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「読書会報告その2」佐和隆光著「日本の『構造改革』」その② 文科系

2006年05月30日 00時08分00秒 | Weblog
グローバリズムやポスト工業化社会は好むと好まざるとにかかわらず世界史の動向であり、否応なく対応が迫られる後戻り不可能な世界的潮流である。そこから、日本の市場を時代に合致した自由、透明、公正なものにする市場主義改革と、その害を除く「平等な福祉社会」とが必然の流れとなっている。
グローバリズムの下で先進国が迫られているポスト工業化社会に生き残っていく道は、以下の2分野だろう。一方の、IT(情報技術)を取り入れたハイテク製造業・経営のプロセスは、無数の技術者、事務屋を放逐せざるをえないといった側面がある。他方の柱、金融、情報、通信、医療、教育などのソフトウェア産業は、人文・社会科学的素養を軽視してきた日本では極めて育ちにくいものとなってしまった。こうして、国家経済政策はこの上なく難しくなり、終身雇用は崩れ、再教育を経ないでは多くの人々が取り残されざるをえないような世の中に、否応なくなってきてしまった。
なればこそポスト工業化社会の負の産物に対する対策、「平等な福祉社会」という手当がその分、急がれる。個人・国家間の所得格差、リスクの増大、1人勝ち、「投機の時代」に必然的な不正などなどへの、再出発の手当である。市場主義改革の元祖サッチャーの後97年に生まれた労働党・ブレア政権の超重点施策がその参考になろう。「首相就任直後の記者会見で、『優先するべき政策を三つあげてください』との記者の質問に対して、ブレア首相は『一にも、二にも、三にも教育だ』と答えた。サッチャー時代に進んだ公教育の荒廃という事態の改善を最優先の政策課題にすえるということを、『公正』という観点からブレア首相は強調したのである」(P66)
こうして「平等な福祉社会」とは、以下のようなものと著者は語る。「要するに、『排除』される者のいない社会、そして『自分という人的資本への投資の原資を提供する』役割を、福祉に担わせる社会をめざす」(P83)と。教育を重視し、福祉に人的資本を高める役割を与えて、皆に希望を持たせ、そうして失業をなくする社会ということである。

他方、困難な局面にある大国日本は、グローバリズムから教訓を得ること、それへの正しい対応も迫られている。
狭義のグローバリゼーション・世界市場経済化は東欧崩壊もバネになって以前から世界史の流れだった。ヒト、モノ、カネ、情報、サービスの国境を越える移動のことだ。その流れに乗ったクリントンからブッシュに替わった21世紀になって、アメリカは全く変わった。ブッシュ就任後すぐになされたのが、石油資本の要請による京都議定書からの離脱、ネオコンの意向からのABM制限条約離脱だった。そして、9.11から、アフガニスタン、「悪の枢軸」対策へと進み、世界・国連の意向に反して民主主義大国でありながら自らイラク戦争を起こしたのである。こういうブッシュは、財務省と金融資本によって支えられていたクリントンに対して、国防総省と軍需資本の代表と言えるだろう。
保守主義とは、市場主義、小さな政府、自助という経済・政治的側面と、自国の秩序・伝統による異端排除という文化的側面とを併せ持つと語って、その前者中心のものを著者は新保守主義と呼ぶのだが、ブッシュは後者の側面中心であると言う。ちなみにクリントンは、アジア通貨危機の鎮めなど、「グローバル世界市場の統治役」を買って出たが、ブッシュはそういった世界市場統治役すら放棄している。ブッシュの下のアメリカは失業率と双子の赤字も高め、世界不況予測の大元にもなっていると言えるが、こういう中でブッシュが「グローバル世界市場の統治役」を捨てたということは、世界の将来に向けて極めて深刻な問題となっている。世界金融危機が起こりやすくなっているのに、世界不況の鎮め役がもういないというわけだ。国連の名前も、ブッシュがイラク戦争でこの上なく貶めていることでもあるし。こうしたネオコンのユニテラリズムの下で世界は今、このうえなく不安定な状況になったと言えるのである。

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