横長のアジサイの絵に引き続き、今回は縦長のアジサイの絵を描いた。扁平の絵というのは、額も限られるし、飾る場所も限られる。梅雨の間だけでもアジサイの絵を壁に飾りたいと考えていたので、同じようなアジサイを構図を変えて挑戦した。
壁にかけるという第一の目的があったので、今回はいつになく装飾性に重きを置いた。描きながら、ゴッホのひまわりのことばかり考えていた。
ゴッホのひまわりは有名だが、ひまわりの絵自体は10点近くある。初期のひまわりは写実的なものだったが、次第に装飾性を増していった。ゴッホ自身は弟に宛てた手紙に、僕のようにひまわりを見ている人間はいないだろうと書いている。
ゴッホはアルルでゴーギャンと共同生活を送った黄色い家の中をひまわりの絵で飾った。一説にはゴッホにとってのひまわりは、ユートピアの象徴でもあったと言われている。ゴーギャンとの共同生活が破綻し、精神病院送りとなったゴッホは、それ以降ひまわりの絵を描かなくなってしまった。
バブル期に日本人が数十億円で購入したひまわりの絵を、見に行ったことがある。その絵は誰もが知っているひまわりの絵で、花瓶に挿した花が13本描いてある。それはキリストと使徒の数だったのかもしれない。ゴッホはアルルの黄色い家を、ゴーギャンだけではなく芸術家たちの家にしようと考えていた。その思いは2ヶ月で終わりを告げるが、ゴッホはゴーギャンが来る前に、椅子を12脚用意していた。
僕のアジサイにはゴッホのような象徴性はないが、ゴッホがひまわりを独自に見ていたように、僕のようにアジサイを見ている人は少ないだろうと自負しながら描いた。
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