海側生活

「今さら」ではなく「今から」

初めて見た

2011年06月27日 | 東海道五十三次を歩く

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田舎で育った自分にとって田畑の作物の名や、その作物に咲く花の色等は知っている積りだった。

東海道五十三次の「歩きの旅」で、吉田宿と呼ばれていた豊橋を出て御油宿、赤坂宿を経て二日目、 藤川宿に差し掛かった時の事。「藤川東棒鼻跡」の碑が建っている。宿の出入り口を棒鼻と呼び、大名通行の際はここで本陣や問屋の主人は出迎え口上を述べたと言う。

宿跡に差し掛かった時から気になっていた碑の反対側の作物に近づいた。それは陸稲かと見えたが、自分の背丈ほどの高さでこんなにも丈が伸びる筈は無いし、第一、稲穂が黒っぽく見える。
健康志向で古代米と称して、群馬・藤岡や長野・飯田などで栽培されている赤米・黒米・緑米等を見たことはある。しかし田植えが終わって間が無いのに時期的にもおかしい。

畑の隅に説明板があった。「紫麦」は江戸時代より藤川の名産だった。いつしか作られなくなり幻の麦となっていたものを、平成になってから栽培に成功した、と。
紫色した穂を持つ麦は初めて目にした、触ってみた、麦だ。瞬間懐かしい感じが蘇る。

殆どの経験はして来た積りで居ても、幾つになっても、初めて知る、初めて経験するって事があるのだと改めて知らされた思いがした。

そう言えば京都・三条大橋に夕方着いた後、高瀬川沿いの小さな椅子に腰を下ろした時、偶然隣に座っていた袈裟姿のお坊さんとの会話を思い出した。
『「歩きの旅」を終わって何を感じていますか』
『多くの人と出会い、忘れかけたものを思い出しました』と、道中に受けた見も知らぬ人からの親切の数々を思い描きながら答えると、お坊さんは
『毎日を新鮮にする一番の方法は好奇心を持つ事、自分はここに座ってヒューマン・ウオッチングをしています』

何故だか、その言葉が今でも頭のどこかに残っている。

藤川の麦刈りは終わったかな。初めて紫麦を見てから一ヶ月が過ぎた。