goo blog サービス終了のお知らせ 

銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

上田泰巳(生命科学者)と、緒方道彦(麗しい、師弟愛)

2010-04-18 15:41:05 | Weblog
 久しぶりにお天気のよい、五月晴れの一日、山の下から、鶴岡八幡宮の流鏑馬の司会者の声が響いてきます。ちょっと、ごたごたしたことを抱えていたのですが、主人の見事な手綱さばきで、その悩みも後ろへ流れ去り、ほっとした心境で、あらゆることを洗い流すために、脳トレゲームをパソコンでやって居たところです。馬鹿みたいな時間ですが、頭がすっきりします。それを、やっている間に、アイデアが低層というか、深層で練られてくる模様です。大体布団の中に入ってもアイデアが出るし、掃除などしているときも出てくるわけですが、気分転換をさらにはっきりさせるために、珍しくテレビをつけました。

 不思議なことに、皐月賞の中継でした。私は昼間はほとんど、テレビを見ないのです。しかし、つけたとたんに、皐月賞の中継であったという現象、これが何回も繰り返されているのです。この季節は緑が美しいし、気候も暖かくなるので、家族が外出していることが多くて、一人しかいない部屋で、ふと、テレビをつけると『皐月賞だった』ということが本当に何度もあるのです。これだけは不思議です。

 特に忘れられないのが、ヤエノムテキと西浦騎手が征した年度。その瞬間にサラブレッドの美しさに目覚め、映画『優駿』の出来の悪さに憤慨する日まで、ずっと、7,8年、競馬を、雑誌『優駿(当時は中身が充実していた)』とテレビで追いかけていたのでした。馬券は一切買いません。ただ、美の対象としてみるだけですが、・・・・・
~~~~~~~~~~~

 さて、今日の話は、NHK『プロフェッショナル、仕事の流儀』で、2月16日放映された上田泰巳(ひろき)氏とその恩師、緒方道彦さんについてです。この日の番組は、最初は面白くないがごとく思えました。主人公は、1975年生まれ、私の子供たちより若いひとで、大変なエリートです。研究は生命科学、特に現在は体内時計について、遺伝子を研究している段階です。美形で頭もよい人・・・・・

 ああ、私も、もしかすると25歳までの道をぐんぐん追いかければ(当時は、東大に勤めていて、教授にかわいがられていて、「あんたは東大卒ではないが、このまま、やめなければ、いずれ教授になれる。分析の能力とともに、統合する力があるからね。それに、いくばくかの政治力もあるし」などと、いっていただいた日からはるかに遠くへきてしまっているから、ことさらに、この美形で天才的な頭脳の持ち主が、遠くの人に思えるわけです。が、

 番組の途中で、驚くべきエピソードが出てきて、それを、繰り返し見るために、4回ぐらい見てしまいました。そして、全般的に、なんと、清潔で、まっすぐな人もこの世に居るのだろうか?と感動したわけです。それは上田泰巳(ひろき)氏そのものにも当てはまるが、その先生格であった、緒方道彦さんのすばらしさにも、接したからです。
~~~~~~~~~~~~~~

 上田さんは、久留米大学付設高校に高校から入学したみたいですが、それでも、生徒会長をやりました。これは、すごいことです。エスカレーター式の学校では、高校入学者は一種、肩身が狭いものです。『あの人って、勉強できるわ。だけど、私たちとはカラーが違うのよ』とみなされるので、溶け込んだり慣れるだけでも精一杯ですが、そこを押して、生徒会長をなさったそうです。別にバンからというタイプでもないし、政治力や、支配力に魅力を感じているタイプとも見えないのにです。

 で、当時の校長先生であった、緒方道彦さんと、何度も会話を交わす関係となりました。
 この緒方先生という方は、WIKIPEDIAを検索すると医者であり、登山家である方ですが、政治家・緒方竹虎氏の甥ごさんである模様です。肝っ玉が太い方のようです。名校長だったのでしょう。

 さて、2005年ごろ、上田さんは、生き方に疑問を感じ始めます。研究は抜群に成果を挙げているように見える(論文をたくさん書き、発表する)が、幸せではないという感じ。

 その悩みの最中に「緒方先生が、具合が悪い」という知らせが友人から入り、九州へかえり、先生とレストランで、面会します。そのときにお互いが医学部出身なので、(現在の、実業は医者ではなかったが)余命いくばくもないことがお互いにわかったそうです。

 先生は、このデートの前に、あるプレゼントを、ご用意なさっておられたそうです。それは、半世紀前のノーベル賞受賞者、セント・ジェルジ氏の著作『生命の本質』でした。

 緒方先生は、非常に粋な方(これは、上田さんの表現です)で、「あげる」とは、いわないで、「貸してあげる」と仰ったそうです。返せない、ことがお互いにはっきりわかっているのに、そう仰ったのです。そのときの発止と自分を見つめた緒方先生の目を上田さんは、忘れられないそうです。
~~~~~~~~~~~~

 そして、その本の中にあった、「皆さんは、驚かれるかもしれませんが、いつか、まったく何もないところから、ウサギを作ってお見せしましょう」と書いてある部分を、読んだとたんに、上田さんは長いくびきから解放されたそうです。

 もっと、気楽に明るいスタンスで、研究に取り組もう。『成果をあげなくてはならない』と、息せき切って走ってきた道を、少し、歩み方を変えようと、<成功への一種の強迫観念を捨てて>歩もうと思いなおすことが出来たそうです。よかった。よかった。

 すばらしいお話でした。素敵なお話でした。では、2010年4月18日  雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする