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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

チャン・イーモウと、香川照之

2009-01-28 23:20:25 | Weblog
 またまた、伝聞から書く文章です。しかし、チャン・イーモウ監督の方に、・・・・・・特にその自伝部分に・・・・・驚くべき新事実が発見をされ、それが、重要なので、今日もテレビからの文章を書かさせていただきましょう。

 チャン・イーモウ監督は、国民党所属の父親の元に生まれました。それで、文化大革命の時期に、迫害をされ、農村へ、三年間下放をされます。その農村からは逃げ出したり、去る自由はまったくありません。一種の軟禁状態です。その一方で、その文化大革命を命令し遂行した毛沢東と、その夫人江青は、塀で、囲まれた、庶民からは見えない安全な場所で、贅沢三昧をしていたわけです。

 その時代の記録・・・・・・特に下放をされた気の毒な人たちの映像が、ドキュメンタリーとして、今、テレビに現れてき始めています。それだけ、中国が成熟をしたということでしょう。いわゆる民主主義と、自由が相当なレベルで達成をされつつある。

 ただし、一番の問題は、農民と都市住民の間に収入の落差が大きくあり、その農民から都市住民への、移行が、移動、転籍ともに、自由ではないようなのです。それと、決定が都市の上部組織、(イコール共産党系幹部)だけにゆだねられていて、まら、彼らの決定が正しくなかったり、右往左往をしたりして、庶民が混乱に陥れられている身代です。これは、まだ、まだ、前途遼遠の改革が必要なシステムですね。

 ただ、二年前までぐらいの、反日政策がだいぶ収まってきているので、私も、純粋な気持ちで、そのチャン・イーモウ監督についての、特に北京オリンピック関連の番組を見たのでした。09-1-25(日)NHKBS1で、19:00から、二時間です。
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 ところで、その17才のときに下放に続いて、チャン・イーモウ監督は、今度は、別の都市に移され、そこで、紡績工場に配備されます。製品を運ぶなどの、単純作業を、7年間続けます。結局のところ、青春期のもっとも、頭脳が新鮮な時代に、10年間、学ぶ機会がなく、ただ、ただ、単純労働に服しました。

 そこら辺りは、私にとっては、驚くべき真実でしたが、この番組の主たる狙いは、北京オリンピックの開会式、総合ディレクターだった彼の裏側の真実を本人から聞くという点にあったので、以上のような若い日々、それから、両親のそれからなどは、ほとんど、簡単にしか触れられませんでした。やや、残念ですが、政府公認の番組としては、致し方が無い妥協点でしょう。

 そして、28歳のときに、北京電影学院、撮影科に入学できました。そして、彼が、一気にブレイクをしたのは、『赤いコーリャン』でした。私はこれを、映画館で見ています。色彩的には美しい。しかし、私自身は、涙が滂沱と溢れるのが、好きなので、彼の作品としては、まだ、見ていない、『初恋の来た道』とか、『あの子を探して』を、これから見ようと思いました。DVDを探して。

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 北京オリンピックの開会式は、大事業で、しかも、過去のどの大会よりも、素晴しい美術的な完成品でした。当日に、私は、最初から最後まで見たわけではないので、今回のチャン・イーモウ監督の解説付きで、一シーンずつを見ていくと、その裏側のすさまじい、苦労が察せられて、圧倒をされるほどでした。

 もっとも、力をいれ、かつ、監督も得意である場面は、活版印刷の場面だそうです。それは、遠くから見ると、たった一つの活字に見える箱の中に、すべて、ひとりひとりの、人民解放軍兵士が入っていて、その箱を、人の力で動かすという、大変にアナログな作品でした。見かけ上はデジタル的に見えましたが。

 よく、北朝鮮がスタヂアム内で、やっていた、ひと文字、ひと絵の改良された形ですが、その芸術性の高さと、訓練度の高さは、比較の出来ようも無いほど、こちらが上です。

 その活字の箱は、低いときには、70センチぐらいでしょうし、高いときには、四メートルになるのです。その高低差は、中に入っている人間が飛び上がるのかと、最初は想像しましたが、そうではなくて、ちゃんとした、機械を使っているのです。何と言うか、ジャッキ式はしごで、そのハンドルを上下させて、最高高さ四メートルまで、一つの活字が突起するのでした。そして、その突起が波のように動いていく。中に入っている兵士たちは、すべて、耳にイヤホーンをいれていて、そこに、一、二、三、四と号令が入る形で、一糸乱れず動くのだそうです。

 あの開会式当日、チャン・イーモウ監督に顔は大きく消耗していました。しかし、このインタビュー時には少し、回復していて、・・・・・
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 私は大きな成功とか、大きなオマージュが捧げられる人間に対しては、やや、斜に構えてみているタイプですが、今回だけは、その27歳までの不自由で抑圧された人生を思えば、これだけの大仕事を任かされ、成功することは、当然だと納得をしたのです。

 北京オリンピック他の話題も出ました。相当よい番組でした。が、番組としての成功は香川照之氏に負うところが多いでしょう。彼については明日述べたいと思います。では、
             2009年1月27日 川崎 千恵子(雨宮 舜)
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