1930年代のブロック経済の状況を、前投稿で見てきた。その状況は、保守系さんの見解、「ブロック経済」を「自衛戦争論」の論拠にするという見解は、成り立ちえないことを明快に示していた。
さらに、次に挙げる工業生産推移の各国比較も、保守系さんの見解・論理が成り立たないことを明快に示している。
最初に、恐慌中の世界主要国の工業生産の推移を見ておこう。
1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年
アメリカ 100・・・・・81・・・・・・68・・・・・・54・・・・・・64・・・・・・66・・・・・・76
イギリス 100・・・・・92・・・・・・84・・・・・・84・・・・・・88・・・・・・99・・・・・106
フランス 100・・・・100・・・・・・86・・・・・・72・・・・・・81・・・・・・75・・・・・・73
ドイツ 100・・・・・86・・・・・・68・・・・・・53・・・・・・61・・・・・・80・・・・・・94
日 本 100・・・・・95・・・・・・92・・・・・・98・・・・・113・・・・・128・・・・・142
注1.上表は、ウィキペディアの大恐慌の項目に記されている数値を使用した。
注2.日本は1927年の金融恐慌以来、恐慌にはいっていたので、1930年以降の日本の数値は高めに表現されている。日本の問題を考える場合には、1926年基準のほうがベターと思う。
注3.満州国成立後、つまり1932年以降の日本の数値に注目して欲しい。訪米諸国に比し、工業生産の回復が著しい。
1930年代前半、日本の工業生産は、欧米諸国と比較すると落ち込みも小さく、その回復も早かった。この事実そのものが、保守系さんの見解・論理を直接的に否定しているのだ。日本はブロック経済の影響をほとんど受けていないのだ。1933年以降の日本の工業生産の回復・向上には、満州事変・満州国設置が大きく寄与していたことは言うまでもない。
1930年代前半の朝日新聞を見ても、ブロック経済の影響をしめしているような記事も、他国の輸入制限に関する記事見当たらない。これは当然のことである。日本はその影響をほとんど受けていないのだから。
では、保守系さんのコメントの内容をすべて否定していこう。
・「近年、我が国が列強より差別関税輸入制限をもって脅かされ」ていたのなら、この日本の工業生産の状況は起こりえないのである。ブロック経済の影響は欧州の中小諸国に較べるとはるかに小さかったのだ。日本のまわりの諸国・諸地域には、ブロックの外にある米国、中国を始めタイ、フィリッピン、インドネシア、インドなど、輸入制限のない国・地域が広く分布しているのである。
・「満州国の独立によって日満提携の政策が確立した」。とんでもない。日本が勝手に中国から切り離し作ったのが、満州国である。その日満のブロックは「他国のブロック比すればはなはだ小規模で、或いはブロックとまでいい得ないものかも知れぬ」、として日中戦争が自衛の戦いとする論拠に使うが、とんでもない話である。日本はブロック経済の影響が小さかったのだ。
・「我が国が列強より差別関税輸入制限をもって脅かされ」ては、いないのである。
・「日本と満州国程度ではブロック経済は、成立しないのです。これが成立しないという事は、日本国が成立しないことになります。そういう広い意味で、私はあの大東亜・太平洋戦争は自存自衛の戦争だったと言っているのです」。この論理が成り立たないことは、すでに明らかである。満州だけでは日本が成立しないから、中国全体を日本の支配下に組み込む必要があるというこの論理、これは「自衛」の論理でなく、「侵略」の論理そのものである。恐ろしいほど身勝手な論理である。しかも、「日本が成立しない」というのは、工業生産回復の状況を見ると、完全に否定されているのである。
・「石油は禁輸・ブロック経済・海外資産は凍結・満州から出て行け、人種平等案の秘訣(原文のまま)、日本人移民への差別などもっと多面的に見るべきです」。これほどひどい文章はめったに見ることができない。記念碑的文章である。時系列を無視し、思いつくままに並べ立てている。ブロック経済は満州事変前後、石油禁輸は日米開戦直前、海外資産凍結は日米開戦後、という始末である。保守系さんの言う「多面的に見る」という中身がこれである。保守系さんは架空のテレビゲームの世界で遊んでいるのであろうか。タイムスリップの世界である。満州事変から日中戦争を自衛の戦争とする論拠に、それより後の出来事をもってくるとは。これは、歴史を多面的に見るということではないのである。
保守系さんからは、質問に対する回答もないし、反論もなかった。この連続投稿の「その11」で、26日に保守系さんのコメントがあった。「終了」宣言である。質問と回答がゼロの終了宣言とは残念です。
私が、これほどの執念でこの投稿を続けたのは、保守系さんの後ろにいる保守系論客を意識していたからである。終わりにあたってこれだけは、述べておきたい。
さらに、次に挙げる工業生産推移の各国比較も、保守系さんの見解・論理が成り立たないことを明快に示している。
最初に、恐慌中の世界主要国の工業生産の推移を見ておこう。
1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年
アメリカ 100・・・・・81・・・・・・68・・・・・・54・・・・・・64・・・・・・66・・・・・・76
イギリス 100・・・・・92・・・・・・84・・・・・・84・・・・・・88・・・・・・99・・・・・106
フランス 100・・・・100・・・・・・86・・・・・・72・・・・・・81・・・・・・75・・・・・・73
ドイツ 100・・・・・86・・・・・・68・・・・・・53・・・・・・61・・・・・・80・・・・・・94
日 本 100・・・・・95・・・・・・92・・・・・・98・・・・・113・・・・・128・・・・・142
注1.上表は、ウィキペディアの大恐慌の項目に記されている数値を使用した。
注2.日本は1927年の金融恐慌以来、恐慌にはいっていたので、1930年以降の日本の数値は高めに表現されている。日本の問題を考える場合には、1926年基準のほうがベターと思う。
注3.満州国成立後、つまり1932年以降の日本の数値に注目して欲しい。訪米諸国に比し、工業生産の回復が著しい。
1930年代前半、日本の工業生産は、欧米諸国と比較すると落ち込みも小さく、その回復も早かった。この事実そのものが、保守系さんの見解・論理を直接的に否定しているのだ。日本はブロック経済の影響をほとんど受けていないのだ。1933年以降の日本の工業生産の回復・向上には、満州事変・満州国設置が大きく寄与していたことは言うまでもない。
1930年代前半の朝日新聞を見ても、ブロック経済の影響をしめしているような記事も、他国の輸入制限に関する記事見当たらない。これは当然のことである。日本はその影響をほとんど受けていないのだから。
では、保守系さんのコメントの内容をすべて否定していこう。
・「近年、我が国が列強より差別関税輸入制限をもって脅かされ」ていたのなら、この日本の工業生産の状況は起こりえないのである。ブロック経済の影響は欧州の中小諸国に較べるとはるかに小さかったのだ。日本のまわりの諸国・諸地域には、ブロックの外にある米国、中国を始めタイ、フィリッピン、インドネシア、インドなど、輸入制限のない国・地域が広く分布しているのである。
・「満州国の独立によって日満提携の政策が確立した」。とんでもない。日本が勝手に中国から切り離し作ったのが、満州国である。その日満のブロックは「他国のブロック比すればはなはだ小規模で、或いはブロックとまでいい得ないものかも知れぬ」、として日中戦争が自衛の戦いとする論拠に使うが、とんでもない話である。日本はブロック経済の影響が小さかったのだ。
・「我が国が列強より差別関税輸入制限をもって脅かされ」ては、いないのである。
・「日本と満州国程度ではブロック経済は、成立しないのです。これが成立しないという事は、日本国が成立しないことになります。そういう広い意味で、私はあの大東亜・太平洋戦争は自存自衛の戦争だったと言っているのです」。この論理が成り立たないことは、すでに明らかである。満州だけでは日本が成立しないから、中国全体を日本の支配下に組み込む必要があるというこの論理、これは「自衛」の論理でなく、「侵略」の論理そのものである。恐ろしいほど身勝手な論理である。しかも、「日本が成立しない」というのは、工業生産回復の状況を見ると、完全に否定されているのである。
・「石油は禁輸・ブロック経済・海外資産は凍結・満州から出て行け、人種平等案の秘訣(原文のまま)、日本人移民への差別などもっと多面的に見るべきです」。これほどひどい文章はめったに見ることができない。記念碑的文章である。時系列を無視し、思いつくままに並べ立てている。ブロック経済は満州事変前後、石油禁輸は日米開戦直前、海外資産凍結は日米開戦後、という始末である。保守系さんの言う「多面的に見る」という中身がこれである。保守系さんは架空のテレビゲームの世界で遊んでいるのであろうか。タイムスリップの世界である。満州事変から日中戦争を自衛の戦争とする論拠に、それより後の出来事をもってくるとは。これは、歴史を多面的に見るということではないのである。
保守系さんからは、質問に対する回答もないし、反論もなかった。この連続投稿の「その11」で、26日に保守系さんのコメントがあった。「終了」宣言である。質問と回答がゼロの終了宣言とは残念です。
私が、これほどの執念でこの投稿を続けたのは、保守系さんの後ろにいる保守系論客を意識していたからである。終わりにあたってこれだけは、述べておきたい。