(逗子・小坪から)
元日の朝は晴れていた。
陽が当たり始めたベランダ越しに、透き通った空の青を海面にそのまま映した青い海原が穏やかに横たわっている。富士山は五合目辺りまで冠雪し、陽に反射して眩いばかりだ。風はソヨとも吹いていない。日常の漁船の行きかうエンジンの音も今朝は全く聞こえてこない。夜明け直前頃から鳴き交わす鳥の声が後ろの山側から微かに聴こえてくるだけだ。目を凝らすと、海面には漁船が行きかった航跡の水脈も全く無い。細波すら立ってない、まるで静まりかえった大きな湖のようだ。
ふと、昨夜の除夜の鐘を打った時とは違う感情が内から込み上げてくる。
誕生が山の湧き水とするなら、死は海であり、人生は川の流れそのものだと言えると、誰の言葉だったか記憶が蘇ってくる。
川は多くの水をたたえ、その一部を蒸発させて雨に変え、また川を流れ下らせる。やはり基本は海、すなわち死かもしれない。人間は川の流れに乗った藻にすぎない。どんなに考えたところで、川は海に向かって流れてゆく。それならば、自然の成り行きに任せ、自分を改めて自覚しようと思いを新たにする。
自分はこれまで随分と長い間、ある時は留まり、またある時は寄り道をしながら考えていた以上に流されてきた。あと海までどれくらいの距離まで来たのだろう。或はすでに入り江まで着いているのかもしれない。突然に急な潮の流れが起き、すぐにでも一人旅を始めるかもしれない。そうなったら湘南の海岸沿いに、この相模湾を一周するのも面白い。真鶴あたりから相模湾の真ん中に出たらまた違った風景に出会えるかもしれない。やがて南下して思い出の詰まった城ケ島の沖あたりから、伊豆半島の先端の爪木崎や城ケ崎を右手に見ながらさらに南へ流れ、そして大島から伊豆七島を通り抜け,やがて八丈島から小笠原諸島近くに差し掛かったらイルカの群れにも久し振りに出会えるだろう。後はどちら方向に流れの向きを変えようか。出来たら太平洋の大海原をさらに南下したい。
行雲流水も又楽し。元日の朝に想った。
初富士を相模の海に浮かべをり 峨々
静かな元旦でしたね。こんな朝は心を海に委ねたくなるものでしょうか。越し方を振り返り、さほど遠くない先を思うとき、身も心も時の流れに任せたくなるものかもしれません。この一年が、平和で過ごせますように祈らずにいられません。