銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

電車内で、缶チュウハイを、目撃して考えたこと

2009-05-13 09:19:50 | Weblog
 昨日母の見舞いを終えて、夜の九時半ごろ池袋駅につきました。ここで、次の湘南新宿ラインまで間が40分もあくのです。それで、私は埼京線に一応ですがのりました。この電車にはボックス席がありません。ベンチ型だけです。でも、目の前に背の高いサラリーマンが二人、足を投げ出して缶チュウハイを呑んでいました。電車には総計15人も乗っていないので、私は別に批判をするつもりは無くて、ただ、年代別に、好む飲料の種類が違うと言う意味で、注目をしたのです。

 以前、湘南新宿ラインの中でやはり、楽しそうに二人で飲んでいるサラリーマンがいて、彼らは60歳に近かったのですが、缶はビールでした。そちらは相当ハイソな技術屋さんでした。昨日の人たちは、まだ、課長になったかならないかの段階ですが、二人の本当に仲のよい感じがすばらしかったのです。大崎で私が降りると彼らも降りて、その際会話が聞こえたのですが、ひとりが、「嫁が何とか・・・・・」といったので、それも驚きました。『へえ、この世代は配偶者の事を、古い言い方を復活させて使っているのだ』と思って。60歳以上の人なら嫁と言う言葉は印象が悪くて、配偶者を、「うちの家内が・・・・・」と言うはずだし、50代だったら、「うちの妻は・・・・・」と言うところでしょう。

そのことを『面白いなあ』と思いながら、『ところで、左の人が呑んでいた《玉露いりの缶チュウハイ》って、どんな味がするんだろう。今度買って見たいな』などと思ったのです。そして大崎で30分ぐらいの所用を済ませて駅に戻ると、今度は先ほどよりも体格の小さい(だけど、多分技術系の)サラリーマンで、さらに世代が若くて、まだ、結婚をしていない人たちが隣のベンチにいました。スグ傍耳を立ててしまうほどの、会話をしていたのです。

つまり、パソコンの問題ですが、会社のパソコンとしてデスクトップをすべての人が支給をされているわけですが、中には出張(特に海外)が多くて、ノート型ももらっている人がいて、左側はそういう職種で、右側の人は、ノート型は私物のみのようです。ともかく二人ともモバイル・ノートをバッグの中に入れているタイプ。左側の人が「僕は土、日もパソコンを開けるものだから、この前、中身を全部提出しろといわれたんだ。その後、何も言われていないから、大丈夫だったと思うけれど」と。その後もなにやら堅い話が続いて、『あれ、先ほどの二人とはずんぶん感じが違うなあ』と思っていたら、だんだん打ち解けた会話になってきて、ほっとしました。こちらは呑まないのに、ただ、シゴトが遅くなってしまった二人なのでしょう。

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 さて、私は鎌倉の夜道を歩きながら、どうして、この缶チュウハイがこれほど、目に留まったのだろうと考えてみました。すると、ハッと思いついたのは、今、女流展の季節だということです。私はそこに15回ほど出品を重ねたのですが、初日に二次会があって、その際活発な若手が飲み物を注文してくれるのですね。そこは上野の料亭ですが、それが、私がチュウハイと言うものに接した初めての機会なのです。それで、慣れていないので、あまり好みの味ではないと感じました。私はビール世代です。

 それから、イメージとして、国展のパーティも思い出しました。特に飲み物のグラスの美しさを。国展の方は、会費は一万円でしたが、総数が(経済的に好況な時期は)700人以上なので、立食ですが、てんぷらが目の前で揚げられていたり、ローストビーフを目の前で切ってくれたり、おすしを目の前で握ってくれたりして、豪華でした。特に飲み物が豪勢に振舞われました。壁際には銀の食器を載せたワゴンも出ていて、赤白のワインもさることながら、タンブラーにウーロン茶、オレンジジュース、そして、ハイボールを組み合わせたお盆を持って、立錐の余地のない客の間を縫う、ウエーターのお盆の上の美しさが思い出されるのです。茶色系統で、統一されていて、初日が暑い日に当たると、氷の入っているそれらが、とてもおいしそうに見えました。

 その国展に出品を止めてから既に6年が経ちました。だから、それらの情景は、《私の人生の一時期の思い出》と化しました。

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 ところで、この一文を書くに当たって、正確な開催日を知りたいと、パソコン上を探ったら、女流展の方にはホーム頁がなく、国展の方はありましたが、開催日も記していなくて、(既に終わったからかなあ?)、それが、思いがけなくて、『あれっ』と思いました。でも、グーグルの検索には、両方の初入選者のブログ(または、ホーム頁)が、二本目とか、三本目に載っていて、私も20年以上前の上野での、そう言う、感激のときを思い出しましたよ。

 一年に一回、ああいうお祭りがあると言うことは、孤独な作業を続けるアーチストにとっては良いことかもしれません。特に女性が、国展のパーティに出るときは、衣装も考えて準備をするわけで、それが、ある種の張り合いをもたらすといえば、言えます。人生ってそういうものの総合で成り立っているのかもしれない。しかし、と同時に、そこではお祭りだけではすまないいろいろがあって、それなりに心に負担が掛かるのも確かなのです。だから、私は降りました。ちょうど年齢としては、それが、ふさわしいタイミングだったかなあ。そういうものを、あるべき当たり前のものとして、乗り越えるというか、乗り切っていく人が、ああいう世界で出世できるわけですが・・・・・私は『自分のタイプが、違う』と言うことを、自覚しています。

 いやあ、今日は自分自身を語ることに終始致しました。お許しくださいませ。

  では、2009年5月12日               雨宮 舜
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