九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

保育園民営化問題の新ブログ紹介     まもる

2009年02月15日 22時21分50秒 | 国内政治・経済・社会問題
今展開されている「名古屋市立保育園の民営化についての住民投票請求」の署名運動にかかわるブログが立ち上がっています。
 この運動にかかわり始めて、公式のブログまたはHPのないのが不思議でしたが、あると聞いて早速読ませてもらいました。
 ところがこれがなかなか面白い。公式な宣伝ビラのような内容でなく、問題の核心に平易に迫っていていいのです。
 その一つを紹介します。関心のある方はぜひお読みください。
************************************************************
 「真の問題点はなんだ?」

確かに、表面上は、公立保育園の廃園・民営化の問題です。
でも、そこで問われているのは、市のお金の使い方なのです。

公立保育園の廃園・民営化に反対する人たちと話していて、しばしば引き合いに出されるのは、本丸御殿復元事業です。
曰く、保育園に掛ける予算は無いと言いながら、本丸御殿復元には多額の費用がつぎ込まれているじゃないか!!
ま、確かにその通りなんですが、「そうだ、そうだ!!」とは、簡単に同調できないのです。

保育園か、本丸御殿か。
ことは、そんな単純な二者択一ではなかろう、と思うのです。
少なくとも、次の3つの問題が頭に浮かぶのです。
ひとつめの問題は、いつ、何に、いくら使うのか、ということです。
ふたつめは、それがどのように決定されているのか。市民の大多数から、合意を得られているのか。
みっつめは、その説明をきちんとしているのか。市側は、説明責任を果たしているといえるのか。また、裏を返せば、市民の側は、関心を持って注目し、説明を要求しているのか。
という点です。

例えば。(数字には、なんら根拠はありません。単なるたとえです。)
市には、自由に使えるお金が100円しかないとします。
本丸御殿の復元には、80円かかるとします。
保育園の整備拡充にも、80円かかるとします。
両方同時には出来ないので、どうしましょうか?というような場合です。

本丸御殿の復元か、保育園の整備か、どちらか一方を選ぶ、というのではなく。
ましてや、どちらを選ぶにしても、市民の声を全く聞かずに決める、というのではなく。
市民一人一人にとって、また、近い未来の社会にとって。今、何をすべきか。何にいくら使うべきか、という最低限の共通理解・合意が形成されているかどうかが重要だと思うのです。

ところで、本丸御殿復元事業というのは、そんなに意味の無い、無駄なものなんでしょうか?
名古屋城天守閣は、戦災で消失しました。焼失をまぬかれた、本丸御殿にあった襖絵などの調度品類は、文化的、歴史的価値が低いものでしょうか?これらを展示し、一般の観覧が出来るようにするのは、意味の無いことでしょうか?

文化財を保護したところで、すぐに目に見える具体的な効果は実感しにくいものです。
だからといって、文化財の保護をしない、という選択は正しいこととは思えません。
名古屋市だけでなく、日本全体で考えても、決して意義は小さくないと思うのです。

よく考えたいのは、ここからです。
それらが歴史的価値のある文化財だとしてですよ。きちんと保存・管理が出来る状態で一般の観覧に供するのは意味のあることだ、としてですよ。
本丸御殿を復元して展示しなければならない、のでしょうか?
美術館や博物館の収蔵品とすることでは、こと足りないのでしょうか?
復元事業を実施するのは、なぜ「今」なのでしょうか?例えば、5年後、10年後では、市民の生活に、著しい不利益を生じるのでしょうか?
というようなことです。
こういったいろんな可能性が検討され、充分議論が尽くされ、市民に向けて丁寧に説明がなされ、総意として合意が得られた、と言い切れるでしょうか?
問題とすべきは、復元事業そのものではなくて、事業決定に至った経緯とその説明の有無、責任の所在の明確化ではないのか、と思うのです。

となると、行き着くところ、現時点での私の到達点は、こうです。
真に問われているのは、市民が市政に関心を持って注目しているのかどうか?という、市民の姿勢なのだ。自戒を込めて。

★このブログのアドレスは http://nkh.blog.so-net.ne.jp/ です。


コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和百人一首 (十)       まもる

2009年02月15日 11時45分58秒 | 文芸作品
  夢にさへ恋やまざりし青畳
    ただうれしくて足伸ばしけり      東京  三澤正男

 大陸の野戦にひとり病みし日を
    吾子抱きつつ夫は語りぬ         愛知  瀬尾文子

★先日、ある方から
「平和百人一首の連載を読ませていただいています。
戦争直後を想像しておおよそを推察することはできます。戦争をくぐり抜けた安堵、未来への希望。
理解に多少の時間がかかるのは、戦後世代には実感のない当時の事情をかなり想像しなければならないことや、新生日本の未来像が漠然としていることから来るのでしょうか。
今でも私たちの心に飛び込んで来るような、鮮やかでわかりやすい短歌はありませんでしたか。
まもるさんのイチオシは?」

というお便りをいただきました。
読んでいただいているとのお知らせに嬉しく思いました。
 たしかに、その時代の人々の感情を共感するのは難しいなあと思っております。
 終戦直後の人々の解放感や安堵感もいまいち伝わりにくいと感じますし、とりわけ戦争中の人々の死をも顧みない愛国心などは理解しがたいものです。
 その辺り国民感情の高揚をもっと評価し、戦争の必然性や、合理性を認めるべきだという歴史家もいます。
 
 しかし、今回のような平和百人一首をまとめて読むと時代の感情をひしひしと想像することができます。
 そうした自分の感性を信じて平和運動を続けたいと思っています。

 今日、紹介しました二つの短歌などは、鈍感な私にも最も心にひびいてくる歌です。
 まだ、二十首ほどを紹介したところですのて、今後感じられる短歌に出会われましたら是非感想をコメントください。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする