「よたよたランナーの手記」(121) ラン極楽小休止 文科系
13日に走って翌日から台湾旅行。20日に帰って21、23日と走った。台湾旅行でも17日山地にそびえていた五つ星ホテルの周囲を30分ほど走った。他にも、玄奘寺という名所の脇にあった900段ばかりの山上の塔への上下をやった。この900段上下は旅行の有志スケジュールに組み込まれていたもの。その有志たちは、(20、30代と覚しき10人ほどなどは特に)、スタートと同時にかなり意気込んで、文字通り全員が僕を追い越していった。もっともこういうときは最初が肝心としっかり体験してきた僕は、スタート直後10分ほどはとにかくゆっくりと歩いた。いわゆる、ウヲームアップ(その後に好調を呼ぶ「呼び水」)の積もりで。だけど僕は少々トレーニングとして取り組む積もりだったので、後半には頑張った。その結果、確か一番に帰ってきたはずだ。結構、山上の施設もしっかり回って、帰りのスタートはけっして早い方ではなかったはずだったが。
さてこれでも、先回もちょっと書いたが、右アキレス腱が微かに痛み思い切り走れないから、ラン極楽がいったん遠のいた感じというのは、変わりない。こうなると僕の生活はなんか失楽園である。先回の最後もこう結んだのだが。
『そんなことから最近はよくウエートトレーニングにも時間を割く。仰向けになった腹筋台で目を閉じてゆっくりと30回ほどの上体起こしをしていると、いろんなことが思い浮かぶ。〈へろへろになった昨日。それが今日、これだけの回復・・・まだまだラン極楽を続けていける。そう言えば、激しく走った後のこの小休止も、極楽、極楽! 目を開けてみよう。真上の強い明かり・・・ちょっとまぶしいな・・・〉』
このアキレス腱痛も必ず復旧させてやる。全力で走れるラン極楽を必ず取り戻してやる。アキレス腱への注意を少し怠っていたようで、ちょっとその「かばい方」「抵抗力増強」を時間をかけてじっくりと研究しないといけないが、いつでも、どんな場面でも、きっと道はあるはずだ。僕はそう信じてやってきて、ここまで走れるようになっているのだから。この旅(訳あってアメリカの旅行社が企画したものに参加。中国からのアメリカ帰化人などが最も多かった)で僕としてほんの片言英語で話し込んだドイツ人の大学生にも「私の父親よりも若く見える」と言われた。この女の子は台湾の大学院に留学中で「国際コミュニケーション」を勉強中とのことだったが、この旅に来た両親と現地合流した、愛用らしきショーツ姿の生足もすらっとした美人さんだ。僕とも仲が良くなったその父親は55歳なのだそうだが、総体的に外人に比べて日本人は若く見えるようである。
(ここからは、今日のランを終えて改めて書くもの) 今日25日のランは、暑くなった最近としては珍しく頑張って、60分で9.5キロを走った。基本LSDの上に、随分久しぶりの11.5キロ時10分を入れたが、アキレス腱は早くも何ともなかった。この間単期間に、あれこれ考えたトレーニングだけでこうなっていたということ。僕のラン・身体科学もなかなか大したものである。だからこそ、59歳から始めたランニングで、今でも11キロ時が走れるんだろう。いや、12キロ時も近く可能だという気がしている。この場合の「可能」とは僕流の、こういう意味だ。12キロ持で、10分は走れると。15キロ時以上でも、いや20キロ時でも10秒なら走れる人は多いはずだから。
13日に走って翌日から台湾旅行。20日に帰って21、23日と走った。台湾旅行でも17日山地にそびえていた五つ星ホテルの周囲を30分ほど走った。他にも、玄奘寺という名所の脇にあった900段ばかりの山上の塔への上下をやった。この900段上下は旅行の有志スケジュールに組み込まれていたもの。その有志たちは、(20、30代と覚しき10人ほどなどは特に)、スタートと同時にかなり意気込んで、文字通り全員が僕を追い越していった。もっともこういうときは最初が肝心としっかり体験してきた僕は、スタート直後10分ほどはとにかくゆっくりと歩いた。いわゆる、ウヲームアップ(その後に好調を呼ぶ「呼び水」)の積もりで。だけど僕は少々トレーニングとして取り組む積もりだったので、後半には頑張った。その結果、確か一番に帰ってきたはずだ。結構、山上の施設もしっかり回って、帰りのスタートはけっして早い方ではなかったはずだったが。
さてこれでも、先回もちょっと書いたが、右アキレス腱が微かに痛み思い切り走れないから、ラン極楽がいったん遠のいた感じというのは、変わりない。こうなると僕の生活はなんか失楽園である。先回の最後もこう結んだのだが。
『そんなことから最近はよくウエートトレーニングにも時間を割く。仰向けになった腹筋台で目を閉じてゆっくりと30回ほどの上体起こしをしていると、いろんなことが思い浮かぶ。〈へろへろになった昨日。それが今日、これだけの回復・・・まだまだラン極楽を続けていける。そう言えば、激しく走った後のこの小休止も、極楽、極楽! 目を開けてみよう。真上の強い明かり・・・ちょっとまぶしいな・・・〉』
このアキレス腱痛も必ず復旧させてやる。全力で走れるラン極楽を必ず取り戻してやる。アキレス腱への注意を少し怠っていたようで、ちょっとその「かばい方」「抵抗力増強」を時間をかけてじっくりと研究しないといけないが、いつでも、どんな場面でも、きっと道はあるはずだ。僕はそう信じてやってきて、ここまで走れるようになっているのだから。この旅(訳あってアメリカの旅行社が企画したものに参加。中国からのアメリカ帰化人などが最も多かった)で僕としてほんの片言英語で話し込んだドイツ人の大学生にも「私の父親よりも若く見える」と言われた。この女の子は台湾の大学院に留学中で「国際コミュニケーション」を勉強中とのことだったが、この旅に来た両親と現地合流した、愛用らしきショーツ姿の生足もすらっとした美人さんだ。僕とも仲が良くなったその父親は55歳なのだそうだが、総体的に外人に比べて日本人は若く見えるようである。
(ここからは、今日のランを終えて改めて書くもの) 今日25日のランは、暑くなった最近としては珍しく頑張って、60分で9.5キロを走った。基本LSDの上に、随分久しぶりの11.5キロ時10分を入れたが、アキレス腱は早くも何ともなかった。この間単期間に、あれこれ考えたトレーニングだけでこうなっていたということ。僕のラン・身体科学もなかなか大したものである。だからこそ、59歳から始めたランニングで、今でも11キロ時が走れるんだろう。いや、12キロ時も近く可能だという気がしている。この場合の「可能」とは僕流の、こういう意味だ。12キロ持で、10分は走れると。15キロ時以上でも、いや20キロ時でも10秒なら走れる人は多いはずだから。