酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

さつま芋の 想い出

2008年05月14日 | 無農薬野菜作り
先日 小雨の畑でしたが さつま芋の苗を植えました

五年ぶりでしょうか なつかしい苗の感触でした

そして これは偶然ですが その数88本・・ 縁起のよい数になりました

値段は〆て1350円  一本で15円強のスグレものです



彼ら さつま芋のすぐれてるのは 値段だけではありません

その強靭さにあります

花の茎をスパっと切ったような苗を 土に刺すだけでいいのです

肥料は 全く必要ありません

いまは このようにヘタッていますが これは世を忍ぶ仮の姿です

いずれ シャキっと背を伸ばして やがて畑いっぱいに葉っぱと茎で占拠することでしょう

このような性質だからこそ 戦後の東京焼け野原で育ったわけです

彼らは戦後のスーパーマン かぼちゃマン共々 命の恩人でした あらゆる工夫をして食したものです

サイコロのように細かく刻んで 米に交ぜてお釜で炊く

”サイコロ”の周りに ご飯が張り付いていましたね

少ないご飯が さつま芋に謝っていました  「すまん


芋を蒸かして 塩をつけていただく

乾燥芋に加工して おやつがわりに"かじる” これは固かったです

そのため 歯が欠けた友人が 何人かいました 

芋で歯を欠く いま思えば 実にいもいもしいことです


芋羊羹も忘れられません 蒸かした芋をしゃもじで潰しただけのものです

形は 団子のようでした 羊羹というより「芋団子」・・

舟和のヒントにでもなったのでしょうか


葉っぱも 捨てるものはいませんでしたね

味噌汁 塩汁のなかで 堂々主役を張っていましたよ


月島で 練ったさつま芋を ハゼの餌にしたのは かなり食料に余裕がでてからのことでしょう

たいして釣れませんでした  なにしろ芋が海中ですぐに溶けてしまいましたから・・


今回は「紅あづま」です  戦後の恩人たちは 水気を多く含んだ軟弱な芋族でしたが 紅さんは旨い

戦後の一時期に 男子一生分のさつま芋を食べた気分のオジさんですが 自分で作ったとなると 話は別です

当時を回顧しながら 懐かしさと 感謝の気持ちでいただきます

もちろん 孫たちには さつま芋にかかわる 戦後の食料事情を語り継ぎながらです

さらに 環境が悪くても 逞しく育っていくさつま芋の一族・・

教育素材には 最適任の”華麗なる芋族”です


♪さつま芋よ 今夜もありがとう~♪


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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いっこんまさんへ (オヤジな私)
2008-05-19 04:36:59
T部長との名コンビのいっこんまさん。
ぜひとも芋羊羹を実現させてください。
みなさんに喜ばれますよ。

体調はいかがですか。
季節の変わり目で気温の変化が激しいときです。
ご自愛ください。

カープは残念でした。
交流戦でがんばりましょう。
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さつまいも (いっこんま)
2008-05-16 15:12:51
オヤジな私様、こんにちは。
熱海温泉で会合があり、その帰り道のことです。
T部長が、「今年の商工感謝祭には芋羊羹を作って売りたい」と熱く語ってました。
さつまいもの栽培は、農家のお母さん達に依託するんだそうです。
美味しい芋羊羹を作り、お客様の喜ぶ笑顔が見たいとも言ってました。
T部長は、なかなかのやり手です。私も副として全面的に応援してます。そしてできることなら、T部長に一期で退くことなく長く務めて貰いたいと密かに願っております。(内輪のことなど書いてしまいましたが・・・)

さつまいもにまつわる3歳頃の悲しい思い出もありますが、長くなるので省きますね。

さつまいもの蔓、昔一度だけ食べましたが、ぜんまいのような美味しさだったと記憶してます。
もう一度食べたいと願ってますが手に入りません。
肥料いらず、土に挿すだけなら「紅あづま」を作ってみようかな。

明日は早朝より「花いっぱい運動」のため、これからその準備があります。出かけてきます。
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hiromさんへ (オヤジな私)
2008-05-15 12:16:01
hiromさんは鳴門金時ですか。
徳島の空港で鳴門金時のお菓子を売っていました。
1本当りの単価が高かったですね(笑)
私も30本あたりでちょうどいいのですが、苗屋さんが100本単位で売っています。仕方ないです。

母上も種の改良による味のよさに驚かれているでしょうね。

戦後は竹の子生活といって着物と交換で芋などを分けてもらっていました。
昔日の感、しきりです。

保管場所がないので、収穫したものは、仲間のみんなで掘って持っていってもらいます。

2円のミスでしたね(笑)
私もよくやりますよ。
ご丁寧に、ありがとうございました。
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追伸 さつまいも (hirom)
2008-05-15 11:01:21
投稿してから 読み返していまして、単純な計算間違いを発見。1本当たり 26円の間違いでした。そろそろ老化現象?

そうそう、さつまいもの保管はどうしておられますか? 正月頃の低温でいつも大半を駄目にしています。昔は地下の穴倉にもみ殻を入れていたそうです。
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さつまいも (hirom)
2008-05-15 10:51:04
こちらでは山の畑の定番で毎年植えています。4月18日に30本の鳴門金時でした。近くのホームセンターで、30本780円ですから、1本28円で、随分高い…確かに、やせ地でいいので作りやすいですよね。味も相当に改良されているようで、88歳の母親が出来栄えに驚いています。昔は種イモから蔓を伸ばして植えていたようです。

私も同世代、終戦が幼稚園だったですので懐かしいです。但し、田舎育ちで、疎開の経験が無い関係でしょうか、さつまいも関連の料理はあまり知らないです。
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のこたんへ (オヤジな私)
2008-05-15 08:46:23
コメントのシンクロでしたね(笑)
いい天気になりましたよ。関ケ原はいかがでしょうか。
からいも世代のさんですね。
ツルの煮物も食べた記憶があります。
からいもは鯨と同じで、捨てるところがない素晴らしい食品です。見直さなければいけませんね。

お義母さんのおっしゃるとおりです!
からいもこそ当時の日本人の命を救ってくれた大恩人です。
しかも、荒れた環境でこそ成長する。
生きものの鑑です。

からいも さつま芋の復権を!
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小絵さんへ (akisaien)
2008-05-15 08:37:54
唐芋・・
沖縄 九州ではさつまいもを唐芋というそうですね。
おかあさんは薩摩おごじょ。薩摩のお嬢さんでしたか。
小絵さんはやはり血を継いだのでしょう。
おいしいさつま芋作りに精をだしてますものね。

今回の88株は堆肥のほとんどないところに植えました。以前は肥沃な場所だったので、いもが巨大化しました(笑)

収穫は孫たち、オジさんたち、知り合いの家族たちが待っています。
戦後は遠くなりました(笑)
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さつまいもではなく (のこたん)
2008-05-15 08:35:18
 「からいも」と九州出身のは言います。
 夫は戦後すぐに産まれた年齢ですので、やはり「からいもばかり食べていた。」と言います。

 結婚してすぐの帰省の時に、義母がさつまいものツルを使った美味しい煮物を作ってくれました。
 パクパク食べるに反して、は箸をつけようともしません。
 「子供時代にこればかり食べさせられたから。」だそうです。

 義母は「そう。このからいものお蔭で、家族皆元気にここまでこれたんだよ。」とシミジミ言っていました。

 我家も達が幼稚園・小学校の時は、畑を借りてさつまいもを育てましたよ~~。
 本当にお利口さんで、手もかからず、ありがたい食材でした。
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pochikoさんへ (オヤジな私)
2008-05-15 08:26:12
お忙しかったことでしょう。
一段落つきましたね。

苗屋さんが100本単位で販売しています。
12本はYさんに譲りました。
ですから性格には一本13円50銭です(笑)
収穫時には例の箱根のオジさんたちに集まってもらって芋ほりを楽しんでもらおうと思ってます。

血が騒ぐでしょう(笑)
まだ間に合いますよ。いかがですか?
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ba-baさんへ (オヤジな私)
2008-05-15 08:19:19
いつもコロッケという歌がありましたが、当時はコロッケもありませんでした。
毎日毎日お膳にでてくるのはさつま芋。
人間は強いものです。
おかげで命を長らえました。

買出しが日常でした。
竹の子生活といって、着物が食料に化けていましたね。
私は母と千葉の農家へ行きました。一貫目のリュックの重さはいまでもしっかり覚えています。

ご主人の気持ち、よくわかります。そのとおりです。
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スーさんへ (オヤジな私)
2008-05-15 08:11:36
おはようございます。
今日は暖かくなりそうですね。

スーさんもさつま芋を植えましたか。
高価な苗のようですね。
収穫が楽しみです。

そうでしたね。戦後は茎も貴重品でした。食べた記憶があります。口に入ればなんでもよかった時代でした。

南瓜はネギと同じで、強い生命力をもっています。
嬉しい南瓜でしたね。
みなさんに、どうしても食べてもらいたかったのでしょうか(笑)

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ルレクチェさんへ (オヤジな私)
2008-05-15 08:04:45
おはようございます。
一週間ぶりに太陽が顔をだしてくれました。
暖かくなりそうです。

さつま芋は苗を植えるときは楽ですが、茎と葉が伸びてきたときの管理が忙しくなります。
そのままにしておくと、茎から新しい根が生えて養分を分散します。
そのため、茎ごと持ち上げて反転させます。それを3~4回繰り返します。

本郷三丁目の藤村の大学いもが旨いですよ。
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唐芋 (小絵)
2008-05-15 06:07:13
今は亡き私の実母は生粋の「薩摩おごじょ」で、やはり戦時中「芋ばかり食べさせられた…」とよくこぼしておりました。

その娘は今、畑で美味しいサツマイモの成長を目を細めて見守っています。

もうサツマイモ植えの時期になりましたね!
akiさんは88株も植えられて、大量に収穫したサツマイモをお知り合いに配るのですか?
私は25株植えただけでも余ってしまいます。苦笑

akiさんの畑は何もかも大収穫ですね
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サツマイモ (pochiko)
2008-05-15 00:24:20
おお~~ 植え付けされましたね。
しかも88本もですかぁ~@@;
すごい数のサツマイモが出来る事でしょう。

我が家は今年は植え付けしませんでした。
人数も少なくなって、いつも食べきれずに処分になってしまってましたから。
食べる分だけ買う事にしました。
でもオヤジさんのを見ると、うううぅ~~!!
血が騒ぎます(~_~;)
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さつま芋 (ba-ba)
2008-05-14 23:51:52
明けても暮れても薩摩芋しか食べる物が無かったですものね、笑いながら読み進むうちに当時を想い出して切なくなりました。

薩摩芋の買出しに行った母の安否を思い、待ちわびる日暮れの心細さ、重いリュックを背負った母の姿を見て安堵したものです。

主人も「芋は一生分食べたからもう食べたくない」と申していました。
薩摩芋の粉で作ったパン(団子のような)は真っ黒ですが甘くて結構美味しかったです。
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さつま芋の苗 (スー)
2008-05-14 22:17:20
我が家もさつま芋の苗をうえたようです。
オヤジな私さんより高かったですよ(苦笑)
元気だった頃茎も料理の1品でしたが葉は使いませんでしたねぇ。
南瓜はは半分腐ったものを畑の隅に捨てておいたら次の年に採れた思い出があります。
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ほほぉ・・・ (ルレクチェ)
2008-05-14 21:51:07
サツマイモの栽培は、そんなに楽なんですか?!ビックリです。
あんなに美味しいのに・・・楽にできるなんて。
優れものですよね。
大学芋・・・食べたくなってきました(笑
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anikobeさんへ (オヤジな私)
2008-05-14 21:34:14
やはり戦後のさつま芋は思い出多いものですね。
anikobeさんもお父さんの自転車の荷台に乗ってのお手伝いでしたか。
私の戦後も、路地裏のさつま芋ではとうてい足らず、母について習志野へ買出しにでかけました。
一貫目をリュックにつめてかついできましたが、重い印象が残っています。

開墾した土地での作業は大変でしたね。
石ころの数も多かったでしょう。

お互いに苦しい体験をしてきましたが、いま思えば親への感謝ですね。

苗を植えながら、当時の想い出をかみ締めていました。
芋よ、ほんとうにありがとうです。
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サツマイモの思い出 (anikobe)
2008-05-14 20:44:47
沢山な思い出があります。
それは、皆戦後の食糧難時代の思い出です。
学校の運動場の隅が芋畑になったこともありました。
父の勤めていた校区の山へ、父の自転車の荷台に乗って、芋苗差しに付いていって手伝いました。
開墾した土地だったので、父は鍬を使って、汗ビッショリになって畝を作っていました。
私は、石ころを取っては、山の中に投げ込んでいました。

芋は代用食になったり、遠足のお弁当になったり、芋飴を父が作ってくれたり、皆父の思い出に繋がって、
オヤジな私さんのお陰で思いで辿りをしました。
「芋よ、今夜は ありがとう」の巻きです。
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清遊人さんへ (オヤジな私)
2008-05-14 20:29:31
金時は嬉しいさつま芋でした。
それまでは、白っぽい、水っぽいさつま芋が定番でしたからね。ホカホカの金時の黄色がまぶしく感じたものです。
焼き芋は高くなりました。
ちょっと手がでません。

お、やはり箱根ですか。
腕も全快、いい温泉旅行になりますね。

サミットも考えなくてはいけませんね。
楽しみにしています。
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サツマイモの植え付けお疲れさまです (清遊人)
2008-05-14 18:04:49
次から次へと色々なものを植えつけますね。サツマイモは今では余り食べなくなりましたが、蒸かして良し、焼いて良しで、「金時」は美味しかったですね。冬になると駅前で焼き芋屋が出ますが、結構いい値段でビックリです。
箱根の夜をご堪能して来て最高ですね。私も来月8日に箱根で1泊です。
身体も絶好調に戻りましたので、又「チョイワル親父の夢を語る」サミットを開催しましょう。
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