いくさなき世となりにけりわがいのち
安けくありて母に仕ふる 東京 鈴木政輝
東に美し国あり矛はすて
海に漁り土にいそしむ 東京 伊賀良一
★戦後すぐの歌謡曲にはどんなものがあったでしょうか?
昭和20年 (1945)
■終戦から1ヶ月目の9月、松竹映画「そよ風」がクランクインした。上原謙や佐野周二に混じって、劇
場の照明係からスタートして抜擢されるヒロインを演じたのはSKD出身の女優、並木路子だった。
映画のハッピーエンドで、並木が歌うのが「リンゴの歌」彼女は父親を戦争で、母親を空襲で失った23歳。サトウハチロウがまとめていた歌い出しは”リンゴ畑の香りにむせて、泣けてくるよな喜びを”だったが、作曲の万城目正が「最初に強烈なパンチがほしい」と主張して”赤いリンゴにくちびる寄せて”が生れたという。「これで君は5年間はスターでいられる、その間に次の手段を」と万城目は自信のほどを示していた。映画とNHKが数回流しただけで、この歌は20年の暮れには流行していたが、レコード化されたのは翌年2月。早くレコードにしたくても、音盤用の材料が不足していて出来なかったのである。
昭和21年(1946)
■ビクターが新人歌手を公募して、約3000人のうちから男性3人、女性4人が選ばれた。このとき女性用の練習曲として東辰三が作詩・作曲したのが「港の見える丘」。3ヶ月のトレーニングを経て、テストに合格して、初吹き込みしたのが、武蔵野音楽学校出身の平野愛子だった。
レコードが発売されたのは翌22年、それから3年余りたって、どこのダンスホールに行っても、緩やかで甘美なこのブルースが流れていたという。
この年の初夏に封切られた大映映画「或る夜の接吻」(監督・千葉泰樹)は恋人同士が一つの傘の中で抱き合うシーンがあるだけだったが、接吻映画と宣伝された。主役として浅草の歌謡ショーからスカウトされてきた奈良光枝が近江俊郎とデュエットしたのが「悲しき竹笛」である。
作曲は古賀政男、軍歌を作曲したため、戦争協力者として処刑されるのを恐れてた古賀も、何の咎めもないと見ると、疎開先から上京。映画主題歌の「麗人の唄」【悲しき竹笛」「三百六十五夜」を経て「湯の町エレジー」が大ヒットとな
☆昭和歌謡史より転載させてもらいました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm