延氏の研究に基づいていて、生活支援金を出せなくなり、妻にも去られ、勤務先をも、やめないといけなくなりそうになった、テオが、混乱して、一種の無理心中をやりにオーヴェールの麦畑まで、出かけた際の、暴発で、ゴッホが死んだとなっています。そちらの方は大きな説得力がある作りの番組でした。本日は見比べてみるつもりです。
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副題7,『ゴーギャンは自殺したとは、知っていらっしゃいましたか』

 ゴッホは誠に正しい意味での、神への奉仕者でした。絶対的な許しを持って他人の悪を見逃しました。が、それによって、見逃され、世間的な罪を負うことがなかった、ゴーギャンは、結局は自殺をします。これは、そのBSジャパンの方で、紹介をされたドイツの、ハンス・カウフマン教授の説ですが、大変に、説得力があります。ゴーギャン最後の遺作に、ゴッホのひまわりが、背後霊のように描かれていて勝、その真ん中に、強い光を放つ、目玉が一つ描かれているのは、ゴーギャンの、罪の意識の繁栄だというのも説得力があります。
 私も、以前から、なぜ、五人も子供のいるゴーギャンが、なぜ、パリを捨てて、タヒチに渡り、しかも、自殺までせねばならなかったのが不思議でしたが、その番組で、すべての謎が解けたと思います。

  南仏での共同生活の破綻で、ゴーギャンが去ります。で、単純なイメージですと、ゴーギャンの方が捨てたわけですから、強いように見えます。が、カウフマン教授の新説によると、追い詰められていたのは、ゴーギャンの方だったのです。破綻をして、暴発したのは、ゴーギャンの方だったのです。ゴーギャンはおしゃれの一種だと思いますが、つねに、サーベルを携行していたそうです。つまり、株式仲買人という、ケネディ夫人の父と同じ職業(それは、最先端であり、お金持ちのサロンの住人でもあったであろう)だったゴーギャンは、現代の感覚で言うと、高価なゴルフクラブを携行するという感じで、サーベルを携行していました。
  で、共同生活中に珍しく、ゴッホの絵が売れて、(現代の邦貨で換算して40万円の収入があった)、それを、無邪気に自慢をした、ゴッホに堪忍袋の緒が切れて、サーベルで、耳をついたという説です。ゴッホが包帯姿の自分を描いていますが、自殺ではなくて、他人の攻撃だったら、確かにそれを描くでしょう。
 
 いや、私はゴッホがゴーギャンより好きです。特に色が好きな人間だから、ゴッホをゴーギャンより上に置きます。だが、ゴーギャンが、知人の中の唯一の人として、葬儀に参列しなかったといわれれば、それは、ゴーギャンの恐れと、ゴッホに対する激しい嫌悪を、表す現象であることがわかります。
 何よりも、当時の最先端の業種の人であった、かつ、富裕層社会の人間であったゴーギャンが、タヒチ=飛行機のない時代では、断絶の辺境=に引きこもってしまったわけが、理解できません。
 だけど、ゴーギャンはゴッホの精神的な強さに、精神的にひき殺されたのだと、考えると、つじつまがすべて、あってきます。ゴーギャンは題材ののんびりさとは別途の問題として、コンセプト重視の作家だったそうですから、頭もよくて繊細だったと考えられます。
 気の毒なことに、そういえば、ゴーギャンの、子孫も名乗りを上げておりません。たった、100年ほど、昔のことです。五人も子供がいたのですから、そのうちの、一人ぐらいは、
   「父が」とか、祖父がという声を上げてもいいのに、誰も、名乗りを上げません。

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副題8,『ガシェ博士は、なぜ、贋作に走ったか』

  ゴッホは、すこぶる頑健な人だったのです。心身ともにです。前向きで、かつ、無神経なほどといってよいほどの、健康な人だったのです。最初の精神病院送りは警察の処置だそうですし、二度目のガシェ博士との出会いは、ガシェ博士の招待での、オーヴェール滞在だそうですから、入院ではありません。
  ガシェ博士の精神科医としての、功名心を誰も言っていませんが、ここで、川崎千恵子の新説として、画シェ博士は、精神科医として、一種の=優れた論文を書きたい=という功名心をもち、それを、潜在的な動機として、ゴッホを招いたという考えを上げさせていただきます。これは、ブログの世界で、だいぶ前にも言っていますが。
  ガシェ博士は、同時に絵も好きでした。で、ゴッホの死後、急に、居室からすべての絵を持ち去ったというのも、研究を初期の目的としたのなら、頷けます。

   オルセー美術館に、二点同じモチーフのゴッホの作品が、たくさん所蔵をされており、以前から真贋論争があったそうです。BS朝日の『ゴッホ最後の70日』のなかでは、ブノア・ランデという学識が、『すべて、ガシェ博士の贋作である』と述べていて、説得力のある証拠も挙げています。当時絵を顧客に売るために撮影された白黒の写真があり、それの解像度は低かったのですが、それを、手本として、ガシェ博士は、贋作を作ったので、見事な、矛盾点が見られるそうです。
  これから先は、私の新説ですが、ガシェ博士は、テオ一家の特にお嫁さんを支援していたと思われます。お嫁さんが、ゴッホの手紙の、序文に、『彼は、ピストルで、自分を撃ったと書いたことも、指示をしたとまでは言明をしませんが、容認は、したであろうと、考えられます。テオの精神病院への入院についても、当然のごとく、相談を受けていて、手配をしたでしょう。

  白い巨塔ではないが、お医者様にも、当然のごとく、功名心があります。ガシェ博士は、ゴッホを研究対象としたくて、招いたわけですが、それは、一種のモルモットとしての扱いでした。感情移入は、無かったのです。これも、私固有の説ですが、ガシェ博士は、別にゴッホを好きでも、尊敬もしても、いなかったと考えると、すべてのつじつまがあってきます。でも、イケメンで礼儀正しいテオには、好意を抱いた可能性はあります。特にその妻のヨハンナには大いなる、好感を持った可能性があります。
  ヨハンナが、ゴッホの手紙の序文に、『ゴッホの自殺を誰にでも、信じさせる記述を入れたのが、もし、ガシェ博士のアイデアと、勧めによるものだったら、納得がいきやすいです。あくまでも、常識優先の人であるがシェ博士は、テオ一家に同情を寄せていたのでしょう。 

 ガシェ博士は、ゴッホをモルモット扱いを、していたからこそ、死の床からごっそりと、絵を持ち帰ったのです。それは、ヴィンセントが、これから、化けることを予測していたからでしょう。論文の対象として、患者たるゴッホについては、価値がないこと=健康人だった=を知っているガシェ博士は、ドラマチックな天才画家を、生み出すことに方向を転換したのです。
 その時にまだ生きていたテオと、ヨハンナは、その所有権を主張しないといけないのですが、気も転倒という感じで、それどころではなかったと思われます。それに、当時のゴッホの絵は売れていなかったのですから、その価値も低く見盛られていたと考えられます。博士は、ヨハンなを支援しながら、大天才を生み出していくことに、プロデューサーとしての、無限の楽しみも、見いだしていきます。博士の贋作は、そのような全能意識の発露でしょう。デモ、それ故に、ゴッホに関しては、死後子孫が、何も発言をしていませんね。

 と、なると、当時は正常な人として、だれからも見なされていた、ゴーギャンも、ガシェ博士も子孫は何も名乗りを上げられないことになっています。実際に名乗りを上げていません。それは、親の愛として、子孫を守るために、『ゴッホのことは何も他言をするななどと』と子孫には、言いつけられた可能性は、あります。
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副題98,『「一将、功なって万骨枯る」の典型だった、ゴッホの世界」

   ゴッホの子孫が今、美術館を経営して繁栄をしておられるのはめでたいことです。が、ゴッホ兄弟の関係を見ていると、『一将、功なって万骨枯る』のことわざ通りの、人物の配置を思います。自画像を見ていても、頑健なあご、強いまなざし、決して自殺をするような弱さはどこにも見られません。ゴッホは一族中で傑出した存在だったのです。何がそうしたかはわからないものの、大きなエネルギーの塊だったのです。デモ、生きている間は、他者に取っては、迷惑な存在でした。
   私は大量に文章を書き(フェイスブック以外の世界です)、集中して仕事をするという意味では、ゴッホにとてもよく似ています。でね、生きていくために妥協することは常に考えています。特に子供がいますので、ゴッホに似ているが、ゴッホほど突っ走れません。デモ、ゴッホも周辺の人もよくわかります。
 
 評論家や、学者ではなくて、自分自身が作る人だから、ゴッホもその周辺の人も、ひどくわかるのです。正しくわかります。で、大量の仕事をするのも天才の一種だとすれば、皆さん、大量の仕事をなさればいいのです。が、同時にまわりとの、強調は難しくなり、その両者の間の、バランスを取るのは、ひどく難しいことにもお気づきになるでしょう。
  私ね。去年母が九十三で=一種の大往生で=死んだときに、『あ、人間って、ここまで生きるのだ。大変だなあ。今六八で、体が弱いのに、ここまで生きる可能性があるとすると、あと、二六年間も、この世に、恥をさらしていかないといけないのだと気がついたのです。  
   で、大きく方向転換をしたのです。天才にならない方向へと。ともかく死ぬ当日まで、できるだけ、まわりに、迷惑をかけないで生きることへ、向かうにはどうしたらよいのかを考え始めました。

 その点、ゴッホは、三十七歳で死んでいますので、何も考える必要はなかったのです。ゴッホの子孫=傍系テオの孫の世代になっている=が、美術館の経営で、裕福であり、社会の名士となっているのは、喜ばしい(?)ことです。
  上記の番組は、テレビ史上最高の番組だと思います。予算を使っています。そして、日本人、固有のアセンブリーの能力も最大限に生かされている番組でもあります。世界中に取材して、それを上手にまとめています。あに、車の世界だけではないのです

 が、おしんとか、アルプスの少女ハイジほど、世界中で、展開したとは聞こえてきません。それは、ゴッホの子孫に対する配慮からでしょう。それと、オルセー美術館に対するそれからかな?

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コメント (2)
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