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朝鮮日報より    落石

2009年02月22日 19時04分22秒 | Weblog
近代の日本の天皇について、朝鮮日報が興味深い記事を載せていました。
全文を転載します。  落石
 


「曩(さき)に満州に於(おい)て事変の勃発(ぼっぱつ)するや
自衛の必要上関東軍の将兵は果断神速寡克(よ)く
衆を制し速に之を芟討(さんとう)せり…朕深く其忠烈を嘉す」。
1932年1月、昭和天皇は満州事変を起こした関東軍をたたえる「勅語」を下した。
事変の主役だった関東軍の参謀たちと会い、祝賀したこともあった。
近代日本で絶対的権威を持っていた天皇が中国侵略の先頭に立ったわけだ。
しかし戦後、昭和天皇の戦争責任問題を回避するため、
あらゆる政治活動は内閣など政治担当者の「輔弼(ほひつ)」に従っただけだ
という主張がなされた。
天皇は「ロボット君主」にすぎなかった、という話だ。
昭和天皇の言葉は真実なのか。


 千葉大の安田浩教授は、日本に君臨した明治天皇・睦仁(むつひと)、
大正天皇・嘉仁(よしひと)、昭和天皇・裕仁(ひろひと)が、
明治維新から1945年の敗戦まで具体的にどのような役割を果たしたのかを
明らかにすることで、近代天皇制の解明に乗り出した。
内大臣・侍従長・侍従武官長ら天皇の側近や
政権首脳部の日記・書簡などの資料を根拠とした。


 安田教授は、天皇は基本的に内閣と宮中の側近、
軍部の輔弼を基として活動する受動的な君主だったが、
時には自らの意思により親政的な権力を行使する能動的君主であることもあり、
そうした場合には政治的に重要な影響を及ぼした、と主張する。
安田教授は、時期的に少しずつ異なる天皇の政治的役割に注目した。
明治時代には天皇の親政的権力の行使が当然だと見なされていたが、
大正時代には天皇の疾病のため、
親政的権力の行使がそもそも不可能だという観念が支配的だったという。

 昭和時代には、天皇の権力行使は抑制されるのが当然だと考えられたため、
うわべは親政君主・大元帥・神格的君主として宣伝されつつも、
権力の核心部では「天皇は国家機関にすぎない」という認識が
暗黙のうちに拡大していたという。
敗戦直前には、東条陸軍大臣が次のような話を
内々の訓示として出したといううわさが出回った。
「勤皇には2種類ある。前者は陛下が和平せよという勅命を下されれば
信じて従うもので、後者は国家の将来を考え、
たとい陛下が命を下されてもまず諫言(かんげん)を申し上げ、
なお諫言を申し上げてもお許しにならなければ、
強制的にでも所信を断行しなければならない。わたしはこれを選ぶだろう」

 それでも、昭和天皇の戦争責任を免除することはできなかった。
日本の近代天皇制では、君主は政治責任を負わない絶対的権威として出発した。
天皇は時折親政を実施しながらも「立憲君主」として
臣下の輔弼により活動していると考え、
臣下は輔弼により天皇を動かそうとしながらも
天皇の命により活動していると考える、こうした行動様式が一般化した。
こうした巨大な「無責任の体系」が日本を戦争に駆り立てた、
というのが著者の結論だ。

私は記事のなかの次の指摘が大切だと思います。

しかし戦後、昭和天皇の戦争責任問題を回避するため、
あらゆる政治活動は内閣など政治担当者の「輔弼(ほひつ)」
に従っただけだという主張がなされた。
天皇は「ロボット君主」にすぎなかった、という話だ。

文科系さんも指摘するように、天皇に全権力のある憲法。
戦後の憲法とはまったく違うものです。
これとの関係はどうなんでしょうね?




コメント (4)
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平和百人一首 (十三)       まもる

2009年02月22日 16時37分42秒 | Weblog
幾千万の命安らぎおほらかに
    新憲法は史をかぎるなり     千葉  角田博子


たたかひに死なざりし命還り来て
     桜狩する春に逢ふかも     和歌山 橋爪 啓


■昭和22年ごろから、菊池章子の「星の流れに」が売れはじめた。吹き込んだのは1年前で、闇の女と呼ばれた街娼に転落した満州が帰りの女性が新聞に投書しているのを見た清水みのるが、憤りをこめて書き上げた詩に利根一郎が曲をつけた。歌い手には社会性が出せると、菊池が選ばれたというが、最初は淡谷のり子に持ち込まれ、パンパン歌謡はいやだと、淡谷がけったとの説もある。
「最初は自分でも歌うのが恥ずかしかった。特にステージに立つときは演出の都合上、ネッカチーフをかぶり、肩にショルダーバックというスタイルをとらされて、抵抗がありましたが、マキノ雅弘さん(映画監督)に絶対に流行する歌だからと、激励されて」と菊池は語っている。
ただし、菊池によれば23年ごろから、NHKの放送では「星の流れに」が禁止された。”こんな女に誰がした”と開き直る部分が忌避されたというのである。


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