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新聞の片隅に載ったニュースから(番外編Ⅸ 13.11. 8)   大西五郎

2013年11月09日 19時21分03秒 | Weblog

 特定秘密保護法はツワネ原則に照らしてどうなのか(朝日新聞・天声人語)

 ものを考える場合の出発点が正反対だと、話し合ってもかみ合いにくい。憲法改正論議がそうだろう。憲法とは、国民が権力を縛るものなのか、権力が国民を縛るものなのか。世界の常識は前者だが、後者のように考える人もいて、もみ合いが続く▼特定秘密保護法案をめぐる論議もよく似ている。政府の情報は国民の共有財産なのか、お上の占有物なのか。それによって、基本的にはオープンにするのか、あからさまに言わないまでも隠せるものは隠しておこうとするのかがわかれる▼安全保障にかんする情報と国民の権利の関係について、いま「ツワネ原則」が注目されつつある。国連や70カ国以上の専門家500人が話し合ってまとめ、今年6月に南アフリカの都市ツワネで示された。内容は法案とずいぶん違う▼国会図書館の最近の報告をもとに少し紹介する。公的機関の情報はだれでもが知る権利を持つ。ツワネ原則はまずそう宣言する。権利を制限するなら、それが正当であることを政府が証明しなければならない。はじめに権利ありき、の発想だ▼むろん軍事など必要なものは秘密にできるが、期間を限らなければならない。内部告発をした人の保護も盛り込まれている。政府の秘密保全に幾重にも縛りをかけておく。原則を貫いているのは、権力というものへの健全な疑いだろう▼こうした世界の潮流から、秘密保護法案は遠い。憲法論議も同じだが、そもそもの考え方の違いを確認することからやり直した方がいい。

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 番外編Ⅷで、特定秘密保護法は自由権規約に反するという新しい視点の朝日新聞への投書を紹介しましたが、さらにツワネ原則というものに照らしてどうなのかという問題もあります。
8日の朝日新聞・天声人語がそのことを提起していますが、6日に衆議院第一議員会館で行われた超党派の国会議員や市民の秘密保護法についての勉強会で海渡雄一弁護士が「『ツワネ原則』に基づけば、秘密保護法案は白紙に戻すべきだ」と提起しました。(7日朝日新聞)。天声人語はこれを受けたものと思われますが、このツワネ原則は天声人語が紹介しているように世界中の専門家が集まって協議して合意し、宣言したものです。
 「公衆は政府の情報にアクセスする権利を有する。それは、公的な機能を果す。或いは公的な資金を受け取る私的機関も含まれる」(原則1)ではじまるこの原則は「政府は防衛計画、兵器開発、諜報機関によって使われる情報源など狭義の分野で合法的に情報を制限することができる(後略)」(原則9)と安全保障面における政府の情報制限を認めながらも、「公衆はまた、安全保障セクターの機関の存在について知る権利を有し、それらの機関を統治するための法律や規則、そしてそれらの機関の予算についての情報も知る権利を有する」(原則6)と情報は国民のものであり、国民は知る権利があるという原則が貫かれています。
 その他、情報の秘匿が無期限であってはならず、機密解除要請の明確な手続きがなければならないなどの規定もあります。
 国会の審議で国民の知る権利が保障されるのかどうかについて深い討議が行われなければなりませんし、守られないなら否決・廃案にするよう議員の良識に訴えたいと思います。

                                    大西 五郎
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よたよたランナーの手記(24) 何歩か後退、前進ははて?  文科系

2013年11月09日 10時49分25秒 | 文芸作品
 72歳と老いの身体は、実に一進一退。筋肉が急に老いた部分に気づかずにちょっと激しくやると怪我も出るから、そのブランクで低調と何とか前進とを繰り返すことにもなるのだし。1ヶ月ほどのランの近況は、以下のようなものだ。いつものように、外走りとの断りがない限りランニングマシンでウオームアップ歩行を含めての距離である。ランニングマシンを使うのは、速度が分かるから。慢性心房細動で心臓カテーテル手術を2010年に2回やってその前後から去年まで3年間走れなかったというブランクがある身体としては、速度と心拍数とをしっかり確認・管理しながら走らねばならないのだ。
 7月末の自転車転倒・左膝ヒビのブランクから立ち直り、巻き返して前進してきた9月30日、50分で6キロ。10月1日30分を2回で4.3キロと3・9キロ。10月5日30分で4・3キロ。この日は調子が良くって時速9・6キロでも心拍が153ほどだった。それで調子に乗ったかしてアキレス腱を痛めたと後で分かり、次に走れたのが21日。その間は、ロードレーサーとか階段往復とかで体力維持に努めることになる。21日には、30分2回で合計7・1キロ。24日が同じく7・6キロ。この前後に持病の腰痛が出て、次に走ったのが11月1日で、ゆっくりすぎるほどに戸外を6キロほど。3日と6日にはそれぞれ、50分で6キロと、1時間で7・6キロだ。特に6日は、10月初めの好調が戻ったようで、時速10キロも出来そうな勢いを押さえるのに苦労した。最も長時間走った8・5キロ時でも心拍145ほどまでだったのであるが、それを後半30分は8キロ時までにあえて押さえて走ってきた。なによりも朗報なのだが、翌日である7日にもほとんど疲れが残っていなかったのだ。弱くなっていた部分を補強運動で鍛えたとか、長くゆっくりと走るというやり方3日ほどが有酸素運動・心肺機能強化に繋がったことなどは明らかである。長年培ってきた基礎体力がまだ失せていないという証拠でもあろうと思えて、かなり自信も生まれた。
 そういう好調を踏まえた本日8日、1日と同様に外走りコース6.5キロを50分弱で走ってきた。1時間にしたら8キロ近くになる。6日よりもさらに疲れず、ブランク後最も調子がよいと感じたもの。500キロカロリー近くは使ったはずで、フィットネスにもなったろう。
 さて、自転車転倒でヒビが入った左膝も、以降のアキレス腱痛、腰痛も何の後遺症もなく完治している。そして、この間に怪我と老化とで弱った箇所もよく分かり、対策も打てたと思う。つまり、急に老いてきた身体への認識、対策がいろんな努力で前進したという現時点なのである。このようにリフレッシュした身体で来週はまたロードレーサーの遠出をしてくる積もりだ。秋晴の中の前回が夢の中に居るようだったから、今度のライドにはおのずから期待が膨らむ。老いていく人生ぎりぎり最後の煌めきと観るからだろう。

 僕は身体を動かすこと、走ることなどになぜこれほど拘ってきたか。これがとても好きにはちがいないのだが、今日はその哲学のようなものを記してみたい。一度このブログにも書いた僕の小説の一節だが、自分でとても気に入っている表現なのだ。
【 ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ。】
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