日本と日本人とは、「徳川300年の平和」をよーく知っている。群雄割拠で長く続いた戦国時代(という国民の不幸)を終わらせて、鎖国も関係していようが国内の需給好循環経済を栄えさせ、西欧以外では唯一、明治維新後近代化の基礎を作ったその平和である。日本人が1日3食になったのは元禄時代だし、この頃の江戸や大坂は、世界有数の文化をも誇る大都市であった。
他方、最近の世界的ベストセラー「サピエンス全史」には、これと同様のこんな世界史知見が溢れている。
部族社会では、部族外の人間は総て「敵」、もっと言えば単なる「動物」。統一国家ができて初めて、その国民が「対等」に。近代統一国家が生まれた時、そういう国の基礎として「基本的人権」が据えられるようになった。第二次大戦後にはとうとう、その国家も、世界庶民つまり人類も、初めて名目権利上は対等になった。
20世紀後半に植民地が否定され、人種の平等が進んだのも、こういう国際民主主義への世界史的流れの一環と言える。第一次大戦後の国際連盟、二次大戦後の国際連合が、世界史上初めて生まれたそういう人類平和組織である。
今新たに、国連に対するように、というよりもこれを無視するようなアメリカだけの例外主義が台頭しているが、そのアメリカこそが先頭に立って国連総会決議に従うならば、今はもう地上から戦争は終わるはずだ。「大量破壊兵器」という嘘の理由で、国連の制止を振り切っておこなったイラク戦争のような蛮行は許してはならない。
日米の右ポピュリズムが国連を語らないという共通性を持つのは、以上のような歴史的背景を無視するからだと思う。簡単に言えば、世界近代史の国際民主主義の発展を無視する主張、所業なのだ。 これがなぜなのかを考えてみることこそ、世界庶民の明日の暮らしにとっても最重要なことの一つだと言いたい。
他方、最近の世界的ベストセラー「サピエンス全史」には、これと同様のこんな世界史知見が溢れている。
部族社会では、部族外の人間は総て「敵」、もっと言えば単なる「動物」。統一国家ができて初めて、その国民が「対等」に。近代統一国家が生まれた時、そういう国の基礎として「基本的人権」が据えられるようになった。第二次大戦後にはとうとう、その国家も、世界庶民つまり人類も、初めて名目権利上は対等になった。
20世紀後半に植民地が否定され、人種の平等が進んだのも、こういう国際民主主義への世界史的流れの一環と言える。第一次大戦後の国際連盟、二次大戦後の国際連合が、世界史上初めて生まれたそういう人類平和組織である。
今新たに、国連に対するように、というよりもこれを無視するようなアメリカだけの例外主義が台頭しているが、そのアメリカこそが先頭に立って国連総会決議に従うならば、今はもう地上から戦争は終わるはずだ。「大量破壊兵器」という嘘の理由で、国連の制止を振り切っておこなったイラク戦争のような蛮行は許してはならない。
日米の右ポピュリズムが国連を語らないという共通性を持つのは、以上のような歴史的背景を無視するからだと思う。簡単に言えば、世界近代史の国際民主主義の発展を無視する主張、所業なのだ。 これがなぜなのかを考えてみることこそ、世界庶民の明日の暮らしにとっても最重要なことの一つだと言いたい。