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新聞の片隅に載ったニュースから(199)     大西五郎

2015年06月04日 19時28分31秒 | Weblog
両陛下が比大統領を宮中晩さん会で歓迎 「大戦の犠牲 深く哀悼」(15.6.4 中日新聞)

国賓として来日しているフィリピンのアキノ大統領を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会が三日夜、皇居・宮殿「豊明殿」開かれた。
天皇陛下はスピーチで、今回の大統領の訪問が「両国の相互理解と友好協力関係の一層の発展に資する、実り多いものとなることを切に願っております」と述べられた。
また、戦後七十年に当たり「先の大戦においては、日米間の熾烈な戦闘が貴国の国内で行われ、多くの貴国民の命が失われました。このことは私ども日本人が深い痛恨の心とともに、長く忘れてはならないことであり、当時の犠牲者へ深く哀悼の意を表します」と語った。
大統領は「過去に経験した痛みや悲劇は、相互尊重、尊厳、連帯に根ざした関係構築に務めるという貴国との約束によって、癒されてまいりました」と応じた。一九八六年に母コラソン・アキノ大統領が国賓として来日した際に同行した思い出として、昭和天皇から「母を大切にするように」と話し掛けられたことにも触れた。晩さん会には皇太子ご夫妻ら皇族方、両国の関係者など百五十人が出席。秋篠宮家の次女佳子さまが始めて出席した。

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今の天皇は戦争の真っ只中で少年時代を過ごしましたから、この言葉が出たのだと思います。
きょう(4日)の中日新聞「首相の一日」欄には「6時38分、皇居、昭恵夫人と共にアキニノ大統領歓迎の宮中晩さん会。10時3分、東京・富ヶ谷の私邸」となっていましたから、安倍首相は晩さん会に出席し、天皇のスピーチを聴いていたはずです。どのように聞いたのでしょうか。
安倍首相は戦後70年の首相談話を出すことにしていますが、50年の時の「村山談話」で述べられた「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛をあたえたことに痛切な反省と心からのお詫びを申し上げます」の『国策を誤り』は思っていないようですし、「お詫び」もしたくないようです。菅官房長官も「村山談話や小泉談話と同じものをやるなら、新たに談話を出す必要はない」(1月9日BSの番組で)と「侵略」や「お詫び」を使わないことを正当化しようとしています。
なお、きのう(3日)の中日新聞は、「談話 おわび明記を 河野元衆院議長講演で首相に注文」という記事を載せました。記事では、河野元衆院議長は2日、共同通信加盟社論説研究会で講演し、安倍首相が夏に発表する70年談話では先の大戦をめぐる「おわび」の文言を明記すべきだとの考えを示した、と記しています。河野元議長は中国や韓国を念頭に「被害者は謝罪してほしいとの気持が強い。(謝罪すると)書かなければ納得しない」と配慮の必要性を強調しました。
河野元議長は今年4月に、日本国際貿易促進協会会長として中国を訪問し、李克強首相と会談していますが、「中国は『安倍談話』に相当不安を感じている。安倍首相は百パーセント信用されていない。少しでも懐疑的に思われているなら、お詫びを書いた方がすっきりする」と語りました。
大西 五郎
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東海放送人九条の会<会員のこえ>より    

2015年06月04日 19時25分08秒 | Weblog
マスコミは安倍「ポツダム宣言受け入れ」の検証を

                        2015.6.3 CBC・OB 大西 五郎

朝日新聞以外「安倍言明」を報道せず

安倍首相が1日に安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会で、民主党の細野豪志政調会長質問に答えて「ポツダム宣言第6項の(日本が)世界征服(をしようとした)を含めて、当時の連合国側の政治的意図を表明した文書だ。政府としては同項を含め、ポツダム宣言を受諾し、降伏したことに尽きる」と答えたことを2日の<ものみやぐら>で紹介しました。これは朝日新聞の記事を元にしたものですが、朝日新聞以外の全国紙は「1日の審議の詳報」欄を設けていましたが、この「安倍答弁」を紹介していません(地方紙には当たり切れていません)。
テレビも放送時間が重なるため全部のニュース番組は視聴できませんでした。インターネットでホームページを開いて確認しましたが、報道していませんでした。

「首相はポツダム宣言を読んでいる」

3日の産経新聞は「ポツダム宣言『首相は当然読んでいる』 政府答弁書」という記事を載せていました。政府は2日の閣議で維新の党の初鹿明博衆議院議員の「首相はポツダム宣言を一度も読んでいないのか。読んだことはあるが記憶に残っていないのか」という質問主意書への答弁書を決定した。
答弁書は「総理は当然読んでいるが、通告が事前になされなかったため、つまびらかでないと申し上げた」としています。この答弁書のことはTBSも報道しました。

「ポツダム宣言は連合国が日本に叩き付けたもの」

そうです。安倍晋三氏はポツダム」『宣言を読んでいました。自民党幹事長代理だった2005年に雑誌の対談で「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかりにたたきつけたものだ」と語っています。
首相だった13年3月に衆議院予算委員会で「東京裁判は連合国側が勝者の判断によって、断罪がなされたということだろう」と述べ、「A級戦犯は国内法的には戦争犯罪人ではない」という見解を披露しています。

ジャーナリズムの役割を果せ

2日の<ものみやぐら>でも私が指摘したように、安倍首相は「政府としてはポツダム宣言を受諾した」といいましたが、文脈からいえば、当時の政府が受諾したという事実を述べただけで、現在の首相の安倍晋三氏が宣言を受け容れているのかどうかは巧妙に避けています。先に挙げたこれまでの言行からは、受け容れていないということだと思いますが、マスコミが思考停止しているようです。
マスコミは安倍首相に「貴方はポツダム宣言を受け容れているのか」と問い質すべきです。それが権力を監視するジャーナリズムの役割です。
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琉球新報より

2015年06月04日 09時24分37秒 | Weblog
安倍晋三首相の妻昭恵さんが、名護市辺野古沖を埋め立てる米軍普天間飛行場の移設計画について、発売中の週刊誌「週刊現代」6月13日号のインタビューに対し「本心を言うと、辺野古の飛行場も海の上には造らないでほしい」と述べ、懸念を示している。計画を推進する安倍政権とは異なる立場を示した形で、美しい海などへの思いを率直に語っている。
 昭恵さんは「私は昔から海を守りたくて、それで東北の防潮堤建設にも反対している」と環境問題への強い関心を披露。安倍首相とのエピソードとして結婚前、海を埋め立てる計画があった新石垣空港建設に関し「飛行場を造るとサンゴ礁が壊されてしまう」と言って反対し、けんかしたことも明らかしている。
 インタビューを担当した同誌の橋本隆記者は「昭恵さんは政治的ではなく、率直に感じていることを語ってくれた」と印象を語った。昭恵さんはインタビューで自身を「家庭内野党」と表現。「私は主人と全く違う意見の人、政権批判する人とも会うし、私を通してその意見を伝えることで橋渡し役をしたい」とし、「(首相に)『こういう意見も取り入れてください』と言いたい」とも述べている。



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日韓友好のために   文科系

2015年06月04日 09時07分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ちょうど50年前の1965年6月22日、日韓基本条約が調印された。この問題の歴史を、6月1日の中日新聞が特集している。「日韓国交正常化50年」という見出しで、第8面の一面すべてを使って。これを読み、この10年「(明治以来の)日朝闘争史」をこのブログのために学んできたものとして、この問題がこじれる事情、背景について今思うことを改めて述べてみたい。

 中日新聞記事にも、こんな下りがある。
『(65年日韓条約調印の)合意までに14年間もかかった。・・・両国の立場は大きくかけ離れており、調整が進まなかった。その理由は、二つの問題に集約できる』
 この二つの問題とは、①35年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の賠償について名目と金額、のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる(と、僕は観ている)。韓国は①を明治維新直後からの武力による侵略の歴史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の問題であって、連合国による日本「裁き」とは全く別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日本側が当初、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に良いことも多く成したのだから在韓財産が請求できるはずだなどと、久保田代表が2回の会談で語ったのである。韓国は当然、武力による不法、侵略であったし、在韓財産請求などとんでもないと反応することになる。このような対立、「認識」の相違こそ、日韓関係を以下のように難しくしている原点、大元だと今の僕は観ている。

 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもネトウヨ諸君の考え方、理論の骨子であり続けている点が、問題を難しくしているということで、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力を使ったかという歴史認識について、日韓間には大きな差があるのだから、難しくて当たり前なのである。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈だ。日本が韓国に行った以下のことなどは、どれだけの日本人が覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後1875年の江華島事件にまでさかのぼることができる。これは、「ペリー来航・即砲撃して軍事侵略戦争」と言えるような、韓国にとっては大事件であった。93年の東学党反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの韓国人を殺したことだろう。日本軍が平時に常時国外駐留を認めさせたのも朝鮮が初めてのことだし、95年には、こんな大事件が起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導した大事件であって、王妃の死体を陵辱し、石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者・三浦梧楼日本公使のこの残忍な行為に現れた反日への憎しみこそ、当時とその後の日本・韓国関係の一部の人々による韓国理解を象徴しているように僕は思うのだが、どうだろうか。つまり、日韓の一部にある相手への悪循環的悪感情の大元、根源は、侵略をした側、つまり日本にあると。

 1910年の朝鮮併合は、こういう40年近い歴史の結末なのである。併合前40年と併合後35年。この全体に対する真摯な反省が日本国民にない間は、正常化はうまくいかないにちがいない。先述の久保田発言、その思考はそんな反省を微塵も感じさせないものと言えよう。つまり、相手の心をみようとせず、日本有利の点、立場だけを語っている。
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