海側生活

「今さら」ではなく「今から」

足袋の白さ

2013年10月28日 | 鎌倉散策

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                         (浄智寺/鎌倉)

「和」が好きだ。
中でも、箸を使っての食事は、どこで何を食べても落ち着くし、キチンと食事をした気分になる。第一、体に優しい。

「和食」が世界の文化遺産となるらしい。
ユネスコが登録するとの事。その理由は、和食は世代から世代に受け継がれる中で、社会の連帯に大きな役割を果たしていると言う事らしい。食と関係する無形文化遺産としては、これまでにフランスの美食術、スペインやイタリアのなどの地中海料理、メキシコの伝統料理、トルコのケンシキなどがすでに登録されているとか。

シーズンの紫式部を撮りに鎌倉の浄智寺に出掛けた。
六月中旬にはギザギザの鋸形の葉の中に淡い紫色の小花を無数に付けていた。清楚な美しさで好きな花の一つだ。実は白色もあるが、紫色が好きだ。低木だからカメラの位置を極端に低いアングルにしないと背景が入らない。腰を落とし、カメラを紫式部に向けていたら、レンズの中に白い何かがユックリと過った。二人ずれの女性が履いている白足袋だった。二人はお互いを、紫式部を前景にしてスマホで撮り合っている。やがて二人一緒のシ-ンを撮ろうとしているが、紫式部の向こう側まで手が届かないらしく、困った仕草で自分に二人の眼が来た。すかさず『撮りましょう』と声を掛け、彼女たちのスマホを預かり、離れて、近寄り、横にしての3枚を素早く撮った。
この時期は何の花も咲いていない、しかも人影もない境内に二人の笑顔が弾けている。彼女達の和服姿が初秋の空気に相応しくシットリとして、山門を後にする二人の姿が、いつまでも瞼の奥に残っていた。

昼食を摂るため行きつけの小さな和食処に入った。
食べ始めて暫くすると、お店に馴染んでいる匂いとは違った香りがして目を上げると、座布団に座っている自分に小さな会釈をしながら二人の和服姿の女性が席に付いた。先ほどの二人ずれだった。

その香りは、きっと紫式部が二人の女の足袋の白さに、もつれ付くように淡く匂いながらついて来たのだ。

「和」は気持ちを優しく、またココロを和ませてくれる。


再会のマナー

2013年10月16日 | 感じるまま

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                             (台風一過の朝/ベランダより)

十月になったら、とたんに様々が会合の連絡が来るようになった。現役を退いた今、旧友に再会する事が多くなった。

同窓会や現役の頃の友人達と久しぶりに集っての会食といった機会が増え、それが楽しい。
若い頃は同じ業界の人や、同じ立場の人としか話が通じなかった。しかし最近は、それぞれにとって、あらゆる制約が無くなったのか、ヒマを持て余しているのか互いを理解できるようになった。年齢的にも、そんな年回りなのだろう。過去を振り返る余裕が出てきたことも、旧友と再会する機会が増えた理由だろう。

久しぶりに友と再会する時に、まず心掛けている事がある。それは、ビックリしないと言うこと。相手から改めて自己紹介か説明を受けないと、誰だか分からない事も多い。ほとんどが大きく変わっている。男性は頭部が激変している場合が多い。また女性は顔の皺が樹木の年輪を示しているかのように増え、また胸よりも腹が前に出ている人も多い。特に男性も女性も頭部は老化方向への変化だけでなく、明らかに不自然に若返っていると思われる人もいる。その大きく変わった部分をジロジロと見ないようにしている。

変わっているのは外見ばかりではない。合わなかった間、お互いに知らない山や谷だのを経験しているわけで、その山や谷にも、その都度驚かないことが友情のような気がする。
会が盛り上がるのは、ほんのチョットした谷、つまり不幸を告白する時だ。皆で慰めあっていると、合わなかった時間が一気に埋まるような気持ちになる。そんな和やかな雰囲気に水を差すのは、自らの幸せばかりを語る人だ。それを聞くと「これほど自慢せずにいられないのとは、よほど満たされない何かを抱えているんだな!」と勘繰ってしまう。

旧友に会うのは、故郷に帰るようなものかもしれない。故郷に帰り、昔と変わらぬ古さだけが目に付くと、どこかホッとする。しかし様変わりしてキンキンに発展していたりすると、かえって寂しくなった記憶もある。

古びていようと、発展していようと、そこから離れていた人は、故郷を批判する立場にはない。同じように誰がどんなに変わっていようと黙って受け止め合う包容力こそ、友との再会で求められることに違いない。


乾杯もない誕生日

2013年10月07日 | 最大の財産

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                                           (病室より/スマホにて)

テーブルには花もない。

 

自分の部屋なのに自分のモノは何も無い。音楽もない。ただ大きくはない長細いテーブルの上に、体温計がポツンと置いてある。ただ個人情報が詰まっているリストバンドが手首に固定されている。もちろん酒も無いし、『おめでとう!』の言葉もない。こんな言いようのない寂しさを感じるのは久し振りだ。長く生きてきたが、こんな誕生日は初めて経験した。

 

数日前から、歩いても右脇腹に鈍い痛みが走る。熱も38度近くまで上がってしまった。前例がある身にとって、異常を感じ、三連休だったにも関わらず、掛かりつけの病院に急患として身を運んだ。
急性虫垂炎の疑いと診断され、そのまま入院。絶飲食の治療が始まった。ベッドに身を横たえて、ただ時が過ぎるのを大人しく待つだけの耐え難い時間が続く。何歳になっても、初めての経験ってあるものだと、改めて実感する。窓の外には、透き通るような秋の青空に東京タワーが見えている。

 

入院して二日目は誕生日だった。
夕方の検温が終わった頃、妙齢の女性・A,Tさんが前触れもなく『大丈夫?』と病室に入ってきた。彼女が子供の頃からよく知っている。いつも言葉数は少なかった。それにしても俗にいうイイオンナ(・・・・・)になったものだとジッと見つめてしまった。そして『誕生日、おめでとう!』とリボンが付けられた包みをプレゼントされた、カードと一緒に。早速開いた。自分では選びきれない秋物の洒落たシャツだ。夏の身なりで病院に来たが、退院時には長袖の、このシャツを着て帰ろう。

 

『早く治ってね!禁煙のチャンスだね』と笑みを浮かべながら帰って行った。

 

一人になって東京タワーに目をやると、夜空に頂きが赤色に点滅していた。まるで、今去った人の温かい思いを繰り返し自分に伝えるかのように。
カードには身体を労わる短い言葉が添えられていた。水一滴も口に出来ない自分の乾いた気持ちの中に、シンシンと沁み入って来た。