ザックの経歴を知らない人が、本日ザックについて僕に質問的コメントを付けてきた。コメント自身には感謝するから、お礼と言っては何だが、僕の過去ログを再掲する。
【「日本サッカー・希望の星」と、ザック監督など(2) 文科系 2010年09月18日
新代表監督・ザッケローニ
表題のことを、付け焼き刃の勉強結果報告として、書いてみたい。ただし、この勉強自体は、なかなか楽しかった。
① 監督実績
現在57歳のザックは、今の世界の超一流監督とは言えないだろう。詳細は省くが、モウリーニョ、ファーガソン、グァルディオラ、ベンゲル、カペッロ、アンチェロッティなど、そう呼べる監督は多くはないからだ。近年落ち目と言って良いイタリアにおいて10年以上昔の実績があるだけなのだが、一流監督にはかろうじて入るのではないか。後述するそれなりの成り上がり実績を背景にして、ミラン、インテル、ユベントスとイタリア3大チームの監督を務められた人間はそう多くはないのだから。ミランでは、98~99年シーズンに優勝もしている。
彼の成り上がり実績は何と言っても、95~98年のウディネーゼ時代だろう。95~6年シーズンにセリエAに上がったばかりだったこのチームに入ると、これを10位にした。翌年は5位に、97~8シーズンには3位に上げたのだった。その実績で98~99年にはミランに呼ばれて、混戦の中で優勝を収めたのだ。ただ、これ以降は、語るべき実績はないし、名門監督の地位も「繋ぎ」と言ってよい立場だった。
② スタイル
監督としてのスタイルはどうか。
①から、選手育成も上手いし、彼我の戦力分析から対策を打ち出す良い戦術家である事も確かだと思う。斬新な点取り戦術を考え抜く攻撃的な名監督だということも有名だ。それは、次の二つの例から分かる。
ディネーゼの躍進、ミランの優勝には、ザックが育てたドイツ人点取り屋・ビアホフの活用、存在があった。ザックと会う前の年はセリエBで9ゴール。この彼が翌年にはザックのチームで「セリエA、17ゴール」を上げ、その2年後にはセリエA得点王(27得点。この年にウディネーゼはリーグ3位)になっている。2、3位がそれぞれ、ロナウド(同25)、バッジョ(同22)と言えば、このビアホフを先頭に立てたザックの攻撃組織能力も十分に分かるはずだ。このビアホフはザックと共に、翌年にミランに移っている。ちなみに、当時のイタリアでは、ユベントスが世界最強チームとして名高かった。全盛期のジダンやデル・ピエーロがいたチームだ。これを押しのけてミランが優勝したのだから、色々陰口は叩かれているが、立派な実績だと思う。
③ ここ10年の「足踏み」、及び、人柄
この監督、2000年に入っては、なんの実績もない。これをどう見るかが一つのキーポイントになる。これについて僕は、イタリア・サッカー界の現惨状を第一に上げたいと思う。以下のような状況では、良い監督が育たないのではないか。「なんの保障もないのに、世界1だけは望まれる」と。やる気というものが育ちにくい国になっているのではないか。
現在9月時点でのイタリアは世界13位、イングランド(6位)、スペイン(1位)に総体として遅れを取っているし、オランダ(2位)ほどの絶えざる研究蓄積やドイツ(3位)ほどの大改革もない。それでいてイタリア有名クラブは過去の栄光を忘れられず、国内優勝では飽き足らなくて、ヨーロッパ・クラブチャンピオン杯を常に求められる。ここから、外国からの人材を取っ替え引っ替え使い捨てしてきて、イタリア人の中からは名監督も名選手も育たなくなっている。その証拠として、代表年齢は高齢化し、八百長さえも常に絶えない。大不況でカネもなさそうだし、加えてこの国では人種差別も強いように思う。ACミランのオーナーでもあり首相でもあるベルルスコーニの強権、専横が、イタリア・サッカー界全体の発展を妨げている面もあるのではないかと、僕は推察してきた。
さて、こういうサッカー界の状況の中では、ザックの評判は良い。温かい人柄のようであって、温厚、誠実、選手を使い捨てにしない、と。また、家業のレストランをさらに大きくするなど、着実な人生を歩んでいる人物でもある。彼に1部リーグ中堅チームを2~3年も与えれば、子飼いの選手を大事にして優勝チームを作る程度の腕前があるのは明白だと思う。流石にイギリス、スペインでは難しくとも、他の国においてならばという条件をつけてだが。ただしそれには、こういう条件が必要だろう。ザック・ACミランの名MFにして、イタリアサッカー協会現副会長アルベルティーニの言葉だ。
『 周囲がザックの言葉を聞き漏らさないこと。細部に渡る指示に忠実でなければなりません。この姿勢が選手になければ、彼のサッカーは成功し得ない。ミランがスクデットを獲った98~9シーズンに、幸運にも彼の指揮下に身を置いた私の経験がそう言わせるのです。
ミランというビッグクラブで、ザックスタイルを実践することは決して容易ではなかった。超の付く大物たちは、往々にして細かい戦術的な指示に従わないものですからね。それでもザックは、あれだけの高度なメカニズムと選手全員の献身性を必要とするサッカーを実現してみせた。何よりもザックの篤い人望の賜です。(中略)
我々の国とは明らかに異なるメンタリティーを持つ日本は、それこそザックの理想とする環境でしょう』(ナンバー762号33ページ)
そう、組織規律を大事にする日本で、協会は普通の出来なら2~3年を彼に与えるだろうし、彼が大きい成果を上げる条件は十分過ぎるほどに整っていると思う。彼がもしアルコール中毒でもないならば、代表をアジアチャンピオンにするぐらいは難しくないことだと、僕は予測している。
なお、人間としての彼は、彼の雇い主だったシルビオ・ベルルスコーニの人物もその政治的立場をも、嫌いらしい。このことは、日常会話においてさえ政治信条に五月蠅いイタリアという国において、サッカー界でもかなり知られた話らしい。】
【「日本サッカー・希望の星」と、ザック監督など(2) 文科系 2010年09月18日
新代表監督・ザッケローニ
表題のことを、付け焼き刃の勉強結果報告として、書いてみたい。ただし、この勉強自体は、なかなか楽しかった。
① 監督実績
現在57歳のザックは、今の世界の超一流監督とは言えないだろう。詳細は省くが、モウリーニョ、ファーガソン、グァルディオラ、ベンゲル、カペッロ、アンチェロッティなど、そう呼べる監督は多くはないからだ。近年落ち目と言って良いイタリアにおいて10年以上昔の実績があるだけなのだが、一流監督にはかろうじて入るのではないか。後述するそれなりの成り上がり実績を背景にして、ミラン、インテル、ユベントスとイタリア3大チームの監督を務められた人間はそう多くはないのだから。ミランでは、98~99年シーズンに優勝もしている。
彼の成り上がり実績は何と言っても、95~98年のウディネーゼ時代だろう。95~6年シーズンにセリエAに上がったばかりだったこのチームに入ると、これを10位にした。翌年は5位に、97~8シーズンには3位に上げたのだった。その実績で98~99年にはミランに呼ばれて、混戦の中で優勝を収めたのだ。ただ、これ以降は、語るべき実績はないし、名門監督の地位も「繋ぎ」と言ってよい立場だった。
② スタイル
監督としてのスタイルはどうか。
①から、選手育成も上手いし、彼我の戦力分析から対策を打ち出す良い戦術家である事も確かだと思う。斬新な点取り戦術を考え抜く攻撃的な名監督だということも有名だ。それは、次の二つの例から分かる。
ディネーゼの躍進、ミランの優勝には、ザックが育てたドイツ人点取り屋・ビアホフの活用、存在があった。ザックと会う前の年はセリエBで9ゴール。この彼が翌年にはザックのチームで「セリエA、17ゴール」を上げ、その2年後にはセリエA得点王(27得点。この年にウディネーゼはリーグ3位)になっている。2、3位がそれぞれ、ロナウド(同25)、バッジョ(同22)と言えば、このビアホフを先頭に立てたザックの攻撃組織能力も十分に分かるはずだ。このビアホフはザックと共に、翌年にミランに移っている。ちなみに、当時のイタリアでは、ユベントスが世界最強チームとして名高かった。全盛期のジダンやデル・ピエーロがいたチームだ。これを押しのけてミランが優勝したのだから、色々陰口は叩かれているが、立派な実績だと思う。
③ ここ10年の「足踏み」、及び、人柄
この監督、2000年に入っては、なんの実績もない。これをどう見るかが一つのキーポイントになる。これについて僕は、イタリア・サッカー界の現惨状を第一に上げたいと思う。以下のような状況では、良い監督が育たないのではないか。「なんの保障もないのに、世界1だけは望まれる」と。やる気というものが育ちにくい国になっているのではないか。
現在9月時点でのイタリアは世界13位、イングランド(6位)、スペイン(1位)に総体として遅れを取っているし、オランダ(2位)ほどの絶えざる研究蓄積やドイツ(3位)ほどの大改革もない。それでいてイタリア有名クラブは過去の栄光を忘れられず、国内優勝では飽き足らなくて、ヨーロッパ・クラブチャンピオン杯を常に求められる。ここから、外国からの人材を取っ替え引っ替え使い捨てしてきて、イタリア人の中からは名監督も名選手も育たなくなっている。その証拠として、代表年齢は高齢化し、八百長さえも常に絶えない。大不況でカネもなさそうだし、加えてこの国では人種差別も強いように思う。ACミランのオーナーでもあり首相でもあるベルルスコーニの強権、専横が、イタリア・サッカー界全体の発展を妨げている面もあるのではないかと、僕は推察してきた。
さて、こういうサッカー界の状況の中では、ザックの評判は良い。温かい人柄のようであって、温厚、誠実、選手を使い捨てにしない、と。また、家業のレストランをさらに大きくするなど、着実な人生を歩んでいる人物でもある。彼に1部リーグ中堅チームを2~3年も与えれば、子飼いの選手を大事にして優勝チームを作る程度の腕前があるのは明白だと思う。流石にイギリス、スペインでは難しくとも、他の国においてならばという条件をつけてだが。ただしそれには、こういう条件が必要だろう。ザック・ACミランの名MFにして、イタリアサッカー協会現副会長アルベルティーニの言葉だ。
『 周囲がザックの言葉を聞き漏らさないこと。細部に渡る指示に忠実でなければなりません。この姿勢が選手になければ、彼のサッカーは成功し得ない。ミランがスクデットを獲った98~9シーズンに、幸運にも彼の指揮下に身を置いた私の経験がそう言わせるのです。
ミランというビッグクラブで、ザックスタイルを実践することは決して容易ではなかった。超の付く大物たちは、往々にして細かい戦術的な指示に従わないものですからね。それでもザックは、あれだけの高度なメカニズムと選手全員の献身性を必要とするサッカーを実現してみせた。何よりもザックの篤い人望の賜です。(中略)
我々の国とは明らかに異なるメンタリティーを持つ日本は、それこそザックの理想とする環境でしょう』(ナンバー762号33ページ)
そう、組織規律を大事にする日本で、協会は普通の出来なら2~3年を彼に与えるだろうし、彼が大きい成果を上げる条件は十分過ぎるほどに整っていると思う。彼がもしアルコール中毒でもないならば、代表をアジアチャンピオンにするぐらいは難しくないことだと、僕は予測している。
なお、人間としての彼は、彼の雇い主だったシルビオ・ベルルスコーニの人物もその政治的立場をも、嫌いらしい。このことは、日常会話においてさえ政治信条に五月蠅いイタリアという国において、サッカー界でもかなり知られた話らしい。】