酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

信長の声

2006年12月20日 | オヤジのつぶやき
ここにも「一度は来てみたかった城」がありました

国盗り物語の表舞台 稲葉山城 その後の岐阜城です 



JRの車窓から望む「岐阜城」です (右の金華山の頂にあります)



JR岐阜駅です  現在の岐阜は変なことで”有名”になってしまいました



市営バスで15分  岐阜公園にあった 山内一豊と妻の千代の碑です  



永禄10年(1567) 信長 稲葉山城を奪取 中国の故事にちなんで岐阜城と改める



翌年 将軍足利義昭を美濃に迎え入京しています



天下布武! いよいよ信長の天下一統の”グランドプラン”の始まりでした



いまでも 不世出の英傑と称される信長の肖像です



舅の斉藤道三  平 幹二郎の「国盗り物語」が懐かしく思い出されます



道三の愛娘 濃姫  信長の正妻です

謎の多い女性で いまもって墓らしいものが見当たらないようです



信長の天才たるところは 決して「武」だけの人物でなかったことでしょうね



関所を廃止し 楽市楽座を設けました

城下町は活気に溢れ 宣教師のルイス・フロイスは「バビロンの賑わいのようであった」と述べています



これぞ日本の食事です  「三丁目の夕日」の時代までは 同じような献立でした



天守閣から長良川を望みます  雨で霞む井の口の街並みです

440年前 信長も同じ景色を眺めたことでしょう

15年後の本能寺の変 歴史に”もし”は禁物ですが。。 



日常生活を送っていた信長居館跡地。。

もし 彼が現在まで生存していたなら。。



「現代版刺客」やら 「復帰」やら 変なことでで有名になったこの「井の口」をどう思ったことでしょうね



「ちょうちんを掲げ 闇夜を切り裂け!」



明るい農村ならぬ 明るい日本の未来を目指す信長の叱咤激励の声を聞きました

岐阜城見学 長年の夢がまたひとつ実現しました


* 焼酎は「るるぽ」のカウンターより *



  






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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
のこたんさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:45:24
のこたんさんの地元を訪問させていただきました。
美川憲一の♪柳ヶ瀬ブルース♪が、こちらだったのですね。知りませんでした。

新春の晴れた1日。岐阜城の天守閣からの眺望は素晴らしいでしょうね。
是非もう一度(?)でかけてください。

今年の岐阜はいろいろ新聞・テレビを賑わせました。
信長に変わって、大沢親分、張本さんに大きな声で
「渇ッ!」を入れてもらいたいですね。

新生岐阜を期待してます。
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mさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:31:13
斉藤道三は息子に斃されたと伝えられています。
実の息子でなかったという説もあります。
毒殺の可能性も否定できないでしょうね。

司馬遼太郎が描いた「国盗り物語」は道三のイメージを逆転させました。

来年の大河ドラマは信玄がらみでしたよね?。
また、楽しみが待っています。
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いっこんまさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:25:35
歴史の勉強も、年代だけを暗記してましたね。
ほっとけ、ほっとけゴミヤさん。
538年が仏教伝来。
これでもいいのでしょうが、エピソードをもっと教えてもらいたかった。

信長髯さんのご感想はいかがでしたか。
ますます立派な髯になってませんか。

組合の座を廃止して自由経済の先駆けも実行したようですね。
文武両面の天才と称される所以ですね。
山内一豊が10両の馬を手にいれたのは、ここ岐阜城下だったそうです。
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かねたこさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:17:37
以前から戦国時代は好きな範疇にありました。
想像する楽しみを満悦してくれます。
さらにこのブログを始めてから現場訪問が億劫にならなくなりました。
ネタになりますからね(笑)
ブログの効用です。

いつまでも夢追い人間でいたいものです。

視察のかたが見えましたか?
各地で紹介させていただいています。
もしかすると。。ですね。
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anikobeさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:07:18
恐れ入ります。

歴史小説は、若い頃読んだ司馬遼太郎の一連の歴史ものから好きになりました。
特に戦国時代、幕末ものに興味があります。

あれやこれやと想像しては楽しんでいます。
夢多きオジサンです(笑)
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まみるさんへ (オヤジな私)
2006-12-22 01:03:14
歴史はロマンですね。
本能寺の変はいろいろな解釈ができる謎の多い興味津々の事件です。
明智光秀にはアリバイがある。
断じて犯人ではないと談じた作者までいます。

末裔さんは愉快な青年のようです。
DNAはしっかり持続しているのでしょう。
今後が楽しみです。
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岐阜城行ったことあるみたいです?? (のこたん)
2006-12-21 19:32:45
 夫いわく「結婚した時に連れて行った」らしいのですが、私、まるで記憶にありません・・・。

 いつでも行けるところに住んでいるのに・・。

 年が明けたら行ってみます。

 岐阜県は今、マドンナ対決・裏金問題で大騒ぎです。
 腹が立つやら・・情けないやら・・。

 裏金が何億円もあったこともですし、それを私的流用していたというのですから。

 逮捕された一人は、「子供の学費にあてていた。」「ローンの返済にあてていた」というのですから・・。

 当時の幹部職員たちで、分担して返金されるというのですが、それが、強制ではなく、色々な理由をつけては、渋って返金に応じない人もいるようです。

 マドンナたち(お姫様とお嬢様だそうです)も困ったものです。
 誰のための政治なのか・・。何のための議員なのか・・。

 織田信長様に喝を入れて欲しいです。
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斉藤道三 (m)
2006-12-21 14:53:50
大谷吉継と同じ病に倒れたのでしたね。
最後は毒殺?いろいろな説があるようですが、、

信長は非道なこともしましたが、民主的な街づくりをした頭のよい人ですね。
私のスキなのはちょっとひねくれて武田信玄です。
そのうち山梨県もお願いします(笑)
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信長の声 (いっこんま)
2006-12-20 23:03:08
ヾ(@°▽°@)ノあはは  愉快ですね。
anikobeさんの仰るとおりです。このような授業でしたら、私はもっとまじめに積極的に歴史を学んでいたかもしれません。

岐阜城、我が家の信長髭にも見せましたよ。

楽市楽座は自由主義経済の先駆け?だったのでしょうか。

「巧妙が辻」が終わり寂しくなりました。
が、ここで「伴侶の鑑」の碑が見れるなんて・・・
今日もまたありがとうございました。
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夢が次々と。 (かねたこ)
2006-12-20 22:46:52
こんばんは。

次々に自身の夢を叶える行動力はすごいですね~。

先日、元西武の松坂投手が「夢という言葉は使いたくない。夢は叶わないものだから。」とコメントしていましたが・・・いやいや、そんなことないですね!!
夢こそ自分自身の努力次第で叶うものなのかもしれませんね。

それはそうと。
今日、任期付職員採用の件で、N区の方が視察にいらっしゃったようです。もしかして、このブログをご覧になられたのかな???
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まるで、講談を聴く様に (anikobe)
2006-12-20 21:54:58
オヤジさんのペースにはまって、歴史の世界に入っていく楽しい写真と、お話です。

日本史の先生が高校のとき、オヤジさんのような先生だったら、もっと歴史が好きになっていたでしょうね。

結びは、般若湯。
思いを果たした後の美味しいお酒の、お顔が目に浮かんできます。
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信長 (まみる)
2006-12-20 21:06:25
功罪いろいろあるでしょうけど、やはり死ぬのが早すぎた人ですね。
生きてたら日本は随分変わってたように思います。
惜しいですね。

NHKの番組だったか、明智光秀をそそのかしたのは何という人だったかお公家さんだったという仮説をやってましたね。

歴史はロマンですね~

現代の「末裔」さんはここ!というところでコケる物足りない人物ですけどね(笑)
まだ若いし、がんばっていただきましょう~
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